もふもふランド♪

たくさんのわんこと もふもふしてます。
    by ぷーどる♂ & ぷーどる♀

魂の色 ⑨

2011-07-30 11:41:46 | らんちゃん
そういうわけで、ランちゃんは旅立ちました。

その後、私と奥さんはランちゃんの思い出話などをあれこれ話し合いました。

楽しい思い出、幸せな時間。

いかにあの子がおりこうで、賢くて、優しくて、美しくて、

そして得がたい時間を私たちに与えてくれていたか。

いかにたくさんの素敵なものを、あのこがくれたか。

すると当然話の流れは、「あの時もっとこうしていれば…」とか

反対に、「あの時こうしてしまったから…」とか

そのようなものになってゆき。

お互い口数が減り、ふさぎこみ、また泣いてしまい…

ですが、考えを凝らすほどにある思いがよぎりました。


「今のこの悩みや悔いは、今の私の気持であって、らんの気持ではないぞ?!」

そう、問題はあのこが我々との暮らしをどう感じていたか。

どう考えても、あのまま収容所でボロ雑巾のような状態で処分されているよりは、

我が家に来て、こうして今まで暮らせてきたことは、断然幸せであったはず!

なのに、悔やむ言葉を吐けば、困るのはあのこ自身!

「私は幸せだと思ったのに、お母さんたちは違うの?わたしの頑張りが足らなかったの?」

そう思うかもしれない。

それはちがう!

そう、あのこは幸せだったはず!

たとえ、最期は嫌な病院通いをしていたとしても、

大好きなお母さんの腕に抱かれて最期までいれたもの!

ん?

まてよ、あのこにしてみれば、「抱っこしてもらえた」だが、こちらにすれば「抱っこできた」だな…

皮膚病の事もあり、普段はなかなか抱っこできなかったから、

でも、今回はそんなことも無視して、思いっきり抱っこすることが出来た…

これは私たちにとっては大きなご褒美だったのではないか!

そういえば、お正月もそうだった。

看病しなければいけないので、どこにも行かず家で過ごしたわけですが。

それがすごく静かで、暖かで、緩やかで、思いもしないほど充実した休日になっていました。

結果としてですが、あの子のおかげで、そのようなことを知ることが出来たのです。

気ぜわしい私に、気づかせようと気を使ってくれたのかな?


まてよ、そういえば、あのこが逝った日は日曜日。

唯一学校が休みで、朝の時間に余裕のある日。

しかも、私たちの店の開店時間に間に合うような時間丁度まで頑張って、

一番長く時間を共にできるようにしていてくれた。

そして、ああ!今日の最期の別れは定休日の火曜日。

日月と、充分お別れの言葉をかけることが出来たではないか!

まてよまてよ!そう考え出すと、

年末年始の店のお休みの時期に体調を崩したからこそ、一緒にいてれる時間が充分取れたではないか!?

普段の営業日ならこうはいかない、絶対にあとで我々は大きく後悔しているはず!

ああああ!

なんと、思いかえすと、すべてが一番スムーズに行くように流れているような気がしてきました!

そして、今奥さんが気づきました。

「あのこが収容されていた時の処分予定日は7月14日やなかったっけ?」

「え?それがどうし…」

ああ!ランが逝ったのは1月の14日だ!

