もふもふランド♪

たくさんのわんこと もふもふしてます。
    by ぷーどる♂ & ぷーどる♀

魂の色 ⑩

2011-08-04 12:35:47 | らんちゃん
実は、らんが逝く少し前。

私は、あのこの顔を抱え込み見つめながら、今更のようにこう思いました。

「ああ、このこの髪は金色でまるで太陽のフレアのようだ!」

おかしなことに、半年近くそばにいてそのときまで気づいていなかったんですよね。

そのあとはしばらく、そっとその髪をなで、指先でそわせるように伝い、

そして、らんに、「きれいなぁ、らんちゃんきれいなぁ~」と声をかけていました。

らんは目を閉じずに、じっとこちらを見据え、大きくゆっくり呼吸していました。



やがて、らんの最後の瞬間。

大きく左右に顔を振ってゆっくり落ちた瞬間の事。

先ほどのイメージからでしょうか、

私には、らんのどこかから金色の細やかな粒子が一気にですが、ゆっくりと出て、

それが霧のように広がって、

そして、ぱっと輝いて!

そして、すぅっと消えて…


そういうものを見た気がしました。

だから、その後奥さんが「らんがいなくなった!」と泣いた時。

実は割と本気で、

「いや、ここいらへん(私の胸の高さあたり)にまだおるで。」

と言ったのです。



普段は、魂も、転生も、否定し認めていない私ですが、

その時は本当に、金色の細かな粒子を周囲に感じていたのです。



後に奥さんにその話をすると、

「そういう風に見える人がおるんやで。」

とのこと。

「へ~、でも信じぃひんな、そういう言葉は。」

と私が言うがはやいか、

「ほんまにこの頑固者は!らんちゃんが頑張って見せてくれたのに!」

(=^^=)ゞ



詳しく聞くと、魂にはそれぞれの色があり、金色は最も上位の色なんだそうで、

で、へそ曲がりな私がつい、

「でも嫌やな、色に上下をつけたりするのは好かん!どうせ、黒とか悪者扱いやろ?」

とか何とかいうと、

「ほんまにこの男は~!せっかくランちゃんが…(以下略)」

(=^^=)ゞ


でもまあ、もしあれが魂の色だったとしたら、

らんは確かに金色だったし、それが上位の色というのも、あの子ならば納得だ♪


で、私は奥さんにこう言いました。

「おれの魂の色は赤がいい!赤が一番好きやもん!」

すると奥さんが…

「うん、きっとそうやわ。」

「え!?そうなん?!やった~! でもなんで?」

「赤い魂は、一番攻撃的らしいから…」

「…」


【おしまい】




本当に長い間、だらだらとしたお話に付き合ってくださってありがとうございました。

最後までお付き合いくださった皆様の魂の色は、

きっとピカピカときれいな色に違いないと思いますよ。

(*^人^*)


天までとどけ ~さだまさし~




出逢いはいつでも 偶然の風の中
きらめく君 僕の前に
ゆるやかに立ち止まる
懐しい風景に 再びめぐり逢えた
そんな気がする 君の胸に
はるかな故郷の風
舞いあがれ 風船の憧れの様に
二人の明日 天までとどけ
ようこそ ようこそ
ようこそ僕の街へ ようこそこの愛へ


ふれあいのかけらが 人生を変えてゆく
ことばでなく ものでもない
ひとつの出会いから
君さえ許せば 僕の愛する街が
胸ときめかせ 君のふるさとに
なりたがっている
舞いあがれ 風船の憧れの様に
二人の明日 天までとどけ
舞いあがれ 風船の憧れの様に
二人の愛 天までとどけ

ようこそ ありがとう
ようこそ僕の街へ ようこそこの愛へ
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魂の色 ⑨

2011-07-30 11:41:46 | らんちゃん
そういうわけで、ランちゃんは旅立ちました。

その後、私と奥さんはランちゃんの思い出話などをあれこれ話し合いました。

楽しい思い出、幸せな時間。

いかにあの子がおりこうで、賢くて、優しくて、美しくて、

そして得がたい時間を私たちに与えてくれていたか。

いかにたくさんの素敵なものを、あのこがくれたか。

すると当然話の流れは、「あの時もっとこうしていれば…」とか

反対に、「あの時こうしてしまったから…」とか

そのようなものになってゆき。

お互い口数が減り、ふさぎこみ、また泣いてしまい…

ですが、考えを凝らすほどにある思いがよぎりました。


「今のこの悩みや悔いは、今の私の気持であって、らんの気持ではないぞ?!」

そう、問題はあのこが我々との暮らしをどう感じていたか。

どう考えても、あのまま収容所でボロ雑巾のような状態で処分されているよりは、

我が家に来て、こうして今まで暮らせてきたことは、断然幸せであったはず!

なのに、悔やむ言葉を吐けば、困るのはあのこ自身!

「私は幸せだと思ったのに、お母さんたちは違うの?わたしの頑張りが足らなかったの?」

そう思うかもしれない。

それはちがう!

そう、あのこは幸せだったはず!

たとえ、最期は嫌な病院通いをしていたとしても、

大好きなお母さんの腕に抱かれて最期までいれたもの!

ん?

まてよ、あのこにしてみれば、「抱っこしてもらえた」だが、こちらにすれば「抱っこできた」だな…

皮膚病の事もあり、普段はなかなか抱っこできなかったから、

でも、今回はそんなことも無視して、思いっきり抱っこすることが出来た…

これは私たちにとっては大きなご褒美だったのではないか!

そういえば、お正月もそうだった。

看病しなければいけないので、どこにも行かず家で過ごしたわけですが。

それがすごく静かで、暖かで、緩やかで、思いもしないほど充実した休日になっていました。

結果としてですが、あの子のおかげで、そのようなことを知ることが出来たのです。

気ぜわしい私に、気づかせようと気を使ってくれたのかな?


