らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

落花生栽培(収獲)

2012-10-11 | 家庭菜園

先日、落花生の収穫を行いました。
落花生の収穫は、一般的には開花から80日~90日後ですが、花が次々と咲くので、我が家では毎年10月初旬に収獲しています。
今年も7月初旬の開花から3カ月余り経過し、茎に勢いがなくなったことから収穫することにしました。

・収穫前の畝です。左下の茎は勢いがなくなり、葉が黄色になってきています。


1株には、このような形で莢果(きょうか)がついています。


今年は畝の土を柔らかくするため、夏場の水遣りを欠かさなかった結果、昨年より収量が多いように思います。


これが収穫した落花生です。 莢果(きょうか)を水洗いした後、天日で乾燥させているところです。
この後、実の入っていない莢果(きょうか)や虫食い等を選り分けて収獲作業が終了となります。
無農薬の国産落花生の誕生です。




山中教授「ノーベル賞」受賞

2012-10-10 | 時事

昨日は、京都大学の山中教授がノーベル医学・生理学賞を受賞し、日本中が喜びに満ち溢れました。

今年のノーベル医学・生理学賞の受賞者には、体のさまざまな組織や臓器になるとされる「iPS細胞」を作り出すことに成功した京都大学教授の山中伸弥氏と、いったん成長した細胞にも受精卵と同じ遺伝情報が含まれることを発見したイギリス、ケンブリッジ大学のジョン・ガードン氏が選ばれました。
成人の体の細胞が、受精卵のような発生初期の状態まで戻ることはないと言う生物学の常識を覆し、再生医療や難病の研究に新たな可能性を開いた点が高く評価されたそうです。

山中教授はマウスのiPS細胞作製を報告した2006年8月の最初の論文発表からわずか6年と云うスピード受賞となりました。
日本人のノーベル賞受賞者は19人目で、医学・生理学賞は昭和62年(1987年)の利根川進博士以来、25年振り2人目となります。

今年ノーベル賞の受賞者発表は次の日程で行われます。
 ・医学・生理学賞  10月8日
 ・物理学賞       10月9日
 ・化学賞        10月10日
 ・平和賞        10月12日
 ・経済学賞      10月15日   
 ・文学賞        未発表(11日頃?)

今年のノーベル賞の受賞候補には山中教授の他にも日本人の名前が挙がっているそうです。
米国の情報提供会社トムソン・ロイターの発表では、化学賞候補として、新しい光の触媒反応を見つけ、現在の光触媒化学の先駆けとなった藤嶋学長と、金の触媒作用を見つけた春田正毅(まさたけ)・首都大学東京名誉教授(64)が有力候補として選出されており、更に化学分野では、東京理科大学の学長で東京大学の特別栄誉教授/神奈川科学技術アカデミー最高顧問でもある藤嶋昭氏が選出されているそうです。

また、マスコミの報道では、文学賞で村上春樹氏の名前も取りざたされていると云われています。
山中教授に続いて日本人の受賞者が出て欲しいですね。


「万国郵便連合」記念日

2012-10-09 | 雑学

今日10月9日は、「万国郵便連合」記念日です。
万国郵便連合「UPU(Universal Postal Union)とは、1874年(明治7年)10月9日、スイスでの国際会議を契機に、世界全体をひとつの郵便地域として自由に郵便が出し合えるようにと設立された、最も古い国際連合の専門機関の一つで、本部はスイスのベルンにおかれています。

万国郵便連合の設立によって、次の3点が合意されています。
・地球上のほぼすべての域から固定料金に近い形で郵便物が送れること。
・国際郵便、国内郵便がともに同様の扱いがなされること。
・国際郵便料金は、それぞれの国で徴収し、使用すること。
特に切手を貼った郵便物については、どの国の切手でも国際的に通用することを国際郵便連合憲章(UPU憲章)で決めています。
なお、現在の加盟国は2003年11月現在で191ヶ国だそうです。

・1840年にイギリスで発行された世界最初の切手です。(ウィキペディアより)


