らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

線香花火

2017-09-10 | 季節

夏の夜の風物詩の一つとなったものに花火があります。
夏休みにはお孫さんと花火をしたお爺ちゃん、おばあちゃんも多いのではないでしょうか?
ご多分に洩れず、我が家でも孫娘と庭先で花火を楽しみました。
花火の中でも人気なのが線香花火だそうです。
そこで、今日は線香花火について調べました。

はかなくも美しい花火、その中でも人気なのが線香花火と言われています。
この線香花火は、実は、1600年代に日本で誕生したのだそうです。
戦国時代に鉄砲と共に伝来した黒色火薬が、後の天下統一で活躍の場がなくなり、江戸時代になると「平和利用」として、花火に用いられるようになりましたが、丁度その頃、線香花火も誕生したそうです。

・線香花火を持つ孫です。これは4段階の2番目「松葉」でしょうか。


当時はわらしべ(稲の穂の芯)の先に火薬を詰めたもので、香炉や火鉢に仏壇の線香のように立てて遊んだようであり、これが線香花火の名前の由来だと言うことです。
一方、紙すきが盛んだった関東では、後に、わらの代わりに、こより状にねじった軟らかな和紙を使い、手に持ち、下に垂らして遊ぶようになりました。
今でも線香花火と言えば、関東では和紙が普通ですが、関西ではわら製で斜め上に向けて持つタイプが、売上全体の4割程度を占めているのだそうです。

ところが、数十年前から安価な中国製に押され、2000年頃までに国内の製造所が相次いで廃業しました。
しかし、300年続いた日本の伝統を消すわけにはいかないと、花火問屋などの業者が復活に向けて尽力しました。
そして、花火が大きく、燃焼時間も長くなるなど4段階の変化をつけた製品を開発して復活したのだそうです。
近年では新たな業者も誕生し、線香花火作りの種火が続いているということです。

ちなみに、線香花火に火がついてから玉が落ちるまでの4つの段階は、最初に玉ができる「牡丹」、激しく火花が散る「松葉」、火花が落ち着いて下向きに落ちだす「柳」、玉が落ちる前に小さく火花が散る「散り菊」とそれぞれ植物の名前がついているそうです。
日本人らしく、風情のある名前をつけましたね。


九仞の功を一簣に虧く

2017-09-09 | 雑学

皆様がよくご存知の諺に「九仞の功を一簣に虧く』があります。
難しい漢字が使われていますが、読みは「きゅうじんのこうをいっきにかく」です。
その意味は、長年の努力がもう少しで結実すると言う時、最後の些細な手違いで、全てが水の泡になってしまうことです。

諺やその意味は知っていても、その由来についてはどうでしょうか?
そこで今日はこの諺の故事をご紹介します。

この諺の出典は中国の哲学者・孔子が編纂したとされる政治史・政教を記した中国最古の歴史書「書経・周書」です。
それによると、殷を滅ぼして新たに周王朝を開いた武王の元に、各地から盛んに貢物が献上されてきました。
中でも旅(りょ)と言う国から贈られた大犬は、丈が4尺もあり、人の言葉も分かる珍獣でした。
武王はすっかり気に入り、この犬なくては夜も日も明けない始末です。

これを見た弟の召公は、折角の周王朝の創業を危うくしてはならないと思い、次のように武王に説いたのです。
「折角、九仞の高さまで山を築きあげても最後のひと簣(もっこ)の土を運ばないで止めてしまったら、山は完成したことになりません。それまでの努力も何にもならなくなります。周の国を築く仕事もこれからです」と、順々と諫(いさ)めていったのです。

この故事から、苦労や努力を重ねてきても、最後のところで手を抜いたために失敗することを例え、この諺が使用されるようになりました。

なお、“仞(じん)”とは、中国「周」時代の長さの単位で、“一仞”は両手を広げた長さをいい、九仞は非常に高いと言うことです。
また、“簣(き)は土などを運ぶもっこで、虧(か)くは損なうことを表しています。