まてよ、そういえば、あのこが逝った日は日曜日。

唯一学校が休みで、朝の時間に余裕のある日。

しかも、私たちの店の開店時間に間に合うような時間丁度まで頑張って、

一番長く時間を共にできるようにしていてくれた。

そして、ああ!今日の最期の別れは定休日の火曜日。

日月と、充分お別れの言葉をかけることが出来たではないか!

まてよまてよ!そう考え出すと、

年末年始の店のお休みの時期に体調を崩したからこそ、一緒にいてれる時間が充分取れたではないか!?

普段の営業日ならこうはいかない、絶対にあとで我々は大きく後悔しているはず!

ああああ!

なんと、思いかえすと、すべてが一番スムーズに行くように流れているような気がしてきました!

そして、今奥さんが気づきました。

「あのこが収容されていた時の処分予定日は7月14日やなかったっけ?」

「え?それがどうし…」

ああ!ランが逝ったのは1月の14日だ!

偶然といえば偶然それまでなんですが…

そして奥さんがこう言いました。

「ランは今与えられた役目を終えて、みんなのところに行くの。」

そうか、そうか…

ランは我々に多くの事柄を伝え、たくさんのものを与えるために半年の命をつないできてくれたのか。

それは楽しかった時間でもあり、幸せだったときでもあり、

そしてまた、逝った後、我々があれこれ悩んだ事柄も、

今後必ず再びあるであろう葛藤に対するアドバイスであり宿題であったのだろう。

そういうすべてを全部ひっくるめて、ランは私たちに贈り物として与えてくれたのだろう。




今実は、私はこの文章を書きながら、鼻水をたらしながら泣いております。

犬を飼うことは、その死に目に会うことでもあり、その辛さは、尋常ではありません。

ですので、その辛いのがいやだから犬を飼わないという方もたくさんおられます。

無論、それを否定はしませんが。

その辛さよりも、もっともっと大きな、そして素敵な贈り物を、

そういう贈り物をあの子たちがくれるのだということを、

辛さの裏側には、必ずその辛さよりも大きな喜びがあったということを、

どうか皆さんにも分かっていただきたい。


私たちは、本当に、本当に素敵な贈り物をもらいました。

私たちの一生の自慢であり、他の誰にもあげません。

ずっと、ずっと、ずっと大切にどこまでも持ってゆきます。


【追記】

以上の話は、ランに限った話ではなく。

いままでの子すべての場合もそう感じました。

そしてこれは、我が家が特殊なのではなく、

犬と、いや、猫、ハムスター、フェレット、

その他のすべての動物と幸せに暮らしておられたどこの御家庭でも起こっていることだとも。

子犬だから老犬だから、一緒にいた期間が長かったから短かったから、

そういうものは関係なしに、

こちらが愛情を注げば、あの子達は応えてくれます。

ですので、そういう気持ちさえお持ちならば、

あなたも、あなたも、どなたでも、

あなたの大切な子から、大きな大きな贈り物をもらえることは間違いないと断言できます。


AEROSMITH  「You see me crying」

私が泣いていても
そこでそっと見ていて欲しい
私の愛は終わりなくいつまでもメリーゴランドのように続くから
あなたから決して離れない



【続く】

すみません後一回だけ続きます。

【おまけ】
ついでのしょうもない話。
http://hisuaki.blog31.fc2.com/blog-entry-1866.html
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魂の色 ⑧

2011-07-23 11:15:23 | らんちゃん
13日の朝、いつものように診察と点滴を終え病院を後にするとき、

何か不気味な、なんともいえない不安を感じ、

今までは口にしたくなかった話題で先生と短い会話を交わしました。

その夜、ふらふらになりながらも立ち上がり自分でおトイレに行く、らんのその姿が辛くて、

少しでも足元が安定するようにと、コルクのシートを敷き詰めました。

そして、その日は夫婦揃って、横で添い寝をすることにしました。

その夜、らんは何度も嘔吐を繰り返し、そのたびに便の方もお漏らしもしてしまいました。



14日明け方の午前5時、らんがもがいているのに気づき姿勢をずらしてやろうとみてみると、

なんと四肢が痙攣し、表情がこわばっているではないですか!

慌てて奥さんが抱え込み声をかけると、徐々に弛緩し表情も穏やかになってゆきました。

体をさすり、顔を抱え込み、額をつけるようにして声をかけました。

すると、白熱灯の光を受けらんの被毛が美しく輝きだした気がしました。


今まで気づかなかったのですが、らんの被毛は黄金色だったのですよ。

しかも、大きく輝く太陽のフレアのように、美しく大きくうねっています。

その黄金色の炎の中から、真っ黒の美しい瞳がこちらをじっと見つめています。


辛い治療と、いやな食事、そして体のしんどさにずっと耐えながらも、

頑張って、頑張って、ずっと頑張って、私たちのそばにいてくれているらん。



我慢して、我慢して、

我慢して、我慢して、

我慢して輝気続ける金色のフレア

つぶらな黒点で私たちを追うあなたは、

まさに太陽

今はもう我慢しなくていいから、

輝かなくてもいいから、

ゆっくり休んで待っていておくれ

必ずそこへ会いに行くから。




そのあとは、ときおり尻尾を大きく揺らせたり、鼻を鳴らしたりしていましたが、

痙攣は定期的にらんを遅い続け、最後は午前9時12分に起こりました。

…その少し前、らんは何やら、キャンキャンでもクゥ~ンでもなく

何やらお話しているかのような抑揚で結構長い間、声を出していました。

「らんちゃん、ありがとうね。もう いいよ。ごめんね。ありがとう。」

そう言うと、らんは安心したかのように口を閉じたのでした。



その後らんちゃんは、大好きなものに囲まれて穏やかに寝ていました。

楽しみにしていた春の花の香りをかげなかったらんのために、

私はベランダで咲いていた、いつのあの子がクンクンしていた金魚草の花を添えました。


「虹の橋 そこまで供せよ 金魚草」



(大好きなミルクと豆乳ドーナッツをお弁当に持たせました)

