退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「倫理という知性」について

2014-07-28 02:37:06 | Weblog
くもり。ちょいと降ったり晴れ間も見えたり。

石川結貴「誰か助けて 止まらない幼児虐待」を読む。

幼児虐待における「負の連鎖=虐待された者は繰り返す」というのは
必ずしも正しくないことを知るのは重要。

興味深いのは幼児を自分と「対等」だとみなす「認知のずれ」。
だからこそ「言うことを聞かない」と「悪意」を感じてしまうこと。

「過酷な現実」に対処する人の意識や法律が追いついていないのもポイント。
繰り返すが「子ども」は「みんな」で育てよう。

深夜マル激を観る。

3・11の経験が「なかったこと」にされる「現実」よ。
防災計画もない「チェック」を誰が認めるというのか。

官僚の「お手盛り人事」による原子力規制委員会の判断がいたずらに「根拠」とされて。
今回のメンバー交代はそれがさらにヒドいことになっている模様。

ただしそれを許しているのは「専門家におまかせ」のわれわれでもある。
とはいえ「技術」の詳細が分からなくても「利益相反」はわかるはず。

要は「金をもらっているスポンサー」にはあれこれ言えないということ。
そういう人間が平気で「規制委員会」のメンバーになっているのだから。

原発が産業のない地域に造られていることをあらためて意識しよう。
「目先の金」のために「国土を失う」ことになることがあるというのが3・11の「経験」のはず。

「学習能力」があるのかどうかわれわれは試されている。
たとえ「貧乏」でもそれだけはしないという「倫理」も同様に。

その種の「知性」さえ持てないなら
われわれはほとんど生きる意味がないのだと言っておく。
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