偶然といえば偶然それまでなんですが…

そして奥さんがこう言いました。

「ランは今与えられた役目を終えて、みんなのところに行くの。」

そうか、そうか…

ランは我々に多くの事柄を伝え、たくさんのものを与えるために半年の命をつないできてくれたのか。

それは楽しかった時間でもあり、幸せだったときでもあり、

そしてまた、逝った後、我々があれこれ悩んだ事柄も、

今後必ず再びあるであろう葛藤に対するアドバイスであり宿題であったのだろう。

そういうすべてを全部ひっくるめて、ランは私たちに贈り物として与えてくれたのだろう。




今実は、私はこの文章を書きながら、鼻水をたらしながら泣いております。

犬を飼うことは、その死に目に会うことでもあり、その辛さは、尋常ではありません。

ですので、その辛いのがいやだから犬を飼わないという方もたくさんおられます。

無論、それを否定はしませんが。

その辛さよりも、もっともっと大きな、そして素敵な贈り物を、

そういう贈り物をあの子たちがくれるのだということを、

辛さの裏側には、必ずその辛さよりも大きな喜びがあったということを、

どうか皆さんにも分かっていただきたい。


私たちは、本当に、本当に素敵な贈り物をもらいました。

私たちの一生の自慢であり、他の誰にもあげません。

ずっと、ずっと、ずっと大切にどこまでも持ってゆきます。


【追記】

以上の話は、ランに限った話ではなく。

いままでの子すべての場合もそう感じました。

そしてこれは、我が家が特殊なのではなく、

犬と、いや、猫、ハムスター、フェレット、

その他のすべての動物と幸せに暮らしておられたどこの御家庭でも起こっていることだとも。

子犬だから老犬だから、一緒にいた期間が長かったから短かったから、

そういうものは関係なしに、

こちらが愛情を注げば、あの子達は応えてくれます。

ですので、そういう気持ちさえお持ちならば、

あなたも、あなたも、どなたでも、

あなたの大切な子から、大きな大きな贈り物をもらえることは間違いないと断言できます。


AEROSMITH  「You see me crying」

私が泣いていても
そこでそっと見ていて欲しい
私の愛は終わりなくいつまでもメリーゴランドのように続くから
あなたから決して離れない



【続く】

すみません後一回だけ続きます。

【おまけ】
ついでのしょうもない話。
http://hisuaki.blog31.fc2.com/blog-entry-1866.html
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生きる価値

2011-07-23 12:30:08 | 雑談
昨日友人の日記をちらりと読んだ。
で、よく考えてからコメントしようと思ったら、消えていた。

だからここでその考えを書いてみる。

端的にいってしまえば、「生きる価値・意味がない人間がいるのか。」というもので、
友人は、障がい者を不要なものと切り捨てる者たちに対しかなり憤っていた。

そして、そのものたちの言い分は、「社会的に生産性のないものは、不要な存在だ。」
という類のものだったと思う。

でもそこには、そういう存在を大切に思い、その存在を心の糧に生きている、
そういったもうひとつの存在を完全に忘れている。
というか、気づいていない。

誰かが存在すべき価値が、誰かのために必要となるものであるとするならば、
それは単純に、生産性や社会への貢献などだけではなく、
誰かが愛し、必要とし、ただそこに「存在してくれればよい。」という一点でも十分価値がある。

これを認めない人間は、今後の生活において、
飲食では必要な栄養素のみを口にし、味わいや、風味、などという楽しみを捨て、
日常生活では、娯楽などは認めず、仕事と休息運動以外はしない。
そうした生活をよしとすべきです。

生産性のみを突き詰めるというのは、そういうことです。

ちなみに、やらしい話ですが、障がい者の人たちも、今ではその存在の規模から、
ある一定の大きな市場カテゴリーを形成する核となっています。
その意味においても、生産性、社会貢献性がないなどとはいえるはずもない。


そう考えれば、世の中に無駄な存在などほとんど皆無になってくるはず。
たとえ、天涯孤独で、だれからも必要とされていなくとも、
自分自身が生きたいと思えば、それだけで十分生きる価値があるはず。

でないと、それを否定すれば、人類そのもの、
ひいては生き物全体の存在理由を否定することになるから。

だって、人間なんか自分たちの都合だけで地球上の生き物や資源を好き勝手にいじりまくってるから、
その進歩や社会貢献なんか、他の生き物からしたら全く意味がなく無価値。
人類自身が必要思っているからこそ、必要であって、
人類自身からすれば、人類が存在することそれだけで十分意味がある。
これを、規模を縮小すれば先ほどの話しになるはず。

つまり、自己の存在を自己が認めないのならば、
逆説的に、すべての世界をも否定することとなるはずです。

だから、軽々しく他者や、自己が無価値などと言うべきではない。

それは、その者や、自分自身にかかわりのあるものすべての思いを
一方的に否定するものだから。

そんなこと、していいはずがないし、できるはずもない!


