粉雪の万座へ

万座の粉雪と雪景色、流れる雲と青空に魅せられ綴っています。

舞鶴港

2023年05月31日 | Weblog

4月12日、雨の高梁市を出発して舞鶴市へ向かいました。
舞鶴は雨ではなく、どんよりと曇っていました。

舞鶴港は見るからに軍港という感じでした。


翌13日は気持ち良く晴れ渡り、空に広がる青空が赤レンガ倉庫群に似合っていました。


この空間で、赤レンガ時代にタイムスリップしたような感覚に。


ここは舞鶴引揚記念館です。


記念館の奥が公園になっており、丘陵地の坂道に植えられた八重桜が満開でした。


坂道を登りきると展望台があり、そこから引揚桟橋を見下ろすことができました。


引揚が行われていた当時は、こんな様子だったとのこと。
今は復元した小さな桟橋に、かつての面影が残るだけです。


復元した桟橋です。


桟橋の一部を復元しただけの、小さなものでした。


桟橋の先端から左方向に、美しい斜張橋の舞鶴クレインブリッジ(鶴の橋)。
この方向から引揚船が入港する姿を想像しながら眺めていました。


桟橋の先端正面を見ながら、引揚船から小舟に乗り換えて桟橋に向かった引揚者たちの気持ちはどんなものだったとのだろうかと思いをあれこれ巡らせてみるも、想像を絶する苦難を乗り越えて帰って来た人たちの心を推測するなどということは私にはおこがましいことでした。


舞鶴湾を見渡すことができる五老ヶ岳から湾の入り口方向に目を向け、あそこから引揚船が帰ってきたかと感慨深げに眺め、舞鶴をあとにしました。


四国松山、瀬戸内の大三島、備中の高梁、そして舞鶴と、身内の故人の足跡をたどった旅でした。
故人をしのびながら、その地の素晴らしさや歴史を感じ知ることができ、なぜか胸のつっかえが取れたような気がしています。

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備中・高梁へ

2023年05月30日 | Weblog

4月11日の朝、大三島から再びしまなみ海道を走って尾道方面へ。
岡山県の高梁市を目指して車を走らせました。


高梁に着くなり、天空の山城で有名な備中松山城へ向かいました。


城山の麓にある駐車場にいた係員が旗で「登れ」と合図するので、さらに車を走らせると離合できない幅が狭い道が続き不安な面持ちに。
最上部の駐車場に到着すると、ここにも旗を持った係員がいました。
係員と話をすると、上と下の係員が連絡を取り合って、狭い山道の途中で車が離合しなくても済むように車を誘導してるとのことでした。
さらに、戦前に行われた天守の修理で、高梁の女学生たちが体育授業の一環として、ひとり瓦3枚を背負って運んだことを教えてくれました。
修理費用が不足したため、女学生の手を借りたとのことでした。
駐車場から徒歩で山道を15分ほど登ると、天守の石垣が見えてきました。


山頂にたどり着くと、険しい山の上にこれほど立派な天守閣があるとは驚きでした。
国内に現存する唯一の山城です。
この広場の左手にある櫓に入ると、日本各地にある天守閣の写真がずらりと飾られていました。
それらの写真を一人の男性外国人観光客がまじまじと見ていました。
その人の背後から日本語で話しかけると無反応だったため、英語で声をかけると応えてくれました。
アメリカから来たとのことで、日本の城巡りをしている『日本の城オタク』でした。


戦前の修理は、昭和14年から15年にかけてに行われた天守の修理でした。
標高480mの臥牛山を麓から手ぶらで登るだけでも大変しょうが、瓦を3枚背負っても若く元気な女学生にとっては楽しい思い出の一つだったろうと想像しました。


山頂付近も木々が生い茂っているため、下界の街が見えるところはわずかです。


淡い緑色と濃い緑色に新緑を織りなす山並みに、ところどころ桜の花が垣間見えました。


現在は高梁市郷土資料館となっているこの建物は、旧高梁尋常小学校の本館です。
玄関わきにある小さな銅像は、備中松山藩の財政を再建したという『山田方谷』でした。


この木造建築は高梁基督教会堂で、明治22年に建てられています。
高梁市内にはまだ武家屋敷が残されており、江戸時代や明治時代の面影をあちこちで感じることができました。
高梁は山あいにある、時の流れがゆっくりとした心安らぐ町でした。


