退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「バクチであること」について

2014-07-12 02:32:36 | Weblog
快晴。まさに台風一過。

今日も古本屋へ。

6年前のベストセラー姜尚中「悩む力」を買って読む。

夏目漱石とマックス・ウェーバーを「同時代」とみなし
「青春=悩める時」と定義しつつ「それでいいじゃないか」という内容。

著者はやはり「真面目でいい人」のようで
考え方は賛同できなくもないが今ひとつインパクトに欠けるか。

逆に言えばそのあたりが「ウケた理由」かもしれない。
穏やかな語り口が信頼を得やすかったということで。

「自由」が実は「不自由」だというのは「わかりやすい話」ではある。
それを「不自由こそ自由なのだ」と言えばやや「過激」な感じになるけれど。

「伝統的な生活」や「宗教」が「正解」を保障する時代はとうの昔に終わっているのだから
いずれわれわれは「さまよう」しかないのは事実。

ただし「普通の人」にはそれがツラい。
そこへ「悩むのが当たり前なんだよ」と言われれば安心するだろう。

そもそも「悩みなき人生」などありえないのだと思えば
あとはそれとどう「付き合っていくか」だけ。

「世界」やその「法則」を知るためにはわれわれの能力はあまりに「非力」。
おそらく「伝統的な生活」や「宗教」はある種の「フォーム」だと思えばいい。

一定の仕方を維持することによって
かろうじて何かしらがわかるような気がすること。

まさにバクチだと言わざるを得ず。
否これをバクチと言わずして何がバクチか、などと見得を切っておこう。
コメント
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