粉雪の万座へ

万座の粉雪と雪景色、流れる雲と青空に魅せられ綴っています。

オフピステとブドウ液

2011年01月22日 | 回想

いよいよ来週は、万座で『オフピステ入門1期』。

今冬は雪が降り続いているので、この時のように、ふかふかの新雪・深雪を滑れるものと
大いに期待しています。

オフピステを滑る楽しさを知ったのは、このメンバーで万座から草津へツアーをしたとき。
 
朝日山から氷と雪に覆われた弓池の上を歩き、時には雪の野山で新雪を滑り、青空の
下で心地良い汗をかいた記憶があります。

汗をかいたところで休憩。そのときインストラクタの黒岩隆夫先生がザックから取り出しも
のが、サントリーオールド。

ただし、中身はウイスキーではなく、隆夫先生が「ブドウ液といって、山ブドウで作った
ジュースです。日新館(旧日新館のことで現在はない)で売っています。」と解説。
今風に言うと「グレープジュース」でしょうが、「ブドウ液」というネーミングが素朴で、や
や濃厚ながら後味はサラリとしているところが気に入り、それ以来、万座へ行くたびに
買っていました。

日新館ではグラス売りと瓶詰めの二種類を販売していて、瓶はなぜか全てサントリー
オールド。
下戸の私にとっては、ウイスキーよりブドウ液が入ったオールドの瓶の方が好きでした。


1980年頃の万座

2010年11月23日 | 回想

11月20日、特に用があった訳ではありませんが、四国・松山に帰省。
 
羽田には、ポケモンの派手な飛行機が。

帰省してみると以外にあれこれとやるべきことがあり、結構あわただしい時を過ごすことに。
それでも、夜は必ず道後温泉へ。

そんな中で実家に置きっ放しのアルバムを開き、万座での古い写真を見て思い出にふけて
いました。

年代順にスキー学校で記念撮影したものを並べてみます。

1978年2月、インストラクタは田中耕次先生。

万座スキー学校を初受講。
万座の寒さを痛感。さすがは粉雪の万座、寒さが一味違いました。

1979年3月、インストラクタは黒岩隆夫先生。

このときから、黒岩隆夫先生にたびたび教えていただくことに。
よい天気が続いて草津へツアーに連れてってもらい、新雪の魅力に感動。

1980年2月、インストラクタは曽雌鐘哲先生。

男ばかりのハイレベルのクラスでした。
熱血漢の曽雌先生の下で、ハードなレッスンを受講。

1981年12月。インストラクタは○○。

雪が少ない暖かな年末年始でした。
小学生、女子大生、OL、サラリーマン、実業家と様々な方たちの和気あいあいとした
クラスでした。私はこのクラスで、熱い汗と冷や汗をかいていました。

1982年2月。インストラクタは小川俊明先生。

小川先生、スキー板が長く見えるようにして記念撮影。左足のスキー板の上に右スキー
板のテールを置いて、けり上げたスキー板が雪の中に埋もれないようにしています。
小川シュブングに魅せられ、後を一生懸命に追いかけていました。


ここからは私のカメラで撮ったものです。

黒岩達介校長とのツーショット。(1978年2月)

スバル車の雪上講習会を受講した際の記念撮影です。

昼食会のひととき。(1979年3月)


この喫茶コーナーではミーティングのほか、談話や歌を歌ったり。(1979年3月)

黒岩隆夫先生に押されて、ドミノ倒し状態に。

ハウスユキの玄関前で。(1979年3月)

後ろから押されて、前のめりに。

1982年の朝日山第2ゲレンデ。
 

粉雪の万座、今も昔も万座の代名詞である粉雪の雪質は変わりませんが、積雪量と訪れ
るスキーヤーは減ってきたように感じています。


ハウスユキの想い出

2010年09月18日 | 回想

2010年4月、ハウスユキが閉ざされました。時をほぼ同じくして、私の実家も空き家に。
それぞれ建物自体は残っていて、家人も健在ながらも、住み慣れた二つの家に誰も住ま
なくなった今、心やすらぐ帰る所がなくなった感があります。

初めて万座を訪れた1978年2月、粉雪の万座の名のとおり、万座・鹿沢口の駅舎から
万座温泉のバスターミナルまで、そしてハウスユキも、深々と粉雪に覆われていました。


朝、四国・松山を出発し、万座に着いたときには日が暮れ、ハウスユキでは既に夕食が
始まっていたように記憶しています。

そのシーズンに大ホールが完成し、以来この暖炉に火が燃え続けていました。
 

大ホールではミーティング、映画鑑賞、年越パーティ、ピアノコンサート、カクテルパーティ
等々、いろいろな想い出があります。
 

最初に泊まった部屋は洋室でした。 
そして、奇しくも最後に泊まった部屋も同じ洋室です。
 
 

