今朝のこと…
いつものようにイヌの散歩に行くと、顔見知りの犬仲間の奥さんからこんな話を聞きました。
その奥さんは犬の保護などもなさっておられるかたわら、
自宅で近所の野良猫に餌を与えて、そして捕獲し自費にて避妊手術をされておられます。
ですが、実は本来ネコは苦手だったそうで…
それが今のようになったのには次のようなわけがあったそうです。
ある日のこと、駅前で子猫を壁に向かって投げつけて遊んでいる少学生を見かけたそうです。
あわてて駆け寄ると、子猫は眼球も飛び出て瀕死の状態。
そこでその子猫を連れ急いで獣医さんに。
幸い命を取り留めたその子猫は、今ではそこのお宅で大切に室内飼育されております。
以来、近所にいる野良猫なども気になって、
できる範囲での世話をと考え今のようなことをなさっておられるとのこと。
この話をお伺いして思いました。
「命」をオモチャのごとく扱う子供もいれば、
どんな「命」でも大切にしてくれる人もいる。
前述のように、神様にでもならない限り、「命」を作り出すことはできないけれども、
「命」を守ることならばできるはず。
でもまた、「命」をもてあそぶ「怪物」にもなってしまうことができる。
「命」というものを考える時、虫も、小動物も、人間も等しく価値があるかどうかでよく論議されますが、
そういう論議はナンセンスで意味がないと思います。
理屈で片付けようとすると、絶対屁理屈で反論するものがいるから、
論点がずれて、小さな論争が湧き上がります。
私はもっとこの問題はシンプルでいいと思います。
つまり一言で、
「自分で責任を取れない(元に戻せない)ことにはするな。」
誰に迷惑をかけるとか、倫理上うんぬんとかは置いといて、、
理由なくその命を奪った後、もう一度その命を元に戻せるのか?
戻せなかったらば、お前も同じように失う覚悟があるか?
大げさに感じるかもしれませんが、実際誰一人としてつぶしたアリンコを元には戻せない。
これは以前読んだ話。
小さな子供が蝶々の羽をむしっているので注意したら、
「僕が捕まえてんから、僕のんや!なんであかんの?」
といわれたそうな。
で、注意した人は命の尊さを一生懸命説明したが、子供はいまいち理解しなかったとのこと。
私は読んでて、そりゃそうだと感じました。
こういう話は理屈じゃないんだから。
「あかんもんはあかんのや!」
そう言って手をつねったるくらいで丁度いい。
誰もがそう考えれば…
誰も責任を取れないのが「命」なのだから、
おのおのがお互いの命を大切にしなければいけないことになる。
でもそれはつまり、自分の「命」も誰かが大切にしていてくれているということで、
自分の「命」も、自分だけのものではないということになる。
だとすると無責任なことはできないし、
困った時に誰かに相談するのは、恥ずかしいことではなく、
また相談相手にとっても全然迷惑ではないことも理解できるはず。
最近多いいやな事件の背景にも、「命」(特に他者の命)を軽んじる風潮がはっきり見える。
これはきっと、最初のボタンの掛け違えが原因だと思う。
「あかんことはあかん!」
頭より先に手を出すこともこういう問題には必要だと思います。
いつものようにイヌの散歩に行くと、顔見知りの犬仲間の奥さんからこんな話を聞きました。
その奥さんは犬の保護などもなさっておられるかたわら、
自宅で近所の野良猫に餌を与えて、そして捕獲し自費にて避妊手術をされておられます。
ですが、実は本来ネコは苦手だったそうで…
それが今のようになったのには次のようなわけがあったそうです。
ある日のこと、駅前で子猫を壁に向かって投げつけて遊んでいる少学生を見かけたそうです。
あわてて駆け寄ると、子猫は眼球も飛び出て瀕死の状態。
そこでその子猫を連れ急いで獣医さんに。
幸い命を取り留めたその子猫は、今ではそこのお宅で大切に室内飼育されております。
以来、近所にいる野良猫なども気になって、
できる範囲での世話をと考え今のようなことをなさっておられるとのこと。
この話をお伺いして思いました。
「命」をオモチャのごとく扱う子供もいれば、
どんな「命」でも大切にしてくれる人もいる。
前述のように、神様にでもならない限り、「命」を作り出すことはできないけれども、
「命」を守ることならばできるはず。
でもまた、「命」をもてあそぶ「怪物」にもなってしまうことができる。
「命」というものを考える時、虫も、小動物も、人間も等しく価値があるかどうかでよく論議されますが、
そういう論議はナンセンスで意味がないと思います。
理屈で片付けようとすると、絶対屁理屈で反論するものがいるから、
論点がずれて、小さな論争が湧き上がります。
私はもっとこの問題はシンプルでいいと思います。
つまり一言で、
「自分で責任を取れない(元に戻せない)ことにはするな。」
誰に迷惑をかけるとか、倫理上うんぬんとかは置いといて、、
理由なくその命を奪った後、もう一度その命を元に戻せるのか?
戻せなかったらば、お前も同じように失う覚悟があるか?
大げさに感じるかもしれませんが、実際誰一人としてつぶしたアリンコを元には戻せない。
これは以前読んだ話。
小さな子供が蝶々の羽をむしっているので注意したら、
「僕が捕まえてんから、僕のんや!なんであかんの?」
といわれたそうな。
で、注意した人は命の尊さを一生懸命説明したが、子供はいまいち理解しなかったとのこと。
私は読んでて、そりゃそうだと感じました。
こういう話は理屈じゃないんだから。
「あかんもんはあかんのや!」
そう言って手をつねったるくらいで丁度いい。
誰もがそう考えれば…
誰も責任を取れないのが「命」なのだから、
おのおのがお互いの命を大切にしなければいけないことになる。
でもそれはつまり、自分の「命」も誰かが大切にしていてくれているということで、
自分の「命」も、自分だけのものではないということになる。
だとすると無責任なことはできないし、
困った時に誰かに相談するのは、恥ずかしいことではなく、
また相談相手にとっても全然迷惑ではないことも理解できるはず。
最近多いいやな事件の背景にも、「命」(特に他者の命)を軽んじる風潮がはっきり見える。
これはきっと、最初のボタンの掛け違えが原因だと思う。
「あかんことはあかん!」
頭より先に手を出すこともこういう問題には必要だと思います。