従って、「九仞の功を一簣に虧く」の「いっき」は「一気」と書くは誤りで、「一簣」となるので注意が必要です。


松虫塚

2017-09-08 | 地元紹介

蝉はすっかり鳴き声を潜め、代わって鈴虫の美しく澄んだ鳴き声が聞こえるようになりました。
「りーん、りーん」と鳴く鈴虫の鳴き声は、秋の到来を感じさせ、いつまでもその鳴き声に浸っていたい、そんな気分にさせてくれます。
昔は鈴虫の事を松虫とも言い、秋の季語にもなっていますが、その松虫の塚、「松虫塚」が大阪阿倍野区にあります。
今日は「松虫塚」についてご紹介します。

40数年前の現役の頃、大阪の阿倍野に勤めたことがあって、松虫通りはよく歩きました。
勿論、未だアベノハルカスはなく、阿倍野地区の再開発が行われる前のことです。
梅田や難波と比べると、当時の阿倍野は大阪市内の片田舎と言った表現がぴったりするような古い街並みでした。
その阿倍野に「松虫通」という地名がありますが、これはこれからご紹介する「松虫塚」が由来でつけられた名称のようです。

「松虫塚」
松虫塚には古来数々の伝説がありますが、この地は松虫(今は鈴虫という)の名所であったところから、松虫の音にまつわる風流優雅な言い伝えが多く、七不思議の神木とともに尊崇されてきました。



「松虫塚伝説」
古書「芦分船(あしわけぶね:江戸初期の雑誌)」によると、後鳥羽上皇(1183-1198年)に仕えた松虫、鈴虫の二人の官女が法然の念仏に発心し、承元元年(1207年)法然が土佐に流されたのちに、松虫がこの地に庵を結び隠棲した所であると伝えられています。

また、「摂陽群談」と謡曲「松虫」には、「昔、ある人が親友と二人で阿倍野の松原を通ったが、その一人が節おもしろく鳴く松虫の音を慕って行ったまま帰らないので、捜しに行くと友は草むらで死んでいた」。
これを葬ったのが松虫塚であるとする説や、ほかにいくつかの伝説が残っています。

松虫塚には古来数々の伝説がありますが、この地が松虫(今日の鈴虫)の名所であったところから、松虫の音にまつわる風流優雅な詩情あふれる物語が伝承されているようです。

後鳥羽上皇の女官・松虫が庵を結んだ場所とも、リズムよく鳴く松虫がたくさんいたとも言われる「松虫塚」ですが、都市化した現在では、この地区で松虫(鈴虫)の鳴き声を聞く事はもはや不可能なのでしょうね。


扁桃腺の「扁桃」とは

2017-09-07 | 季節

大阪南部の泉州地方は、暑かった夏が過ぎようとしています。
9月に入って、日中の最高気温が30度前後になり、朝晩は22~23度と凌ぎやすくなりました。
漸く季節が夏から秋への変わり目に差し掛かったようです。
よく「季節の変わり目は風邪をひきやすい」とも言われています。

風邪をひくと扁桃腺炎を発症する人がいますが、皆さんは「扁桃腺炎」を罹ったことはありませんか?
のどに痛みがでたり、高熱を発症したりで辛いですよね。

扁桃腺炎は多くの人がかかったことがある、身近な病気なのだそうです。
扁桃腺炎は、細菌もしくはウイルスによって扁桃に炎症が起きてしまう病気ですが、原因は風邪・過労・気温の急激な変化・過度の喫煙・暴飲暴食・ストレスなどだそうです。
夏から秋への季節の変り目の丁度この時期、風邪をひいたり、過労やストレスをためて扁桃腺炎を発症しやすくなります。
十分ご注意ください。

ところで、扁桃腺の「扁桃」とは、どのような意味なのかご存知でしょうか?

