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らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

老いてますます盛ん

2015-03-01 | 雑学
タレントの萩本欽一さん(73)が駒澤大学仏教学部の社会人入試に合格したと新聞に載っていました。
認知症対策のために芸能活動の空いた時間を受験勉強に当てたそうですが、よく頑張って合格したものと感心しています。
萩本さんのように古稀を過ぎてから、あるいは現役をリタイアしてから得意な分野に磨きをかけたり、勉強し直したりする人が近年たくさんおられます。
平均寿命が伸びている現在、ボケ防止のためや充実した人生、老後を過ごすためにも、このように「老いてますます盛ん」と言われるような人たちが活躍できる場の提供が求められます。

さて今日は「老いてますます盛ん」の語源について調べました。
「老いてますます盛ん」とは、歳を取って衰えるどころかますます意気盛んな様子のことをいう成句で、年老いたからといって自分から老け込んでしまっては駄目で、むしろ若者をしのぐほど意気盛んでなければならないということです。
年をとって肉体は衰えても、志を持つことは年齢に関係ないから、より一層盛んになるべきだということを教えています。

この故事は中国の三国志からです。
蜀の劉備は、219年の定軍山(ていぐんざん)の戦いで、老兵・黄忠(こうちゅう)の働きにより、曹操配下の将軍である夏侯淵(かこうえん)を打ち取って勝利しました。
これにより同年秋に蜀の劉備は自ら漢中の王になったことを宣言します。

劉備は漢中王になると黄忠を後将軍に任命しようとしましたが、諸葛亮は「張飛・馬超らは彼の活躍を見ているので、文句は言わないでしょうが、(荊州に残った)関羽将軍はそのことを知らないので、納得しないでしょう」と進言します。
劉備は、関羽の説得は自分がすると言って、黄忠を後将軍に任命し、関内侯の爵位を与えました。
しかし、やはり諸葛亮の不安が的中し、関羽は黄忠を「老兵」と侮って同列の前将軍になることを拒否しましたが、費詩(ひし:蜀漢の政治家)の説得で前将軍に就任しました。

黄忠は当初、劉表(りゅうひょう)の部下でしたが、赤壁の戦い後、劉備に仕えるようになり、劉備に従い、蜀に入って武勇を立て、歳を取ってもなお勇猛果敢でした。
定軍山(ていぐんざん)の戦いで、曹将軍の武将である夏侯淵(かこうえん)を打ち取り、勝利に導いたのですが、この老将・黄忠の働きから、「老いてますます盛ん」の諺が生れたのだそうです。