【虹の橋】

天国に渡るすぐ手前、
「虹の橋」、そう呼ばれる場所がある
生前可愛がられていたペット達は、
みなその「虹の橋」のたもとに集う

なだらかな丘が、草原が広がり
互いに、走り、じゃれあえる
飢える事も、渇くこともなく
陽は優しく注ぎ、
誰もがみな暖かく快適に過ごせる

老い、病んでいた者たちは活力を取り戻し
失った手足までもが再び強く蘇る
そう、
夢のような
楽しかった、あの日々のように

すべては満ち足りて、幸せに暮らせる
たった一つを除いては…

「あなたがいなくて寂しい…」

誰もが、大切な誰かを残してきてしまっているから



今も、彼らはともに走り、そして遊んでいる

しかし

ある日突然その時がやってくる
彼らの中の一匹が、突然足を止め、遠くを見つめる
その目はキラキラと輝き
体は喜びに震える
突然、群れから離れた彼は
矢となって飛ぶように草原を駆け抜ける

速く、もっと速く!

「見つけた!」「見つかった!」

最愛のあなたと彼が再び出会った
これが最後の再会、もう二度と離れることはない

あなたの顔全体に彼のキッスが
彼の体中にあなたの掌が
やがてその掌は その最愛の頭を抱きしめる

そして
あなたは その瞳を再び見つめる

ずいぶん長い間無くしていた
しかし、決して忘れることのなかった
信頼に満ちたその瞳を

そして
あなたは虹の橋を渡る
彼とともに…

************************************
(原文英語☆作者不詳・日本語意訳☆ぷ♂)
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魂の色 ⑦

2011-07-16 11:43:32 | らんちゃん
1月3日はこちらはお日様が出て、良い天気でした。

実は私と奥さんにはある思いがありました。

春が来て、暖かくなったらランをつれて公園へ行こう、そして花の匂い、草の感触を楽しませてあげよう。

そう思い、それを願っておりました。

ですがこの時点で、実のところ私はそれが夢かもしれないと思い始めておりましたので、

天気の良いのをきっかけに、思い切っていつか連れて行きたかった公園までらんを連れて行きました。



通院以外では久々の屋外で最初はやや戸惑っていた様子ですが、

やがて、吹いてくる風の匂いに鼻をヒクつかせ始めたので、

思い切って地面に立たせてみました。

実はもうこの頃は、立つことすらおぼつかなくなり、おしっこのときも支えていないと崩れ落ちるような状態になっていたのです。

にもかかわらず、しばし立ち尽くした後、ゆっくりと、ゆっくりと足を進め、

見ているこちらが、「もうやめとき。」というほど歩いたのです。




すると、この日を境に急に元気が出てきて、家でもしきりに立ち上がってはウロウロするようになってきました。

しかも、ご飯は嫌がりながらも力強く飲み下し、5日にはついに10日ぶりの待望のうんちをしました♪

ヽ(^∀^)ノ


こうしてこの年のお正月は家にずっといて犬たちと過ごしていたために、

初めて、どこにも行かずじっとしているお正月となりました。

ですが、それは退屈なものではなく、むしろ暖かく、緩やかで、そしてとても平穏な時間でした。

だから、「こういう過ごし方もあるよっ。」て、らんに教えてもらったようなもんでした。



さて、お正月も終わり、元気になってきたので、血液検査をしてみたところ。

わずか20日ほどの間に白血球が4倍にも増えているではありませんか!

そのほかにもはなはだしい数値の異常が数点。

もしかすると、体内に何かあって炎症を引き起こしているのが原因かもしれない!?

エコーでは異常は見られませんが、レントゲンではやや気になる箇所が二箇所。

そこで、先生は二つの選択をわれわれに提示されました。

ひとつは、試験切開をし悪いところがあるかどうか調べる。

もうひとつは、このまま現状どおり。

私はこう考えました。

もし、原因があるのならば、取り除けば回復の望みは大きい。

しかし、何もなければ、手術で体力を奪うだけ。

だが、万が一原因があれば、それを放置しておくと悪化するだけで、

そのときにはもう手術に耐えれる体力はおそらく残っていない。

一体どうしたらいい?どうしたら…

最悪の場合を考えろ、手術して後悔するか?

手術をせずに後悔するか?

でも、あの子には術後の痛みは絶対あるぞ。

考え抜きたいけれども、ことは急を要するのであまり悩んでいる時間もない。

どちだ?どっち?

頭の中でグルグルと考えが周るばかりで、なかなか判断できない。

だから最後は感情を理性で押し殺しこう言いました。

「手術してください。」


そして即緊急手術。

結果は…

異常なしでした。

気にしていた箇所には異常もなく、嘔吐や便で気になっていた消化器官もきれいなものであったそうです。

それを聞き私は、ほっとしたような、辛くなったような複雑な心境でした。

先生も同じような心境であったようで、

「異常がなしだったので手術料金はいただけません。」

とそうおっしゃって、お金を受け取りになってくださいませんでした。


ですが考えようです。

はっきり異常なしが確認できたんだから、後はガンガン食べてもらって回復してゆけば、

またあの元気ならんちゃんに戻れるんだ!

そういう希望が出てくるではないですか!


それを証明するかのように、手術の翌々日のこと、

休日で家にいた私が、残り物の鶏のつみれで雑煮を作っていたときのこと。

本当に久しぶりに、なんと16日ぶりに、らんがそのつみれをねだり、きれいに平らげたのです!

なんと嬉しかったことか!

