先日いつもお世話になっているお店でのポチのカットが出来上が田tの出迎えに行くと、
「あの、これへちまちゃんとミニーちゃんに。」
と、お店の方がお花を二つ下さいました。
ですので帰宅し次ぐあの子たちの前に飾らせてもらいました。
はやいもので、へちまが逝ってもう一月。
そしてミニーが逝って来週で一月。
もうすっかり気持ちは整ったつもりでしたが、
お花を頂いたとき、、御礼とともにあの子たちの最期の様子をお話しさせていただいていると、
いきなり感情があふれ出そうになったので、やはり口に出すとまだまだ。
でも文章ならばもう余裕が出てきました。
そういうわけで、今日はミニーの思い出を語らせていただきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
二年前の寒い寒いお正月、警察へ免許の切り替えに行った奥さんが、
その吹きっさらしの駐車場でかろうじて毛布一枚かけてもらった檻の中、
丸くなり寒さに耐えているに一頭の犬を見かけました。
それがミニーでした。
そしてなんだかんだあったのち、我が家の一員として加わることになりましたが、
当初感染症などの症状があったため、当座は先住わんズとの合流は出来ず、
約一月後めでたく合流と相成りました。
「はじめまして、こんにちは!」
今までいろいろあっただろうに、まっすぐで明るい性格のミニーは、
すぐに他の子たちとも慣れたようで、おうちの中も自由自在に歩き回るほど。
とはいうものの、ミニーの体、特に足まわりを見てみると、
爪が数本欠損し、一本の指は大きく外側に向け脱臼したまま戻らない、
そして肉球は厚くふわふわで異常に柔らかい。
これはつまり、お散歩はおろか平地を歩いたことがほとんどない足の裏。
お医者さん曰く、ずっと金網の上で過ごしていたときのような感じであったのです。
またこの避妊手術の跡がなく、乳腺が大きく肥大し腫瘍といっていいしこりがありました。
そして見た目は元気ですが、すでに10歳越えのシニアであることも間違いなさそうでしたから、
まず間違いなく繁殖犬として子犬を生まされ、そののち不要になって捨てられた。
そういうパターン。
そう思うと、この子が不憫で、「残った時間はなんとしても幸せに過ごさせてやろう。」
と、そう強くそう思わざるを得ませんでした。
ですので、私はことあるごとにこの子を散歩に連れ出し、
その楽しさを味わってもらおうとしたのです。
ですが…
なぜか散歩が大嫌いなようで、家から離れる方向では頑として動こうとしない!
ですが、帰り道はものすごくスムーズにテケテケ歩いて帰ろうとするのです。
(だから散歩は、私が抱いて連れてゆき、帰りは一緒に歩いて帰るそんな感じ。)
これの不思議だったことは、例えば自転車で初めての場所へ連れて行っても、
下におろすと、迷うことなく、家の方向に向かって歩き出すので、
野生の勘何なのんか何なのかわかりませんが、どうも家の方向が分かっていたようです。
ですがやがて散歩にも慣れて、公園でのんびり茂みを楽しむこともできるようになりました。
「くんくんくん… 楽しい♪楽しい♪」
その後は毎月病院へ通い診ていただきながらも、
それなりに元気で、店に出ては愛想の良い看板犬として大活躍!
そして時には…
「いらっしゃいませ♪」
またある時には…
「よこそいらっしゃいました!」
と、大好きな段ボール箱相手に大はしゃぎをしたりと。
こんな感じで楽しく過ごし、
なんだか少しミニーがビッグになったり
愉快な癖を披露したりと、毎日愉快に過ごしていたミニーだったのですが、
うちに来てちょうど一年目になろうかという頃、
とうとう例の腫瘍が大きく腫れあがってきたのです。
そしてまた、冬になり持病の肺水腫もわるさをし始めてきたので、
家では専用ドーム、店では私の膝の上、こういう感じで過ごしこととなりました。
「うへへへ♪」
やがて年が明けると、腫瘍はいよいよ大きくなり、
そのうち先端が破れ血膿が流れ出してきました。
ですので、この時から毎日ミニーは腫瘍のケアのため、
日に二回薬を塗りガーゼ交換をして、そして一日中マナーベルトをすることとなったのです。
「あらまあ!」
そういったわけで、衛生面からも、また体力的にも、
ミニーはお散歩も店番も出来なくなったので、その後はずっと寝室で過ごすこととなりました。
ですが、もともと散歩嫌いにこの子にとっては、それはそれで快適であったようで、
普段はお気に入りの寝床ですやすや眠り、私が帰ってくると、
「ごはん?おやつ?それともなでなで?」
と、上機嫌で出迎えてくれ、そのままベランダの方へ向かって走って行っては、
「さあ開けろ!早く開けろ!すぐに出せ!」