扁桃腺の扁桃を広辞苑で調べてみると次のように説明していました。
 ①アーモンドの別称。
 ②人の咽頭口蓋弓の左右にある卵形体の隆起。粘膜には多くの小孔をもち、その周壁に多数のリンパ球が集積してリンパ組織を形成する。細菌の侵入に対する防御
  器官の一つで、しばしば炎症をおこす。舌の根元や咽頭上壁にも小型の同様のものがある。扁桃腺



驚きましたね。
「扁桃」とは、アーモンドの和名のことだったのです。
扁桃腺の「扁桃」の名称はその形がアーモンドに似ていることから名付けられた のだそうですが、口内図を見ると、舌の奥の左右にある扁桃腺は確かにアーモンドに似ていますね。

ちなみにアーモンドはバラ科の落葉高木で中央アジアが原産地です。
日本には明治の初期に入ってきましたが、その頃はアーモンドという名称は一般的ではなく「扁桃」と呼ばれていたのだそうです。
葉、花、果実共に桃に似ており、果肉は薄く、熟すと裂開し、平たい核があります。
核中の仁のうちスイート・アーモンドが食用になります。
扁桃(アーモンド)に含まれるビタミンEは抗酸化作用があって、老化を妨いだり、血行改善作用などがあることで知られています。
ビタミンEは、同じ量ならピーナッツの3倍近くあり、食物のなかでもビタミンEの含有率は群を抜いて高いのだそうです。


蟷螂の斧

2017-09-06 | 時事

今月3日、北朝鮮が6回目の核実験を行いました。
大陸間弾道ミサイル(ICBM)搭載用の水爆実験だそうで、爆発の威力は過去最大規模のようです。
小野寺五典防衛相は核実験の推定出力について「70キロトンになると考えられる」と述べ、これは1945年に広島に投下された原爆15キロトンの4倍超の威力になると言うことです。

近年、ますます北の脅威が増している現状から、当ブログでは北に関係するような内容の記事が増えていて恐縮しています。
今日も又、そのような記事になることをお許しください。

「蟷螂の斧(とうろうのおの)」と言う言葉があります。
意味は、力もないのに、自分の実力もかえりみずに強い者に立ち向かうことのたとえです。
正に現在の北朝鮮にピッタリの言葉のような気がします。

「蟷螂」とはカマキリのことで、相手がどんなに強くてもカマキリが斧をかざすように前足を振り上げて、人間に手向かってきますが、いくら勇ましく闘っても勝てるはずはありません。

この言葉の出典は中国の「漢詩外伝(かんしげでん)」で、その故事は次のように伝えられています。

斉の荘公が狩りにでたとき、一匹の虫が前足を振りかざして、あわや車輪の下に踏みつぶされそうになりながら荘公の車に襲いかかろうとしました。
荘公が「これは何という虫だ」と尋ねたところ、
「カマキリという虫でございます。この虫は進むことしか知らず、退くことを知りません。自分の力量を考えないで敵を軽んじます。」
と答えました。
これを聞いて荘公は、「この虫が人間なら天下の勇士じゃのう」と言って、わざわざ車を戻させ、カマキリを避けたと言います。

この故事より、自分の力量をもわきまえずに大敵に当たること。弱い者が身の程も考えず無鉄砲な勇気をふるって強い者に立ち向かうことを「蟷螂の斧」と言うようになりました。
蟷螂の北朝鮮、故事のようにアメリカが車を戻してくれればいいですが、戻さなければ踏みつぶされてしまうのが分からないのでしょうか?

