先日書いた日記(↓)からですが、少し加筆して…
http://hisuaki.blog31.fc2.com/blog-entry-1218.html
今年もまた熊が山から出てきて、そして人を襲って撃ち殺されました。
毎年こういうニュースを見るたびにやりきれない思いがします。
本来、彼らの生息地域である場所を、
人間が勝手に開発して追い出した挙句、
食べ物がなくなって、人間のテリトリーにはいってしまうとこの騒ぎ。
無論、襲われた方々に罪はなく、お見舞い申し上げるしだいではあるのですが…
野生動物にむやみに餌を当てる(餌付け)のは決してしてはいけないこと。
それは、変に彼らの生きていくうえでのルールを捻じ曲げることだから。
そういうことは重々承知はしているのですが、
たまには例外もあっていいのではないだろうか?
きけば、今回の件も事前に何度か熊の姿が目撃されていたとか。
そうすると、少し考えれば凶作で山に食料がなく降りてきたということがすぐ分かるはず。
ましてやこの時期、冬ごもり前で一番食料の必要な時期。
ならば…
いっそ、人里などから離れた場所に、彼らのための食料を投下したりしては?
そういうことをしてはいけなかったのだろうか?
(ならば熊にも人間も不幸なこういう事故は未然に防げたのでは?)
「野生動物に餌をやることはその動物を滅ぼすこと。」
有名な学者さんたちはそう言い切ります。
おそらくは、それは事実でしょう。
でも今の世の中、特に日本において。
本当の意味での野生動物などどれほどいるのでしょう?
ほとんどは、人間の手で餌場を狭められつつも、
ひっそりと、逃げるように生きながらえているだけの存在ではないでしょうか?
そういう尻すぼみの生き様を、野生と呼ぶ?
それはあまりにもアンフェアでしょ?
だから先程の言葉には、理解は示しますが同意はできないのです。
まず先に理屈があるような気がするから。
たとえば、今目の前に瀕死の状態でいる動物。
その動物を冷静にとらえて、そして「正しく」無視できる人。
私はそういう人は、たとえそれが正しくとも、好きになれません。
まずは、「理屈」より先に「感情」が起こるはずであり、
「助けねば」と思うのが普通だと思っていますから。
確かに正しい理屈でも、そこに情がないと
つまりは、誰かの視点から見た打算の結果ではないかと感じてしまうのです。
そこに「義」や「情」はあるのか?
そして、そういう「感情」抜きの行動はいつか行き詰まると考えています。
何事もそうですが、何か物事を大きく動かすものは、
いつも感情に後押しされた何かが原動力になっていますから。
無論これは程度の差がある話であって、
何でも間でも情に流されてよいといっているわけではありません。
その辺は、なんとなく読み取っていただくと助かります。
さて、話戻って…
人間界では、食べ物や作物でも
少し古くなったものや、形の悪いものが次々と廃棄処分にまわされている。
そういうものを山の中においておけば…
無論口で言うほど簡単ではないだろうけど、
もしそういうことが出来ていれば、熊とかもわざわざ人のいる場所に近寄らないと思うのだけど。
人間が彼らを怖がる以上に、多分彼らは人間が怖いはずだから。
めんどくさいかもしれないけれど、そうすることでうまく行けば、
お互いのテリトリーを侵すことなく暮らしていけるのではないかな~?
無論夢かもしれないけどね。
かって中学生の素朴な疑問からこういう本が作られました。
http://blog.goo.ne.jp/tkorganic/e/66f29970ff333b9c2b69289591a3c7f8
一冊100円の本ですが、うちには今4冊あるので、
ご希望の方には無料でお送りいたします。
気になった方はご遠慮なくどうぞ。
【余談】
この本の中に書いてある実話なのですが…
署名などの運動でがんばる子供達でしたが、
マスコミや環境庁はその声に全く耳を傾けなかったのです。
っそして挫折しかけた時に、近所のある町に「植樹祭」天皇皇后両陛下が来られるという情報が!
そこで、
「両陛下が来られる!全国に訴えるチャンスや!」
と直訴に及ぶ子供達。
すると翌朝事態は一変!
新聞では一面に大きく、環境庁では異例の臨時職員会議!
