退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「疲れと形式あるいはスタイル」について

2014-07-19 02:50:49 | Weblog
『晴れ。またまた暑い。

「アイヒマン調書」読了。

「悪の凡庸さ」を堪能する。
「神経が麻痺した人物による効率」には気をつけたいもの。

数字だけで評価するとそういうことになりがち。
「中身」を伴わない数字は瞬間的に出せてしまうものだから。』と書いて昨日は寝る。

そろそろエアコンを入れて寝るべきか。
ついつい扇風機ですませてしまって知らぬ間に疲れているのかもしれないけれど。

「白楽天詩選(上)」を読み始める。

玄宗と楊貴妃を歌った「長恨歌」には「連理の枝」という久方ぶりの言葉あり。
家が廃れるのは人のせいだと説く「凶家」もなかなか。

「林間煖酒燒紅葉 石上題詩掃苔」が有名な「送王十八歸山、寄題仙遊寺」。
書き下しは「林間に酒をあたためて紅葉を焼き 石上に詩を題して緑苔を掃う」。

今のところ印象に残ったのはこれくらい。
今回ものんびりゆったり読み進めるつもり。

和歌の「本歌取り」のように
漢詩には短い言葉の中に「過去の逸話」が詰まっているのがいいところ。

否応なく「歴史」をたどることになるのはまさに「古人の智恵」。
できるだけ「注釈」を細かく読みたいと思いつつもついつい「怠惰」が顔を出し。

とりあえず頼りない自分の感覚にしたがって
ピンときたものについては忠実でいくつもりではある。

いつもそうだったしこれからもそう。
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「修業が足りないこと」について

2014-07-17 01:48:20 | Weblog
快晴。暑い暑い。

ヨッヘン・フォン・ラング編「アイヒマン調書」を読み始める。

宮台真司によれば最近の政治状況のポイントは
「ヒトラー、ゲッペルスのいないアイヒマン問題」らしい。

ということで「本物」の「悪の凡庸さ」を確認しようと思った次第。
600万人ものユダヤ人を抹殺した「責任者」が実はただの「忠実な官僚」だったというお話。

半分くらい読み終えたけれど
この「凡庸さ=責任回避のための言い逃れぶり」にふむふむ。

こうした「現実」は何気なく起きるものなのか。
「中心が空白」であることは怖ろしい。

「民主主義」が絶えずチェックを必要とする制度だということをあらためて痛感。
「些細な後退」にいちいち反応している場合ではないのが「基本」だと。

なるほどいったんそう思ってしまえば当然のこと。
ついつい感情に動かされてヘコむこともないというわけ。

むしろ相手の出方を楽しむくらいの「余裕」があればいい。
まだまだ「子ども」な自分に喝を入れなければならない模様。

いやはや。

なかなか成長しない自分とのお付き合いに苦笑。
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「昭和歌謡」について

2014-07-16 04:05:55 | Weblog
深夜今宵もyoutube。

唐突にこの曲を思い出した。

平田隆夫とセルスターズ「ハチのムサシは死んだのさ」。
悪魔がにくい」というのもあった。

ヘドバとダビデ「ナオミの夢」とか。
ピンキーとキラーズ「恋の季節」も。

中村晃子「虹色の湖」黛ジュン「天使の誘惑」。
渚ゆう子「京都の恋」「京都慕情」。

弘田三枝子「人形の家」朱里エイコ「北国行きで」「あの鐘を鳴らすのはあなた」。

とりあえずこれくらいで。
youtube関連で思いつくままに。

繰り返すがこういうことをしているとキリがない。

最後にキングトーンズ「グッド・ナイト・ベイビー」を。
眠る前にはふさわしいだろう。
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「灰色の笑い」について

2014-07-16 02:34:33 | Weblog
快晴。暑い。

チャペック「もうひとつのポケットからでた話」を読む。

今回は「輪舞形式」で話し手が次々に変わっていくパターン。
「チェコ流『百物語』」の基本は奇妙な虚無感。

起きていることは案外残酷なのだけれど
その理由や展開がどうにも不思議。

この「乾いた灰色の笑い」はいかにもシブく
一度知ったら忘れられない味わいを残す。

コーエン兄弟の「ファーゴ」が似ているかも。

「社会主義の笑い」で最高なのはおそらくルビッチの映画「ニノチカ」で
アキ・カウリスマキは少し笑い方がおとなしくなる。

いずれあまりご存じでない向きも
すでに十分ご存じな向きも是非。
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「チェコ」について

