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らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

犬伏の別れ

2016-09-05 | 雑学

昨日のNHK大河ドラマ「真田丸」は有名な“犬伏の別れ”でした。
“犬伏の別れ”とは、絆の強さを保ってきた真田一家が関ヶ原の合戦を前に、下野国犬伏(現在の栃木県佐野市)で豊臣と徳川のどちらにつくか密談し、敵味方に分かれることを決めた有名なシーンなのです。

先週放送された第34回の「挙兵」では、石田三成(山本耕史)が徳川家康(内野聖陽)によって、政(まつりごと)から退けられ、その後、上杉家の重臣・直江兼続(村上新悟)からの書状を読んで激怒した家康が上杉討伐を決意する……という展開でした。

そして昨日の“犬伏の別れ”では、上杉討伐を前に徳川から離反すると決めた真田昌幸が家康を討つチャンスを探ります。
しかし、家康が大坂を出陣した直後に三成が挙兵し、日本全国を巻き込む大戦になる可能性が浮上し、昌幸の計画が狂うのです。
真田が生き残るために、豊臣と徳川のどちらにつくべきかが課題となり、父の昌幸、兄の信幸、そして弟の信繁(幸村)は犬伏で密議したのです。

慶長五年(1600年)、天下分け目の関ヶ原の合戦を目前に控えた7月21日、徳川家康に従って会津の上杉討伐に向かった真田昌幸、信幸、信繁父子は下野国犬伏(現在の佐野市)に到着します。
そこで陣を張っていた父子のもとに石田三成から密書が届き、豊臣方に味方するよう書かれていました。
この書状を受けて父子三人で密議を行い、どちらが勝っても真田の家が残るよう、信幸が徳川方、昌幸と信繁が豊臣方に分かれて戦うことを決断したとされています。
その場所が新町薬師堂と言われています。

・真田父子が密儀をしたとされている新町薬師堂です。(ネットより)


このように真田父子が別れた理由は姻戚関係からとする説もあります。
何故なら、兄の信幸は徳川四天王の一人・本多忠勝の娘(徳川家康の養女)を嫁にしていたこと。一時期徳川家に出仕していたこと。
などから、徳川家につくことを決断したというものです。

一方、昌幸と信繁は豊臣方に付きます。
昌幸が豊臣方についた理由は大きく二つあると思われます。
一つは西軍についたほうが勝った時の恩賞が良かったという事です。
昌幸にとっては関ヶ原の合戦は真田の家を大きくするための絶好の機会でした。
この合戦は家が滅びるか大きくなるかという大きな賭けであり、そこで、リスクが大きい西軍についたというのが戦国の一匹狼・真田昌幸らしいというものです。

二つ目の理由は、昌幸と家康の相性が悪かったということです。
昌幸は秀吉に表裏比興の者と称されるほどの武将であったが、それは小国ゆえの表裏でした。しかし、大大名でありながら表裏のある家康は気に入らなかったのではないかと思われることです。
密議の結果、昌幸・幸村は西軍に、信幸は東軍につくことになったのです。

昨日のドラマでは、関ヶ原の合戦でもし徳川が勝てば、徳川に付いた信幸はどんな事をしても父と信繁を助けると言い、反対に豊臣が勝った時はどんな事をしてもわし(信幸)を助けよ。それが真田家が生き残る為の唯一の方策であると父に進言し、了承されたのでした。

いずれにしても、あれだけ固い絆で結ばれていた真田父子が別れ別れになって戦うことになったのです。
ドラマでは、絆を大事にした別れになっていましたが、戦国の世の無常を感じさせる名場面でした。