くやしいけれど、権力がないと動かせないことの方がはるかに多い。
でも、その訴えが正しければ、
そして真剣に取り組めば、
こうして、ことを動かせる力のある人の心をつかむことだって出来るんですよ。
実は昔この本を読んだ時、
ここの下りで、思わず熱くこみ上げてきてしまいました。
(=^^=)ゞ
http://hisuaki.blog31.fc2.com/blog-entry-1218.html
今年もまた熊が山から出てきて、そして人を襲って撃ち殺されました。
毎年こういうニュースを見るたびにやりきれない思いがします。
本来、彼らの生息地域である場所を、
人間が勝手に開発して追い出した挙句、
食べ物がなくなって、人間のテリトリーにはいってしまうとこの騒ぎ。
無論、襲われた方々に罪はなく、お見舞い申し上げるしだいではあるのですが…
野生動物にむやみに餌を当てる(餌付け)のは決してしてはいけないこと。
それは、変に彼らの生きていくうえでのルールを捻じ曲げることだから。
そういうことは重々承知はしているのですが、
たまには例外もあっていいのではないだろうか?
きけば、今回の件も事前に何度か熊の姿が目撃されていたとか。
そうすると、少し考えれば凶作で山に食料がなく降りてきたということがすぐ分かるはず。
ましてやこの時期、冬ごもり前で一番食料の必要な時期。
ならば…
いっそ、人里などから離れた場所に、彼らのための食料を投下したりしては?
そういうことをしてはいけなかったのだろうか?
(ならば熊にも人間も不幸なこういう事故は未然に防げたのでは?)
「野生動物に餌をやることはその動物を滅ぼすこと。」
有名な学者さんたちはそう言い切ります。
おそらくは、それは事実でしょう。
でも今の世の中、特に日本において。
本当の意味での野生動物などどれほどいるのでしょう?
ほとんどは、人間の手で餌場を狭められつつも、
ひっそりと、逃げるように生きながらえているだけの存在ではないでしょうか?
そういう尻すぼみの生き様を、野生と呼ぶ?
それはあまりにもアンフェアでしょ?
だから先程の言葉には、理解は示しますが同意はできないのです。
まず先に理屈があるような気がするから。
たとえば、今目の前に瀕死の状態でいる動物。
その動物を冷静にとらえて、そして「正しく」無視できる人。
私はそういう人は、たとえそれが正しくとも、好きになれません。
まずは、「理屈」より先に「感情」が起こるはずであり、
「助けねば」と思うのが普通だと思っていますから。
確かに正しい理屈でも、そこに情がないと
つまりは、誰かの視点から見た打算の結果ではないかと感じてしまうのです。
そこに「義」や「情」はあるのか?
そして、そういう「感情」抜きの行動はいつか行き詰まると考えています。
何事もそうですが、何か物事を大きく動かすものは、
いつも感情に後押しされた何かが原動力になっていますから。
無論これは程度の差がある話であって、
何でも間でも情に流されてよいといっているわけではありません。
その辺は、なんとなく読み取っていただくと助かります。
さて、話戻って…
人間界では、食べ物や作物でも
少し古くなったものや、形の悪いものが次々と廃棄処分にまわされている。
そういうものを山の中においておけば…
無論口で言うほど簡単ではないだろうけど、
もしそういうことが出来ていれば、熊とかもわざわざ人のいる場所に近寄らないと思うのだけど。
人間が彼らを怖がる以上に、多分彼らは人間が怖いはずだから。
めんどくさいかもしれないけれど、そうすることでうまく行けば、
お互いのテリトリーを侵すことなく暮らしていけるのではないかな~?
無論夢かもしれないけどね。
かって中学生の素朴な疑問からこういう本が作られました。
http://blog.goo.ne.jp/tkorganic/e/66f29970ff333b9c2b69289591a3c7f8
一冊100円の本ですが、うちには今4冊あるので、
ご希望の方には無料でお送りいたします。
気になった方はご遠慮なくどうぞ。
【余談】
この本の中に書いてある実話なのですが…
署名などの運動でがんばる子供達でしたが、
マスコミや環境庁はその声に全く耳を傾けなかったのです。
っそして挫折しかけた時に、近所のある町に「植樹祭」天皇皇后両陛下が来られるという情報が!
そこで、
「両陛下が来られる!全国に訴えるチャンスや!」
と直訴に及ぶ子供達。
すると翌朝事態は一変!
新聞では一面に大きく、環境庁では異例の臨時職員会議!
くやしいけれど、権力がないと動かせないことの方がはるかに多い。
でも、その訴えが正しければ、
そして真剣に取り組めば、
こうして、ことを動かせる力のある人の心をつかむことだって出来るんですよ。
実は昔この本を読んだ時、
ここの下りで、思わず熱くこみ上げてきてしまいました。
(=^^=)ゞ