昨日の休日は、家族そろってななを送りに行ってきました。
花に埋もれたななは、とても穏やかな顔で、本当に眠っているよう。
この子はいつも、控えめで、一歩引いてたような感じだったので、
こうして色とりどりのお花に囲まれ、ちょっと照れくさそう。
でも、とても嬉しそう。
最後にみんなで頭をなでると、いつも通り手のひらにすっぽり入る可愛らしい丸みでした。
ななを最初に見たのは、郊外によくある大型のペットショップ。
春に他の兄弟姉妹と一緒に売りに出され、他の子たちが皆売れていく中、
夏になっても売れずに残っていた子。
そしてある日、このまま売れずにいたら処分されると聞いたので、
その日のうちに引き取りに行ったのです。
(「~命という名の商品~」参照)
その後我が家の家族になった ななちゃんは、
先輩のぷーさんや、ジョイ君ともまあまあ仲良く、
というか、身体が小さく、弱かったので、
ごまめ扱いながらも平穏に、そして楽しく暮らしました。
ただこの頃からお散歩に出たりすると興奮するのか、、
クルクル、クルクルとよく回ってばかりだったので、連れ歩くには結構苦労しました。
(「くるくるナナ♪」参照)
だからみんなでお散歩に出ると、リードが絡まり結構大変でした。
見事に統率のとれていないお散歩チーム。
それでも私がツーリングに出かけた日などは、
こうしてテケテケとガレージまで私を迎えに来てくれておりました。
その後 ななは、「食欲大魔王」としての本性に目覚め始め、
普段は本当に、温厚柔和、人畜無害、無添加天然、ですごく大人しいのに、
食事の時だけは異常にハッスルし、あげくは、
空になったお皿を下げに行く私の脚にかぶりついたりするようになりました。
(「恐ろしい241円」・「痛ったたた!」参照)
これだけの食欲だから、きっと今に太って大きくなるだろうと思っていましたが、
意外や意外!
サイズは思ったよりも大きくならず、また見た目も子犬の時からほとんど変わらず幼いまま。
だからお散歩の途中で出会ったお友達キャバの飼い主さんに、子犬と間違われ、
年齢を言うと驚かれることもしばしばありました。
だから我が家では「ベイビーフェイス」と呼ばれたりも。
しかし見た目が子犬でも、中身はやはり年齢なりなので、
6歳を過ぎた頃から、次々と体の不都合に襲われることとなりました。
最初は心臓の発作から始まり、その後はテンカンの発作。
そして、眼球が飛び出てくることによる失明。
その都度その都度、私たちは大いに慌て、私などは半ばパニックになって病院へ走りました。
しかしそのたび、ななは何事もなかったかのように復活し、
お家に戻っては、ご飯をモリモリ食べ、ウンチをしっかりしてくれていたのです。
だからこの頃までは毎日私たちとお店に通い、
私の足もとで丸くなりながらも、看板犬として活躍してくれていたのですが、
引退し、なるべく刺激を受けないようにと、静かに我が家で留守番犬をすることになりました。
店番する私の足もとで、ぷー姉さんと。
また、こうなると表に散歩に出ることもできなくなってきていたので
お散歩は天気の良い日に我が家の狭いベランダで。
ここは我が家のわんこの好きな場所で、ななも大好きなダイちゃんと一緒に日向ぼっこを楽しんでおりました。
ま、たまには↓のように意地悪されることもありましたがね。
(「おひさしぶり」参照)
その後も目が見えないにもかかわらず、家の中を自由に闊歩し、
毎日マイペースで静かに暮らせておりました。
まあ、たまに「ななちゃんが好きで好きでたまらない隊」の隊長ポチに襲われたりもしましたが。
(「ぽちんちん騒動」参照)
ですが昨年に入り、てんかんの発作が頻繁に起こるようになり、
その都度床や壁で頭を打っては大変ということで、その後はクッション材を敷き詰めたサークル内で過ごすことになりました。
(「ななルーム」参照)
そうして、暑い夏を乗り切り、
食欲の秋を堪能し、
そして、楽しい年末年始も過ごせました。
最後の日の前日は我が家はお鍋で、いつもなら小さく切ったお肉と雑炊を与えると大喜びしていたのですが、
その数日前から固形物を食べるのが下手になってきており、半流動食に変えていたのであげることができなかった…
(でも、そのごはんも大喜びで食べてくれたから、それはそれでよかった♪)
そして最後の朝。
朝のおトイレの後、乱れて汚れた毛を奥さんがきれいにしてくれて、
ややしんどそうだったので、ごはんは後回しにし、
しばらく横になってもらおうといつもの寝床へ。
「この後、痛み止めのモルヒネパッチを獣医さんに貼ってもらいに行こうか?」
そういう会話を奥さんとしながらも、
少し気になったのでテーブルに行かずそのまましばらく眺めていると、
数日前から起こしていた引き付けを数回起こし、
その後大きく伸びをしたかと思うと、急に静かに!