日本は1877年(明治10年)2月19日に万国郵便連合に加盟しています。
加盟国としては23ヶ国目、アジア諸国としては初めての加盟国となりました。

・1871年(明治4年)に発行された日本最初の切手です。(ウィキペディアより)


なお、万国郵便連合創設記念日である10月9日を含む1週間は国際文通週間となっています。
国際文通週間は、昭和32年(1957年)の第14回万国郵便大会議において、"世界の人々が文通によって文化の交流に努め、世界平和に貢献しよう"という趣旨で設定されたキャンペーンです。
日本では、その一環として、「国際文通週間にちなむ郵便切手」を昭和33年(1958年)以降、毎年発行しています。

・昭和33年(1958年)10月5日、国際文通週間にちなむ郵便切手として発行された切手です。
                        東海道五十三次の内、京師(安藤広重)



・2010年10月8日発行の切手です。これも国際文通週間にちなむ切手です。
            上村松園 画 「牡丹雪(部分)」



熊取だんじり祭り

2012-10-08 | 地元紹介

実りの秋を迎えた大阪南部の泉州地方では、6日~7日の両日は各地で秋祭りが行われました。
我が町熊取でも、この日に「熊取地車(だんじり)祭り」が行われましたのでご紹介します。

熊取の「だんじり祭り」は、毎年、体育の日の前日と前々日に行われます。
この祭りがいつ頃から始まったのか明らかではありませんが、文化2年(1805年)に大久保のだんじりが新調された事が記録されているそうなので、少なくても207年ほどの歴史がありそうです。
昔から五穀豊穣を願ったこの秋祭りは長い歴史を持つ伝統行事であり、地区の人々の心と心を繋ぐ大切なイベントとなっています。

熊取の地車(だんじり)は町内の11の地区が各々所有しており、初日に大森神社へ宮入りすることから始まります。
大森神社は、中世、雨山神社・野田神社とともに熊取荘の三社として信仰を集めた神社で、ご祭神は菅原道真、事代主命がお祀りされています。

・大森神社です。宮入りしただんじりは境内中央の舞台を全力で二周半駆け回ります。


宮入り後の「地車(だんじり)」は、太鼓のお囃子も小気味よく、町内のパレードに出ていき、そして勇壮な槍回しなどが行われます。
槍回しとは、スピードをつけたまま、「地車(だんじり)」を直角に曳き回す曳行方法です。

・槍回しをしている五門地区の「地車(だんじり)」です。 


・曳行の順番を待つ各地区の地車(だんじり)です。


・久保地区のだんじりです。この後、大久保東の交差点で槍回しを行います。


・久保地区のだんじりに彫られている彫刻です。彫り物は「巴御前馬上の勇姿」のようです。


・大宮地区のだんじりです。槍回しのタイミングを計っているところです。


・大宮地区のだんじりに掘られている彫刻です。この彫り物は「賤ケ岳の合戦」の様子を彫っているようです。


・大久保地区の夜の「地車(だんじり)」です。夜には「地車(だんじり)」を提灯で飾り、静かに曳行します。



長池のアオサギ

2012-10-07 | 地元紹介

先日、久しぶりに熊取・長池公園の散歩コースを歩きました。
夏まで水をいっぱい湛(たた)えていた長池は、水が抜かれて中央部分に僅かに残っている状態でした。
このような池は、小魚を食べる野鳥にとっては絶好の餌場となります。
この日は、アオサギが2羽水中で餌を取っていたので撮影しました。

・長池の中で餌の小魚を探している2羽のサギです。前がアオサギ、後ろは白色のサギです。


アオサギは本州・四国で留鳥し、九州で越冬する野鳥で、水田、湿地、川、干潟等に住んでおり、日本のサギの仲間ではいちばん大きいサギだそうです。
青サギと云う名前の割には青くなく、寧ろ灰色をしています。英語でもgray heron (グレイヘロン:灰色のサギ)と云うそうです。

