退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「コミュニケーションの不能とフィルター・バブルの害あるいは大して面白くない『青春映画』」について

2022-08-28 02:23:13 | Weblog
晴れときどきくもり。だったはず。

久方ぶりの本切れで橘玲「無理ゲー社会」を再読。

世界中の人々はすでに字を読めなくなっていて。
「コミュニケーション不能」な現実をあらためて。

「言語」が意味をなさなくなった時にどうなるのか。
おそらくいたずらに「敵対心」が湧くのだろう。

何より問題なのは「自分というフィルターのレベル」を知らないままに。
さまざまなことを判断していくこと。

「自分にとって都合のいい情報」のみに接触する「フィルター・バブル」の中で。
一定の人々は「テロ=暴力」に走ることが予想される。

すでに「会話」が不可能になっているのならば。
それ以外の「手段」でコミュニケーションが行われることになる「当然」。

互いの「文脈」が見えないのだからどうしようもなく。
「他者との好ましい関係」を確保したいもの。

少なくとも「孤立」はダメ。
そして「笑顔がある環境」をどうにか。

マル激を観る。

今回のゲストは小説家の島田雅彦。
彼の著書「パンとサーカス」を材料に現在のあれこれを。

池上遼一のマンガのような内容に「聖なる娼婦」を加えたらしいけれど。
ある程度の「知性」があれば「近未来」は予想できるのだとして。

「男子にはどうしようもないから女子にお願い」と解釈されても仕方がない内容。
「だったらもっと『環境』を整えろよ」と女子から怒られそう。

「男子のみの会話」としてはうなずけるものの。
「トランプに代表される『ロッカールーム』のそれ」に似ているのではないか。

とりわけ宮台真司の発言がダメ。
「フランス租界で育った母からの影響」って言われてもそんなものは普通にはないし。

だったらせめて「本物のエリートを育てる方策」をもっとといった趣き。
それが可能になるような「布陣」を用意してからでないと。

少なくともわが国で「世界的に通用する人々」を輩出しているのは「スポーツ」で。
その「人材育成方法」をもっと別の分野に応用しないのはなぜと思うことしきり。

ジョン・ワッツ「スパイダーマン ファー・フロム・ホーム」(’19)を観る。

「お子様向け」としか言いようがない内容。
敢えて言えば「幻影」を利用する「悪玉」の姿が「現在」を描いているか。

そもそもサム・ライミが撮ったシリーズの初めはすでに20年前。
どうして「青春映画」に変わったのかが知りたいところ。

残念ながら本作のゼンデイヤにはあまり魅力がなく。
サミュエル・L・ジャクソンやジェイク・ジレンホールも同様に。

「ヒーローが初心な高校生」というのがウケるのが「今どき」なのは承知の上で。
「笑いのセンス」も感じられず圧倒的につまらんと言っておく。
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