退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

なんであれ「物語」を生きるしかないということについて

2011-01-15 02:13:22 | Weblog
晴れ。寒気はまだそこそこ。

渡辺千萬子「落花流水 谷崎潤一郎と祖父関雪との思い出」を再読。

やはり「不思議な世界もあるものだ」と思わざるをえない内容。
ただし虚構の物語が現実に大きく影響することは実はよくあること。

子どもの名前が一番わかりやすいだろう。
ある時期以降マンガに影響された名前が増えて今では当たり前になっている。

昔で言えば「君の名は」の頃には
「春樹」と「真知子」が流行ったし。

人がいかに「幻想」に生きているかがわかろうというもの。
それほどまでに「物語の力」は強い。

個人的にはある種の「運命」を感じさせる出来事を経験したこともなくはないけれど
「なるほどそうきたか」という態度でそこにあまり意味を見出さない。

「偶然」は「偶然」なのだから
それ以上の意味づけは必要ないと思っているので。

ただしそれはおそらくそこそこ「幸せ」だからかもしれない。

たとえば「戦争」というような「大きな物語」によって
人生が変わってしまった人々の数は少なくない。

そこには「どうしようもない悲劇」もあるし
「哄笑したくなるような喜劇」もある。

決められた場所で演じるのが主役かどうかは別にして
人は否応無く「演じる」しかないから「現実」と「虚構」の違いは案外あいまいなものだったりする。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ボケとドタバタについて | トップ | 「貫くもの」について »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事