と、せかすように私を促しては表に出て
「う~ん、最高♪今日も異常なし!」
と、いつの間にやら大好きになっていたベランダで、しばし至福の時を過ごすのでした。
ですが、例の腫瘍が日々大きくなり続けるだけでなく、さらにあちこちの腫瘍も大きくなりはじめ、
そのうち腹部の皮膚が大きく裂け痛々しい状態に。
こういう状態ですからかなりしんどかったと思うのですが、
それでも毎日おいしそうにご葉を食べ、そして尻尾を振りながらベランダを闊歩し、
お行儀よくきちんとおトイレで用を足しつつ、ご機嫌で毎日を過ごしていてくれておりました。
なのに、あの憎き腫瘍はお腹だけでは飽き足らず、
肺へ、そして脳へと転移し、ミニーの小さな体を痛めつけていたのです。
それに気づいたのは世の中が新型コロナで騒然となっていた三年目の春、
この時とこの時。
こうなるとあとはもう一気でした。
あれだけ旺盛だった食欲も目に見えて衰えてゆき、飲み込むことすらしんどそうに。
ですが、それでも、器からは食べれなくはなっても、私の手からは食べ続けてくれ、
最後の日まで、お薬もしっかり飲んでくれました。
こうして振り返ると、この子と過ごせた2年とちょっとはそのほとんどが病気との闘い。
でも、それでも、この子はうちに来れて幸せだったと思えます。
というのも、この子は自他ともに認めるパパっ子で、私にとてもなついてくれていたから。
奥さん曰く、
「ミニーはパパと出会えて幸せやったね。
多分、これまでに『好き』と思える人に出会ったことはなかったやろうから。」
そう、実は来た当初、この子にはほとんど表情がなく、
ほぼ機械的に、食べて寝て、おトイレに行き、そしてまた寝る。
そういう感じだったのです。
ですが、私と過ごすうち、ある日急に目に光が宿り、表情が出てきて、
そして体全体で言葉を発してくれるようになったのです。
これはつまり、奥さんの言う言葉の通りなんでしょう。
だから、私は先ほどの言葉に対しそっくりそのままこう返しました。、
「わしもミニーと出会えて幸せやったよ。」
ほんま、そう。
だから、その思いは、他の子たち同様にずっと私の中にあり続けます。
いつまでも、どこまでも。
絶対に。
最初の春、私の膝の上にて
「うふふ♪ うれしい♪」
「あの、これへちまちゃんとミニーちゃんに。」
と、お店の方がお花を二つ下さいました。
ですので帰宅し次ぐあの子たちの前に飾らせてもらいました。
はやいもので、へちまが逝ってもう一月。
そしてミニーが逝って来週で一月。
もうすっかり気持ちは整ったつもりでしたが、
お花を頂いたとき、、御礼とともにあの子たちの最期の様子をお話しさせていただいていると、
いきなり感情があふれ出そうになったので、やはり口に出すとまだまだ。
でも文章ならばもう余裕が出てきました。
そういうわけで、今日はミニーの思い出を語らせていただきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
二年前の寒い寒いお正月、警察へ免許の切り替えに行った奥さんが、
その吹きっさらしの駐車場でかろうじて毛布一枚かけてもらった檻の中、
丸くなり寒さに耐えているに一頭の犬を見かけました。
それがミニーでした。
そしてなんだかんだあったのち、我が家の一員として加わることになりましたが、
当初感染症などの症状があったため、当座は先住わんズとの合流は出来ず、
約一月後めでたく合流と相成りました。
「はじめまして、こんにちは!」
今までいろいろあっただろうに、まっすぐで明るい性格のミニーは、
すぐに他の子たちとも慣れたようで、おうちの中も自由自在に歩き回るほど。
とはいうものの、ミニーの体、特に足まわりを見てみると、
爪が数本欠損し、一本の指は大きく外側に向け脱臼したまま戻らない、
そして肉球は厚くふわふわで異常に柔らかい。
これはつまり、お散歩はおろか平地を歩いたことがほとんどない足の裏。
お医者さん曰く、ずっと金網の上で過ごしていたときのような感じであったのです。
またこの避妊手術の跡がなく、乳腺が大きく肥大し腫瘍といっていいしこりがありました。
そして見た目は元気ですが、すでに10歳越えのシニアであることも間違いなさそうでしたから、
まず間違いなく繁殖犬として子犬を生まされ、そののち不要になって捨てられた。
そういうパターン。
そう思うと、この子が不憫で、「残った時間はなんとしても幸せに過ごさせてやろう。」
と、そう強くそう思わざるを得ませんでした。
ですので、私はことあるごとにこの子を散歩に連れ出し、
その楽しさを味わってもらおうとしたのです。
ですが…
なぜか散歩が大嫌いなようで、家から離れる方向では頑として動こうとしない!