近年はもっぱら和室に泊まることが多く、自宅でくつろぐのと同じ感がありました。
かつてはスキーヤーズベッドに寝ることが多く、そのときは喫茶コーナー(スチューベの
改装前のこと)でインストラクタや同宿者と語り合ったり、歌ったりして憩いのひとときを
過ごしていました。

ハウスユキには一人で来たり、学生時代の友人、職場の仲間と来ていました。
結婚してすぐ女房と訪れ、先シーズンからは末娘と宿泊も。

ハウスユキに泊まる際の良さの一つは、相部屋で顔なじみの方や初対面の方と外界の
ことは忘れて、楽しくスキー談義ができることでした。
 
 


ハウスユキをバックに、スキーヤーの皆さんと記念撮影をしたこともありました。
 


玄関を出てすぐ左の柱に、大きな寒暖計があります。
 
ハウスユキに到着すると、いつもこの寒暖計で気温を確認していました。宿泊した翌朝
は朝食前に気温をチェックして、その日に何を着込むか判断していました。

寒暖計は、ハウスユキを閉じた今も健在です。
 


万座ハウスユキの玄関のドアを開けて中に入ると、いつも笑顔で迎えてくれた事務長、
スキーに熱い情熱を持った黒岩校長をはじめマネージャ、主任、インストラクタの皆様
の想い出と共に、ハウスユキのことは夢のまた夢になりました。


滑走フィールドを回想

2008年11月02日 | 回想

これまでに滑った所がどれだけあるか、振り返ってみました。


まずは、オフピステから、
【群馬】
万座、山田峠、白根山周辺
 


万座~草津間


【山形】
月山山頂周辺


【鳥取】
大山三の沢(ゴールデンウィークに沢の残雪を滑走)


【東京】
都内に大雪が降ったとき、この周辺をひと滑り



次に、スキー場を北から順に、
【北海道】
大雪山、スキーカムイリンクス、富良野、テイネ、藻岩山、ニセコ


【岩手】
安比高原、雫石、夏油高原


【宮城】
オニコウベ


【山形】
月山
 


蔵王、天元台高原、栗子


【福島】
猪苗代、猫魔(この周辺のスキー場だが、名前を覚えていない)


【新潟】
妙高高原、ガーラ湯沢、かぐら、苗場


【長野】
八方尾根


志賀高原


アサマ2000


軽井沢プリンス


車山高原


コルチナ国際、白馬乗鞍、白馬五竜、野沢温泉、斑尾高原、菅平高原、乗鞍高原、
小海リエックス


【栃木】
ハンターマウンテン


【群馬】
万座温泉


草津、水上宝台樹


【静岡】
スノータウンイエティ


【兵庫】
神鍋


【鳥取】
大山


【広島】
大佐


【徳島】
剣山


【愛媛】
美川、小田、石鎚、久万


【唯一の海外、ニュージーランド】
マウントハット、テカポ、コロネットピーク


思い出せず漏らしたところもあるかもしれませんが、ざっと約50箇所のスキー場を
滑ったことになります。


万座の30年を振り返って

2007年07月15日 | 回想

初めて万座を訪れたのは、1978年(昭和53年)2月でした。
つまり、今年で30年が経ったことになります。この30年間を駆け足で振り返ってみます。


 
<1978年(昭和53年)>
当時は四国に住んでいました。前年、北海道の富良野で万座スキー学校の曽雌鐘哲先生に
出会ったことがきっかけで、遠路はるばる四国から万座に行き、スキー学校でお世話になりまし
た。
万座の印象は、粉雪が最高、温泉も最高。スキー学校が充実していて、かつ楽しい、先生も生
徒も素晴らしい(美女が多かった)。ハウスユキの暖炉が暖かい。吹雪いたときの万座は猛烈に
寒い、でした。
思い出を一つ。万座スキー学校の初レッスンは、一般レッスンを受講しました。インストラクタは
長谷川兄治郎先生でした。同じクラスに、長谷川先生と随分と親しく会話を交わしている女性が
いました。すぐ後で分かったことですが、その女性は事務長でした。アトにも先にも、私が事務長
のスキー姿を見たのはこれっきりです。


 <1979年(昭和54年)>
黒岩隆夫先生に初めて教えていただきました。以来、なぜか隆夫先生に教えていただく機会が
一番多く、それは今も続いています。
ツアーで草津まで連れてってもらい、ゲレンデ以外の自然の野山を滑る楽しさ、パウダースノーの
新雪・深雪滑走の楽しさ、万座の自然の素晴らしさ、美味しいブドウ液を教わりました。
このときのSurpriseが、今も忘れられません。ブドウ液が今はなく、さびしい限りです。


