粉雪の万座へ

万座の粉雪と雪景色、流れる雲と青空に魅せられ綴っています。

帰ってきたスキー板

2014年08月30日 | 14~15シーズン

先週末、チューンナップに出していたスキー板が、仕上がって帰ってきました。


事前にチューンナップ専門会社スキッドより電話があり、到着日と着払い金額
を連絡してくれました。おかげで、日中スキーを受け取ってくれる女房へその旨
を話し、着払い金額を手渡しておくことができました。

数年前のことでした。
チューンナップからスキーが着払いで帰ってくることを、女房に話していません
でした。で、突然スキーを受け取り、着払いでお金を払う目になった女房。
仕事から家に帰ると、女房にえらい剣幕で「どうして私が、あなたのスキー代を
払わなきゃいけないのよ!」と、詰め寄られました。
そんなことがあったので、二の舞は避けなければと注意をしていたのでした。

スキーは箱の中に、丁寧に納められていました。

昨年購入した板は滑走日数が少ない上にほぼ無傷だったので、古いスキー
だけをチューンナップへ出していました。

今までとは異なるストラクチャーとエッジ角度で、申し込んでいました。
それを確認するため、明るい庭へ出しました。ベースワックスがたっぷり塗ら
れているため、ストラクチャーは確認できませんでした。エッジは指先で撫でる
と、皮膚が切れそうでした。

新たなストラクチャーの滑走性能を確かめるのが、とても楽しみな今日この頃です。

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Go for it.

2014年08月24日 | Weblog

23日(土)の朝、ヨーグルトが入った小さなカップのフタをめくると、裏に
“Go for it”(頑張って)と書いてありました。


“Go for it”というと、思い出すのがこれ。
“NO GUTS,NO GLORY,GO FOR IT”(根性なしに栄光なし。行ってみろ。)
羽住英一郎映画監督が、『銀色のシーズン』を撮影するきっかけになった言葉です。


あこがれとするスキーシーンで、音楽も大好きです。
新雪の急峻な斜面に立ち滑り出す覚悟を決めかねていると、よく万座ス
キー学校の元主任黒岩隆夫先生に、「びびるんじゃねえ!」と大声で言
われていました。
滑り終わると隆夫先生は、「すみません、口が悪くて。」と謝っていました。


午前中、いつものテニスから帰り、しばらくすると雨と雷が。ラッキーでした。
昼食を食べ終わったころ、ネットで注文していた待望の本が届きました。
高校生の時からずっと気にしていた謎解きのために、購入した本です。
本は、中学三年生の時に国語を教えていただいた先生が書いた随筆集。
 
この随筆集の存在を中学・高校の同級生がわざわざ探し、教えてくれました。
持つべきものは、『友』です。

幸いにも午後1時過ぎには雨がやんだので、随筆集での謎解きは夜の
お楽しみにして、仕事のため渋谷のNHKへ。

NHKでの仕事はさっさと済ませ、隣の代々木公園から聞こえてくる賑や
かな音楽の方へ向かいました。行ってみると、全国から集まった踊り子
たちが、よさこいをリズミカルに踊っていました。
タイトルは、『原宿表参道元氣祭り・スーパーよさこい』。
 

四国・高知で2年間勤務した時、毎年真夏の祭典よさこいを汗だくにな
って踊ったことを思い出し、しばらく見入っていました。
プログラムを見ると、ベトナム・ハノイの連があることが分かりました。
一時、片手間ながらベトナム関連の仕事をしていたので、ハノイ連が
来るまで楽しむことに。

