退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「芸術」と「ビジネス」について

2010-11-20 02:32:37 | Weblog
晴れ。やや暖かさが戻る。

田草川弘「黒澤明 vs ハリウッド 『トラ・トラ・トラ!』その謎のすべて」読了。

おそらくは現在も存在する日本と海外との「コミュニケーション・ギャップ」。
少なくとも「契約」に対する考えの違いは知っておかないと。

「傑作」は大切だけれど「ビジネス」も大切だというアメリカに対して
あまりにもナイーヴで「どんぶり勘定」な監督。

「自分」を受け入れてくれる「環境」が用意されて初めて「力」を発揮する監督を
その「真価」を知って守ろうとするプロデューサー、エルモ・ウィリアムズの気持ち。

そしてそれほどまでに評価されている監督が当時日本で映画を作れなかったということ。
なるほど「悲劇」はこのようにして出来上がるのかというのが正直な感想。

「硫黄島からの手紙」を撮ったクリント・イーストウッドは
「ビジネス」の面も非常によく考えている。

「荒野の用心棒」が「用心棒」の「剽窃」だと知ってイタリアに出かけた彼は
やがて日本から勲章をもらうことになるのも当然か。

もちろんそれでも黒澤作品は素晴らしい。
今年が生誕100年記念の年なのだけれど、大々的にそれは行われているのだろうか。

圧倒的にいいものは誰でも観られるという「環境」をもっと広げたいもの。
物理的には「身近」でもご縁がなければ「どこまでも遠い場所」ではあるけれど。
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苦悩する「巨匠」と「腐女子」

2010-11-19 02:31:35 | Weblog
快晴。夜は冷える。

田草川弘「黒澤明 vs ハリウッド 『トラ・トラ・トラ!』その謎のすべて」を途中まで読む。

「赤ひげ」(’65)から「どですかでん」(’70)までの「空白の五年間」を
丹念な取材で描いたノンフィクション。

どうやら「アメリカ」にきちんと取材したという
映画評論家ではないジャーナリストとしての「当然」が功を奏した模様。

著者は元々「放送ジャーナリズムの原点」エド・マローの研究者だとのこと。
「国内」でしかモノを見ないことの「視野狭窄」にあらためて気付かされる。

なんとか文庫の450ページあたりまで読んだので
明日の結末が楽しみ。

深夜TVで「海月姫」を偶然見る。

マンガ雑誌「モーニング」の「主に泣いています」は家の前の喫茶店で読んでいて
いかにも腐女子らしいギャグ満載なのを横目で見ていたけれど。

作者東村アキコの実物写真もいかにも(ヤフー検索で最初に出てきた)。
雑誌「プレイボーイ」で「みうまん」を連載中の仲村みうとよく似た雰囲気。

なるほど「腐女子」とはこういうセンスと風貌かと
確認したい向きはどうぞ。
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若者を既成に「組み込む」ことしか考えない社会

2010-11-18 02:25:42 | Weblog
くもりのち晴れ。昼間に寒さあり。

萩谷朴「おもいっきり侃侃」ようやく読了。
引き続き三田宗介「まなざしの地獄」を読む。

「まなざしの地獄」(’73)「新しい望郷の歌」(’65)の二編を収録したもの。
「現代社会の社会意識」(’79)も読まなければと思わせる内容。

統計の数字から具体的な「事実」を読み取ることに著者は長けている。
理屈の筋道が簡潔で説得的なのが特徴。

解説の大澤真幸は連続射殺犯の「N・N」と秋葉原事件のKを重ねて考えたりしている。
あるいは高度成長期に「伝統的な家郷」が崩壊したことと現代の「ネット心中」についても。

「新しい望郷の歌」は流行歌に歌われた内容から
当時の青年たちの気持ちをあぶりだしたもの。

「故郷=家郷」としての「帰る場所」はすでに失われ
あらたにそれを別の場所で「構築」するしかない若者たちを浮き彫りにして鮮烈。

集団就職が流行していた頃
「金の卵」は「地道な労働力」としてしか認められなかったということ。

現在の若者の扱われ方も似たようなもので
「即戦力」としての機能を求められるあたりがさらに厳しいのか。
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素敵な人と面白い土地

