快晴。ほぼひきこもり。
マル激を観る。
「思い通り」になることはつまらない。
ところがそうでもないように思う感覚が育てられている模様。
時間と金をかけさえすれば勝てるゲームの横行とか。
そこに自分の「頭脳もしくは技術」は介在しない。
ならばそんな「自分」とは何かと疑問に思い始めるのが当然なはずだが。
それはただの「操られる駒」ではないのか。
たとえばハッカーのそもそもは「管理されることへの抵抗」だったはず。
それがいつのまにか「壁を打ち破ること」そのものが目的になってしまい。
古典的な問題設定であるとはいえ
「目的と手段のはき違え」がそこにはある。
あなたは一体何がしたいのか。
そう問われて答えられる「生活」があるのだろうかと。
「食わなきゃ生きていけない」という環境があるとして
「食わなきゃ」という具体的なレベルはどこにあるのだろう。
たとえそれがどんなレベルであろうとそれだけに追われる生活は「貧しい」のだし
貨幣の量が少なくても「充実した毎日」は送れる。
もちろんその種の「発想」さえ持てないのかもしれないとしたら
一度は考えてみてもいいだろう。
「筋の通らないこと」は気に入らないのが基本だとすると
やはり自分はある種の「ヤクザ」だということになりそう。
もっともそれは映画の中の存在を念頭に置いたもの。
実際には相当違うものであることは承知の上で。
少なくとも「身ぎれい」でないことは確か。
「叩けばホコリの出る身体」なのでよろしく。
マル激を観る。
「思い通り」になることはつまらない。
ところがそうでもないように思う感覚が育てられている模様。
時間と金をかけさえすれば勝てるゲームの横行とか。
そこに自分の「頭脳もしくは技術」は介在しない。
ならばそんな「自分」とは何かと疑問に思い始めるのが当然なはずだが。
それはただの「操られる駒」ではないのか。
たとえばハッカーのそもそもは「管理されることへの抵抗」だったはず。
それがいつのまにか「壁を打ち破ること」そのものが目的になってしまい。
古典的な問題設定であるとはいえ
「目的と手段のはき違え」がそこにはある。
あなたは一体何がしたいのか。
そう問われて答えられる「生活」があるのだろうかと。
「食わなきゃ生きていけない」という環境があるとして
「食わなきゃ」という具体的なレベルはどこにあるのだろう。
たとえそれがどんなレベルであろうとそれだけに追われる生活は「貧しい」のだし
貨幣の量が少なくても「充実した毎日」は送れる。
もちろんその種の「発想」さえ持てないのかもしれないとしたら
一度は考えてみてもいいだろう。
「筋の通らないこと」は気に入らないのが基本だとすると
やはり自分はある種の「ヤクザ」だということになりそう。
もっともそれは映画の中の存在を念頭に置いたもの。
実際には相当違うものであることは承知の上で。
少なくとも「身ぎれい」でないことは確か。
「叩けばホコリの出る身体」なのでよろしく。