そこであわてて手を伸ばし胸をさすると、
「トクン トクン…」という鼓動と、深く静かな呼吸の動き。
そして口をパクパクとしたので、
「やれやれ、また ななにだまされたわ~♪」
と奥さんと笑いあった直後。
指先に感じていた鼓動と、呼吸が消え失せ、同時に手足の筋肉から一切の力が抜けていきました。
あ 今 逝った…
本当に最後の最後になってまで、私たちに笑いをくれた ななちゃん。
あのパクパクは、心配をかけまいと頑張ってしてくれたんかな。
ほんま、最後までええ子やったな。
その後、横になったまま動かない ななを、
「でも、また、もしかしたら動き出すんじゃないか…?」
と、そうはならないことは承知しつつも、どこかでそう思いながら見つめていると、
「そう言えば、走れなくなってからも、
寝ている時嬉しそうに尻尾を振りながら手足をバタバタしていたことがあったよね。」と、奥さんが。
元気な時は私と一緒に自転車で喜んで走ったから、きっとその夢でも見ていたんでしょう。
そして、今はもう辛い発作も何もないから、
思いっきり、楽しく自由に走り回れるに違いない。
よく頑張ったね。
お疲れ様、ななちゃん。
でも…
本音を言えば、ただ寝ているだけでもいいから、
まだいて欲しかったな。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
最後のこの写真は、奥さんが一番好きなななの写真。
まだぷーが1歳、ジョイ&ななが生まれて初めての夏を堪能していた頃。
今でもまだ私たちの中では、ななはこの頃の ななのままなのです。
ななの過去記事はこちらです。
http://blog.goo.ne.jp/pudo-ru/c/e92b4454732f7b960dd3c616791279da
花に埋もれたななは、とても穏やかな顔で、本当に眠っているよう。
この子はいつも、控えめで、一歩引いてたような感じだったので、
こうして色とりどりのお花に囲まれ、ちょっと照れくさそう。
でも、とても嬉しそう。
最後にみんなで頭をなでると、いつも通り手のひらにすっぽり入る可愛らしい丸みでした。
ななを最初に見たのは、郊外によくある大型のペットショップ。
春に他の兄弟姉妹と一緒に売りに出され、他の子たちが皆売れていく中、
夏になっても売れずに残っていた子。
そしてある日、このまま売れずにいたら処分されると聞いたので、
その日のうちに引き取りに行ったのです。
(「~命という名の商品~」参照)
その後我が家の家族になった ななちゃんは、
先輩のぷーさんや、ジョイ君ともまあまあ仲良く、
というか、身体が小さく、弱かったので、
ごまめ扱いながらも平穏に、そして楽しく暮らしました。
ただこの頃からお散歩に出たりすると興奮するのか、、
クルクル、クルクルとよく回ってばかりだったので、連れ歩くには結構苦労しました。
(「くるくるナナ♪」参照)
だからみんなでお散歩に出ると、リードが絡まり結構大変でした。
見事に統率のとれていないお散歩チーム。
それでも私がツーリングに出かけた日などは、
こうしてテケテケとガレージまで私を迎えに来てくれておりました。
その後 ななは、「食欲大魔王」としての本性に目覚め始め、
普段は本当に、温厚柔和、人畜無害、無添加天然、ですごく大人しいのに、
食事の時だけは異常にハッスルし、あげくは、
空になったお皿を下げに行く私の脚にかぶりついたりするようになりました。
(「恐ろしい241円」・「痛ったたた!」参照)
これだけの食欲だから、きっと今に太って大きくなるだろうと思っていましたが、
意外や意外!
