本日、万座スキー学校・根岸勲先生の告別式に参列し、最期のお別れをしてきました。
式場の入口横には先生の在りし日を偲んだメモリアルコーナーがあり、懐かしい思い出
がよみがえります。
私が通い始めた頃の万座は、いつも粉雪に埋もれていました。
初めて万座に行ったときのある日、猛烈な吹雪でレッスンが中止に。そこで、スキー学
校のホールで、音声がドイツ語のスキー映画を観賞。校長が留守のため、根岸先生が
解説してくれました。
20代半ばの頻繁に万座を訪れていた頃、ときどき根岸先生から
「会社を辞めて、ずっとスキー学校に居たら。」
と言われたものです。思い通りにスキーが上達していればそうしたのですが、それほど
上手くならず、根岸先生の期待に応えることはできませんでした。
また、その頃は、スキー学校に着くなり赤白のスキーウエアを手渡され、
「○○時までに、○○ゲレンデに行くように。」
と、優しい顔と声ではなく、切羽詰った顔と有無を言わせない口調で言われていました。
これには逆らえず、素直に従っていました。
根岸先生に直接教えていただく機会はありませんでしたが、一緒に滑ったり、私の滑り
をリフトの上やゲレンデの端から見ててくれました。
亡くなる2週間前に病院へお見舞いに行き、1時間近くスキーの話をあれこれしました。
ほとんど根岸先生が楽しそうに、熱く話してくれたのでした。だから、また、お見舞いに行
こうと思っていた矢先に、亡くなられてしまいました。
以前、黒岩隆夫先生がこんなことを言っていました。
「根岸先生ほど、スキーに対して何事も熱心な人はいない。」
きっと今頃は、万座の天空で、粉雪降り積もる季節を待ち侘びていることでしょう。