本来は人間用に調味してあるので、犬に与えるのはだめなのですが、

このときばかりは再度作って与えました。

でも、急に胃に入れるのはよくなかろうと、その後もさらに欲しがるらんに、

「またあとで食べような。」

とそういいました。

(↓はその時のイメージ)
http://hisuaki.inukubou.com/inu/inuhanasi/120/120.html

そのあと、5日ぶりにうんちが出て、やれやれ一安心♪

ですが、その後体調が急変。

夜以降嘔吐を繰り返し、食べさせても3時間後にはもどします。

食欲東都はというと、自分で食器を覗きに行きますが、口にはしません。

そして、どんどんしんどそうになって来ました。


奥さんが抱っこをしているときが唯一平穏そうなので、

これから先はほとんどの時間を奥さんの腕の中、ひざの上で過ごすことになりました。

その時は、寝ながら尻尾を振っていたりしてくれていました。

【続く】


~思い出はゆりかご~ さだまさし



こうして目を閉ざせば いつでもあなたに遇える

そうしてあなたの優しさ 数え乍ら生きてゆける

思い出というものは 泣き疲れて眠る時の

私にたったひとつ許された ゆりかごなの

ゆらりゆらり揺れて 夢の行方たどる

楽しかった頃のあなたを も一度呼び戻せる


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魂の色 ⑥

2011-07-09 11:35:56 | らんちゃん
さて、そんな楽しい時間を一緒に過ごしていましたが、

クリスマスを過ぎた直後から事態は一変!

急にらんちゃんが、水も食べ物も口にしなくなり、

おしっこもうんちもまったくしなったのです。

そしてこの時から、らんと私たちの病院通いが始まりました。

なるべくあの子が好きな食べ物をと、

卵ご飯、おじや、ミンチの煮物、ささみ煮のほぐし煮、

ミルク、チーズ、ドーナッツ、生肉

この際だからと、鶏のから揚げ、ソーセージなど、

普段は欲しがっても与えないものまで出してみました。

一度二度、ソーセージと、から揚げのほぐして煮たものを食べてはくれましたが、

それ以降は全く口をつけません。

(ご飯入れは覗きに来るのですが…)

連日の液滴(ブドウ糖液の点滴)のおかげで、おしっこの方は2日ぶりに出ましたが、

何せ何食べていないものだから便は出ません。

そうなると、やはり高齢なので体力がありません。

あれほど丸々と肥えてきていた身体が一気に痩せて弱ってゆきました。

日に日に弱ってゆくらんの姿を見ながら、私たちは毎日その対応に追われました。

好きなものを出しても食べないのならば、無理やりにでも食べさすしかない。

そう考えて人間用の栄養ゼリーやプリンを無理やり口から注入し強制的に食べさせました。

すると今度は嘔吐が始まりました。

弱りきった老犬の胃には人間用の食物はきついのでしょうか?

それでも少しの間でも胃に留まり、そして吸収してくれればとの思いで、

約3時間おきくらいに食べさせました。

しかし、また嘔吐…

連日この繰り返しと病院通いで、気がつけばあっという間に大晦日になっていました。

「無事年を越せるだろうか?」

このとき希望をなくしかけていた私に、連日休みを返上で診察してくださっている先生が、

「明日は元旦ですが私はいますから良かったらお越しください。」

とおっしゃって下さり、私も一途の望みを抱きました。


この時病院からの帰り道、年越しそばを買って帰りました。

そのとき…

もしかして、毎年大晦日になり、そばを作るたびに、

このことを思い出すようになるとイヤだな、とふと思ってしまいましたが。

あわててその考えを打ち消して歩きました。



テレビを見ながら、年越しの鐘を聞きます。

日付が変わった瞬間、らんちゃんを確認し、ほっとと胸をなでおろしました。

こうして、何とか無事に年を越し、みんなそろって新年を迎えることができました。

でも、元旦も病院通いは続きます。

病院までの距離は1.2キロ。

車で行くには近すぎるし、かといって自転車ではらんの体に負担がかかりすぎる。

そういうわけで、毛布に包み抱っこをしたまま

奥さんと二人テクテクと歩いてゆくのが常でした。

ゆっくり歩くと、見過ごしていた景色が目に入るもので、

途中きれいに咲き乱れるサザンカに出会えました。




このとき先生に食事のことで相談すると、

医療用の流動食(胃に直接流し込むタイプ)を分けてくださいました。

するとそれはやはり消化が良いのか、

嘔吐しなくなり心なしか元気が出てきたように見えてきました。


U2 - New Year's Day (Official Music Video)


【続く】

本当にいつも長文で申し訳ないです。
短く編集するつもりだったのですが、どうしても削れなくて…
この話後もう少し続きます。
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魂の色 ⑤

2011-07-02 10:39:28 | らんちゃん
さてそういうわけで、2006年8月の夏に我が家の家族になったらんちゃん。

夏が過ぎ、秋が過ぎ、冬を迎えるころにはすっかり馴染んで、

私たちにとってはかけがいのない大切な可愛いわが子になっていました。

実際、とてもおりこうで、行儀もよく、なにより優しく、ほかの子たちととも上手くやっていました。

ただ、かわいそうなことに皮膚病に冒されていたので、

完治するまではほかの子たちとの直接接触を避けねばなりませんでした。


(薬浴を終え、乾燥中のらんちゃん)

それゆえでしょうか、たまにほかのわん子たちと一緒のお散歩では、

想像もつかないほどの喜びぶりとその元気さで、私たちをあっと驚かしてくれました。



このときの、すごく喜んだときの走り方は、まるで飛び跳ねるウサギのようで、

すごくかわいらしく、近所のかたがたにも大変好評で、可愛がって頂いておりました。

こちらです、見てみてください!



そうそう、とても食いしん坊で、歯が一本しか残ってないくせに、

自分の好きな食べ物はペロリとたいらげ、こちらを見上げては。



「おいしいですねぇ♪このおいしいしいものもっとないですかぁ?」

とおねだりをするのが常でした。

おかげで、ナスビのようにずんぐり丸まるとした体型になりました。


そうそう、この頃、お散歩のために表に出るとよくこういう質問をされました。

「え~っと、この子は…、何なんですか?」


え?「この子の種類は?」ではなくて、「何なんですか?」って?

見たら分かるでしょう、犬ですよ!

とそう思いながらもこう返答します。

「え?トイプードルですが?」

「あははは、子ヤギかと思いました♪」

「あははは、まっさか~♪」


(=^^=)ゞ


でも確かに、この子は子ヤギに似ていた。

だから、いっそこう返答すればよかったかな?