結局のところ、当事者の存在意義なんて、第三者が指摘することではなく、
第三者が指摘できるのは、その第三者にとっての利用価値でしかないのです。

そう思うと、一番最初に障がい者を槍玉に挙げている連中は、
自分以外のすべての存在を、自分が利用できる・利用するためだけの存在だと宣言しているに他なりません。

なんとまあ、思いあがった、しかも頭の悪い・・・

そういう連中に言いたい。

「そういうあなたは私にとってどれだけ利用価値がありますか?」

ないのならぜひ消えて欲しい。



ややこしい話&長文でごめん!

なお、文中の「障がい者」、「人間」を、「犬猫」「家畜」「ペット」「虫その他」と置き換えてもらって、
そしてもう一度読み返してもらいたいとも思います。
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魂の色 ⑧

2011-07-23 11:15:23 | らんちゃん
13日の朝、いつものように診察と点滴を終え病院を後にするとき、

何か不気味な、なんともいえない不安を感じ、

今までは口にしたくなかった話題で先生と短い会話を交わしました。

その夜、ふらふらになりながらも立ち上がり自分でおトイレに行く、らんのその姿が辛くて、

少しでも足元が安定するようにと、コルクのシートを敷き詰めました。

そして、その日は夫婦揃って、横で添い寝をすることにしました。

その夜、らんは何度も嘔吐を繰り返し、そのたびに便の方もお漏らしもしてしまいました。



14日明け方の午前5時、らんがもがいているのに気づき姿勢をずらしてやろうとみてみると、

なんと四肢が痙攣し、表情がこわばっているではないですか!

慌てて奥さんが抱え込み声をかけると、徐々に弛緩し表情も穏やかになってゆきました。

体をさすり、顔を抱え込み、額をつけるようにして声をかけました。

すると、白熱灯の光を受けらんの被毛が美しく輝きだした気がしました。


今まで気づかなかったのですが、らんの被毛は黄金色だったのですよ。

しかも、大きく輝く太陽のフレアのように、美しく大きくうねっています。

その黄金色の炎の中から、真っ黒の美しい瞳がこちらをじっと見つめています。


辛い治療と、いやな食事、そして体のしんどさにずっと耐えながらも、

頑張って、頑張って、ずっと頑張って、私たちのそばにいてくれているらん。



我慢して、我慢して、

我慢して、我慢して、

我慢して輝気続ける金色のフレア

つぶらな黒点で私たちを追うあなたは、

まさに太陽

今はもう我慢しなくていいから、

輝かなくてもいいから、

ゆっくり休んで待っていておくれ

必ずそこへ会いに行くから。




そのあとは、ときおり尻尾を大きく揺らせたり、鼻を鳴らしたりしていましたが、

痙攣は定期的にらんを遅い続け、最後は午前9時12分に起こりました。

…その少し前、らんは何やら、キャンキャンでもクゥ~ンでもなく

何やらお話しているかのような抑揚で結構長い間、声を出していました。

「らんちゃん、ありがとうね。もう いいよ。ごめんね。ありがとう。」

そう言うと、らんは安心したかのように口を閉じたのでした。



その後らんちゃんは、大好きなものに囲まれて穏やかに寝ていました。

楽しみにしていた春の花の香りをかげなかったらんのために、

私はベランダで咲いていた、いつのあの子がクンクンしていた金魚草の花を添えました。


「虹の橋 そこまで供せよ 金魚草」



(大好きなミルクと豆乳ドーナッツをお弁当に持たせました)

【虹の橋】

天国に渡るすぐ手前、
「虹の橋」、そう呼ばれる場所がある
生前可愛がられていたペット達は、
みなその「虹の橋」のたもとに集う

なだらかな丘が、草原が広がり
互いに、走り、じゃれあえる
飢える事も、渇くこともなく
陽は優しく注ぎ、
誰もがみな暖かく快適に過ごせる

老い、病んでいた者たちは活力を取り戻し
失った手足までもが再び強く蘇る
そう、
夢のような
楽しかった、あの日々のように

すべては満ち足りて、幸せに暮らせる
たった一つを除いては…

「あなたがいなくて寂しい…」

誰もが、大切な誰かを残してきてしまっているから



今も、彼らはともに走り、そして遊んでいる

しかし

ある日突然その時がやってくる
彼らの中の一匹が、突然足を止め、遠くを見つめる
その目はキラキラと輝き
体は喜びに震える
突然、群れから離れた彼は
矢となって飛ぶように草原を駆け抜ける

速く、もっと速く!