2014-07-15 02:49:42 | Weblog
くもりときどき晴れ。蒸し暑い。

カレル・チャペック「ひとつのポケットから出た話」を読む。

図書館でブラブラしているときに
和田誠の装幀に気付いて借りてきたもの。

チャペックと言えば「ロボット(正確には「ロボタ」だったか)」という言葉を造り
「山椒魚戦争」でナチス・ドイツから発禁処分を受けたりした人物。

一方「園芸家十二ヶ月」では本格的なガーデニングを説き
自国であるチェコの大統領マサリクの伝記を書いたりも。

本書は短編集。
大国に翻弄された国ならではの「苦味」の効いた作品がいい感じ。

ちなみにチェコ出身の有名人をちょいと並べてみよう。

カフカ(作家)ミラン・クンデラ(作家)カウツキー(政治家)ゲーデル(数学者)
ヤン・シュヴァンクマイエル(アニメ作家)シュンペーター(経済学者)、

スメタナ(作曲家)ドヴォルザーク(作曲家)レンドル(テニス選手)ナヴラチロワ(テニス選手)
ハベル(劇作家・大統領)ミロシュ・フォアマン(映画監督)フッサール(哲学者)、

フロイト(心理学者)マーラー(作曲家)マッハ(物理学者)ポルシェ(自動車会社)など
知っているところだけで錚々たるメンバー。

チェコ語では「アノ=はい」で「ネ=いいえ」らしいので覚えやすいか。
「チェルニー=黒」で「オランジョビー=橙」。

夜中に飲みながら遊んでいるくらいなら
外国語のひとつも学んでみたらよさそうだとはいえ。

「耳学問」で終わってしまうあたりが情けない限り。
もっと年を取ってヒマになったらやることにしておこう。

「風まかせ」は治りそうにない。
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「うんざりすることと怠惰」について

2014-07-14 02:18:14 | Weblog
くもり。ちょっとだけ降る。

佐藤優「人間の叡智」を読む。

ところどころ意味不明な部分がありつつ
それでも十二分に説得力があったりする内容。

個人的にはある種の「読書案内」だと理解しておく。
これくらいの「教養」がないと「まともなエリート」とは呼べないか。

あらゆる試験は「記憶力」で勝負できるとして
それ以外の「能力」がいかにあるかが大切だというのには大いに納得する。

政治にも「物語」が必要らしい。
ただしみんなを「乗せる」だけの絵を描ける者は残念ながらわが国には少ない。

マル激Nコメを観て司法官僚の「ダメさ」を再確認する。

もっともそれは「推定無罪」という近代司法の原則を理解しない民度に支えられて。
官僚との「駆け引き」についてなるほどと思うことしきり。

彼らのやり口はいつものように
「多勢に無勢」の「会合」を組織して自分たちに都合のいい結論を出すパターン。

今回は「盗聴」と「司法取引」を持ち出した模様。
「証拠開示」も「取り調べの全面可視化」もないままに。

「冤罪製造システム」はさらに強力になる可能性もある。
この「現実」は「庶民」でもわかるデタラメぶりなのだけれど。

いたずらに「生活」に追われているとそのことがわからない。
「仕事」しかできない毎日がいかに「貧しい」かを知ろう。

さて。

今宵も眠くなるまで飲む予定。
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「無意識のコワさ」について

2014-07-13 01:29:50 | Weblog
晴れ。そこそこ暑い。

今日も本切れで古本屋へ。

マンガ「マニワ金融道」の青木雄二「男と女のゼニ学」を読む。
採り上げた事件のあれこれにふむふむ。

男女に限らず互いに交換するものといえば言葉・体液そして貨幣。
どいうわけか法に触れる形でやってしまった人々よ。

「思い通り」を叶えるのが「ゼニ」だと思わせる「環境」が
おそらくは今もそこここにあるはず。

それが悪いというのではなく
他の「選択肢」もあると思えば気楽になれるはず。

今宵もクインビー。

知り合いの夫婦とレコードマニアの間に何となく割り込んでしまう。
歓談できたのでとりあえずセーフ。

ただテーブル席に移ってもらった女子カップルに挨拶なしで帰る「ポカ」をする。
やはりどこか「抜けている自分」を再確認した次第。

今度会ったら挨拶するつもりは重々あるものの
「ご縁」があるかどうか。

仕事に行く途中にこれまた知り合いの若い女子に会う。

一緒にいた友人たちも驚くほどの声を彼女が出す。
「あたしのこと覚えてる?」「おう」。

以前も同じようなことがあったのだが
その時はこちらが読んでいた本のせいで涙目になっていたので満足に返事も出来ず。

どうにか「対応」できてよかった。
ということにしておく。

いやはや「無意識」はコワイ。

ごまかすためにもうちょいと飲んで寝ることにする。
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「バクチであること」について

