粉雪の万座へ

万座の粉雪と雪景色、流れる雲と青空に魅せられ綴っています。

“Surprise” 白洲次郎の木製スノーシュー

2007年11月25日 | 白洲次郎

暖かな秋晴れの下、鶴川(東京都町田市)にある旧白洲邸『武相荘』を訪ねました。


 
住宅街の行き止まりにある静かなところでした。




 
白洲次郎は戦前より日本の敗戦を予想し、ここ鶴川に住まいを移して農業をしていました。
終戦直後、GHQとの折衝で活躍。GHQ側に「従順ならざる唯一の日本人」といわしめた人
物として有名です。



 
家屋は農家そのものです。家の中も見学できますが、撮影禁止でした。
敷地内には、ちょっとした散策道があります。


 


 
帰りがけ、門の左手に農機具などを置いてある納屋をのぞいてみると、奥に興味深い
形をしたものがあります。

 
近寄ってみると、なんと木製のスノーシューらしきものがあるではありませんか。
幅広い所に『IVERSON』と文字が焼き付けられています。その下の白いシールには、
『Yes!  Made in Michigan』と印刷されています。
武相荘の係員の方に聞いてみると、「白洲次郎が蔵王へスキーに行ったときに使用した
スノーシュー」とのことでした。
ここ武相荘で、しかも農機具を置いてあるところで木製のスノーシューを見るとは思いま
せんでした。本当に驚きました。そして、万座の粉雪におおわれた野山が、目に浮かん
できました。


家に帰ってから白洲次郎について書かれた本をあらためて読んでみると、彼はスキーが
得意で、昭和20年後半から30年前半にかけて、蔵王に山小屋を立てよくスキーを楽し
んだようです。そして、木製のスノーシューで雪の野山を歩き回ったと想像されます。


インターネットで『IVERSON Michigan』をキーワードで検索してみると、ありました。
『アイバーソンスノーシューズ』。『スノーシュー』ではなく、『スノーシューズ』となっています。
『アイバーソン』はメーカー名(かつ人名?)で、今でも木と革で『スノーシューズ』を作ってお
り、どうやら愛好家がいるようです。


Surprise

2007年11月18日 | 07~08シーズン

快晴の下で、テニスをしました。



 
午後2時過ぎの写真ですが、既に長い影ができています。一時風が強く、休んでいるとすぐに
身体が冷えてきました。午後4時30までしましたが、その頃にはもう薄暗くなっていました。


午後7時前のNHKテレビの天気予報によると、明日は寒気がやって来るようです。
 
日本海側ではかなり雪が降るようですが、万座はどうでしょうか。インターネットで調べると
積雪の可能性があるようです。


 


夜8時過ぎに電話が鳴り、電話機の液晶表示を見ると『万座スキー学校』と表示されていたの
で、何だろうと思いながら急いで受話器をとりました。電話は事務長からでした。話の内容は、
「なんとSurpriseの申込み、予約金の支払いが定員に達した」とのことでした。電話で申込み
しただけの私は、溢れてしまったのです。


『ああ・・・、Surprise』。
とりあえずキャンセル待ちをお願いしましたが、ショックです。


しばらくして気を取り直し、思いました。Surpriseのコースを増やしてもらえないだろうか。そのた
めには、黒岩隆夫先生や根岸マネージャ、事務長にお願いをしてみよう。私と同じ思いの人を探
して嘆願をすれば可能では、などと勝手にあれこれ思いを巡らしています。


’07~’08シーズン 万座スキー学校のコース案内

2007年11月17日 | 07~08シーズン

待ち焦がれていた『’07~’08シーズン 万座スキー学校のコース案内』が、15日に
我が家に届きました。なぜか今年も昨年と同様に、同時に2通来ました。


 



折角2通届いたので、1通は是非万座に誘いたい方へ送付しました。


 



封筒の中にはレッスンのコース案内のほかに、特別イベントの案内が入っていました。
この特別イベントは万座をこよなく愛している方の厚意により開催されるもので、スキー
学校のホールにおいて、12月と2月の3連休にピアノコンサートやカクテルパーティが
なんと無料で楽しめます。


私は昨シーズン、2月にピアノコンサートとカクテルパーティを楽しませていただき、今
まで味わったことのない素晴らしい万座のひとときを満喫することができました。そこ
で今シーズンも是非とも一味違う万座を楽しもうと、既に12月と2月の3連休はスキー
学校に予約を申し込んである次第です。


万座に初雪降る

2007年11月12日 | 07~08シーズン

昨日、万座温泉の天気予報を見ていると、なんと雪マークがありました。



そこでと言う訳ではありませんが、今夜、スクールの申し込みをするためにスキー
学校へ電話をしました。応対してくださった事務長に「初雪は?」とたずねると、
「今日降ったわよ!」とのことでした。そして「今年は初雪が遅いけれど、シーズン
中の雪はきっと多いハズよ。」とうれしくなる事務長の予言的な予報でした。


 



事務長の予報が的中すれば、写真(2005年12月30日撮影)のようにたっぷりと雪が
降り積もり、Surpriseを満喫できます。


今シーズンは12月、1月、2月にそれぞれ3連休があるので、スクールはそれを利用
しての『レギュラーコース』、『小川俊明先生のエンジョイスキーイング』、『黒岩隆夫先
生の基礎スキー講座』と、そして3月の“The Surprise”を申し込みました。


 
早く万座で雪の野山を滑りたいと、待ち焦がれている今日この頃です。


 


 


『坂の上の雲』を辿って、横須賀へ

2007年11月10日 | 坂の上の雲

四国・高知の知人と横須賀で午後会う約束があったので、その前に、日本海海戦で旗艦
として活躍した『三笠』を見に行きました。小説『坂の上の雲』を読んで以来、是非見てみた
いと思っていたひとつです。


 
あいにく曇り空でしたが、そのために重厚さというか少し重苦しい雰囲気があり、戦争の
悲惨さを忘れてはいけないという先人の配慮のような感がありました。


『三笠』で一番確認したい、見たいと思っていた所が東郷平八郎や秋山真之が海戦中
ずっと立っていたという艦橋です。
 
その艦橋は操舵室(写真中央の四角い構造物)の上にあり、想像していた所より艦の前方
にあって、一番見晴らしはいいけれど弾を防ぐものが全くなく、身を敵陣にさらすもっとも危
険な場所でした。
東郷平八郎が立っていたところは、一番前の丸い板です。左後方の丸い板のところに秋山
真之が立っていたとのことです。こんなところに平然と立っていた二人の胆力に驚くとともに、
リーダがこんなところに立っていれば、俄然部下たる兵士も獅子奮迅の働きをおのずとする
だろうと思いました。


 
写真は、秋山真之が立っていたところからの眺めです。


 


高知の知人は坂本龍馬倶楽部http://www.ryoma-club.com/index.htmという団体で活躍し
ており、坂本龍馬の妻だった『おりょう』を題材にした芝居を観るために横須賀へやって来
たのでした。私も一緒に観ないかと誘われていたので、同行しました。
 
芝居は一人芝居的な内容で、味わい深いものがありました。観劇の後は、『おりょう』の墓
参りに信楽寺(しんぎょうじ)へ行ってきました。


『坂の上の雲』と『坂本龍馬』の共通点は、司馬遼太郎と海軍です。
司馬遼太郎は、『坂の上の雲』と『竜馬がゆく』を書きました。
『坂の上の雲』は日露戦争を題材にしており、日本海海戦等を描いています。『坂本龍馬』
は海軍中興の人とされています。