・小魚を見つけたようで、首を長くして狙いを定めているところです。


・見事餌を取りました。その直後に首を振っているところです。


・これは餌取りに失敗したところです。


・こちらは小魚の捕獲に成功し、首を振っているところです。


この池には小魚もたくさんいるようであり、次々と首を突っ込んではくちばしにくわえていました。
早朝の散歩でこの光景を目撃しましたが、アオサギの仕草に暫し散歩の疲れを癒されました。


「宿痾(しゅくあ)」

2012-10-06 | 時事

民主党の田中慶秋法務大臣の政治団体が外国人(台湾人)が経営する会社からからの企業献金を受け取っていた問題で、一昨日、自民党の安倍総裁が、これは民主党の「宿痾(しゅくあ)」だと言っていました。
「宿痾(しゅくあ)」?
どういう意味かな?
初めて聞く言葉だったので早速調べてみました。

広辞苑を見ると、「宿痾(しゅくあ)」とは、長い間治らない病気、持病、痼疾(こしつ)とありました。宿疾(しゅくしつ)、宿病(しゅくびょう)と同じ意味です。
宿痾の「痾(あ)」は、病、治りにくい病気の事で、その病気を宿していることからこの言葉が生まれたようであり、沈痾(ちんあ)とも言います。

法律で禁止されている外国人からの献金については過去にも菅前総理や前原元外相が国会で追及されており、前原氏は辞職に追い込まれています。
安倍氏は「なぜ外国人の献金が禁じられているか。外国人から絶対に影響を受けてはならないということだ。(田中氏は)法相だから、まさに法の番人ではないか」と厳しく批判していました。

今回の田中慶秋氏は大臣になったために表に出て問題となっていますが、表に出ていないこのようなケースが党員の中にもあるのではないか?と疑いたくなり、安倍氏がこの問題は民主党の「宿痾(しゅくあ)」ではないか?と発言するのも無理からぬことのような気がいます。

それにしても総理を経験した人は難しい言葉を知っていますね。
中には、総理を経験した人で漢字を間違えて読んだ人もいましたが・・・。


「えのきたけ」の活用法

2012-10-05 | 雑学

暑かった残暑も終わり、漸く秋らしくなりました。
秋といえば「きのこ」ですが、「きのこ」のなかでも「えのきたけ」は女性にうれしい栄養素がたっぷり入っているそうです。
先日のNHKの番組、“あさいち”で取り上げていたのでご紹介します。

「えのきたけ」には、脂肪の吸収を抑えるキノコキトサンはきのこのなかで、100g中の含有量が最も多く、さらに、新たな栄養素「エノキタケリノール酸」が内臓脂肪を減少させるということが、11月に開催される国際会議で発表されるそうです。

日本薬科大学の渡邉康夫教授を始めとするグループが行った実験では、このエノキタケリノール酸を摂取したところ、2か月でおよそ22パーセントの内臓脂肪の減少が確認されたそうです。

そのパワーを十分に生かす方法は、簡単でうまみもアップする「干しえのき」にすることだそうです。
「干す」という、ひと手間を加えるだけで、うまみも歯ごたえもアップするようです。

干し方のポイントは、雨が当たらない、風通しのよい場所で2時間天日干しをして紫外線にあてます。
こうすることで、カルシウムを吸収しやすくするビタミンDが2倍に増えます。

2時間干しても湿り気が残っていることが多いので、フライパンで7~8分、から炒りして、完全に水分を飛ばします。
こうして乾かすことで、かたい細胞壁が壊れ、中に含まれている栄養素が吸収しやすくなります。

エノキタケリノール酸を効果的に摂取するため、「干しえのき」を細かく切り、それを、「熱水抽出」して2週間飲んでもらったところ、26パーセントの内臓脂肪が減少したという結果が出たそうです。

「えのき茶の作り方」
1.天日干ししたえのきたけを細かく切ります。
2.水を沸騰させたあと数分そのままおき、95度程度になるのを待ちます。
3.保温ポットに干しえのき5グラム、お湯500ミリリットルを入れ、ふたをします。
4.30分そのまま置くと、「エノキタケリノール酸」がたっぷり溶け出したお茶のできあがり。
5.これを1日かけて飲みます。
  その際、中に入っている干しえのきをそのまま食べるか、しっかり絞って栄養成分を取り出して飲むか、どちらかをしてください。

詳しくは
あさイチーえのきたけ徹底活用法”をご覧ください。

内臓脂肪を気にされている方、一度お試しになってみては?