「見つけた!」「見つかった!」

最愛のあなたと彼が再び出会った
これが最後の再会、もう二度と離れることはない

あなたの顔全体に彼のキッスが
彼の体中にあなたの掌が
やがてその掌は その最愛の頭を抱きしめる

そして
あなたは その瞳を再び見つめる

ずいぶん長い間無くしていた
しかし、決して忘れることのなかった
信頼に満ちたその瞳を

そして
あなたは虹の橋を渡る
彼とともに…

************************************
(原文英語☆作者不詳・日本語意訳☆ぷ♂)
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魂の色 ⑦

2011-07-16 11:43:32 | らんちゃん
1月3日はこちらはお日様が出て、良い天気でした。

実は私と奥さんにはある思いがありました。

春が来て、暖かくなったらランをつれて公園へ行こう、そして花の匂い、草の感触を楽しませてあげよう。

そう思い、それを願っておりました。

ですがこの時点で、実のところ私はそれが夢かもしれないと思い始めておりましたので、

天気の良いのをきっかけに、思い切っていつか連れて行きたかった公園までらんを連れて行きました。



通院以外では久々の屋外で最初はやや戸惑っていた様子ですが、

やがて、吹いてくる風の匂いに鼻をヒクつかせ始めたので、

思い切って地面に立たせてみました。

実はもうこの頃は、立つことすらおぼつかなくなり、おしっこのときも支えていないと崩れ落ちるような状態になっていたのです。

にもかかわらず、しばし立ち尽くした後、ゆっくりと、ゆっくりと足を進め、

見ているこちらが、「もうやめとき。」というほど歩いたのです。




すると、この日を境に急に元気が出てきて、家でもしきりに立ち上がってはウロウロするようになってきました。

しかも、ご飯は嫌がりながらも力強く飲み下し、5日にはついに10日ぶりの待望のうんちをしました♪

ヽ(^∀^)ノ


こうしてこの年のお正月は家にずっといて犬たちと過ごしていたために、

初めて、どこにも行かずじっとしているお正月となりました。

ですが、それは退屈なものではなく、むしろ暖かく、緩やかで、そしてとても平穏な時間でした。

だから、「こういう過ごし方もあるよっ。」て、らんに教えてもらったようなもんでした。



さて、お正月も終わり、元気になってきたので、血液検査をしてみたところ。

わずか20日ほどの間に白血球が4倍にも増えているではありませんか!

そのほかにもはなはだしい数値の異常が数点。

もしかすると、体内に何かあって炎症を引き起こしているのが原因かもしれない!?

エコーでは異常は見られませんが、レントゲンではやや気になる箇所が二箇所。

そこで、先生は二つの選択をわれわれに提示されました。

ひとつは、試験切開をし悪いところがあるかどうか調べる。

もうひとつは、このまま現状どおり。

私はこう考えました。

もし、原因があるのならば、取り除けば回復の望みは大きい。

しかし、何もなければ、手術で体力を奪うだけ。

だが、万が一原因があれば、それを放置しておくと悪化するだけで、

そのときにはもう手術に耐えれる体力はおそらく残っていない。

一体どうしたらいい?どうしたら…

最悪の場合を考えろ、手術して後悔するか?

手術をせずに後悔するか?

でも、あの子には術後の痛みは絶対あるぞ。

考え抜きたいけれども、ことは急を要するのであまり悩んでいる時間もない。

どちだ?どっち?