ですが、帰り道はものすごくスムーズにテケテケ歩いて帰ろうとするのです。
(だから散歩は、私が抱いて連れてゆき、帰りは一緒に歩いて帰るそんな感じ。)
これの不思議だったことは、例えば自転車で初めての場所へ連れて行っても、
下におろすと、迷うことなく、家の方向に向かって歩き出すので、
野生の勘何なのんか何なのかわかりませんが、どうも家の方向が分かっていたようです。
ですがやがて散歩にも慣れて、公園でのんびり茂みを楽しむこともできるようになりました。
「くんくんくん… 楽しい♪楽しい♪」
その後は毎月病院へ通い診ていただきながらも、
それなりに元気で、店に出ては愛想の良い看板犬として大活躍!
そして時には…
「いらっしゃいませ♪」
またある時には…
「よこそいらっしゃいました!」
と、大好きな段ボール箱相手に大はしゃぎをしたりと。
こんな感じで楽しく過ごし、
なんだか少しミニーがビッグになったり
愉快な癖を披露したりと、毎日愉快に過ごしていたミニーだったのですが、
うちに来てちょうど一年目になろうかという頃、
とうとう例の腫瘍が大きく腫れあがってきたのです。
そしてまた、冬になり持病の肺水腫もわるさをし始めてきたので、
家では専用ドーム、店では私の膝の上、こういう感じで過ごしこととなりました。
「うへへへ♪」
やがて年が明けると、腫瘍はいよいよ大きくなり、
そのうち先端が破れ血膿が流れ出してきました。
ですので、この時から毎日ミニーは腫瘍のケアのため、
日に二回薬を塗りガーゼ交換をして、そして一日中マナーベルトをすることとなったのです。
「あらまあ!」
そういったわけで、衛生面からも、また体力的にも、
ミニーはお散歩も店番も出来なくなったので、その後はずっと寝室で過ごすこととなりました。
ですが、もともと散歩嫌いにこの子にとっては、それはそれで快適であったようで、
普段はお気に入りの寝床ですやすや眠り、私が帰ってくると、
「ごはん?おやつ?それともなでなで?」
と、上機嫌で出迎えてくれ、そのままベランダの方へ向かって走って行っては、
「さあ開けろ!早く開けろ!すぐに出せ!」
と、せかすように私を促しては表に出て
「う~ん、最高♪今日も異常なし!」
と、いつの間にやら大好きになっていたベランダで、しばし至福の時を過ごすのでした。
ですが、例の腫瘍が日々大きくなり続けるだけでなく、さらにあちこちの腫瘍も大きくなりはじめ、
そのうち腹部の皮膚が大きく裂け痛々しい状態に。
こういう状態ですからかなりしんどかったと思うのですが、
それでも毎日おいしそうにご葉を食べ、そして尻尾を振りながらベランダを闊歩し、
お行儀よくきちんとおトイレで用を足しつつ、ご機嫌で毎日を過ごしていてくれておりました。
なのに、あの憎き腫瘍はお腹だけでは飽き足らず、
肺へ、そして脳へと転移し、ミニーの小さな体を痛めつけていたのです。
それに気づいたのは世の中が新型コロナで騒然となっていた三年目の春、
この時とこの時。
こうなるとあとはもう一気でした。
あれだけ旺盛だった食欲も目に見えて衰えてゆき、飲み込むことすらしんどそうに。
ですが、それでも、器からは食べれなくはなっても、私の手からは食べ続けてくれ、
最後の日まで、お薬もしっかり飲んでくれました。
こうして振り返ると、この子と過ごせた2年とちょっとはそのほとんどが病気との闘い。
でも、それでも、この子はうちに来れて幸せだったと思えます。
というのも、この子は自他ともに認めるパパっ子で、私にとてもなついてくれていたから。
奥さん曰く、
「ミニーはパパと出会えて幸せやったね。
多分、これまでに『好き』と思える人に出会ったことはなかったやろうから。」
そう、実は来た当初、この子にはほとんど表情がなく、
ほぼ機械的に、食べて寝て、おトイレに行き、そしてまた寝る。
そういう感じだったのです。
ですが、私と過ごすうち、ある日急に目に光が宿り、表情が出てきて、
そして体全体で言葉を発してくれるようになったのです。
これはつまり、奥さんの言う言葉の通りなんでしょう。
だから、私は先ほどの言葉に対しそっくりそのままこう返しました。、
「わしもミニーと出会えて幸せやったよ。」
ほんま、そう。
だから、その思いは、他の子たち同様にずっと私の中にあり続けます。
いつまでも、どこまでも。
絶対に。
最初の春、私の膝の上にて
「うふふ♪ うれしい♪」