退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「『セクト争い』を感じさせる本とヒッピーカルチャーの限界を描いた映画」について

2024-06-03 02:57:04 | Weblog
くもり。やや風が吹く。

ポリタスTV編 山口智美・斎藤正美「宗教右派とフェミニズム」を読む。

何とも微妙な内容。
安倍その他の政治家や「宗教右派」のどうしようもなさはわかるとして。

この「視座」が「まとも」なのかどうかについて疑問が残る次第。
どこか「セクト争い」のにおいがするので。

「正しさ」を誇るのではなく「参考意見」をもっと。
そのことは立場の如何を問わず。

「なるほど」という視点を相手に思わせること。
「井上陽水の疑問形」をもっと活用すればいいのに。

相手を「やっつける」のではなく。
「こんな風に思うんですがいかが」という「余裕」がほしいところ。

もっとも「ヘイトスピーチの酷さ」を思えば。
そんなことは言っていられないのか。

それでも純粋な疑問は残る。
「あなたはなぜそう思うようになったんですか」という問いは確保しておいていいはず。

敢えて言うなら。
「自分の不全感」を「正しさ」に変えてはいけないという「倫理」を。

仮に「そうするしかなかった」のだと答えられたなら。
「そうでもなかったかもしれませんよ」と言いたいところ。

ダニー・ボイル「ザ・ビーチ」(’00)を観る。

「日常」だけでは生きられない人の感覚を知っておこう。
ディカプリオが地図を知り合いの部屋のドアの下に差し込むのは「宗教」に似て。

大麻とセックスもあるけれど。
「秘密の場所」であることが大きく。

「楽園=ユートピア」も結局は「犠牲」の上に成り立っていて。
「それ以上人を増やすな」という「ルール」が破られて。

それでもそうした「記憶」があれば生きられるのか。
「楽園の創設者」ロバート・カーライルが死んだ意味を考えたいもの。

本作はどこか「革命幻想」に似て。
人は「ありもしない世界」に憧れる存在だということでよろしく。
コメント
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