ハノイ連の山車が来ました。


踊り子たちはアオザイを模した衣装を着て、笑顔で踊っていました。

この日は朝から、いろいろと元気をもらった一日でした。

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スーパーシニア

2014年08月16日 | Weblog

8月7日(木)午前3時30分、車で四国・松山を目指して自宅を出発。

午前5時、新東名高速道路の清水パーキングエリアに到着。
人気の少ない朝焼けのパーキングエリアは、爽やかでした。

午前9時30分、大阪・豊中インター付近では進行方向の西の空に雲が現れ、
四国方面のお天気が心配に。

この頃、「松山は久しぶりにいい天気」との情報を得てひと安心。

12時30分、瀬戸大橋中間の与島パーキングに到着。

雲が多めながら、まずまずのお天気。

松山には午後3時30分、東京から850kmを12時間で到着。大きな渋滞
に合うことなく順調なドライブでした。


8月8日(金)の夜、5年前まで勤務していた会社の同僚とミニミニ同期会。
今夏の帰省で、一番楽しみにしていたことです。

Hm君(左)とAn君(右)のほかにYd君も集まる予定でしたが、台風の接近
のため建築屋のYd君は仕事から抜け出せず、残念ながら欠席に。

この日集まった3人、今はそれぞれ違う会社等の四国や東京都心エリアの
責任者としてそれなりに仕事をしていますが、20代半ばの2年間、東京で
同じ釜の飯を食いながら、一切の会社の仕事から解放されて、好き放題を
していた仲です。
当時、Hm君は剣道、An君はバドミントン、私はスキーに熱中。

Hm君とは休日、一緒に万座へ行ったことがあります。

一緒に行きながら私はスキー学校を手伝う羽目になり、彼には申し訳ない
ことをしたことを思い出し、数十年ぶりにそのことを謝りました。

その2年間は毎年、3週間の夏休みと10日ほどの冬休みがありました。
私は冬休みやスキーシーズンの土日は万座スキー学校に入り浸っていて、
行くと今は亡きマネージャーの根岸先生が待ち構えており、赤白のスキー
ウェアを手渡され、スキー学校の手伝いをさせられていました。断ることも
できたのでしょうが、人懐っこい顔の根岸先生に懇願されると、いやとは言
えませんでした。

2年目の夏休みはニュージーランドへスキーに行き、オーストリア国家検定
スキー教師の資格を持ち、当時はまだ20代で若手のスキー理論家として
テレビや雑誌に頻繁に出ていた村里敏彰さんに出会いました。
村里さんのおかげで、当初のスケジュールには入ってなかった「世界一美し
い星空」と言われるテカポ湖ほとりにあるスキー場に行くことができました。

小さなスキー場のためか日本人は我々のグループだけで、景色が良く落
ち着いたとても雰囲気のいいところでした。
村里さんに何回も「あれが南十字星だよ。」と教えていただきましたが、星
があまりにも多くて、結局どれが南十字星かわからずじまいでした。


三人それぞれ、現在の仕事上の悩みや問題を話すときはしかめっ面でし
たが、過ぎ去った昔の苦労話のときは、不思議と笑い話のように語ってい
ました。

現在夢中になっている話になり、私はHm君が今も剣道に打ち込んでいる
ものと話しかけると、なんと彼は「東京へ出張で行くたびに、ミュージカルを
観たり美術館めぐりをしている。それが今一番の楽しみだ。」と、にわかに
は信じられない言葉を吐き出しました。「えっ、何でそうなったんだ。」と聞く
と、「アメリカ・ニューヨークへ出張で行ったとき、ブロードウェイでミュージカ
ルを観、マンハッタンのメトロポリタン美術館で絵画を見て、感動して病み
つきになった。」とのこと。
ベトナム・ハノイへ出張に行き、しばらくベトナムコーヒーにハマっただけの
私とは大違いに、人間、変われば変わるものだと妙に納得。

An君は今もバドミントンに熱中していて、なんと全日本シニア大会でコンス
タントにベスト16に入っていて、一度だけベスト8までいったとのこと。彼の
自宅は大阪のため、大阪大会や近畿大会へも出場し、連続で優勝している
と自慢。
よく体力があるなと聞くと、毎朝5km走り、この日も雨の中をカッパを着て
走ったとのこと。いまだにスーパーマンのようにタフなシニアです。

こんな我々にも弱点が。
私のブログをAn君のスマートフォンで見ようとしたとき、An君の操作にス
マホがいうことをききません。彼は「いつもこうなんだ。」とぼやいていました。
そこで、今年の3月まで携帯・スマホ関連の会社にいたHm君へ助けを求
めると、「俺はスマホは仕事でしか使わないことにしている。だから、いつも
スマホは会社に置いて帰り、プライベートではガラケイしか持ち歩かない。」
と、澄ました顔で言い、An君のスマホを触ろうとしません。
私は「俺はガラケイで十分なので、スマホを持たず使えないのだが、Hmも
使えないんだ。」と言うと、「そんなことはないが・・・。」と弁明するHm君でし
た。
An君、四苦八苦してようやく私ブログに到達。この日、最大の珍事でした。