 <1980年(昭和55年)>
曽雌鐘哲先生のハードなレッスンを受けました。万座に一週間ほど居ましたが、ほとんど吹雪で、
最終日にやっと晴れました。翌日、北海道に行きました。北海道でもずっと吹雪でした。このとき、
スキーは好きでも自分は雪国には住めないなと感じました。
このシーズンまでの3年間は四国から毎年一回、一週間~10日間ぐらい万座に来ていました。


 <1980年~1981年(昭和55年~56年)>
1980年4月、東京に転勤。
年末年始を初めて万座で過ごし、隆夫先生に随分とお世話になりました。特訓五日間コースが
終わったその夜、隆夫先生や根岸先生、他の先生方に包囲され、そのままスキー学校に強制
収容されてしまいました。おかげで、年末年始休暇後も数日万座にいました。強制収容されて
何があったかは、秘密??です。その後も万座に来ると時々、根岸先生に逮捕されました。
このシーズンは東京にいたこともあり、何回も万座に行きました。高見哲男先生に焼き鳥を手に
してスキーを教わり、ウェーデルンに開眼したのはこの頃でした。


 <1981年 秋(昭和56年)>
9月だったと思います。会社の研修で万座に行きました。
温泉に入ろうとすると、先客としておばあちゃん達が何人もお湯に浸かっていました。『入っても
いいですか?」と訊ねると、「私たちでよかったらどうぞ。」と言われ、同僚数人と前をしっかりと
隠して入りました。あの頃は、若かった。
小川俊明先生と東京で、時々テニスを楽しみました。二人の腕前はどっこいどっこいの上手さ??


 <1981年~1982年(昭和56年~57年)>
このシーズンも、年末年始は万座で過ごしました。スキー学校恒例の年越しパーティに初参加。
元旦には黒岩達介校長先生じきじきの早朝レッスンを受けることができ、感激しました。
自分でスキーツアーを企画し、バスをチャーターして会社の同僚40名近くと万座に来ました。1月
から3月までの土日は、ほとんど万座に来ていたような気がします。このシーズンは、小川先生に
も鍛えられました。当時、小川先生の滑り『小川シュブング』にあこがれていました。
この頃から、万座を第二の故郷のように思っています。

<1983年(昭和58年)>
前年の4月に四国の松山へ転勤。
一泊二日で一度万座を訪れただけでしたが、万座に来ると、とても心が安らいだ記憶があります。


 <1984年(昭和59年) 春>
2月に結婚。4月に再び東京へ転勤。ゴールデンウィークに女房を連れて万座を訪れました。
ゴールデンウィーク時期になるとスキー学校にいるインストラクタはわずかでしたが、皆さんにとて
も祝福されました。


 <1984年~1985年(昭和59年~60年)>
女房は出産準備のため晩秋から里帰り。そこで12月に万座で初滑り。東京に戻った翌日の
25日に第一子が誕生。女房が里帰り中といえども、子どもが生まれた日にスキー場にいなく
てよかったと、ほっとしたものです。
1月に、もう一度万座に行きました。この年まで、学生時代の友人K君と来ることが多かったので
すが、そのK君は今は鹿児島空港で管制官をしており、この20年間ほどは一緒に滑っていませ
ん。「またいつの日にか、K君と万座でスキーを気ままに楽しみたい」と思う昨今です。


 <1986年~1988年(昭和61年~63年)>
この3年間は、万座に関する記憶が曖昧です。確か3回ぐらいは万座に行ったように思いますが。
その内一回は夏、家族で昼間に立ち寄り、涼しいと言うより寒いくらいだったことを覚えています。
いつだったか思い出せませんが、会社の後輩が万座に是非行きたいと言うので、日帰りで行き
ました。後で、映画『私をスキーに連れてって』に万座が出ていたことを知りました。それで後輩は
万座にあこがれていたようです。


<1989年~1998年(平成元年~10年)>
万座とは無縁の10年間でした。
スキーには行っていましたが、年間の滑走日数は1日~5日程度で、足前は衰える一方でした。
この間に転勤で、四国と東京を2往復しました。子どもは3人まで増え、仕事も忙しく、仕事と子育
てに明け暮れた10年間でした。


 <1999年(平成11年)>
1982年以来、実に17年ぶりにスキー学校でレッスンを受けました。滑り方が変わっており、
頭の中は混乱したままでした。それでも久しぶりに粉雪の深雪を滑り、万座を満喫できました。


 <2000年(平成12年)>
会社の部下と来ました。天気は最高。雪質も最高。でも、滑り、足前の方はサッパリでした。
 


 <2001年~2004年(平成13年~16年)>
この4年間は、万座歴全くの空白です。
毎年、一番下の子どもと車山スキー場に行っていました。車山では、かつて万座スキー学校
でインストラクタをしていた栗原さんが、ペンション『ピステ』(http://www.piste.co.jp/)のオー
ナーをしています。子どもがピステの食事や雰囲気が気に入っており、通い続けました。
その子どもも中学に入って部活に専念するようになり、一緒にスキーに出かけることがなくな
りました。翌シーズンから再び万座に行くようになった要因の一つが、ここにあります。