翌12日の朝、ホテルの窓から城山の下に雲がたなびいていました。


もしかして雲海の上に浮かぶ『天空の城』が見えるのではと期待して、急いで展望台へ。


残念ながら雲海は発生せず、『天空の城』を見ることは叶いませんでした。
それでも、なんとなく雰囲気を感じることはできた高梁の旅でした。

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瀬戸内・大三島へ

2023年05月18日 | Weblog

4月10日、松山から今治まで海沿いの国道196号線を走り、途中の道の駅で休憩。
穏やかな瀬戸内海を見てると、心が洗われる気がしました。


今治からしまなみ海道へ。


雄大な3連つり橋の来島海峡大橋です。


しまなみ海道のほぼ中央にある大三島でインターを出ると、その姿が美しい斜張橋の多々羅大橋が眼前に。


大三島最高峰の鷲が頭山へ。
山頂までの山道はテレビ番組『ぽつんと一軒家』に出てくるような狭い道路で、冷や冷やしながら運転。
上り下りとも対向車が来なかったので、幸いでした。

山頂近くの駐車場に車を停め、しばらく徒歩で登ると標高436mの山頂でした。


360度、瀬戸内海を眺めることができました。


鷲が頭山から降りて、大山祇神社へ。


広い境内です。


天然記念物の樹齢2600年あまりという大楠。


大山祇神社から歩いて宮浦港の桟橋へ。


この桟橋は、昔からこの位置にあります。


この鳥居もその横の家も、昔のままです。


4月11日の朝、島影から朝日が昇ってきました。


朝日の光が瀬戸の海に映える光景に、しばらく見とれていました。

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四国松山へ

2023年05月11日 | Weblog

4月7日、東京を出発したときから雨の中をひたすら車を走らせ、四国へ。
瀬戸大橋を渡るころにようやく小降りになるも、霧が出て視界は不良。
幸い渋滞に遭遇することなく、予定の時刻に松山に着くことができました。

夜、道後温泉へ行く頃は雨がすっかり上がり、ゆったりと温泉につかりました。


翌日、飛行機で到着する家族を迎えに松山空港へ。
空港の正面玄関横に、松山ならではの『みかんジュースが出る蛇口』がありました。


天気が前日とは一転、良くなったので松山城へ行くことに。


城山の麓にある無料駐車場に車を停め、山道を登って天守へ。
こんな人形があるとは。初めて見ました。


帰りは二の丸跡へ立寄ると、我が母校松山市立城東中学校の沿革を記した石碑横に、まだ花が残る桜がありました。


城東中学校の頃ここは駐車場でしたが、今はとても綺麗に整備されています。


綺麗になったものの城東中学校の面影が全くなくなり、寂しい限りです。

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アールベルク余話

2023年05月08日 | 22~23シーズン

語学が苦手です。
せっかく海外へ出かけてもあまり会話ができず、四苦八苦しています。


スキーオーストリアアカデミーを訪問したときのことです。


アカデミーのマンドル所長とドイツ語で話をしていた村里さんが、わずかの時間ですが席を空けました。

するとマンドル所長が私に、英語で「ドイツ語を話しますか?」と話しかけてきました。
「いいえ」と言うと、所長は「英語は?」と訊くので、「少しだけ」と答えました。
そこで私は何か喋らなければと思い、英語とドイツ語交じりで「Here is wunderbar. 」と言いました。
すると、マンドル所長はにこやかに「Wunderbar!」と復唱し、英語とドイツ語交じりの言葉が通じたことに、ホッとしました。

 

チューリッヒ空港内のショップで、お店の人に「お勧めのスイスワインはどれですか?」と英語で訊ねました。
勧められたワインは、フルーティな味わいのワインと今話題になってる人気のワインでした。
ワインの解説をしてくれたとき、私が英語をあまり理解できてないことを悟ったお店の人は、スマートフォンの翻訳アプリを使って日本語訳を私に見せてくれました。
納得した私は、勧められた2本のワインを購入しました。

日本に帰ってから飲んだ2本のワインは、どちらもすっきりとしたさわやかな味わいでした。
ワインを味わいながら、勧めてくれたお店の人と翻訳アプリのことが頭に浮かんでいました。

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オーストリア・アールベルク with アキさん『チューリッヒ』

2023年05月07日 | 22~23シーズン

3月11日の朝、帰国のためサンアントンからチューリッヒ空港へ向かいました。
チューリッヒ空港に到着するとすぐさま航空会社カウンタに荷物を預け、電車でチューリッヒ中央駅へ。