サイズは思ったよりも大きくならず、また見た目も子犬の時からほとんど変わらず幼いまま。
だからお散歩の途中で出会ったお友達キャバの飼い主さんに、子犬と間違われ、
年齢を言うと驚かれることもしばしばありました。
だから我が家では「ベイビーフェイス」と呼ばれたりも。
しかし見た目が子犬でも、中身はやはり年齢なりなので、
6歳を過ぎた頃から、次々と体の不都合に襲われることとなりました。
最初は心臓の発作から始まり、その後はテンカンの発作。
そして、眼球が飛び出てくることによる失明。
その都度その都度、私たちは大いに慌て、私などは半ばパニックになって病院へ走りました。
しかしそのたび、ななは何事もなかったかのように復活し、
お家に戻っては、ご飯をモリモリ食べ、ウンチをしっかりしてくれていたのです。
だからこの頃までは毎日私たちとお店に通い、
私の足もとで丸くなりながらも、看板犬として活躍してくれていたのですが、
引退し、なるべく刺激を受けないようにと、静かに我が家で留守番犬をすることになりました。
店番する私の足もとで、ぷー姉さんと。
また、こうなると表に散歩に出ることもできなくなってきていたので
お散歩は天気の良い日に我が家の狭いベランダで。
ここは我が家のわんこの好きな場所で、ななも大好きなダイちゃんと一緒に日向ぼっこを楽しんでおりました。
ま、たまには↓のように意地悪されることもありましたがね。
(「おひさしぶり」参照)
その後も目が見えないにもかかわらず、家の中を自由に闊歩し、
毎日マイペースで静かに暮らせておりました。
まあ、たまに「ななちゃんが好きで好きでたまらない隊」の隊長ポチに襲われたりもしましたが。
(「ぽちんちん騒動」参照)
ですが昨年に入り、てんかんの発作が頻繁に起こるようになり、
その都度床や壁で頭を打っては大変ということで、その後はクッション材を敷き詰めたサークル内で過ごすことになりました。
(「ななルーム」参照)
そうして、暑い夏を乗り切り、
食欲の秋を堪能し、
そして、楽しい年末年始も過ごせました。
最後の日の前日は我が家はお鍋で、いつもなら小さく切ったお肉と雑炊を与えると大喜びしていたのですが、
その数日前から固形物を食べるのが下手になってきており、半流動食に変えていたのであげることができなかった…
(でも、そのごはんも大喜びで食べてくれたから、それはそれでよかった♪)
そして最後の朝。
朝のおトイレの後、乱れて汚れた毛を奥さんがきれいにしてくれて、
ややしんどそうだったので、ごはんは後回しにし、
しばらく横になってもらおうといつもの寝床へ。
「この後、痛み止めのモルヒネパッチを獣医さんに貼ってもらいに行こうか?」
そういう会話を奥さんとしながらも、
少し気になったのでテーブルに行かずそのまましばらく眺めていると、
数日前から起こしていた引き付けを数回起こし、
その後大きく伸びをしたかと思うと、急に静かに!
そこであわてて手を伸ばし胸をさすると、
「トクン トクン…」という鼓動と、深く静かな呼吸の動き。
そして口をパクパクとしたので、
「やれやれ、また ななにだまされたわ~♪」
と奥さんと笑いあった直後。
指先に感じていた鼓動と、呼吸が消え失せ、同時に手足の筋肉から一切の力が抜けていきました。
あ 今 逝った…
本当に最後の最後になってまで、私たちに笑いをくれた ななちゃん。
あのパクパクは、心配をかけまいと頑張ってしてくれたんかな。
ほんま、最後までええ子やったな。
その後、横になったまま動かない ななを、
「でも、また、もしかしたら動き出すんじゃないか…?」
と、そうはならないことは承知しつつも、どこかでそう思いながら見つめていると、
「そう言えば、走れなくなってからも、
寝ている時嬉しそうに尻尾を振りながら手足をバタバタしていたことがあったよね。」と、奥さんが。
元気な時は私と一緒に自転車で喜んで走ったから、きっとその夢でも見ていたんでしょう。
そして、今はもう辛い発作も何もないから、
思いっきり、楽しく自由に走り回れるに違いない。
よく頑張ったね。
お疲れ様、ななちゃん。
でも…
本音を言えば、ただ寝ているだけでもいいから、
まだいて欲しかったな。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
最後のこの写真は、奥さんが一番好きなななの写真。
まだぷーが1歳、ジョイ&ななが生まれて初めての夏を堪能していた頃。
今でもまだ私たちの中では、ななはこの頃の ななのままなのです。
ななの過去記事はこちらです。
http://blog.goo.ne.jp/pudo-ru/c/e92b4454732f7b960dd3c616791279da
ななちゃん
前の晩までご飯を食べてくれて
本当に本当に
ぷーどるさんご一家に迎えて貰えて幸せに過ごすことが出来ましたね
ななちゃんも
もっともっと皆さんと一緒にいたかったのでしょうけど
でもあちらにも家族がいますもん
寂しくないですね
ななちゃんのご冥福を
心よりお祈り致します
大変大変遅いお悔やみで
本当に申し訳ありません
ななは本当にいい子でした。
いなくなってしまった寂しさはあるけれど、
老衰だったと言えると思うので
仕方のないお別れであったと思っています。
ななは、気のいい子だったので
あちらでも他のお友達とも仲良く遊べるだろうと思います。
こちらでは、喜んで走ると発作をおこしたりしてましたが
もうそんなことはないから、のびのびと走りまわっていてほしいです。
ままるーさん 本当にありがとうございます。