らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

紀州街道を歩く(その5)

2015-03-28 | 地元紹介

紀州街道を歩くシリーズは今日が最終回となりますが、今回、紀州路を一緒に歩いたメンバー14人は、いずれも現役を退いたOBたちで、歩くことが好きなロートル達です。
しかし、2名の80歳代の人はいくら歩くことが好きとは言え、歩行距離が10㎞を過ぎると多少きつい様で、歩くペースが次第に遅くなり、皆より遅れがちになること、しばしばでした。
それでも予定時間より30分ほど遅れただけで、全員元気に目的地の南海電鉄・泉佐野駅まで歩き切りました。

「岩橋善兵衛生誕地」
岸和田市から貝塚市に入ると「岩橋善兵衛生誕の地」の石碑が建てられているお宅を見つけました。

 

そこの説明には次のように書かれていました。
岩橋善兵衛は1756年、貝塚脇浜新町で生まれました。
岩橋善兵衛はレンズ磨きを営む傍ら自ら蘭学を学び、寛政5年(1793年)頃、窺天鏡(きてんきょう)と呼ばれる望遠鏡を製作しました。
これは天体望遠鏡としては国内の最初と言われ、非常に精密なものだったようです。
当時の日本で自らレンズを磨き、望遠鏡の製作を専業としていたのは善兵衛だけで、性能や製作数も他の職人を圧倒していたということです。

この後、京都の蘭学者・橘南谿(たちばななんけい)らの下で学び、天体解説書「平天儀図解」などを著しました。
岩橋善兵衛製の望遠鏡は評判が高く、寛政の改暦では徳川幕府の天文方に用いられたのをはじめ、日本地図の作成時には伊能忠敬にも用いられ、更に、紀伊和歌山の徳川家、近江彦根の井伊家、播磨明石の松平家など諸大名や江戸、大阪、京都の学者から天体観測用や軍事・航海目的のため需用が高まったそうです。

・岩橋善兵衛(1756年~1811年)です。(ネットより)


「善兵衛ランド」
貝塚市三つ松には、天文台に博物館を兼ねた「善兵衛ランド」という施設がありますが、この名称は岩橋善兵衛に因んでつけられた名称です。
1992年(平成4年)に開館した「善兵衛ランド」には、市立の公共施設として天文台が設置されており、直径6.5メートルの天体観測ドーム内に、口径60センチのニュートン・カセグレン式反射望遠鏡や口径10センチの屈折望遠鏡2台のほか、太陽プロミネンスや太陽スペクトルの観測装置などが備えられています。

・善兵衛ランド天文台です。(ネットより)


「春日神社」
泉佐野市に入ると春日神社がありました。
当社の説明によれば、光仁天皇の宝亀年間(約1200年余前)に、坂上苅田丸が、奈良の春日神社の神を勧請したのが、春日神社の起源といわれています。
仁明天皇の承和14年、大同皇子高岳親王が、皇太子の後、仏門に帰し、僧となって名を真如と改め、当社の西南に平城寺を建立して当社の宮寺とし、長慶天皇の天授2年、坂上正澄が社殿を造営しました。



「本殿」
豊臣秀吉の根来攻めの時に一旦消失してしまいましたが、その後再建され、佐野の総社とされました。
明治5年、村社となり、明治41年~42年の神社合祀の際には、佐野町域にあった大小29の神社がここに合祀されました。

・春日神社の本殿です。


コメント (3)
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