地球散歩

地球は広いようで狭い。言葉は違うようで似ている。人生は長いようで短い。一度しかない人生面白おかしく歩いてしまおう。

チュニジアへ~魂の叫びに応えて

2009-02-25 00:00:00 | コラム

 青が大好き。
 青いものに囲まれていたい。
 「青い国と言えばチュニアじゃない」
 そう言われてもチュニジアへ行こうと思ったことはなかった。
 「アルケミスト」に倣い、アンダルシアからエジプトへ。
 その道を夢見たことはあれど、
 芸術家が愛した、アルジェを通らずにチュニジアへ行くことなど、
 想像すらしたことがなかった。
 しかし、人生とは不思議なものである。
 節目の年に、私の心に訴えかける、アンダルシア人の魂の叫び。
 涙にくれたマグレブの旅を思い出させ、
 チュニジアで、ある種の画家としての洗礼を受けたクレーの絵が、
 脳裏に散らばり、
 どこへ行っても「チュニジアへ!」という声がする。
 チュニジアには、アンダルシアから逃れた人々の足跡が今も残っているという。
 今、私は、そこを目指しているのか?
 チュニジアのどこを歩いているのか?
 願わくば、冬の地中海の雨と、かなしい涙は遠慮して。
 青い、青い世界に包まれて、私はエジプトへ戻りたい。

 予定では、今頃テストゥールという、アンダルシアの影響を色濃く受けた町で、感慨にふけっている予定。
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2009-02-21 00:00:00 | トルコ語

balık(バルック)

世界三大料理に数えられるトルコ料理。トルコの両隣、ギリシャともイランとも相似した料理が数多く見られるが、似て非なるはトルコ料理、である。イランやギリシャと同じ料理に見えてもその実、下ごしらえには数段の手間がかかり、盛り付けも断然美しい。伊達にオスマン朝時代、「世界帝国」の歴代のスルタンの舌と目を満足させてきた過去を持っているわけではない。

しかし、そのトルコ料理にしてみても、肉料理の充実度に比べると魚料理はお世辞にもこった料理とは言い難い。
私が知る限り、魚介類を使った料理は周囲の国々と然程は変わらない。基本は、フライとグリルである。とは言っても、さすがはトルコ。戒律の厳しいイスラームの国であっても、口に運ばれる魚介類の種類は、イランに比べたら断然多い。

さて、トルコの玄関口イスタンブルからトルコの旅を始めてみよう。
この魅惑的な都市で出逢う魚料理で誰もが知っているものと言えば、ガラタ橋の袂で食べる鯖サンドではないだろうか。塩コショウした鯖をフライにし、「世界一美味しい」トルコのバゲット、エキメッキに挟んで供される。シンプルながらも、日本人の舌に良く合う一品だ。裸で渡された鯖サンドを頬張りながらふと頭上を見上げると、ガラタ橋の上から無数の釣り糸が垂れているのが目に入る。これもイスタンブルを象徴する光景のひとつ。釣りに興じる男たちに混じって鯖サンドに舌鼓を打つ。ふと背後を見やれば千のモスク。ミナレットからアザーンの声が聞こえてくる。

次に、旧市街からガラタ橋を渡り、イスタンブル新市街に歩を進めてみる。
カフェやブティックが立ち並ぶ目抜き通りイスティクラルをそぞろ歩き。
そして、ヨーロッパ調のエリアから一歩路地に足を踏み入れると、そこにはアジアの混沌が広がっている。喧騒と人ごみ。イスタンブルの胃袋のひとつ、魚市場が現れる。その市場の中、魚介料理レストランが立ち並ぶアーケード、チチェッキ・パサジュは、喩えるなら築地市場内に軒を連ねる寿司屋のようなものだろうか。肉料理に飽きた頃にふらりと訪れたい場所だ。

そもそも中央アジアの遊牧民を祖先に持つトルコ民族。遊牧生活に適した肉食が食の中心となったのは当然である。
しかし、世界帝国となったオスマン朝の時代、様々な国や地域から多種多様な文物がこの地にもたらされていたことを考えると、魚料理のレパートリーが少ないことには少し驚かされる。かつて、魚は保存が難しく輸入には不向きだったのかもしれないが、それでもポルトガルの干し鱈のような保存法は存在したはずだ。輸送手段の困難さが理由というよりは、やはり遺伝子的にトルコ民族の舌に魚料理はあまり合わないということだろうか。トルコ料理の世界は、まだまだ深い。(m)

写真:アンカラ、サカリヤ地区の魚屋

*エジプトの魚はナイルの賜物 フィッシュ&チップスのイギリス エーゲ海の幸ギリシャ マグロはスペインから 日本の魚はやっぱり寿司! ポルトガルと言えば干し鱈料理 イランは当然キャビアかな?クロアチアはアドリア海の海の幸・沖縄の市場は不思議な魚介類でいっぱい!

イランの魚の名称はトルコから?トルコの魚の名称はギリシャから??(by yokocanさん)料理を巡って文化は巡る・・・『地球散歩』は、料理の文化交流も追及していきます。応援クリックよろしくね。
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スウィーツ

2009-02-17 00:00:00 | スペイン語

  dulce(ドルセ)

  スペインのスウィーツ、さてさて、困った。
 どれを書いて良いのか、さっぱり見当がつかない。
 なにしろ、スペイン料理でまずいものがない。スペイン人はみな両刀(お酒も甘いものも大好き)
 朝ごはんに欠かせない、
チュロスにしようか?
 パリパリのアメが美味しい、クレーマ・カタラナか?
 私がスペインの昼食で必ず頼む
フラン(プリン)にしようか?赤ワインとベストな組み合わせで、やめられない。
 
タルタ(ケーキ)もよりどりみどり。タルタ・デ・ケソ(チーズケーキ)も捨てがたい!
 