なお、「蟷螂力を合わせて車を覆す」という対の句もありますが、北朝鮮はこの対の句を狙っているのでしょうか?
もしそうだとしても、果たして北朝鮮に力を合わせる蟷螂が現れるでしょうか?
いい加減に無謀な事は止めて、国際社会と協調を図ってもらいたいものです。


負けに不思議の負けなし

2017-09-05 | 雑学

嘗て、プロ野球南海ホークスの往年の名捕手で監督だった野村克也氏がよく「負けに不思議の負けなし」という言葉使っていました。
野村氏はこのタイトルで本の出版をしていることから、この言葉は野村語録の一つと思われていました。

ところが、この言葉は今から200年ほど前の肥前(長崎)平戸藩 第9代藩主 松浦静山(1760年~1841年)の著書「甲子夜話」に登場している言葉だったのです。
この言葉には前段部分があって、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」となります。

言葉の意味は、負け(失敗)を虚心に反省すれば必ず原因が見つかる。予期せぬ失敗やミスをしたとき、人は往々にして「運が悪かった」「ついてない」で片づけがちだ。
しかし、失敗した場合には必ず原因がある。失敗しないためには「運」が味方するように普段から努力を続け、「鈍(どん)・・・当たり前のことを当たり前に行う、あるいはやるべきことを行うこと)」と「根(こん)・・・最後まで手抜きせずやり通すこと)」に全力を尽くすのみである。
と言う意味になります。

江戸後期の肥前平戸藩主松浦静山は12歳で祖父・誠信(八代藩主)の養嗣子(ようしし:家督相続人となる養子)となり、16歳で家督を相続しました。
柳生石舟斎から新陰流兵法を伝授された徳川家康など、江戸初期以前には武芸達者な将軍や大名も少なからずいましたが、静山は江戸中期の泰平の世にあって「心形刀流(しんぎょうとうりゅう)」を究めて印可(免許)を受けた人であり、更に、弓、馬、槍術や柔術まで武芸全般の修行を積んだ経験を持ち、文武両道に長けた人だったようです。

しかし、いつまで生きられるかと危ぶまれるほどに病弱だったことから、その虚弱な体質を克服するため、教育に当たった祖母が文武両道を説いたとされています。
文武両道で、さらに吉原で通人として知られたという静山のこの言葉は、失敗には必ず原因があるから、それをつきとめて次に生かす重要さを説いており、現在のビジネスやスポーツなどの勝負にかける職業にも通じる鉄則といえるものです。
野村克也氏はこの言葉を座右の銘としていたのだそうです。


関西国際空港 開港から23年

2017-09-04 | 地元紹介

関西国際空港(以下関空)が大阪・泉州の海上沖合に開港してから今日で23年を迎えました。
平成6年(1994年)9月4日午前0時に開港した関西国際空港は世界初の本格的な海上空港で、日本初の24時間運用空港でもあります。
そして、2つの空港島に、4000m級のオープンパラレルの並行滑走路2本を持ち、敷地面積・滑走路の規模では、西日本最大の空港となっています。
国の航空審議会が「泉州沖が最適」と答申してから実に20年目のことでした。

・泉佐野の沖合5㎞に浮かぶ関西国際空港です。

関空が開港するまでは、大阪には伊丹市の大阪国際空港が運用されていました。
しかし、1960年代、航続距離・発着能力・利用者数など航空需要の拡大が想定されていたため、拡張余地が乏しく運営時間(発着可能な時間)の制約が大きい大阪国際空港のみでは将来の需要に対処できないと想定されていたことから「関西第二空港」の建設が提起されたのです。
それを受けて、1963年、総理府内近畿圏整備本部から提出された「大阪国際空港拡張整備と第2国際空港建設」計画が閣議了承され、その後、1968年に運輸省が関西第二空港建設へ向けての基本調査を開始しました。

「関西第二空港」の建設計画が進められるにつれて、1970年代頃からは、大阪国際空港では騒音などの環境問題も顕在化してきました。
そのため、「関西第二空港」の建設にあたっては、これらの要素も考慮に入れる必要が出てきたことから、「関西第二空港」は、大阪南港沖・神戸沖・明石沖・淡路島・泉州沖などが候補地に挙げられ、結局、泉州沖が建設地に選定されたのです。