「世にも珍しい手乗り子ヤギです!」ヽ(^∀^)ノ



さんぽ(となりのトトロ)/竹仲絵里





さて、そんな楽しい時間を一緒に過ごしていた私たちですが、

クリスマスを過ぎた頃から状況は一変しだしました…
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魂の色 ④

2011-06-24 16:07:57 | らんちゃん
さて、そんなこんなで夏の終わり頃らんちゃんは無事我が家にやって来ました。

想像していたよりも元気で、人なつっこくてとても可愛らしいです。

最初は緊張し、うろうろとあちこちを探検しておりましたが、

やがては気持ちの良い場所を見つけ出し、ちゃっかりリラックス。

心配していた先住犬たちとも、すぐに馴染んでくれました。

その後、登録と予防注射のためにかかりつけの獣医さんに行ったのですが、

体の随所に今までこの子の暮らしていた条件の悪い飼育環境のあとが見て取れました。

それもそのはず、保健所から出したばかりの頃の状態はこのような感じだったのです。



身体はボロボロで、目はすべてをあきらめたかのようで、光も生気もない。

このときは自力で立つのがやっとのことで、

「引き受けられても長生きしないかもしれませんよ。」とお伺いいたしておりました。


でも環境が変れば、変わるもので…

この写真なんかは、まるで笑っているように見えませんか?



お散歩も大好きで、後ろ足が悪いにもかかわらず、

みんなと表に出るとこのはしゃぎよう!




さて、話は少し変わって…

実はこの頃、「広島ドッグパーク」破綻に伴う犬の虐待が大きな社会問題になっておりました。

丁度ランちゃんを引き受けたばかりだったので、

とても人事とは思えず、私たちはそこから保護された子たちに会いに行きました。

そこには想像を絶するひどい姿の子達がいました。



全身の毛が抜け落ちた子、やせ細りまるで骨格標本のような子、

栄養失調で眼球が萎縮し失明している子。などなど…


そして、多くの場合、このように患った子達は、

「汚い」、「見苦しい」といわれて、遠ざけられてしまうのです。

この子たちには何の罪もなく、こんなに可愛いのに。


無論この子達も最初からこうだったはずもなく、

ドッグパークが開業されたころは、愛らしくふさふさで、モフモフだったことでしょう。


一体この子達に何があったのか!?



それはすべて人間の仕業。

文字通り生かすも殺すも。

いや…

殺されるなら、ある意味まだまし。

この子達はもっとひどい生き地獄のなかで苦しませ続けられていたのです。


それらはすべて人間次第。

悲しいけれど、本当に人間しだい。


しかし、そんな状態にも関わらず、私たちが会った子達は、

人間を見ると、尻尾をフリフリ喜んでくれるのです。

だから、反対にこうも言えるのですよ。


このような子達に笑顔を取り戻してやることができるかどうかも、

それもすべて人間次第。


今日の一曲

Lynyrd Skynyrdで「Free Bird」

http://ameblo.jp/uchino-toramaru/
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魂の色 その3

2011-06-18 10:57:21 | らんちゃん
前回、前々回と老犬を引き取るお話を続けてきましたが、

実はそのやり取りの中で、先方との間でこういう風なやり取りがあったのです。


「もっと若くて元気な仔犬がいますが、本当にそのこでよろしいのですか?」


先方の問いかけももっともな話です。

どこの家庭だって、愛犬を選ぶ際は元気で若い愛犬を求めますし、

その方が長い間一緒に楽しく暮らせるはずです。

だから、見方によっては、老犬をわざわざ引き取るということは、

情が移った頃に別れねばならない現実を考えると、悲しむためだけに引き取っているように映るかもしれません。


しかし、そうではないとはっきり言えます。

愛犬とともに暮らす喜び。

それは無論、仔犬の時から一緒に暮らし、数年の時を経て思い出を積み重ねる幸せ。

ですが、これは考え方によっては飼い主からの一方的な受け取るだけの幸せのような気もします。

当然それを否定するつもりはありませんが、

もう一つの方向の幸せもあるのだと私は言いたいのです。


今まで不遇で歳をとってきた子、そのこの残り少ない時間を幸せに過ごさせてやることができれば、

そのこにとって、辛かった年月を補ってやれるほどの満足を与えてやれたら…

きっと、それは時間的には短くとも、そのこにはとても大きな時間になると思います。

そして、そういう時間を与えることができるということが、こちらにもすごく大きな幸せになりうるのです。

そう、与える幸せとでも言いましょうか…


私自身は、子供の頃は自分のための楽しみが、「楽しみ」でした。

しかし、成長するにつれ、祖父母の喜ぶ顔が「楽しみ」になったり、

奥さんや、子供の「楽しみ」が自分の楽しみになったりと変わってきました。


同じように、犬の飼いかたの幸せも少しずつ、変化というか、

いや、守備範囲の広がりのようなものが出てきたのでしょうね。




だからこそ、最初のやり取りのときにはこう答えておりました。


「はい、年老いているからこそ、その子でいいんです。」



無論、お別れの時は悲しみに襲われるでしょうが、

でもきっと、それよりも大きな何かを得ていると思います。





愛くるしい子犬は当然可愛らしいですが、

老犬も食べてしまいたいほどに愛くるしく、

また、共に過ごす時間は、ゆったりと、とても穏やかに流れるのです。

そう、早いバイクで走り回るのも楽しいけれど、

ゆったりとした電車の旅も、また同じく楽しいように。


デュークエリントン "Take the A Train" (A列車で行こう)




【追記】

実は、この件でお世話になった愛護団体の方が、
ただ今福島県で役場の方々と合同でペットの保護活動をされておられます。
この震災では、多額の義援金が集まっておりますが、
基本的にそれらはすべて被災地に住む住民の方々に向けたものであります。
ただ今のところ、その義援金も満足に行き渡らない状況の中、
ましてや、ペット・家畜の保護に努める方々はさらに厳しい状況のようです。
そして先日不足物資の情報を得ましたので、
微力ながら前回のフードに続き、今回はバスタオルを送らせていただきました。


