らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

京都の旅(3)京都御所(1)

2017-09-30 | 旅行

私たち文振連の一行は美山河鹿荘で昼食後、西の鯖街道を通って次の目的地である京都御所へ向かいました。
「西の鯖街道」は、標高800メートルの丹波高地を挟み、福井県高浜町、おおい町名田庄、京都府南丹市美山町、京都市京北、そして京都御所をむすぶ約87キロメートルの街道で、鉄道が敷設されるまで福井県若狭地方と京都を結ぶ最短の文化・経済のルートでした。
京都では今回の社会見学会のもう一つの目的である「京都御所」見学しました。

「京都御所」
京都御所は、明治維新までは天皇のお住まい(古くは内裏:だいり)であり、桓武天皇が奈良の平城京より長岡京(京都)を経て、延暦13年(794年)に平安京に都が移されたのが始まりです。
現在の京都御所は土御門東洞院殿(つちみかどひがしのとういんどの)と云われた里内裏が発展したものです。
光厳(こうごん)天皇が元弘元年(1331年)ここに即位されて以降、明治2年(1869年)に明治天皇が東京に行幸(ぎょうこう)されるまでの約500年間天皇のお住まいとして使用されました。
現在の建物は安政2年(1855年)に再建されたものです。

「京都御所の築地塀(ついじべい)」
京都御所の「築地塀(ついじべい)」は、五筋の白線をつけた薄い泥色の壁で、格調ある静閑な雰囲気をもって、約11万3000㎡の京都御所の十余の木造宮殿群を囲んでいます。
これは塀として最高の格式を示すものだそうです。

・築地塀の右奥に見える屋根は「宜秋門」です。


「御車寄(おくるまよせ)」
宜秋門(ぎしゅうもん)を入るとすぐに「御車寄」があります。
天皇より「牛車の宣旨、手車宣旨」を賜った者は宜秋門から車のまま通行が出来て、この御車寄より昇降出来ました。
御車寄は、昔摂家、親王、堂上、六位の蔵人など昇殿を許された人々が正式参内の時に限り昇降するところです。



「諸大夫の間(しょだいぶのま)」
諸大夫の間は、「御車寄」の南側に位置して建てられており、正式の御用で牛車または徒歩で参内したものの控えの間です。
御車寄せから昇殿出来ない武家、大名などはこの御殿の西の平唐門を入り、沓脱(くつぬぎ:長い石)で沓を脱いで昇殿しました。



「新御車寄(しんみくるまよせ)」
新御車寄」は、大正4年(1915年)の大正天皇の即位の礼に際し建てられたもので、大正以後の天皇、皇后両陛下の玄関です。



「承明門(じょうめいもん)」
「承明門」は、紫宸殿の前面にあって、築地塀(ついじべい)の諸門と異なり、朱色の円柱を用いた瓦葺の中国風の門で、大きさは、五間、三戸、十二脚門となっています。
この門は、天皇行幸、並びに上皇御譲位の後の出入りに用いられます。
また、恒例、臨時の節会、その他、御即位、御元服、立后、立太子など厳儀の際この門を開きます。

・朱色が鮮やかな「承明門」です。奥の御殿が紫宸殿です。


「建礼門」
京都御所の正門です。
現在も天皇皇后及び外国元首級のみが通ることのできる、最も格式の高い門とされています。



「紫宸殿」
「紫宸殿」は、即位礼などの重要な儀式を行う最も格式の高い正殿です。大正天皇、昭和天皇の即位礼もここで行われました。
建築様式は入母屋、檜皮葺(ひわだぶき)の高床式宮殿建築で、南面して建てられており、中央に天皇の御座「高御座(たかみくら)」、その東に皇后の御座「御帳台(みちょうだい)」が置かれています。
現在の高御座と御帳台は、大正天皇の即位礼に際して造られたものです。



「高御座(たかみくら)」
写真右側下の囲まれている台座の上には高御座が安置されています。
高御座とは天皇の玉座です。
平安時代以来、大極殿または紫宸殿に安置し、即位、朝賀、蕃客(ばんかく:外国の使節)引見などの大礼の際に用いられました。