頭の中でグルグルと考えが周るばかりで、なかなか判断できない。

だから最後は感情を理性で押し殺しこう言いました。

「手術してください。」


そして即緊急手術。

結果は…

異常なしでした。

気にしていた箇所には異常もなく、嘔吐や便で気になっていた消化器官もきれいなものであったそうです。

それを聞き私は、ほっとしたような、辛くなったような複雑な心境でした。

先生も同じような心境であったようで、

「異常がなしだったので手術料金はいただけません。」

とそうおっしゃって、お金を受け取りになってくださいませんでした。


ですが考えようです。

はっきり異常なしが確認できたんだから、後はガンガン食べてもらって回復してゆけば、

またあの元気ならんちゃんに戻れるんだ!

そういう希望が出てくるではないですか!


それを証明するかのように、手術の翌々日のこと、

休日で家にいた私が、残り物の鶏のつみれで雑煮を作っていたときのこと。

本当に久しぶりに、なんと16日ぶりに、らんがそのつみれをねだり、きれいに平らげたのです!

なんと嬉しかったことか!

本来は人間用に調味してあるので、犬に与えるのはだめなのですが、

このときばかりは再度作って与えました。

でも、急に胃に入れるのはよくなかろうと、その後もさらに欲しがるらんに、

「またあとで食べような。」

とそういいました。

(↓はその時のイメージ)
http://hisuaki.inukubou.com/inu/inuhanasi/120/120.html

そのあと、5日ぶりにうんちが出て、やれやれ一安心♪

ですが、その後体調が急変。

夜以降嘔吐を繰り返し、食べさせても3時間後にはもどします。

食欲東都はというと、自分で食器を覗きに行きますが、口にはしません。

そして、どんどんしんどそうになって来ました。


奥さんが抱っこをしているときが唯一平穏そうなので、

これから先はほとんどの時間を奥さんの腕の中、ひざの上で過ごすことになりました。

その時は、寝ながら尻尾を振っていたりしてくれていました。

【続く】


~思い出はゆりかご~ さだまさし



こうして目を閉ざせば いつでもあなたに遇える

そうしてあなたの優しさ 数え乍ら生きてゆける

思い出というものは 泣き疲れて眠る時の

私にたったひとつ許された ゆりかごなの

ゆらりゆらり揺れて 夢の行方たどる

楽しかった頃のあなたを も一度呼び戻せる


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希望 (ある牛舎の子牛)   ぷーどる♀

2011-07-10 16:05:30 | ぷ♂の日記
うちのとらまる』さんの
「助かる命」

茨城県 食肉衛生検査所の調べによると
本来、牛の寿命は20~30年くらいだそう。。

イチゴちゃんは乳用の牛だから
通常であれば、子牛を産まされて乳が出る間の
およそ3~6年くらいか。。
この際だから、イチゴちゃんも仲間達も
牛の寿命、20~30年というのを更新して欲しいと思う。
…この子達は生きているだけで
様々なデータを残せるのだから
国内外を問わず、貴重な存在であるという理由でも
生かしてもらいたいものだ。
そうして、
生きることが苦しみになってしまった場合にだけ
安楽死を。と思う。(これが「止むを得ない安楽死」だと私は思う。)

老牛がゆっくりと草を食んでいる姿を見てみたい。


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魂の色 ⑥

2011-07-09 11:35:56 | らんちゃん
さて、そんな楽しい時間を一緒に過ごしていましたが、

クリスマスを過ぎた直後から事態は一変!

急にらんちゃんが、水も食べ物も口にしなくなり、

おしっこもうんちもまったくしなったのです。

そしてこの時から、らんと私たちの病院通いが始まりました。

なるべくあの子が好きな食べ物をと、

卵ご飯、おじや、ミンチの煮物、ささみ煮のほぐし煮、

ミルク、チーズ、ドーナッツ、生肉

この際だからと、鶏のから揚げ、ソーセージなど、

普段は欲しがっても与えないものまで出してみました。

一度二度、ソーセージと、から揚げのほぐして煮たものを食べてはくれましたが、

それ以降は全く口をつけません。

(ご飯入れは覗きに来るのですが…)

連日の液滴(ブドウ糖液の点滴)のおかげで、おしっこの方は2日ぶりに出ましたが、

何せ何食べていないものだから便は出ません。

そうなると、やはり高齢なので体力がありません。

あれほど丸々と肥えてきていた身体が一気に痩せて弱ってゆきました。

日に日に弱ってゆくらんの姿を見ながら、私たちは毎日その対応に追われました。

好きなものを出しても食べないのならば、無理やりにでも食べさすしかない。

そう考えて人間用の栄養ゼリーやプリンを無理やり口から注入し強制的に食べさせました。

すると今度は嘔吐が始まりました。

弱りきった老犬の胃には人間用の食物はきついのでしょうか?