そして、開港から23年が経ち、関西国際空港の利用者は大きく伸びました。
関空会社が発表した平成28年度の運営概況は速報値で、国際線と国内線を合わせた総旅客数が前年度比7%増の2571万人となり、1996年の開港以来の過去最高を2年連続で更新したのです。

国際線の外国人旅客数は13%増の1242万人となりました。
これは格安航空会社(LCC)を中心に、関空と中国や韓国、香港を結ぶ便が増えたことが要因だそうです。
日系LCCの路線充実に伴って日本人旅客も増加し、国際線全体では11%増の1914万人だったそうです。
一方、国内線の旅客数は関西と伊丹の2空港を合わせて4081万人となり、年度ベースで初めて4千万人の大台を突破したということです。

経済の東京一極集中が進んでいる中、関西空港の外国人を始めとする旅客数増加は、地盤沈下が続く関西経済にとって、大いに明るいニュースとなっているところです。

 


間違いやすい国技館の住所

2017-09-03 | 情報

大相撲秋場所(9月場所)が東京・両国の国技館で開催されます。
今場所は横綱白鵬が連続優勝で優勝回数を40回目の大台に乗せるのか、横綱稀勢の里が復調なって元気な相撲が見られるのか、9月10日から15日間にわたる熱戦が繰り広げられてます。

ところで国技館(日本相撲協会)の所在地が間違いやすいことで知られていますが、ご存知だったでしょうか?
今日はお酒などの席での話ネタの一つになりそうな、「間違いやすい国技館の住所」と題してご紹介します。

因みに、国技館(日本相撲協会)の住所は
「東京都墨田区横網1-3-28」です。
皆さまは何と読まれるでしょうか?
「とうきょうと すみだく よこづな 1-3-28」ですよね。


「相撲の聖地だから、相撲の最高位の「横網」が地名になっているのですね。」
「普通の住所ですが、どこが間違いやすいのでしょうか?」
と思いますよね。

ところがこの漢字の読みが間違いなのです。
よく見てください。
「横綱」ではありません。「横網(よこあみ)」なのです。
正しい読み方は、「とうきょうと すみだく よこあみ 1-3-28」 なのです。

実は街区表示板やその周囲にも「YOKOAMI」「よこあみ」「ヨコアミ」とはっきり書かれているのだそうです。
間違いやすいですよね。
国技館を管理する日本相撲協会によると、かつて「横綱の間違いではないか」と警備員に尋ねる通行人が多かったそうです。

あまりにも間違いが多いことから、横網地区の町内を巻き込んだ騒動になったこともあったそうです。
1960年代半ばごろ、区が地元に対し「横綱」への地名変更を打診するも、町内には「冗談じゃない」と猛反発する声が上がったといいます。

それも無理はありません。
1875年(明治8年)に明治政府の指示で編さんされた「東京府誌 巻第六十八」によれば、そもそもこの地区は江戸時代の貞享年間(1684~88年)には既に「南本所横網町」と称していた伝統ある地名なのだそうです。

それにしてもなぜ「横網」を「横綱」と読む間違いが今もなくならないのかというと、「綱(つな)」という字と「網」(あみ)という字は似ている上に、「相撲」というイメージがあるので、どうしても「横綱(よこづな)」と読んで、或いは書いてしまうのだそうです。

日本相撲協会(国技館)の住所の正しい読み方は「東京都墨田区横網1-3-28(とうきょうと すみだく よこあみ 1-3-28)」なのです。

相撲や東京の地理に詳しい方であれば間違うことはないにしても、馴染みの薄い人間にとってはどうしても誤読しますよね。
話ネタの一つとしてご利用ください。


青二才

2017-09-02 | 雑学

長い夏休みが終わり、2学期が始まりましたね。
ピッカピッカの一年生だった生徒さん達もすっかり学校に馴染んだことでしょう。

学生や生徒さんの場合は「青二才」と言う表現は使いませんが、新任の先生には使われる場合があるかもしれません。
政治の指導者にもこの言葉が使われることがあるのでしょうか。
日本の近隣にはそのような人がいますが・・・。

今日は「青二才」について調べました。
「青二才」とは、年が若くて経験に乏しい者をやや軽蔑して言うときに使われる表現です。
でも、何故、そのような人を「青二才」と言うのでしょうか?

