くもりのち雨。深夜に降ったり止んだり。
濱口桂一郎「働く女子の運命」を読む。
どうしようもない日本の男たちの女子に対する差別を
法律や歴史から描いた作品。
よくも悪くも欧米は「ジョブ型社会=スキルに対応する賃金を払うシステム」であり
わが国は「メンバーシップ型社会=仕事をしながらスキルを身につけるシステム」。
もちろん欧米にも女性差別はあるものの
「スキル」さえあれば文句は言えないという「公平さ」は担保されているとか。
一方わが国は「企業が求めることを何でもこなす全人格的判断」がなされると。
そうした「男並み」に働けない女子は自動的に「出世」から排除される仕組み。
そもそも男は「何でもこなす=社畜」でしかない人生を反省することもないまま
スキルがなくても無条件で優遇されるのだから何ともはや。
すでに学校時代に女子の平均は男子を上回る事実があるというのに。
かくも現実を無視できるのはむしろ不思議。
繰り返すが「長時間労働=頑張っている」という精神主義でなく
「効率よく働き成果を出す」という実質主義を選びたいもの。
なぜ「働きながらその他のこともできる環境」を確保するのがかくも難しいのか。
その種の「豊かさ」がいつまでたっても求められない「貧しさ」を知ろう。
それと同時に「女は家庭」という「昭和幻想」の嘘にもいい加減気付かないと。
「母性本能」や「子育ての『常識』」についても同様。
敢えてそうしたいと思う女子がいるのは結構。
ただそうでない女子たちがいつまでたっても楽になれない現状は問題。
これまた繰り返せばそれもすべて「男子の鈍感さ」に端を発するもの。
性別に関係なく「スキル」のある者が「適所」にいればいいだけだというのに。
この「シンプル」が現実にならないもどかしさよ。
「女子力」が問われることはあっても「男子力」は話題にもならない「事実」を思い出したい。
自らの「へタレさ加減」を絶えず問われたらどうなるのだろう。
たいていの男子はきっと泣いて終わるはずなのだけれど。
濱口桂一郎「働く女子の運命」を読む。
どうしようもない日本の男たちの女子に対する差別を
法律や歴史から描いた作品。
よくも悪くも欧米は「ジョブ型社会=スキルに対応する賃金を払うシステム」であり
わが国は「メンバーシップ型社会=仕事をしながらスキルを身につけるシステム」。
もちろん欧米にも女性差別はあるものの
「スキル」さえあれば文句は言えないという「公平さ」は担保されているとか。
一方わが国は「企業が求めることを何でもこなす全人格的判断」がなされると。
そうした「男並み」に働けない女子は自動的に「出世」から排除される仕組み。
そもそも男は「何でもこなす=社畜」でしかない人生を反省することもないまま
スキルがなくても無条件で優遇されるのだから何ともはや。
すでに学校時代に女子の平均は男子を上回る事実があるというのに。
かくも現実を無視できるのはむしろ不思議。
繰り返すが「長時間労働=頑張っている」という精神主義でなく
「効率よく働き成果を出す」という実質主義を選びたいもの。
なぜ「働きながらその他のこともできる環境」を確保するのがかくも難しいのか。
その種の「豊かさ」がいつまでたっても求められない「貧しさ」を知ろう。
それと同時に「女は家庭」という「昭和幻想」の嘘にもいい加減気付かないと。
「母性本能」や「子育ての『常識』」についても同様。
敢えてそうしたいと思う女子がいるのは結構。
ただそうでない女子たちがいつまでたっても楽になれない現状は問題。
これまた繰り返せばそれもすべて「男子の鈍感さ」に端を発するもの。
性別に関係なく「スキル」のある者が「適所」にいればいいだけだというのに。
この「シンプル」が現実にならないもどかしさよ。
「女子力」が問われることはあっても「男子力」は話題にもならない「事実」を思い出したい。
自らの「へタレさ加減」を絶えず問われたらどうなるのだろう。
たいていの男子はきっと泣いて終わるはずなのだけれど。
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