粉雪の万座へ

万座の粉雪と雪景色、流れる雲と青空に魅せられ綴っています。

万座の30年を振り返って

2007年07月15日 | 回想

初めて万座を訪れたのは、1978年(昭和53年)2月でした。
つまり、今年で30年が経ったことになります。この30年間を駆け足で振り返ってみます。


 
<1978年(昭和53年)>
当時は四国に住んでいました。前年、北海道の富良野で万座スキー学校の曽雌鐘哲先生に
出会ったことがきっかけで、遠路はるばる四国から万座に行き、スキー学校でお世話になりまし
た。
万座の印象は、粉雪が最高、温泉も最高。スキー学校が充実していて、かつ楽しい、先生も生
徒も素晴らしい(美女が多かった)。ハウスユキの暖炉が暖かい。吹雪いたときの万座は猛烈に
寒い、でした。
思い出を一つ。万座スキー学校の初レッスンは、一般レッスンを受講しました。インストラクタは
長谷川兄治郎先生でした。同じクラスに、長谷川先生と随分と親しく会話を交わしている女性が
いました。すぐ後で分かったことですが、その女性は事務長でした。アトにも先にも、私が事務長
のスキー姿を見たのはこれっきりです。


 <1979年(昭和54年)>
黒岩隆夫先生に初めて教えていただきました。以来、なぜか隆夫先生に教えていただく機会が
一番多く、それは今も続いています。
ツアーで草津まで連れてってもらい、ゲレンデ以外の自然の野山を滑る楽しさ、パウダースノーの
新雪・深雪滑走の楽しさ、万座の自然の素晴らしさ、美味しいブドウ液を教わりました。
このときのSurpriseが、今も忘れられません。ブドウ液が今はなく、さびしい限りです。


 <1980年(昭和55年)>
曽雌鐘哲先生のハードなレッスンを受けました。万座に一週間ほど居ましたが、ほとんど吹雪で、
最終日にやっと晴れました。翌日、北海道に行きました。北海道でもずっと吹雪でした。このとき、
スキーは好きでも自分は雪国には住めないなと感じました。
このシーズンまでの3年間は四国から毎年一回、一週間~10日間ぐらい万座に来ていました。


 <1980年~1981年(昭和55年~56年)>
1980年4月、東京に転勤。
年末年始を初めて万座で過ごし、隆夫先生に随分とお世話になりました。特訓五日間コースが
終わったその夜、隆夫先生や根岸先生、他の先生方に包囲され、そのままスキー学校に強制
収容されてしまいました。おかげで、年末年始休暇後も数日万座にいました。強制収容されて
何があったかは、秘密??です。その後も万座に来ると時々、根岸先生に逮捕されました。
このシーズンは東京にいたこともあり、何回も万座に行きました。高見哲男先生に焼き鳥を手に
してスキーを教わり、ウェーデルンに開眼したのはこの頃でした。


 <1981年 秋(昭和56年)>
9月だったと思います。会社の研修で万座に行きました。
温泉に入ろうとすると、先客としておばあちゃん達が何人もお湯に浸かっていました。『入っても
いいですか?」と訊ねると、「私たちでよかったらどうぞ。」と言われ、同僚数人と前をしっかりと
隠して入りました。あの頃は、若かった。
小川俊明先生と東京で、時々テニスを楽しみました。二人の腕前はどっこいどっこいの上手さ??