チューリッヒ中央駅からリマト川に架かる橋を渡って、旧市街を5分あまり歩いた所です。


街角にあるレストラン『スイス チュチ』に入りました。


店名から分かるようにスイス料理の専門店です。


村里さんの提案で、みんなでチーズフォンデュを食べることに。
濃厚ながら癖のないチーズフォンデュに、最後はチーズのおこげも平らげました。


本場の美味しいチーズフォンデュに、皆さんご機嫌。
昼の12時前に入ったので写真のように席は空いていましたが、瞬く間に満席に。
チューリッヒ大学に近く、旧市街でとても人気のお店だそうです。


昼食後、リマト川沿いを散策しながら石造りの建物を眺めていると、ふと日本人の石工のことが頭に浮かびました。


時は戦国時代。
その石工は架空の人物で、作家『佐々木譲』の小説の主人公です。


主人公は織田信長に命じられてヨーロッパの石造りの城塞構築法を学ぶために渡欧し、帰国することなく彼の地で活躍する、そんな小説でした。


トラムはどれも数両編成。
利用客が多いということでしょうか?


チューリッヒ湖に向かって歩き続けると、湖畔に『ガニメドと鷲』の彫刻がありました。


チューリッヒ湖へ向かったときとは反対側の川岸を歩くと、人のすれ違いも困難な狭い通路がありました。


サンアントンへ来る直前に観たNHKのテレビ番組『世界ふれあい街歩き』に、この狭い通路や工場が出ていたことを思い出しました。


チューリッヒの旧市街やビジネス街を歩きながら、中央駅に向かう目抜き通りに。


チューリッヒ中央駅の正面は、歴史を感じる風格ある造形でした。


中央駅から電車に乗ってチューリッヒ空港へ戻り、空港内を歩いていると『空港ピアノ』がありました。
ゆっくりとピアノの調べを聴きたかったのですが、時間がなくそそくさと通り過ぎてしまいました。


夕刻、チューリッヒからブリュッセル経由で成田への帰途につき、オーストリア・アールベルクの旅を終えました。

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オーストリア・アールベルク with アキさん『インスブルック』

2023年05月05日 | 22~23シーズン

これまでに4回、ヨーロッパアルプスへスキーに出かけました。
いつもスキーだけのツアーだったので、いわゆる都市部の観光は一度も経験がありません。
そこで今回は村里敏彰さんに観光の機会もお願いし、インスブルックへのショートトリップを組み込みました。


3月7日、スキーを早めに切り上げホテルで着替えた後、サンアントン駅へ向かいました。


15時過ぎの電車に乗って、インスブルックへ。


乗車して1時間あまりでインスブルック駅に到着。

ここは、インスブルック大学で学んだ村里さんにとって第二の故郷のようなところ。
村里さんは生き生きとした笑顔で街を歩いていました。
私は村里さんのあとを追いながら、見慣れない街の様子をキョロキョロと眺めながら歩いていました。

駅からしばらく歩くと、小さくとも威風堂々とした凱旋門がありました。
凱旋門だから何かの戦勝を記念して建てたのかと思っていたら、1774年に皇帝の婚姻を記念して建立したとのこと。

 

凱旋門がある交差点を右に曲がると前方に目指す旧市街があり、その先にアルプス・ノルトケッテ連峰を望むことができました。


路面に1905年に開通したトラムの線路があり、石造りのバロック様式建築物にヨーロッパの歴史を感じました。


マリア・テレジア通りの中央に柱があり、「なんだろう?」と近寄りました。


敵軍の侵入を撃退した戦勝記念として1706年に建てられた『聖アンナの記念柱』でした。
この記念柱の背景にアルプス・ノルトケッテ連峰を組み合わせた景観は世界的に知られているようです(私は知りませんでしたが・・・)。


ノルトケッテ連峰とインスブルックの建物との組み合わせは、とても絵になります。


ここで皆さんと記念撮影。


旧市街に向かう道路の突き当りに、1496年に完成した黄金の小屋根がありました。


インスブルックで最も歴史のある旧市街の街並みです。


白い建物はハプスブルク家が居住したという王宮『ホーフブルク宮殿』でした。
1463年に建てられ、1754年~73年に現在のバロック様式に改築されています。


イン川に架かる橋『インブリッジ』です。
村里さんが橋を指さしながら、「インスブルックの地名は、イン川の橋インブリッジという意味だよ。」と教えてくれました。


イン橋の傍に、父と息子またはAnno Nineと呼ばれる記念碑がありました。
敵の来襲を見張るチロルの父と息子闘士を描いているそうです。
チロル独立戦争の 100 周年を記念して、1914 年に作られています。