お開きになり、私とAn君は路面電車に乗ろうと停留所へ行くための階段を
降りようとすると、An君は「トレーニングで走るのは苦にならないが、日常
生活で階段を上り下りしたくない。」といい、私も「俺も同じたよ。でも、ここ
は階段しかないのだから仕方ない。」と、年寄じみた会話に。


今回も帰省中、ほぼ毎日行った道後温泉。9日の夜は台風が最接近した
こともあり、土曜日ながら温泉街は閑散としていました。

11日は台風も過ぎ去り、ご覧のような人出で賑わっていました。

裸になって温泉へ入って感じたことは、私より腹黒い人は何人かいました
が、私より顔や手足が黒く日焼けした人はいませんでした。

温泉から上がり、駐車場で空を見上げると飛行機雲Contrailが浮かんで
おり、「えっ? 道後温泉の真上を飛行機が飛ぶかな?」と、つまらないこ
とを考えていました。


12日の午前3時に松山を立って東京へ。
頻繁に休憩を取ったり、東京まであとわずかのところで渋滞にあったりし
て、自宅にたどり着いたのは午後7時過ぎ。
6日間、全行程1835km、燃費23.9km/Lの帰省でした。

 

15日(金)の夕方、恵比寿ガーデンプレイス。

12月に参加した『自主公開講座』を主催したNPO法人 元気・まちネット
の矢口正武代表に誘われ、恵比寿で暑気払いをすることに。

矢口さんは私より7歳年長ですが、トライアスロンに挑戦している現役アス
リートのスーパーシニアです。
この日は途中からNPO法人元気・みちネット理事の佐野さんも加わり、ス
キー談義や白洲次郎、町おこし等々について、閉店まで楽しくも有意義な
歓談ができ、とても充実した暑気払いになりました。

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確率『百分の一』からの開放

2014年08月02日 | Weblog

6月の下旬、健康診断結果が自宅に送られてきて総合判定が「要精検」。


ブルガダ型心電図? 聞き慣れない言葉にネットで調べてもよく分からず、
はじめは無視していました。
7月に入ってから少し気になり、自宅からドアツードアで百歩、歩いて1分
のご近所づきあいをしている病院(クリニック)にて別件で診察を受けた際、
院長に相談。
院長は「本当にブルガダ型心電図であれば、心筋梗塞とかになる可能性が
あるから、詳しく検査してもらった方がいいですね。でもまあ、まず大丈夫で
すよ。」とニコニコと笑顔でいいます。その笑顔に安心して受付で診察後の
会計を終えると、受付の女性から「これ、院長からです。」と紙袋を手渡され
ました。

自宅へ帰り、袋を開けるとワインと日本酒が一本ずつ入っていました。

去年の夏は、ワイン風味のビールをいただきました。

このビール、春にもいただきました。

世の中、病院からお酒をもらっている患者は、私だけではないかと自負して
います。なぜなら、普通はその逆だから。
ただし、私は下戸のため、いただいたお酒はほとんど女房と子どもが飲んで
います。


今朝、検査のために新百合ヶ丘総合病院へ。

この総合病院、二年前にオープン。設備は最新、良い先生を集めていると
の評判で、お酒を時々くれる院長に紹介され、オープン直後から3ヶ月毎に
ある検査のために来ています。
見かけは健康体ですが、少しずつあちこちにガタが来ています。

さて、『ブルガダ型心電図』。診察していただいた先生が言うには、この心電
図の約1パーセントの人が突然死する可能性があります。そして、遺伝する
病気らしく、家族や親戚に突然死した人がいるかどうか聞かれ、「いません」
と回答。

問診のあと、心電図を三分間測定し、さらに別の測定方法でとって再度診察。
心電図の結果を見て、「これなら大丈夫ですね。身内に突然死された方がい
ないそうだし、まあ、1パーセント、百分の一の確率で突然死することはないで
しょう。」と先生。

確率百分の一から開放され、身も心も軽くなったような気分で車を運転して
自宅へ。

昼食を食べ、一休みしてからテニスへ。
コートに出ると耐えがたい暑さ。でも、肩がいつもより軽い感じ。
練習では調子が出なかったサーブが、コーチも交えてのゲームではコーチか
らも数本サービスエースをとることができ、絶好調。確率百分の一からの開放
感に浸っていました。

テニスは好調でしたが、夜、テレビドラマ「白銀ジャック」を観ようとしたら、女房
と普段は新横浜で一人暮らしをしている長女に多数決でチャンネル権をとられ、
仕方なくこのブログを書いています。

コメント (4)
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