2014-07-12 02:32:36 | Weblog
快晴。まさに台風一過。

今日も古本屋へ。

6年前のベストセラー姜尚中「悩む力」を買って読む。

夏目漱石とマックス・ウェーバーを「同時代」とみなし
「青春=悩める時」と定義しつつ「それでいいじゃないか」という内容。

著者はやはり「真面目でいい人」のようで
考え方は賛同できなくもないが今ひとつインパクトに欠けるか。

逆に言えばそのあたりが「ウケた理由」かもしれない。
穏やかな語り口が信頼を得やすかったということで。

「自由」が実は「不自由」だというのは「わかりやすい話」ではある。
それを「不自由こそ自由なのだ」と言えばやや「過激」な感じになるけれど。

「伝統的な生活」や「宗教」が「正解」を保障する時代はとうの昔に終わっているのだから
いずれわれわれは「さまよう」しかないのは事実。

ただし「普通の人」にはそれがツラい。
そこへ「悩むのが当たり前なんだよ」と言われれば安心するだろう。

そもそも「悩みなき人生」などありえないのだと思えば
あとはそれとどう「付き合っていくか」だけ。

「世界」やその「法則」を知るためにはわれわれの能力はあまりに「非力」。
おそらく「伝統的な生活」や「宗教」はある種の「フォーム」だと思えばいい。

一定の仕方を維持することによって
かろうじて何かしらがわかるような気がすること。

まさにバクチだと言わざるを得ず。
否これをバクチと言わずして何がバクチか、などと見得を切っておこう。
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「間接的な楽しさ」について

2014-07-11 02:13:41 | Weblog
くもりときどき雨。台風に肩透かしをくらう。

今日も本切れで古本屋へ。
「不良牧師! アーサー・ホーランドという生き方」を読む。

著者の姿はたしか以前TVで見かけたことがあり
すでにその存在は知っていた。

世の中にはかくも「濃い人生」を否応なくたどる人がいる。
これも「天の配剤」だということか。

格闘技をやりつつ喧嘩三昧の日々から一転
「ジーザス中毒」になり「風変わりな伝道」を続ける姿がなかなか。

文庫が出たのはもう十二年も前の話でオリジナルはその一年前。
今年で御年六十三になるはず。

彼の目から見た「現在」の感想を是非とも聞いてみたいもの。
もっとも「いつの世も同じ」ということになるかもしれないけれど。

「承認飢餓」という言葉が印象に残る。
個人的にはキリスト教を信じる者ではないが「道に迷った者たち」は「ここ」に集え。

そして「You are loved=あなたは愛されている」と言ってもらえばいい。
「他人がどう思おうとオレはやる」という圧倒的な「正直さ」に出会えば何かが変わるかも。

とりあえず「素敵な人」として知っておこう。
好ましい「種をまく人」であることは確か。

深夜ゴルフの全英オープンをちょいと観る。

今のところ上原彩子がトップタイ。
森田理香子も6位タイと初日は日本勢ががんばっている模様。

久方ぶりに見たミシェル・ウィーがクロスハンドの短いパターになっていた。
先日の全米女子オープン優勝はその成果なのか。

今年不惑を迎えるカリー・ウェブもトップタイに。
一度もプレーしたことがなくてもゴルフは楽しい。
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「どうしようもないこと」について

2014-07-10 01:59:00 | Weblog
くもりときどき雨。傘なしですむ。

本切れで久方ぶりに古本屋へ。

目ぼしいものがなく斎藤孝「『できる人』はどこがちがうのか」を購入。
最近「有吉反省会」で見かけたりする著者の昔のお手並みを拝見する。

「親が子どもに伝えるべきもの」は「上達の普遍的論理」で
その中身は「まねる(盗む)力」「段取り力」「コメント力(要約力・質問力を含む)」の三つだと。

あとはスポーツ・小説・ビジネスなどからの「例証」で「徒然草」の解説もあったり。
「暗黙知」を「言葉」にする重要性も。

いちおうはうなずける内容ではあるけれど
すでに「言葉」を捨てた人々が数多くいることを思えばほぼ「無力」。

それでも言葉を使うしかないことが同様に「事実」ではあるとして
それをどう組み立てればいいのかはよくわからない。

たとえばこのところ話題になっている脱法ドラッグを吸引した上での車の事故は
何とも自己中心的で貧しいけれど「ほぼ自殺」のようにも思える。

たとえその「視野狭窄ぶり」を否定しようとも
彼らは同じことをするのだろう。

ならば「感情のカタルシス」を別の面から与えるしかなさそうで
そのためにはこちらの好まないものに敢えて踏み込んで組織しなければならなくなる。

そこまでの「マキャベリスト」になれるかと言われると
即座に「無理」と言うよりない。

やはり自分なりに「いいもの」を伝えることしかなさそう。
たとえそれが全く伝わらないとしても。

いまさらそれしかないことに気付くとは情けないが
気付かないよりは少しマシだということにしておく。

「言葉の伝達不可能性」を「予想もしない伝わり方をする可能性」だと見立てるとしよう。
ただしそれがうれしいかと聞かれると相当に微妙なのも間違いない。
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