もしこれをお読みの皆さんも、何かお手伝いしたいと思ってくだされば、
少しでも結構ですので、お力をお貸しください。
(送り先や、その他の情報はメールを下さればお知らせさせていただきます。)



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魂の色 その2

2011-06-16 11:57:37 | らんちゃん
前回のようなわけで、処分予定の子を引き取りたいと申し出た私たちでありましたが、

実は収容されているところは他府県で、大阪に住むわれわれは譲渡の対象にはなれないそうなのです。

そういうわけで、どなたかの助けを探していた時に、

その自治体の協力団体として紹介されていたボランティア団体のサイトを見つけました。

私たちは早速事情を説明し、お力添えいただけないか相談させていただきました。

すると先方様も快諾してくださり、何とか例の子を保護できる段取りができました。

と、ここでとりあえずは一安心であったのですが…

その後こういう子をも見てしまったのです。


同じく全身ボロボロの、オスの老犬


あきれないでください。

実はこの子も引き取りたいと思ってしまっていたのです。

大型ならば無理ですが、年老いた小型犬ならばと…

しかし、そこには厳しい現実が控えていました。

実は、こういう施設からの譲受の際には、クリアしなければならないテストがあるのです。

それは「噛み癖」と「病気」。

その癖のある犬や、病気の犬は、決して譲渡されることはなく処分されてしまうのです。

たとえ高齢で、歯も抜け落ちていても。

病気だからこそ、救いの手が必要だとしても。

そのような犬は譲渡対象外、つまり殺処分となってしまうのです。

いくらこちらはそれでも良いと申し出ても、収容している施設(役所)としては譲渡できないのです。


色々考えました。

どうしてこんなに高齢の犬なのに噛み癖があるのか?

それはつまり、人間不信。

ということは、そのこが受けてきた心の、そして体の傷。

つまり、その原因は人間の対応!

なんという不合理!

理不尽な行いで痛みつけられ不信感を抱いているにもかかわらず、ラストチャンスも与えられない…

また、病気であればこそ、誰かの救いの手が必要なはずなのに…


実は子のこの場合は、難治病(病名はあきらかにされず)であったため、譲渡対象外となってしまいました。


無論、役所側の言い分も理解できます。

譲渡した犬が万が一事故でも起こせば、その施設の責任問題にもなりかねません。

(というか、今はそういうことを平気で言い出す嫌な時代ですから。)



誤解のないように書かせていただきますが。

こちらの施設の方も、自治体も、間に入ってくださった団体の方も、すべて動物の命を大切に考えてくださっている方々でした。

でなければ、このような情報をネット上で公開し里親探しをしたり、

他府県の顔も正体も分からないわれわれのために奔走してくださるはずがありません。

それでも、どうしようもない決まりごとは存在するのです。



そういうわけで、この子は7月18日に処分されました。

私は密かに「レオ」という名前(ポチに当初つけようとしていた名前)を考えていたのですが…



この話はほんのほんのほんの小さな一つの命のお話でした。

でも、確実に消えていった一つの命のお話でもありました。

この子の命一つで何が変わるわけでもないですが、

こういう現実もあるということを知っておいて欲しくてここに書かせていただきました。



今回の発端は、ある自治体のホームページでした。

でも、現在私が住む大阪市では、自治体でのネット上でのこのような活動は行われておりません。

どこの自治体でもこういう活動をして欲しいと切に思わずにはおれませんでした。



次回はランちゃんの話に戻ります。



悲しくてやりきれない フォーククルセイダーズ
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魂の色 その1

2011-06-10 23:04:10 | らんちゃん
先日テレビの取材を受け、その時に昔飼っていた愛犬ランちゃんの話になりました。
そして写真を取り出し、色々話をしていると、なんだか色々思い出してしまって、
奥さんはもちろん、私も涙ぐんでしまいそうになっていました。

らんちゃんはもともと保健所で処分される予定の子でした。

ある日、私が何気なく見つけてしまった、かなり遠隔地にある保健所の処分予定表。
ちょうど、その表の日付が私の誕生日だったので、つい気にかかり奥さんに話をしたところ、
丁度そのデータが公表されておりまして、その中の一匹。
白内障に冒された一匹のおばあちゃん犬。
その子がやけに気になってしまったのです。

見た目もボロボロで、とてもまともな環境で飼われていたとは思えません。
個人の飼い犬?
でも、実は同じタイミングで、同じ犬種の犬が複数匹収容されていたのです。
ということは…
おそらくは、どこかのブリーダーの手によって仔犬を製造させられ続け、
不要ということで捨てられた子でしょう。




小さな画像一枚ですが、明らかにどこか患っていそうだし、
おまけに高齢だし、この状態では貰い手など期待できそうもない。

このままこうしてここで処分されるとしたら…

一体この子の命は何だったんだろう?
この子は何のために生まれて、そして生きてきたのだろう?

そう思うととてもやるせなく、怒りがこみ上げてきました。

犬は犬、人間は人間。
無論同等に考えることは間違っていますが、
あまりも理不尽で、情けない話だとは思いませんか?