2010-11-17 02:53:16 | Weblog
晴れ。空にひこうき雲。

萩谷朴「おもいっきり侃侃」を途中まで読む。

著者の専門の古典に関する話が多いのでやや硬めな内容。
ただしその志は気高くいかにもな「快男児ぶり」は変わらず。

深夜TVで「ミッシング3」を観る。

「ヴィジョン」を見るという特殊能力を持つFBI捜査官と同僚たちが
プライベートであれこれありつつ事件を解決していくというお話。

サイキック捜査官役のカテリーナ・スコーソンの顔が魅力的。
魏涼子の吹き替えのイメージもよく合っている。

彼女はカナダで子役としても有名だった模様。
姉のフランチェスカも女優をしているらしい。

ドラマはマッチョな同僚ヴィヴィカ・A・フォックスに比べるとやや晩生な設定。
彼女たちの上司、ジャスティン・ルイスの「感情の無さ」も好ましい。

そもそも「ヴィジョンを見る」というのは
スティーヴン・キング「デッド・ゾーン」あたりから使われるようになった。

映画版では(TV版もある)クリストファー・ウォーケンが演じていたはず。
新進政治家が世界を破滅に導くヴィジョンを見て主人公が悩み苦しむお話。

監督はデヴィッド・クローネンバーグ。
「カナダ」という土地は面白いものを生み出すということか。
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「福耳ソウル」のひとかけら

2010-11-16 05:53:39 | Weblog
今宵は酔いが少ないままにyoutube。

最初はIseley brothersで「for the love of you」。
「who's that lady」を間に入れて「between the sheets」など。

続いてthe chi-lites「Oh,girl」「Have you seen her」。
the Manhattansの「kiss & say goodbye」からthe Temptations「my girl」へ。

「just my imagination」でひと息入れて
the Delfonics「La,La,means I love you」。

ほのぼのとthe Dells「stay in my corner」の後に
O'Jays「back stabbers」。

Teddy Pendergrass「turn off the light」に落ち着き
Aretha Flanklin「natural woman」で盛り上がり。

人生は山あり谷ありと言うけれど
案外谷ばかりが続くことも少なくない。

それでもこんな楽曲たちがあれば
いつでも「幸せ」は手に入る。

それぞれの分野の「歴史」のほんの上っ面をなぞるだけで
あなたの耳も「福耳」になるはず。
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「消費者」でない「読者」であること

2010-11-16 03:37:33 | Weblog
くもり。夜に手がかじかむ。

斎藤美奈子「ふたたび、時事ネタ」を読む。

07年から09年までのあれこれ。
「やらせ」「国民投票法」「食の安全」「朝青龍」「ミシュラン」「橋下知事誕生」

「コンプライアンス」「裁判員制度」「秋葉原事件」「田母神俊雄」
「オバマ大統領」「検察の暴走」「足利事件」「のりピー事件」「仕分け」など。

いわゆる「左翼の旧弊」を言う著者はやや「新左翼の旧弊」がありはしないか。
デビュー当時のキレがなくなっているのが残念。

いろんなモノを切っているうちに
誰しも自分の刀がなまくらになるのは仕方のないことかも。

というより
ただ単に読者は「もっと違う切り口を」と思っているだけかもしれない。

さらには「自分というフィルター」に「合うもの」をちょうだいと言っているだけなのか。
もっともその「フィルター」がどれほどのものかは知れたものではなく。

時々刻々興味も移り変わり。
いたずらに尊大な「消費者」にはならないよう気をつけておくことにする。
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「孤立」と「連帯」について

2010-11-15 05:19:33 | Weblog
晴れ。まだ寒くならない。

香山リカ「働く女の胸のウチ」を読む。

ショッキング・ピンクの表紙がケバケバしいけれど
内容はずっと地味で普通なもの。

老若男女を問わずみんな「元気」であってもらいたいもの。
日本の男女はまだきちんとしたコミュニケーションが取れていない模様。

いい意味での「本音」はお互いに出しておかないと。
「装うこと」だけ上手になってもいたずらにツラくなるだけだったりする。

「こうでなきゃ」と思う頭を優先させることが「常」だとして
果たしてその「頭」は十分に機能しているのかどうかもたまには考えてみよう。

久方ぶりにTVで女子バレーを観る。
選手の中に「サバンナ」の高橋と「千と千尋」の「カオナシ」がいた。

世界選手権ではモントリオール以来のメダルらしい。
サーブの役割が昔と比べるとかなり高くなっていることに気付く。

ただしコンビネーションだけに注目すると
サーブレシーブが難しくなったせいかやや見劣りがする。

「ホーム」でこれだと実力としてはアメリカに劣るのではないか。
案外客が多いのに驚く。

深夜マル激の500回目を観る。

戦争に負けたわが国は「経済」で勝って溜飲を下げたものの
一番大事な「あるべき生活」がないのだと。

「理想」を失ってとりあえず「経済」を目指したが
それがないと人はバラバラになるだけ。

とりあえず「身近な関係」をしっかり構築しようという見立て。
「面倒くさい」から「面倒見るよ」への転換ができるかどうか。
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「愚かさ」の理由について

