「ここは葬式の服やで~。」
盆休みだからか、朝から多くの子供がそういうことを言いながらうちの店の前を通り過ぎました。
なるほど、フォーマルを扱っているうちの店は、黒ばっかりだから子供にはそう見えるし、
実際最近の用途はほとんどそうやからね。
そういや最近は、お葬式は家ではなく、どこぞの会館などを借りて行うのが一般的。
だから街中でお葬式を見かけることもあまりなくなってしまったわけで、
そういう意味では、今の子供たちにとって、お葬式ってかなり特殊な行事なんだろうな。
で、ふと自分の子供時代のお葬式とのかかわりを思い出したので、
横にいた奥さんに、
「そういや、子供の頃はお菓子をもらいに、お葬式しているお家までよく自転車で行ったよな。」
とそういうと、
「わたしはそういうの行ったことない。」
と。
で、今更ながら気が付いたのだけれども、
この、
お葬式にやってきた子供たちにお菓子を配る風習て、今ほとんどないやん!
私が子供の頃の1970年(昭和40年)代には、多くの家庭でお葬式があるときには、
子供向けのお菓子、(ビスコ、グリコなど)をたくさん用意し、
お葬式に顔を出した子供たちに配っていたのです。
それがたとえ縁もゆかりもない子でも。
だから、私たちは放課後になると、
「今日○○でお葬式あるぞ!」
「よっしゃ、ほなら後でちびっこに集合してみんなで行こう!」
*ほなら→そうしたら ちびっこ→ちびっこ広場(近所の児童公園)
と、こんな感じで自転車に乗りお葬式をしているお家まで走っていくのが常でした。
そしてこの、いつどこでお葬式がるのかという情報を、
「葬式情報」と呼び、
みながアンテナを張り、それを共有していたのです。
あの頃は当たり前だと思っていたこの風習。
先ほど調べると、本来は、出棺時に立ち会った近所の子供たちに対してのご褒美であったようです。
ですが、いつの間にか、出棺にかかわらず配られるようになったようですね。
私たちの方も、当時は地蔵盆など、子供が無料でお菓子やおもちゃをもらえるイベントがあったので、
こういうのは当たり前なものだとばかり思っていました。
実際、近所のおもちゃ工場の社長さんの家まで行き、
そこに上がり込みオモチャをもらい、ご飯を食べて帰って来た記憶もあります。
(でも、いったいどういう経緯でそうなったのかは全く覚えていない…)
またこの話で思い出したけれども、
お葬式をしているお家の前を通り過ぎる時や、霊柩車とすれ違ったりするときは、
その瞬間
親指を内側にして握りしめ、隠しておくというそういう風習もありました。
たしか、そうしていおかないと親が早死にするとか言う話だったですね。
だからそう式場が無く油断しているとき、不意にお葬式しているお家があると、
「やべ!今一瞬遅れた?!」
など、ドキドキすることも…
ちなみに、お菓子をもらう時は、親指は気にしていませんでした。
多分、関係者ってことで免除してもらえるとか、そういう勝手な解釈だったんですよね。
これも調べると全国的な風習で、今の子供たちでもそのようなことをしている子が多いみたいです。
でもこうしていろいろ思い出すと、最近はお葬式を自宅ではなく、会館などで行うケースがほとんどなので、
街の景色の中から、一般家庭でのお葬式という風景が無くなりつつありますね。
このことが良いか悪いか、私は軽率には言えませんが、
子どもの頃、近所でお葬式を見るたびに、
「あ!あそこのおばあちゃん死んじゃったんや!」
と、リアルに他人の死を意識はしていました。
今だと、
「あれ?最近あそこのおばあちゃん見かけないけど…」
とか思っているうちに、記憶からフェードアウトしてしまいそうな気がします。
実際最近では、家族ですら自宅ではなく病院で息を引き取るケースがほとんど。
だからより一層「死」というもののリアルさが薄れてしまっている気がします。
それがすべての理由とは言いませんが、
今あちこちで起こっている、命(人以外も当然含む)を軽視した行いなどを見聞きするたびに、
少なくとも何らかの影響があるんだろうなとか考えております。
そういう意味でも、
小さい時にペットなりと楽しい時間を過ごし、
そして悲しい別れを体験することは、
今の世の中だからこそ必要ではないかなとも考えております。
お盆なのでたまにはこういう話もね♪
【ばんごはん】
というわけで、我が家にはペットというか、もはや家族が8頭!
だから、フードのトッピングのために、いつも魚屋鶏肉なとを多めにストックしております。
で、たまに晩ごはんのおかずに困ったら…
「ちょっとちょうだいね♪」
と拝借するわけで、昨晩も…
「はい!わんこの横取り鶏唐揚げ!」
というわけで、このように拝借したので、
わらわらと集まってくるあの子たちにも、きちんと還元させていただきました。
(*^人^*)