そして同時に、申し訳ない気持ちで一杯になりました。
無論、言われるまでもなく、
この子一匹を助けたところで大勢に影響はなく、
すべての犬たちを救うことはできないのも理解していますし、
悪質なブリーダーたちが考えを改めるはずも無いことも分かっております。

でも、どうしてもいてもたってもおられずに、
うちら夫婦は話をしあい、
そして、私の奥さんは電話をかけました。

「その子を引き取りたいのですが…」



(続く)



「天国への階段」

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寒くなると思い出す

2007-11-23 15:28:58 | らんちゃん
ここのところ急に寒さが増してきて、
夜の散歩も風から逃げるように小走りで歩くようになってきました。
そんな時ふと思い出すことがあります。

「ああ、ランちゃんともこうして歩いたなあ。」

去年の年末の寒い時期に、ランと一緒に背中を丸めてよくそうやって近所の暗がりを歩いたのですよ。

昨日の夜散歩しながらそう思ったので奥さんにそういう話をすると、
「たまにランが家の入り口までついてきている気がする。」と言うので、
「ほな、ランもやっぱりおるんやね。」と言うと。
「でも中に入ってきてくれへん。」と言いました。

ランちゃんは昨年夏にうちに来て、今年の冬に旅立ちました。
(詳しくはこちらからこちらを)
一緒に暮らしたのはたったの4ヶ月間でしたが、とても長く濃く充実した幸せな4ヶ月間でした。
(こういう付き合いには、実際の時間の流れなんて関係ないんですよね。)

今もうちの家はわんこまみれで、合計7頭の子が暮らしています。
アチコチ走り回ったり好きに寝ころがったり、と思い思いの場所にいます。
ランちゃんは遠慮しぃの子だったので、
もしかしたら、その子たちに気を使って入ってこなかったのかもしれません。

でもね、遠慮なんてしなくていいから。
いつでも戻ってきてくれればいい。
こちらはランちゃんのことは決して忘れていないし、
実は毎日どこかしらで思い出しているんだから。

そうそう、コロも、ミミも、ルーシーも、ポニーも、ジャックも、パンダも、メリーも、シロも、それからハムチュウ、しろちゃん、はむむん、みんなみんな。
一度そうして一緒に暮らしたこのことは決して忘れることはないから、
要所要所で思い出してるから。
だからいつでも帰ってくるといい。

冬の寒い夜は、どうもそういう思いが頭をよぎる。

以前友人が、
「亡くなった子を思い出すときは、その子が呼んでいるとき。」
と教えてくれましたが、
だとすると、私はずいぶんみんなに呼ばれていることになる。

これはこれで、私は幸せな飼い主であることだなあと…

たぶん今晩もみんなのことを思い出す…
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らんちゃん動画~♪

2007-01-19 13:38:12 | らんちゃん
http://hisuaki.hp.infoseek.co.jp/inuhanasi/inu120.html
本日の本家の更新(↑)でランちゃん話のまとめをアップしました。

そこにもうひとつの動画もアップしましたので、良かったら元気なあの子の姿を見てやってください。

http://www.youtube.com/watch?v=UuzazvKZvzQ

!(゜▽゜)b

you tubeってどうやってきれいに貼るのだろう?

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らんちゃんさようなら。

2007-01-17 11:05:32 | らんちゃん
昨日らんに最後のお別れをしてきました。
私の住む市では、動物の遺体は斎場ではなく、ゴミ焼却場でその他の医療生ゴミ(胎盤など)と共に処分します。
今までの子達は、ずっとそのように処分してもらっていましたが、
正直ゴミ扱いされるのが悲しかったです。
ですが、先日妹から他の市では、きちんと人間の斎場で燃やしてくれるよと教えてもらい、
昨日は隣の市までランを連れて出かけました。
思えばこれが、最初で最後のらんとのドライブ。
助手席で毛布に包まれ抱かれるらん(の遺体)は、フロントガラス越しの日を受けとても暖かそうで、
そしてイキイキとして、笑っているようで、今にも動き出しそうで…
もう充分理解しているのに、なんだかお出かけのような気分になってしまいます。
ですが斎場に近付くにつれ、やはり現実が壁のように迫ってきて、直視せざるをえなくなります。
車を停め抱えて出てゆくときに、本当に最後にと思い写真を撮りました。
ファインダー越しでは寝ているようにしか見えません。
奥さんも同じ思いなのか、らんの体に耳を当て、
「今いきなり動き出してくれないかな…」

しかし、そうもばかりはできないので、ポツリポツリと歩いてゆきました。
受付のインタホンを押し、係の方にお願いをした後、共に毛布や首輪を入れても良いかを尋ねました。
というのも、私の市では遺体はすべて取り去って黒いビニールに入れないといけないのです。
でもこちらでは一緒に燃やしていただけるそうです。
よかった、あのこを包んでいた毛布などをゴミとして扱うのは嫌だったから…
そして、皮膚病が治ったらお祝いに付けて上げようと買っておいた新品の首輪を首にかけ、
好きだったドーナッツも持たせ、今朝家のベランダから摘んできたバラと金魚草の花を添え、
らんのクッションと毛布に包み旅支度をしました。
ああ、それらの品々をともに持たすことが出来てよかった。
そう思いながらもう一度らんを見ると、一気に感情が爆発し溢れる嗚咽を止められませんでした。
係の方が、らんを小さなペット専用の祭壇の前に運んでくださったので、
そこで本当に最後のお別れをすましました。
ふと祭壇にめをやると、名簿があってそれぞれに逝った日にちとペットの名前が記してありました。
12月30日、31日、1月1日2日…
休みなく逝っている子達の名前が続きます。
その最後の欄に「1月14日らんちゃん」と書き記しながら、
らんは寂しがりだから、他のこたちと一緒に天に昇れて良かったなと、そう思いました。

そのあとは振り返らずに車に戻り、獣医さんに今までのお礼を述べにお伺いしました。
獣医さんから出て、東の山の方を見たとき青い空が見え、
まだ燃やしていないのにもかかわらず、その空にらんがいるような気がしました。

そして気分転換に食事に出かけ、レストランの席から何気に西の空を見ると、
斜めに走る高圧線に沿って、「よいしょよいしょ、ふうしんどいねぇ。」と登って行くらんが見えた気がしました。
そして家に帰ると、こんどは部屋の中にらんが充満しているような感じ。

なにやら、らんはどこにでもいるかのようです。
(=^^=)ゞ

奥さんにその話をすると、奥さんはこう思っていたそうです。

混雑したレストランの中で、もしランがここに来たら、
あのこはたくさんの人たちの中から、迷うことなく私たちを見つけてくれると思う。

そうか~。
やっぱそうか~。

らんはどこにでもいるし、」私たちはいつでも感じることができる。
らんは私たちを決して見失わないし、私たちはあのこをずっと思いつづける。

そういうことでいいのですよね。

画像は、お正月での一枚。
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ランは旅立ちました。

2007-01-14 11:23:30 | らんちゃん
虹の橋 そこまで供せよ 金魚草

昨晩から調子の悪かったランは、
夜中にしきりに立ち上がりたがり、そのたびに嘔吐と排便を繰り返しました。
それでも、消化はしているようなので、就寝前に再度食事を注射器で与えました。