2010-11-14 04:53:20 | Weblog
晴れ。だったはず。

本が切れたので適当に選んで
内田樹「下流社会」を流し読む。

わからないものに対して好奇心でなく初めから「対価」を要求することの愚。
そういう環境に置かれてしまった子どもたちは貧しい。

気が付けば何度「貧しい」という言葉を使ったかしれないけれど
事ほど左様に「貧しい」事実がある。

端からなんでもわかっていれば苦労はない。
人は一寸先がわからないのが基本なのに。

そこで浮かび上がってくるのが「時間」。
とりあえず長くお付き合いするのかどうかという「姿勢」。

たとえば「結婚」というのも本来はそういうもので。
たまに会うのが情熱の元とも知らず共に暮らせば「寛容」のみが重要。

「恋」は病気なので長続きしないもの。
「愛」は長続きすることを前提として付き合うもの。

「この人でなければ」と思うのは錯覚で
「この人でよかったかも」というのがそこそこな現実。

お互いたかが知れているのだから
「予想もつかない未来」をいたずらに限定したところでしかたがない。

ただしそうした「真実」はいかにも味気ないので
人はついつい「情熱」に走ったりする。
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明晰と臆病

2010-11-13 02:50:16 | Weblog
晴れ。今年は今からが紅葉か。

「三島由紀夫 映画論集成」読了。

鶴田浩二、大島渚らとの対談が面白い。
小川徹の「映画芸術」という雑誌は活きがよかった模様。

映画だけでなく「評論家」としての三島由紀夫をもっと知らなければ。
「全集読み」はめんどくさいので評論集にしぼるつもりだけれど。

学生の頃新潮文庫でかなり読んだはずだが
まだまだ未読のものも少なくないのでそのうちに。

パニックになりやすい人というのがいて
彼ら彼女らはいったんそうなってしまうと過去の積み上げがゼロになる。

もちろん落ち着いて考えれば何のことはないものの
今までに習得したはずのすべてをフイにして「デタラメ」をしてしまう。

何が彼ら彼女らをそこまで追い詰めるのかは不明。
そして確実に積み上げてきたはずのものに自信が持てないのも同様に不明。

おそらく「正解」を出さなければいけないという強迫観念のせいか。
たとえばフロイトの「脅迫反復」とか。

彼ら彼女らが学ぶべきことは「人生」に「正解」などないということ。
さらに「自分が知らないこと」はうんざりするほどあり、それが「常」だということ。

それが「まっとうな態度」なのに
たやすく「正解」を求めるから異様なまでにビクビクしてしまう。

「納得すること」はそれほど難しいのか。
「納得すること」を実感していなのか。

結局「腹をくくれない」だけのことだとしたら
その自分の不甲斐なさを直視しよう。
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「世界」は開かれているはずだということ

2010-11-12 03:33:30 | Weblog
深夜に毎度のyoutube。

http://www.youtube.com/watch?v=FDCuY6ZTDFs&feature=related

superflyは断然こっちの路線がいい。
いちおうウッドストックのステージも貼っておく。

http://www.youtube.com/watch?v=XV3Csq7hRlU&feature=related

最初は「この少女は何者だ?」という感じが観客にありながら
やがて「やるじゃん」になってのスタンディング・オベーションに至る。

客をねじ伏せるだけの力が彼女の歌にはあるのだ。

「愛を込めて花束を」は悪くないけれど
ビッグブラザー&ホールディングカンパニーを前にした弾き語りがベストで。

それに比べて国内の新曲に冴えが見られないのはなぜか。
むしろモード学園のCM曲「How do I survive」」の方にドライブ感がある。

http://www.youtube.com/watch?v=j25zhBUP8N0

個人的にはこの曲が耳について後で知ったらsuperflyだったというわけ。

ロックがどうこうと時代遅れの言い訳はなくていい。
この歌い手を国内に閉じ込めてはいけない。

「資本の自由な移動」はこういうところにこそ発揮されるべき。
とりあえずヨーロッパにも流通させてみてはどうか。

そしてさらに南米、アフリカへ。
これほどの「市場」を目の前に「ビジネスマン」はなぜ手をこまねいているのか。

若い彼女の現在の声はただ透き通って爽快。
その後の展開が楽しみでなくて何が楽しみか。

最後に付け加えておく。

http://www.youtube.com/watch?v=YxDkrym5nP8&feature=related

もちろん「本家」ジャニス・ジョップリンを知っておくのは「常識」。
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