らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

やはり野に置け蓮華草

2017-09-17 | 時事

民進党の離党者が後を絶ちません。
所属議員からは共産党との共闘や、北朝鮮の脅威がある中、2年前の安保法制の対案の提出が出来なかったこと、憲法問題で党内がまとまらないこと、最近では民進党の基本方針にまで共産党の影響を及ぼす場面も目立つようになったこと等で党内での活動に限界を感じたことなどが理由として述べられています。
これらの問題は今に始まったことではないものの共産党との共闘が相当なアレルギーになっているようです。
新代表になった前原氏も党内をまとめていくには頭が痛いことでしょう。

先日、山梨県笛吹市で記者会見した前原誠司代表は、同党を離党して公認候補が不在となった衆院選挙区に対抗馬を擁立する方針を党所属議員に伝えていたことが報道されていました。
当初、前原氏は離党者らとの将来的な連携も視野に「刺客」擁立に慎重だったそうですが、新たに5人の衆院議員が離党する方向となり「離党ドミノ」を避ける狙いがあるようです。

皆さまよくご存知の諺に「去る者は追わず」があります。
この諺は、今から2300年ほど前の中国、春秋時代の遊説家で、孔子の創始した儒教を信奉する孟子が、弟子に対する態度を述べた言葉で、「来る者は拒まず」と対句になった表現です。

孟子は「そもそも、私の教科のやり方と言うのは、去っていく者は追いかけず、やってくる者は拒まない」と言い、「仮にも道を学ぶつもりで来る者があれば、全て弟子として受け入れるばかりである」と言っているのです。
私の事を信じられなくて、私の元を去ろうとする者を、無理にひきとめるようなことはしないし、また、私の事を信じてやってくる者は誰でも決して拒まないと言っており、去る者、来る者いずれも、その人の心に任せて、決して無理強いはしないと言う度量の広さを示す言葉となっています。

翻って、前原代表はこの諺のように度量の広さを示せるのでしょうか?
ただ、離党が相次ぐ現在の民進党では、国民の支持が得られていないので、議員一人一人の心に任せていたら、離党ドミノが起こる可能性が十分にあります。
その要因を作ったのは平成9年からの3年間、政権を担った鳩山、菅、野田の元総理経験者たちです。
政権を担当した3年間の余りにも無能な国家運営が国民を呆れさせ、民進党離れを起こしたのですが、その事が未だに尾を引きずっている状態であり、彼らの責任は重大です。

俳人、滝野瓢水が読んだ句に、「手に取るなやはり野に置け蓮華草」があります。
意味は、蓮華草は野原と言う自然の中で咲いてこそ愛らしく美しい。同じように物にはそのものを置くのに相応しい場所があり、人にも適材適所と言う相応しい環境があると言うことです。

これは俳人、滝野瓢水が、遊女を身うけしようとした友人をいさめた句ですが、民進党もやはりこの句と同じように、野党にあってこそ輝く党なのでしょうか?