粉雪の万座へ

万座の粉雪と雪景色、流れる雲と青空に魅せられ綴っています。

1980年頃の万座

2010年11月23日 | 回想

11月20日、特に用があった訳ではありませんが、四国・松山に帰省。
 
羽田には、ポケモンの派手な飛行機が。

帰省してみると以外にあれこれとやるべきことがあり、結構あわただしい時を過ごすことに。
それでも、夜は必ず道後温泉へ。

そんな中で実家に置きっ放しのアルバムを開き、万座での古い写真を見て思い出にふけて
いました。

年代順にスキー学校で記念撮影したものを並べてみます。

1978年2月、インストラクタは田中耕次先生。

万座スキー学校を初受講。
万座の寒さを痛感。さすがは粉雪の万座、寒さが一味違いました。

1979年3月、インストラクタは黒岩隆夫先生。

このときから、黒岩隆夫先生にたびたび教えていただくことに。
よい天気が続いて草津へツアーに連れてってもらい、新雪の魅力に感動。

1980年2月、インストラクタは曽雌鐘哲先生。

男ばかりのハイレベルのクラスでした。
熱血漢の曽雌先生の下で、ハードなレッスンを受講。

1981年12月。インストラクタは○○。

雪が少ない暖かな年末年始でした。
小学生、女子大生、OL、サラリーマン、実業家と様々な方たちの和気あいあいとした
クラスでした。私はこのクラスで、熱い汗と冷や汗をかいていました。

1982年2月。インストラクタは小川俊明先生。

小川先生、スキー板が長く見えるようにして記念撮影。左足のスキー板の上に右スキー
板のテールを置いて、けり上げたスキー板が雪の中に埋もれないようにしています。
小川シュブングに魅せられ、後を一生懸命に追いかけていました。


ここからは私のカメラで撮ったものです。

黒岩達介校長とのツーショット。(1978年2月)

スバル車の雪上講習会を受講した際の記念撮影です。

昼食会のひととき。(1979年3月)


この喫茶コーナーではミーティングのほか、談話や歌を歌ったり。(1979年3月)

黒岩隆夫先生に押されて、ドミノ倒し状態に。

ハウスユキの玄関前で。(1979年3月)

後ろから押されて、前のめりに。

1982年の朝日山第2ゲレンデ。
 

粉雪の万座、今も昔も万座の代名詞である粉雪の雪質は変わりませんが、積雪量と訪れ
るスキーヤーは減ってきたように感じています。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« オフピステ入門2期 その2 | トップ | 万座からのメール便 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

回想」カテゴリの最新記事