このあと夕食までの約1時間、村里さんは私のために『すみれの花の砂糖漬け』を探し求めて旧市街を駆けずり回ってくれました。
残念ながら見つからず、翌朝、村里さん曰く「虎屋の羊羹を盛岡で探したようなものだった。」と。
つまり、『すみれの花の砂糖漬け』はインスブルックでは売られてないものでした。


夕食は王宮の前にあるシュティフツケラー(Stiftskeller)で。
村里さんが3ヶ月も前に予約してくれてた、伝統的なチロル郷土料理を楽しめるレストランです。
超人気のため、早くから予約しないと入れないそうです。


インスブルック在住のご家族も参加して、楽しいひとときになりました。

インスブルックの中学校に通う男の子に「一番得意な言葉は何語?」と訊ねると、英語とのこと。
そしてドイツ語、日本語の順に3カ国語を話す国際人でした。


私がオーダーしたジャガイモの団子と豚肉のチロル料理。
団子はあまり口に合いませんでしたが、豚肉は最高にデリシャスでした。

 

シュティフツケラーでの夕食後、電車に乗ってサンクト・アントンに戻りました。

また再度訪れて、チロルの郷土料理を味わいたいと思ったシュティフツケラー。
そして、アルプス・ノルトケッテ連峰と街並みの風景をゆったりと眺めたいと思うインスブルックでした。

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オーストリア・アールベルク with アキさん『サンクト・クリストフ』

2023年05月02日 | 22~23シーズン

ゲレンデから撮ったサンクリストフです。

サンクリストフの正式名称は、『サンクト・クリストフ・アム・アールベルク
「アールベルク峠にある」という意味を持つ「アム・アールベルク」は略され、通称は『サンクト・クリストフ』です。
サンクト・クリストフはサンクト・アントンとは別の村かと思っていたら、サンクト・アントン村内の一地区でした。同じ村内ということで、バスに乗るとサンクト・アントンとサンクト・クリストフ間は無料でした。


サンクト・クリストフといえば『ブンデススポーツハイム』。
現在の『スキーオーストリアアカデミー』です。
写真の左下にある近代的な建物が、スキーオーストリアアカデミー。


オーストリア国内では、サンクト・クリストフは14世紀にハインリッヒ・フィンデルキンド(サンクト・アントンで撮った木像の主)が建てたホスピスも有名のようです。
スキーオーストリアアカデミー前の道路を挟んだ反対側に、現在のホスピスと聖クリストファー礼拝堂があります。


もう一つ、知る人ぞ知る驚異のワインセラーを有する『ホスピスアルム』があります。
村里さんに教えていただき、初めて知りました。


3月10日の夕方、ホスピスアルムのワインセラーを見学してきました。

ホスピスアルムは玄関から中に入ると、ありふれた賑やかなレストランといった感じでした。


村里さんが店の人と話をして案内されたワインセラーの入り口。
ワインセラーには、あらかじめ予約をしないと入れません。

ここから、何か凄いものがありそうな予感が・・・。

案内された部屋に入って、「オー!」と思わず驚きの声が。
天井から足元付近の壁まで、ワインが並べられていました。

全てボルドーワインで、なんとヨーロッパで最大級のワインセラーだそうです。

さらに奥の部屋へ案内されると、円形の室内がワインに覆われていました。
「ホオー‼」と驚嘆の声が出るだけで、ほかに言葉が出ませんでした。

別室にて有料で試飲ができるということで、村里さんから「僕が半分負担するから1本〇万円のワインを飲もう。」という提案が。
皆さんは目を輝かせながら村里さんの提案に乗りましたが、下戸の私は頑なに「結構です。」と飲むのを断っていました。
しかし、村里さんに「そんこと言わないで少し飲んだら。」と説得され、そうすることに。
飲むというかなめる程度でしたが、複雑な味わいがするワインでした。


めったに飲めないすこぶる美味なワインを堪能して、皆さんとてもご満悦でした。

 

サンクト・アントンの人通りがほとんどない街の片隅で、何気に見かけてたまたま撮った木像があります。
木像について調べると、『ハインリッヒ・フィンデルキンド』という人物であることがわかりました。

そしてその木像が、サンクト・クリストフのスキーオーストリアアカデミー前で単に綺麗だからと撮影した建物(ホスピスと聖クリストファー礼拝堂)に繋がり、今その偶然に面白みを感じています。

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