退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「そういうご縁と麻薬としてのカタルシス」について

2016-06-27 01:18:43 | Weblog
晴れ。歩くと暑い。

昨夜は老舗バー。

客は自分を含め二組だけだとのこと。
BSのビートルズ特番をBGVにマスターとあれこれ話す。

クインビーと似てきたのか。
どうもその種の「ご縁」に恵まれている模様。

そもそもマスターが高齢であることを思えば
クインビー並みの長いお付き合いができるかどうかは微妙。

珍しく何も借りずいつもより早めに帰宅。
そういうことかと何となく納得する。

樋田敦子「女性と子どもの貧困」を読む。

ここでも基本はどうやら「人間関係の貧困」にありそう。
それは他人だけでなく家族も含む。

見えにくくなっている貧困あるいはDVによる影響。
突然の身内の死や望まない妊娠がもたらすもの。

「自己責任」だけでは片づけられない問題がさまざまに。
「赤ちゃんポスト」が「リアル」だと感じられない人々は「道徳」を説き。

麻薬のように「カタルシス」のみを求めるのはなぜか。
「小さな『世界の終わり』」がいつのまにか大きなうねりとなって。

現実がフィクションのような展開を見せるならば
むしろフィクションを現実にする動きが必要か。

「なんでもあり」というのが「原理」だとして
その「可能性」をもっと追いかける方がいいのかもしれない。

今後は「先が見えない」のが「普通」なのだから
いたずらに「束の間の安定」を求めるのはむしろマイナスなのだと知りたいもの。
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