goo blog サービス終了のお知らせ 

らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

堂島米市場跡

2013-03-03 | 地元紹介

昨日の淀屋橋でも少し触れましたが、大坂・堂島の土佐堀川沿いには江戸時代最大の米市場がありました。
大坂は江戸初期から蔵屋敷や蔵元が存在し、蔵米を中心とした全国的な米の集散地であったことから、万治・寛文年間(1658年~73年)頃には、淀屋橋南詰にあった当時の有力な町人蔵元である淀屋の門前に米商人たちが集まり,米売買が行われていました。
これがいわゆる淀屋米市で、その記念碑が堂島の土佐堀川岸に設置されています。

「堂島米市場跡記念碑」
ここに記されている説明によれば、享保15年(1730年)江戸幕府は堂島米市場に米の先物取引である張合米取引を公認しました。
その取引手法は現在の大阪証券取引所を始めとする世界各地における組織された商品、証券、金融先物取引の先駆をなすもので、当地が先物取引発祥の地とされています。

・この記念碑は堂島のANAホテルの前の土佐堀川に架かる中之島ガーデンフリツジ北東側に設置されています。
 背後の像は昭和28年彫刻家横江嘉純氏により製作され、昭和30年堂島米市場跡建碑会により寄贈されたものだそうです。


「淀屋が作った先物取引のシステム」
淀屋常安の知恵から生み出された資産は、「百万石の大名をしのぐ」といわれ、先物取引を数学的根拠により実践した先駆者として、海外にもその名を馳せていますが、その常安が私たちに残した最も大きなものは、先物取引のシステムでした。
先物取引とは、売り手と買い手が将来の一定時期に商品と代金を受け渡しする契約を結び、その時期が来たら通常の売買が行われる取引のことです。

徳川幕府は米経済を基盤としていたことから、諸藩は米を蔵屋敷に蓄え、必要に応じて換金し、藩経済を運営していました。
しかし、取引が米問屋の間で個々に行われていたために品質や価格がまちまちでした。これに目をつけた常安は、幕府に米市場の設置を願い出て米の取引所を開設しました。
諸大名は、その水運の便利さと、蔵屋敷に近いこともあって、こぞって米市場へ米を持ち込むようになり、やがて米相場が立ち、米の価格の安定と品質の向上に寄与したと言うことです。


「NHK朝の連ドラ「純と愛」の撮影現場」
現在放送されている、NHKの朝の連続ドラマ「純と愛」の前半部分で「オオサキプラザホテル」のモデルとなったANAホテルと中之島ガーデンフリツジです。ドラマの中ではこのブリッジでの撮影もありました。
このガーデンブリッジは、過去にも度々テレビドラマの撮影現場となっていますが、この橋の北東詰(右側高速道路の下)に「堂島米市場跡記念碑」が設置されています。

・朝の連ドラ「純と愛」の撮影現場となったANAホテルと中之島ガーデンフリツジです。