 <2005年(平成17年)>
再び、粉雪の万座へ通うようになりました。Surpriseは最高でした。
http://blog.goo.ne.jp/powdersnow-manza/e/39547e1fd904ff1a2619c3c8272dbe49


 <2005年~2006年(平成17年~18年)>
24年ぶりに、年末年始を万座で過ごしました。
http://blog.goo.ne.jp/powdersnow-manza/e/d26beb962f09966dbc96d9ab2fe86079
Surpriseで行った白根山のお釜は、感激ものでした。
http://blog.goo.ne.jp/powdersnow-manza/e/f9f4a6dee4b47bbf3abc6cece49e44b9


 <2007年(平成19年)>
雪が少なくても、粉雪に変わりなし。
http://blog.goo.ne.jp/powdersnow-manza/e/5e6e38db092a41dfc3a7b5d43240533f


 以上、30年間を駆け足で振り返ってみました。


回想: 2007年のシーズン

2007年06月16日 | 回想

2006年~2007年のスキーシーズンは、万座もかつてないほどの少ない積雪
でしたが、雪質はさすが万座といった粉雪を味わうことが出来ました。


  
1月下旬から3月上旬にかけて隔週で万座スキー学校に通い、黒岩隆夫先生と
小川俊明先生に交互に教えていただきました。


  
シーズン途中で小川先生にスキー板を選んでいただき履き替え、チューンナップも
小川先生がもっとも信頼するお店で施してもらいました。
2月10日の午前中はこれまでの板を履き、午後から新しい板に履き替えたところ、
自分はもちろんのこと、周囲の人にもよく分かるほどに滑りが俄然良くなりしました。
まるで魔法の板を履いたがごとく、安心して板に乗って思うように滑ることができまし
た。これまでに何回となくスキー板を替えてきましたが、こんなに滑りが変わったのは
初めての経験でした。小川先生に感謝!!です。


  
2007年も黒岩隆夫先生の“The Surprise”に参加しましたが、積雪が少なかった
ために残念ながらオフピステを滑ることは出来ませんでした。とは言っても『天は我を
見捨てず』、二日目の朝、コース脇の新雪・深雪を探しながら滑り、チョッピリながらも
“The Surprise”を楽しむことが出来ました。隆夫先生に感謝!!です。


回想: 2006年の“The Surprise”

2007年05月29日 | 回想

2006年は万座スキー学校・黒岩隆夫先生の“The Surprise”コースに、二度参加しました。


  
万座から山田峠に向かって、黙々と歩いているところです。


  
夜は『うぃすきーや~』様のご厚意によるカクテルパーティがあり、みんなで乾杯。


  
ややクラストした斜面あり深雪ありの、まさに“The Surprise”の連続でした。


  
横手山をバックに、そして、積雪時にしか行けない白根山のお釜近くで貴重な記念撮影。


回想: 2005年の大晦日と2006年の元旦

2007年05月20日 | 回想

<2005年の大晦日>
20数年ぶりに、万座で年を越しました。
スキー学校恒例の年越しパーティで大晦日の夜を過ごし、パーティがお開きになり
年が改まると早速初詣に行きました。そこで地元の方から、あったかく美味しい甘酒
をいただきました。万座の深夜ですからとても寒かったのですが、結構な人出で賑わ
っていました。


 
<2006年の元日>


  
元旦の万座は、最高のお天気でした。雪も量、質ともに最高でした。


 


    
先シーズンの“The Surprise”で滑った坊主山も、すっぽりとパウダースノーに覆われ
ていました。万座スキー学校の黒岩隆夫先生とスクールで一緒になった方々と万座山で
記念撮影。遠くに日本アルプスが見える、実に良い天気でした。


回想: 2005年の“The Surprise”

2007年05月12日 | 回想

  
2005年3月、数年ぶりに万座を訪問しました。万座特有の粉雪に覆われた雪景色と温泉を堪能
出来ました。


 


  
朝日山第1リフト降り場から望む坊主山です。スノーシューに履き替え、坊主山へ向かっています。
これは、万座スキー学校・黒岩隆夫先生の“The Surprise”コースに入校して、オフピステを楽し
んだ時の模様です。


 


   
これから“The Surprise”が始まります。 万座ならではの深雪、新雪滑走を満喫出来ました。  


 


  
画面中央に、みんなで滑ったアトのシュプールを見ることが出来ます。
深雪を思うように上手くは滑れませんでしたが、それなりに楽しむことができ、再び万座を訪れる
きっかけになりました。