くもり。仕事帰りにちょいと降られる。
ポール・ヴァレリー「精神の政治学」を再読。
著者はすでに「現在」を予測していた模様。
「テクノロジーが人をダメにする」という「原則」は変わらず。
吉田健一ならずともこの「明晰さ」には惹かれるだろう。
「頭がいい」というのはこのレベルでないと。
「スポーツ」を好ましく思っているのにふむふむ。
とりあえず「みんなが認めるルールの下で競う」という爽快さがあるから。
ダヴィンチに関する解釈はほぼ「名人伝」の趣き。
「言語でない表現」を「言語で語る」という「矛盾」はあるけれど。
マル激を観る。
今回は「憲法改正によらない緊急事態法」がもうすぐ成立することについて。
その発端はどうやら総務省絡みの政治家によるものらしいが。
「現場を知らない者」が「緊急事態」に対応できるはずもなく。
その事実は故安倍総理によるコロナ下の「愚策」が証明しているというのに。
何の根拠もなく「仕事をしている感」を出すためだけ。
「過去の失敗例」を参考に出来ないのは戦時中と変わらず。
宮台真司が「レイテ」や「インパール作戦」を例に出すのに納得。
「補給」もないまま「餓死と病死が9割」だった事実よ。
それらはすべて「現場」を知りもしない「中央」によって決められた結果。
いつまでそうした「御上=おかみ」に頼るのか。
われわれには「学習能力がないこと」。
せめてそのことだけは知っておきたいもの。
キム・ヨンファ「神と共に 第一章 罪と罰」(’17)を観る。
「閻魔大王」が出て来たりして。
結局「裁判」だったりするのがいかにもかの国らしく。
キリスト教の影響が大きいのかとも思いつつ。
カンニムのハ・ジョンウが渋くドクチュンのキム・ヒャンギがキュート。
子どもを救うために死んだ消防士は一見「立派」。
ただしそこには複雑な「過去」がありというお話。
ラストにはマ・ドンソクも登場。
明日「第二章」を観る予定。
ポール・ヴァレリー「精神の政治学」を再読。
著者はすでに「現在」を予測していた模様。
「テクノロジーが人をダメにする」という「原則」は変わらず。
吉田健一ならずともこの「明晰さ」には惹かれるだろう。
「頭がいい」というのはこのレベルでないと。
「スポーツ」を好ましく思っているのにふむふむ。
とりあえず「みんなが認めるルールの下で競う」という爽快さがあるから。
ダヴィンチに関する解釈はほぼ「名人伝」の趣き。
「言語でない表現」を「言語で語る」という「矛盾」はあるけれど。
マル激を観る。
今回は「憲法改正によらない緊急事態法」がもうすぐ成立することについて。
その発端はどうやら総務省絡みの政治家によるものらしいが。
「現場を知らない者」が「緊急事態」に対応できるはずもなく。
その事実は故安倍総理によるコロナ下の「愚策」が証明しているというのに。
何の根拠もなく「仕事をしている感」を出すためだけ。
「過去の失敗例」を参考に出来ないのは戦時中と変わらず。
宮台真司が「レイテ」や「インパール作戦」を例に出すのに納得。
「補給」もないまま「餓死と病死が9割」だった事実よ。
それらはすべて「現場」を知りもしない「中央」によって決められた結果。
いつまでそうした「御上=おかみ」に頼るのか。
われわれには「学習能力がないこと」。
せめてそのことだけは知っておきたいもの。
キム・ヨンファ「神と共に 第一章 罪と罰」(’17)を観る。
「閻魔大王」が出て来たりして。
結局「裁判」だったりするのがいかにもかの国らしく。
キリスト教の影響が大きいのかとも思いつつ。
カンニムのハ・ジョンウが渋くドクチュンのキム・ヒャンギがキュート。
子どもを救うために死んだ消防士は一見「立派」。
ただしそこには複雑な「過去」がありというお話。
ラストにはマ・ドンソクも登場。
明日「第二章」を観る予定。