「満を持す」と「臥薪嘗胆」

2012-10-04 | 雑学

「満を持す」と云う諺があります。
意味は、ご存知のように、十分に準備を整えて機会がやってくるのを待ち受けることですが、今日はこの諺の由来について調べました。

「満を持す」の「満」は「みちること」「いっぱいになること」を意味する語ですが、ここでは弓をいっぱい引き絞ることを意味し、「持す」は「その状態を保つ」を意味しています。
このことから、「満を持す」とは、弓を引き絞ったままの状態を維持することから、十分に準備をして機会を待つの意味になります。

この諺の出典は中国の史記(李将軍列伝)で、この中に呉と越の戦いにおける次のようなエピソードがあります。
越の王・勾践(こうせん:~起源前465年)は謀臣范蠡(はんれい)の諌言(かんげん)を聞かず、呉を討つ兵を起こすも、返り討ちにあい、逆に追い詰められました。
勾践は范蠡のいうことを聞かなかったことを後悔し、これからどうしたらよいかと范蠡に尋ねました。

すると范蠡は
「持滿者與天、定傾者與人、節事者以地。 」と云いました。
この読みは、満ちたるを持つ者は天と与にし、(みちたるをたもつものは てんとともにし)、
         傾けるを定むる者は人と与にし、(かたむけるをさだむるものは ひととともにし)、
         事を節する者は地と以にす。   (ことをせっするものは ちとともにす)。
この意味は、 
『満を持する者には天の助けがあります。傾けるを定める者には人の助けがあります。事を節する者には地の助けがあります。
今後は、この天と人と地の助けを得るように努めなければなりません。今はただ辞を卑くし、礼を厚くして和を請うことです。
その為には、王自ら呉の臣下と為られることも、またやむを得ないことでありましょう。』
 
勾践はその言葉に従って呉王に降り、その後は、かつて呉の王・夫差(ふさ:第7代の王)が薪の上に臥して復習の心を研ぎ澄ましたように、肝を嘗めてはその苦さに「会稽(かいけい)の恥(会稽山で負けた敗戦の恥辱)」を思い返し、范蠡(はんれい)の助けの元にひたすら国力の充実に努め、満を持すること二十二年、遂に呉を亡ぼして天下に覇を唱えました。

ここから「満を持す」と云う諺が生まれ、更に、この呉の王・夫差が薪の上に臥して身を苦しめ、また、勾践が部屋に苦い肝を吊るして毎日のようにそれを舐めて呉に対する復讐を誓った事が元となって生まれた諺が「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」です。

この臥薪嘗胆は、呉の王・夫差と越の王・勾践が共に仇を晴らそうと長い間、復讐を誓って苦労を重ねたことから生まれた諺だったのですね。


「思う」「想う」の使い分け

2012-10-03 | 雑学

文章を書く時、「おもう」という言葉に遭遇した場合、一瞬、使用する漢字を考えます。
例えば、「おもいで」を漢字にする場合、『思い出』と『想い出』の二つの漢字があります。
この使い分けを皆さんはどのようにしているのでしょうか?

そこで調べてみました。
「思」の漢字は、もともと「恖(し)」と書きます。
この字は「囟(ひよめ)」に「心」が合わさった漢字で、「囟」は幼児の頭に泉門(黄泉・・よみの入口)のある姿で、頭を表し、「心」は心臓をあらわしています。
「思う」という働きが【頭と心臓を中心にして行われる】ということを示しており、考えることだけでなく判断などにも使え「どうしようかと思う」「暑いと思う」「将来を思う」など、広く一般的に使えるのがこの字です。

一方「想」は、「相」と「心」が合わさった漢字です。
そして「相」は、「木」と「目」からなり、向こうにある木を対象として見ることを示しているので、「想う」は【ある対象に向かって心で考える】ことを意味します。
「想い人」「彼女を想う」「幼少の頃を想う」など、対象が具体的に浮かんでくる場合に「想」を使うことが多いようです。