 <1981年~1982年(昭和56年~57年)>
このシーズンも、年末年始は万座で過ごしました。スキー学校恒例の年越しパーティに初参加。
元旦には黒岩達介校長先生じきじきの早朝レッスンを受けることができ、感激しました。
自分でスキーツアーを企画し、バスをチャーターして会社の同僚40名近くと万座に来ました。1月
から3月までの土日は、ほとんど万座に来ていたような気がします。このシーズンは、小川先生に
も鍛えられました。当時、小川先生の滑り『小川シュブング』にあこがれていました。
この頃から、万座を第二の故郷のように思っています。

<1983年(昭和58年)>
前年の4月に四国の松山へ転勤。
一泊二日で一度万座を訪れただけでしたが、万座に来ると、とても心が安らいだ記憶があります。


 <1984年(昭和59年) 春>
2月に結婚。4月に再び東京へ転勤。ゴールデンウィークに女房を連れて万座を訪れました。
ゴールデンウィーク時期になるとスキー学校にいるインストラクタはわずかでしたが、皆さんにとて
も祝福されました。


 <1984年~1985年(昭和59年~60年)>
女房は出産準備のため晩秋から里帰り。そこで12月に万座で初滑り。東京に戻った翌日の
25日に第一子が誕生。女房が里帰り中といえども、子どもが生まれた日にスキー場にいなく
てよかったと、ほっとしたものです。
1月に、もう一度万座に行きました。この年まで、学生時代の友人K君と来ることが多かったので
すが、そのK君は今は鹿児島空港で管制官をしており、この20年間ほどは一緒に滑っていませ
ん。「またいつの日にか、K君と万座でスキーを気ままに楽しみたい」と思う昨今です。


 <1986年~1988年(昭和61年~63年)>
この3年間は、万座に関する記憶が曖昧です。確か3回ぐらいは万座に行ったように思いますが。
その内一回は夏、家族で昼間に立ち寄り、涼しいと言うより寒いくらいだったことを覚えています。
いつだったか思い出せませんが、会社の後輩が万座に是非行きたいと言うので、日帰りで行き
ました。後で、映画『私をスキーに連れてって』に万座が出ていたことを知りました。それで後輩は
万座にあこがれていたようです。


<1989年~1998年(平成元年~10年)>
万座とは無縁の10年間でした。
スキーには行っていましたが、年間の滑走日数は1日~5日程度で、足前は衰える一方でした。
この間に転勤で、四国と東京を2往復しました。子どもは3人まで増え、仕事も忙しく、仕事と子育
てに明け暮れた10年間でした。


 <1999年(平成11年)>
1982年以来、実に17年ぶりにスキー学校でレッスンを受けました。滑り方が変わっており、
頭の中は混乱したままでした。それでも久しぶりに粉雪の深雪を滑り、万座を満喫できました。


 <2000年(平成12年)>
会社の部下と来ました。天気は最高。雪質も最高。でも、滑り、足前の方はサッパリでした。
 


 <2001年~2004年(平成13年~16年)>
この4年間は、万座歴全くの空白です。
毎年、一番下の子どもと車山スキー場に行っていました。車山では、かつて万座スキー学校
でインストラクタをしていた栗原さんが、ペンション『ピステ』(http://www.piste.co.jp/)のオー
ナーをしています。子どもがピステの食事や雰囲気が気に入っており、通い続けました。
その子どもも中学に入って部活に専念するようになり、一緒にスキーに出かけることがなくな
りました。翌シーズンから再び万座に行くようになった要因の一つが、ここにあります。


 <2005年(平成17年)>
再び、粉雪の万座へ通うようになりました。Surpriseは最高でした。
http://blog.goo.ne.jp/powdersnow-manza/e/39547e1fd904ff1a2619c3c8272dbe49


 <2005年~2006年(平成17年~18年)>
24年ぶりに、年末年始を万座で過ごしました。
http://blog.goo.ne.jp/powdersnow-manza/e/d26beb962f09966dbc96d9ab2fe86079
Surpriseで行った白根山のお釜は、感激ものでした。
http://blog.goo.ne.jp/powdersnow-manza/e/f9f4a6dee4b47bbf3abc6cece49e44b9


 <2007年(平成19年)>
雪が少なくても、粉雪に変わりなし。
http://blog.goo.ne.jp/powdersnow-manza/e/5e6e38db092a41dfc3a7b5d43240533f


 以上、30年間を駆け足で振り返ってみました。

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