それでも少しの間でも胃に留まり、そして吸収してくれればとの思いで、

約3時間おきくらいに食べさせました。

しかし、また嘔吐…

連日この繰り返しと病院通いで、気がつけばあっという間に大晦日になっていました。

「無事年を越せるだろうか?」

このとき希望をなくしかけていた私に、連日休みを返上で診察してくださっている先生が、

「明日は元旦ですが私はいますから良かったらお越しください。」

とおっしゃって下さり、私も一途の望みを抱きました。


この時病院からの帰り道、年越しそばを買って帰りました。

そのとき…

もしかして、毎年大晦日になり、そばを作るたびに、

このことを思い出すようになるとイヤだな、とふと思ってしまいましたが。

あわててその考えを打ち消して歩きました。



テレビを見ながら、年越しの鐘を聞きます。

日付が変わった瞬間、らんちゃんを確認し、ほっとと胸をなでおろしました。

こうして、何とか無事に年を越し、みんなそろって新年を迎えることができました。

でも、元旦も病院通いは続きます。

病院までの距離は1.2キロ。

車で行くには近すぎるし、かといって自転車ではらんの体に負担がかかりすぎる。

そういうわけで、毛布に包み抱っこをしたまま

奥さんと二人テクテクと歩いてゆくのが常でした。

ゆっくり歩くと、見過ごしていた景色が目に入るもので、

途中きれいに咲き乱れるサザンカに出会えました。




このとき先生に食事のことで相談すると、

医療用の流動食(胃に直接流し込むタイプ)を分けてくださいました。

するとそれはやはり消化が良いのか、

嘔吐しなくなり心なしか元気が出てきたように見えてきました。


U2 - New Year's Day (Official Music Video)


【続く】

本当にいつも長文で申し訳ないです。
短く編集するつもりだったのですが、どうしても削れなくて…
この話後もう少し続きます。
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事件発生!?

2011-07-08 10:32:30 | ぽちぃ
な!なんだ?!



こんなところに引き剥がされた衣服が~?!

これはいったい……



「ふむふむ、何か事件のにおいがするぎょ…」


ややややや!


こちらにも~~~!


こちらは白いスポーツウエアか?!



「ふむふむ、猟奇的なにおいがしますね…」

というか…

ポチ君、あなたなにやらスッキリしていませんか?


「え・そうですか?」


ほら、もっとよく見せて…

「こ・こうですか?」


というわけで、この暑さの中あまりにモコモコと暑苦しそうだったので、
もことポチは毛をカットされました。

プードルをはじめ、ボロニーズ、マルチーズ、ヨークシャーなどといった犬種は、
ほかの犬種とは違い、基本的に毛の生え変わりがないのです。
だから抜け毛がないので、ある意味楽チンなのですが、
言い換えれば、いつまでも伸び続けるので、
こうして人の手によってカットしてやらないと大変なことになるのです。
実際、飼育放棄などで放ったらかしにされた子などは、
顔がどこかわからないどころか、どちらが前かもわからないようなひどい状態に!
まあ、そこまでひどくなくとも、顔の周り、足もと、お尻周りをきちんとしておかないと、
食べたり、歩いたり、ウンチをしたりがすごくしにくくなるんですよ。
だからよく家で、
「この子らは野生では生きていけないね~。」
と話をしております。

実は、有名なプードルカットなども、その点を考え抜かれてデザインされたスタイルで、
あの子たちの身体を守りつつ、動きやすく、かつ清潔に過ごせるようにできているんですよ。
だから結果、おしゃれに見えるだけであって、本当の目的はおしゃれではなくそういう点にあるんですよ。

とはいえ、このカット作業はわんこたちにとっては苦行以外のなにものでもなく、
カットされている最中はひたすら我慢!