午前2時過ぎ
姿勢を変えたそうなので体の向きをずらしてやりました。
午前3時過ぎ落ち着いたのかすごく静かになり、心配になって覗き込むも深い呼吸をしていました。
午前5時過ぎついうっかり寝てしまっていたので、慌ててランを見るとしきりに立ちたがっております。
おしっこかと思いたたしますが様子がいつもと違います。
どうも立ちたいのではなく、足が痙攣しているよう。
慌てて奥さんに抱きかかえてもらい、体をさすりました。
その後は、定期的に痙攣を繰り返すものの、やがて声とも息ともいびきともつかない音を立て静かになってゆきました。
「何かしゃべっているんや。」
奥さんが一生懸命声をかけます。
今までのことや、これからのことを話しかけながら体をさすります。
すると、丸まってしまいこまれていたランのしっぽが伸び、ぎこちなく振れました。
それからずっとたくさんお話をしました。
そして我々の仕事である店の開店準備の時間が近づいて…
午前9時過ぎ
ランはまず大きく一度顔を震わせ持ち上げました。
額に手を置きそっとなでると、表情が穏やかになりゆっくりと首を下ろします。
そして30秒ほど後再度。
そのときも、瞳は私の手、顔の動きを追っていました。
そして、さらに数秒後三度目の痙攣と弛緩。
今度は瞳の動きがない!
慌てておなかの動きを見ると、すでに動きが止まっている。
奥さんが大慌てで駆け寄り体に耳をつけて、すべてを悟りました。
午前9時12分でした。

今日は日曜日で学校は休み。
だから平日と違い朝の用事が少ないです。
そして、9時12分。
この時間だと店の開店準備に十分間に合います。
ですがそのあとだと、店に連れて行ってしまうので、
最期まで一緒にいて見とってやることができたかどうか。
最期まで、私たちの都合を考えていてくれたように思います。
そして、一番長く私たちといれる時間を作ってくれたんだと思います。

保護されたときは、すべてにおびえ目の光が消えていました。
うちに来たときは、ボランティアさんたちのおかげでずいぶんイキイキと明るい子になっていました。
我が家のほかの子たちを、またお散歩先で会うほかの子たちがとても大好きで、
姿を見かけると、まるで子ヤギのようにギャロップして駆け寄って行きました。
そして、たまにあるほかの子のやきもちや意地悪も、
大らかに許し、いじけることも、恐れることもなく、絶えずフレンドリーに接していました。
我が家に来るまで間のこの子の生きてきた道は分かりませんが、
おそらく、周囲に気を使いながら生きてきたんだと思います。
ですので、うちではのびのびとすごして欲しかったのです。
なのに…
最期まで、お利口で、やさしくて、周りに気を使ってばかりの、
とても、とても良い子でした。

我慢してきた子、辛い目にあってきた子は、ほかの子よりも優先的に幸せになる権利とその必要がある。

日ごろからそう考えているのに、
ランには最期我慢を強いてしまいました。
およそ20日間にわたる点滴と、強制的な餌与、そして手術。
良かれと思いしたものの、やはり我慢を強いたことには違いないです。
後悔はないけれども、やはり心情的には謝りたい。
ごめんな。

春になって、暖かかくなったらば、
草の匂いをかぐのが大好きなランをつれて公園へ行き、
そしてたくさんの花の匂いをかがせてやりたかった。
というか、それが私たち夫婦の望みでした。

ランが逝った後、身支度を終えた奥さんが、
春の花を待たずに、一足先に虹の橋のたもとまで旅立ったこの子に、
旅のお供にと、ベランダでがんばっている金魚草を添えました。

只今ランは、ミルク、お花、お菓子、豆乳ドーナッツ、鳥のから揚げ。
大好きだったけども、思う存分楽しむことができなかったものに囲まれて、
いつものように寝ています。

明日いつものように保健所に連絡するか、それともペットのお葬式を頼むか…
私はすでに決めていましたが、奥さんにそう問いかけると、
「いつもと一緒でいい、そしてお葬式にかかる費用をほかのかわいそうな子を助けるために使いたい。ランもきっとそう言うと思う。」
と答えました。
私もまったく同じように考えていました。


長い文章で、しかも支離滅裂で、すみません。
落ち着けばまた思い出話でも。


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口元すっきり

2007-01-13 12:50:19 | らんちゃん
ここの所ずっと注射器で流動食を食べているランです。
ですので、あふれたご飯でお口の周りが汚れがち。
そういうわけで口の周りの毛をカットしてみました。
少し抵抗したものの、すぐにおとなしくなって。
どうでしょう?
すっきり細面のべっぴんさんになったでしょ?


さて、嘔吐は相変わらず続くものの、抱いて安静にしていれば嘔吐しないので、
その間に消化してくれるのか、出てくるのは胃液だけになってきました。
そしてまた半日おきに柔らかいながらも便は出てくるので、
消化器官はがんばって動いてくれているものと思っています。
ですが昨晩からはは弱々しい。
目の光に力がなく、足元もフラフラしてさだまりません。
奥さんもかなり心配し、涙ぐみながら世話しております。
只今彼女が夜間はずっと横につき寝袋で寝ているので、本人の体が心配です。
それでも、ランちゃんが元気が出てくればどうってことはないのですが。

明日は病院は休診日ですが、先生が帰宅後診て下さるとのことなので、
閉店後夜間に点滴を受けに行きます。
そういうわけで、今日はいつもより多めに点滴を受けて帰ってきました。

只今散歩でウンチをしてきたので、いまからお昼のご飯です。
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