同じ「おもい」でも、頭の中で考えたり、判断したりする場合と、おもう対象が具体的に浮かんでくる場合によって使う漢字が異なるので注意が必要ですが、それにしても日本語は難しいですね。


秋刀魚

2012-10-02 | 雑学

秋の魚と言えば秋刀魚ですね。
出始めの頃は1匹300円~400円くらいしていましたが、最近は値段も下がり、私のような年金生活者にも買いやすくなってきました。
秋刀魚と言えば落語に「目黒の秋刀魚」があります。
ご存知の方も多いと思いますが、このお話にあるお殿様は三代将軍徳川家光のことで、実際にあった話だそうです。
下記にそのあらすじを書いておきますので、関心のある方はご一読ください。

「諺」
ところで、「秋刀魚が出ると按摩が引っ込む」という諺をご存知でしょうか?
秋刀魚(さんま)は旬である秋には脂がのっておいしくなり、しかも安く手に入るので、昔も庶民の間でよく食べられていたそうです。
秋刀魚には栄養が豊富に含まれているので、食べた人々は元気になり、按摩(あんま)に行かなくなるほどだったということがこの諺の由来です。
ここで言う按摩(あんま)とは、体をもんだり、さすったり、たたいたりして患部を治す療法で、奈良時代には外傷、骨折などの治療も行なったそうです。
なお、秋刀魚の栄養価は鯛やマグロに劣らず、牛肉に比べてもタンパク質は同量で、脂肪はおよそ3倍、カルシウムは4倍、ビタミンは12倍もあるそうです。

「語源」

秋刀魚の語源は、諸説あります。
その一つは体が細いことから「狭真魚(さまな)」からとする説。
他にも、「三馬」や単に「馬」と言われたことから「サウマ」「サムマ」「イソムマ(磯・甘味)」からとする説などがあるようですが、いずれも確定できるものではないようです。
なお、漢字の「秋刀魚」は、体が刀状で秋の代表的な魚であることからの当て字だそうです。

「落語」
落語の「目黒の秋刀魚」とは、
 季節は秋、三代将軍徳川家光がお供を引き連れて目黒に鷹(たか)狩りに出かけた。
 家光はさんざん鷹狩りを楽しみ、お腹が空いてきたので何か食べ物を所望するが、お供の者は誰かが用意しているだろうと何も用意をしていなかった。
 当時の目黒は草深いところで、買い出しに行くにも店がない。そんな所へ、何ともいえぬいい香りがプーンと流れてきた。
 近くの農家で彦四郎爺さんが、脂のたっぷりのった秋刀魚を焼いていた。

 家光はこの秋刀魚を所望するがお供の者は「あれは下々の者が食す秋刀魚という下賎な魚にございます。
 お上が召しあがるようなものではございません。」と断るが、いい匂いが空きっ腹には我慢できない。
 「よい、下々の食するものがわからねば、上に立つ者とは言えぬ。苦しゅうない、秋刀魚をこれへ持てー。」
 と食べた秋刀魚の美味しいこと。
 思う存分に食べて満足してお城に帰った。

 ところが、それから家光はすっかり秋刀魚に病みつきになり、夢にまで秋刀魚が出てくるようになった。
 しかし、格式高い城中では秋刀魚が食膳に登場するはずもない。 
 そこで家光は家来に「どうしても秋刀魚を食べたい。」と切望するが、あれからかなり日が経っていて、秋刀魚のシーズンは終わっていた。
 やっと1尾見つけて料理する。     
 脂を充分抜き、小骨も残らず取り除き、やけどをしないように冷めたものをお出しするが、前のものとは似ても似つかぬ、かすかに秋刀魚の匂いが残る
 程度のものになってしまった。
 家光はとりあえず一口食べたが可なりまずい。
 「これはどこの秋刀魚じゃ。」と尋ね、家来の「品川沖で獲れたものにございます。」の返事に、家光は「なに、品川?品川はいかん。秋刀魚は目黒に限る」
 と言ったという話です。