で、カットされていない子は、みな一様に目をそらしたり、背を向けたり、

「見えない見えない…」
「私は今いませんから~!」

とひたすら気配を消しているのです。、

だからわんこたちには、このカット呼び出しは恐怖の瞬間なのです!


「次はあなたの周りで起こるかもしれなくてよ…」




そうそう、ポチ君のこのきれいなカットは、
いつもお世話になっているトリマーさんにしていただきました。
ポチとかりんは小さな頃からトリマーさんの講習で、
カットモデルに使っていただいていますので、毎回きれいにカットしてもらっております。
で、ほかの子たちはうちの奥さんが器用にカットしておるのですよ。
え?
私?
いえいえ、私はカットしませんよ。
というか、はさみが怖くてできません!
だから、私一人なら多分この子達は、もふもふどころか、
それこそ、毛むくじゃらの真ん丸のかたまりに!
そう、まるで北海道の「まりも」状態!
あ!
もしそうなったら…

「まりものおきて」に出演させてもらえるかな?

φ(._*)☆\(-_-)「まるものおきて!」


【ばんごはん】

野菜の煮込みには、すりおろしタマネギとトマトがたっぷり!
多めに作って余らせて、残りはカレーに変身させて今晩楽するつもりでしたが、
意外に残らなかったので困った!

さて、今晩なにするべぇ?

ちなみに、私は卵ご飯は黄身だけ乗せる派。
白身のあのズルズルがすごく苦手なので、毎回白身は▼・ェ・▼がおいしく頂いております。
でも、出先で▼・ェ・▼がいないときは、覚悟を決めて白身だけを先に飲む!
あの瞬間は、注射を打たれる瞬間くらいに緊張するなぁ~。
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魂の色 ⑤

2011-07-02 10:39:28 | らんちゃん
さてそういうわけで、2006年8月の夏に我が家の家族になったらんちゃん。

夏が過ぎ、秋が過ぎ、冬を迎えるころにはすっかり馴染んで、

私たちにとってはかけがいのない大切な可愛いわが子になっていました。

実際、とてもおりこうで、行儀もよく、なにより優しく、ほかの子たちととも上手くやっていました。

ただ、かわいそうなことに皮膚病に冒されていたので、

完治するまではほかの子たちとの直接接触を避けねばなりませんでした。


(薬浴を終え、乾燥中のらんちゃん)

それゆえでしょうか、たまにほかのわん子たちと一緒のお散歩では、

想像もつかないほどの喜びぶりとその元気さで、私たちをあっと驚かしてくれました。



このときの、すごく喜んだときの走り方は、まるで飛び跳ねるウサギのようで、

すごくかわいらしく、近所のかたがたにも大変好評で、可愛がって頂いておりました。

こちらです、見てみてください!



そうそう、とても食いしん坊で、歯が一本しか残ってないくせに、

自分の好きな食べ物はペロリとたいらげ、こちらを見上げては。



「おいしいですねぇ♪このおいしいしいものもっとないですかぁ?」

とおねだりをするのが常でした。

おかげで、ナスビのようにずんぐり丸まるとした体型になりました。


そうそう、この頃、お散歩のために表に出るとよくこういう質問をされました。

「え~っと、この子は…、何なんですか?」


え?「この子の種類は?」ではなくて、「何なんですか?」って?

見たら分かるでしょう、犬ですよ!

とそう思いながらもこう返答します。

「え?トイプードルですが?」

「あははは、子ヤギかと思いました♪」

「あははは、まっさか~♪」


(=^^=)ゞ


でも確かに、この子は子ヤギに似ていた。

だから、いっそこう返答すればよかったかな?



「世にも珍しい手乗り子ヤギです!」ヽ(^∀^)ノ



さんぽ(となりのトトロ)/竹仲絵里





さて、そんな楽しい時間を一緒に過ごしていた私たちですが、

クリスマスを過ぎた頃から状況は一変しだしました…
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