青二才の「青」は、陰陽五行説において事象の始まりの時期を指し、季節においては春を意味します。あるいは、果物が熟す前の色でもあります。「青臭い」とか「青春」とか言うように、青という言葉には「未熟」というニュアンスが含まれている語なのです。

そして、「二才」の由来には二つの説があって、
一つは、ボラなどの幼魚のことを二才魚と呼びますが、これに由来しているという説です。
ボラに限ったことではありませんが、将来、大きく育つ魚が卵からかえって2年目の状態というのは非常に小さいことから「二才魚」と呼ぶようです。

他説には、新背(にいせ)が転じて「二才」となったとする説があります。
昔は、愛しい男性や夫のことを「背(せ)」という風に呼んでいました。反対に、女性のことは妹(いも)と呼んでいたのです。
ここから細かく年代ごとに分類し、若者のことを新背(にいせ)、成人のことを大背(おおせ)、老人のことを古背(ふるせ)と呼んだのです。
このうちの新背(にいせ)がなまって「二才」に変化したものと考えられているとする説です。

いずれにしても、まだ一人前になっていない人たちのことを軽蔑して表現する言葉が「青二才」ということになりますが、今春、入社された新社会人の皆さんは「青二才」と呼ばれたことはありませんか?
もし、呼ばれた事があると言う方は、少しでも早く脱却していただきたいと思います。

今日は二学期や新社会人にかこつけて「青二才」を取り上げましたが、本当はミサイル発射や核開発を続けている隣国の指導者に当て付けるつもりで取り上げました。
しかし、単刀直入に書いて、K国の刺客に狙われたら困るのでこのような内容にしました。


おけら

2017-09-01 | 家庭菜園

「おけらになる」という慣用句があります。
意味は、一文無しになるとか、所持金を使い切ったり、盗まれたりしてなくなることを言いますが、この言葉が昆虫の「おけら」から来ていることをご存知でしたか?
また、昆虫の「おけら」がなぜ、一文無しの代名詞になったのでしょうか?
おけらを正面から見た際、前足が万歳(=お手上げ)をしているように見えるのですが、そこから、所持金を無くし、お手上げ状態になっている人に例えて、そう呼ぶようになったのだそうです。

ところで、昆虫のおけらと言っても、実際に見たことのある人は少ないかも知れません。
そこで、今日は珍しい昆虫「おけら」をご紹介することにしました。

・これがおけらです。動きが素早く、すぐに土の中にに潜ろうとします。


先日、畑を耕していたら土の中からおけらが這い出てきました。
「おけら」の正式名称は「ケラ(螻蛄)」で、バッタ目ケラ科の昆虫です。
体長は約3センチ、頭部と前胸は頑丈で、前足はモグラに似て熊手状になっています。
地中に穴を掘って棲み、昆虫などを捕食するほか植物の根なども食べます。
後翅(うしろばね)が長く、夜には飛んで灯火にも集まる事もあります。また、雄は春秋に土中で「じいい」と鳴きますが、この鳴き声が俗に「ミミズが鳴く」といわれています
このケラ(螻蛄)の事を日本では昔から「おけら」と呼ばれて親しまれています。
なお「虫けら」という言葉がありますが、これは虫全般をいやしめて言う語であり、ここでいうケラとは関係ありません。

家庭菜園をしていると色々な野鳥や動物、昆虫、害虫などに遭遇するものですね。