かぼちゃのところでタルタは書いたので、他のものにしようと、あれこれ考えてみる。
 地方によって焼き加減も形も違ってくるのは
メレンゲ。ふんわりとやわらかい、ちょっと弾力のある生ケーキのようなアンダルシアのメレンゲ。大きくてカリカリの、カケダスのメレンゲ。バルセロナではピーカンナッツの入ったものも食べた。搾り出した格好のものから、四角いケーキのものまで様々、地方色と言うよりはお店の好みかもしれないが、メレンゲはケーキ屋さんやパン屋さんによく並んでいる。 
 マドリードで、スペインを懐かしむのに買ってくる、スミレの
キャンディもかわいらしい。
 と、とどまることを知らない。
 今回うんうん言いながら写真を選んだのは、ナティジャ(Natillas)。
 クリームブリュレの先祖と言われている、クレーマ・カタラナにちょっと似ている。(クリームブリュレの先祖というのは、あくまでも俗説であり、フランスにこれよりも古い原型のお菓子があるそうだ)
 イメージとしては、カスタードクリームにシナモンを振ったお菓子といったところか。クレーマ・カタラナの表面を焼いていないものと言ったほうがいいか。
 スーパーでも、素焼の壺に入った高級品から、パックのものまで、プリンやヨーグルトと並んで売っている。
 シナモン好きにはたまらない一品であろう。シナモンの香りとクリームのこってりとした甘さ。またまたワインがすすんでしまう〆である。[a]

 「カフェ・地球散歩は、 いろいろなスウィーツを取りそろえております。甘~い中東菓子系列はエジプトイラントルコギリシャ、風邪予防に生姜味・日本の冷やしアメ、こちらもお楽しみください。カステラを追ってポルトガル

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散歩

2009-02-13 00:00:00 | コラム

 تمش (タマッシュ) 

 アラビア語の「月」のところで載せた、気球が飛んでいるところはこんな感じである。
 ルクソールの朝焼けの中、月はすっかり脇役である。
 王家の谷の側から乗り、ナイル川を渡ってルクソール神殿を眼下に見るのは壮観である。
 古代エジプトを勉強していた私は、習った遺跡はどんな小さくて、朽ち果てていようとも見に行かないと気がすまない。その気持ちがピークの頃、ルクソールのお金持ちに私は毎週手紙を送っていたことがある。
 もっとも、インターネットやケイタイが普及していない頃のことではあったが。
 エジプトでは外国人の立ち入りが制限されているところが多い。
 観光地区から外れた遺跡に行くには、許可証が必要である。
 アラブののらりくらり交渉と、短い旅行日程をクリアするためには、事前に許可証を取っておかねばならない。
 地方豪族のコネほど強いものはない。
 私はつたない英語を駆使して、毎週「ルクソールのお父さん」に手紙を書き、成功した。
 ところによっては、軍の2個小隊にはさまれ、ライフルを抱えた陽気な警官や軍人と遺跡を回った。こうして書くとものものしい感じだが、エジプトは観光客に対して異常なまでの保護をする。
 実際には危ないことはなく、農村に入っていって、村長が出てくると、許可証を見せた警官が「ムバラクの娘をお連れしました」なんて、冗談を飛ばし、(許可証には大統領の名前が入っている)村長も「ワシの土地はファラオの頃から何もかわっとらん」と、ボロボロの日干し煉瓦の遺構を杖でつつくので、こちらが青くなって叫んだりする。
 楽しい思い出がたくさんあるが、軍人や警官の写真を撮ることは禁じられているので、彼らの写真がないのが大変残念である。
 
 911の時、世界で大事件が起こっているとも知らず、リビア寄りの砂漠を彷徨っていた。
 私は今また、その時行った砂漠へ再訪しようとしている。
 当時の人の誰かにまた会えるだろうか?
 「日本人のムバラクの娘」、を知っている人たちに、いつか又会えることを願いつつ、私は旅の空の下…[a]

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2009-02-09 00:00:00 | ペルシャ語

راه(ラーフ)

1979年2月11日。
その日、テヘランの街中は異様な熱気に包まれていた。

イラン最後の王朝が終焉を迎えた日、そしてイスラーム革命が起こった日として人々に記憶される。
度を過ぎた近代化(西洋化)政策を推し進め、独裁制(極端に言えば、アメリカの傀儡政権とも言える)を強いていたイラン最後の王、モハンマド・レザー・パフラヴィーの時代が終わり、ホメイニー氏を最高指導者に掲げ、イスラーム法に基づく統治体制が始まった日である。その日以来、イランはそれまでの中東屈指の近代化路線にストップをかけ、全く別の道(ラーフ)を歩み始める。

今年はそのイラン・イスラーム革命から30年を数える。
その間、イランが国際社会においてどのような道を歩んできたか、対外的に如何なる国と見做されてきたかは、国際報道に敏感な方ならご存知のとおりである。
より良い社会を目指して革命に立ち上がった人々が、現在目の当たりにしている社会は、決して理想通りのものではない。

現在、テヘラン大学が位置するエンゲラーブ通り(革命通り)では、反アメリカ(反イスラエル)を謳い強硬派がデモ行進を繰り返す一方、「自由」を求める学生たちが声を上げる。
テヘランには、イランの近現代史を見守ってきた曰くつきの通りがいくつもあるが、中でもエンゲラーブ通りは、イランの歴史を象徴するとも言える通りである。

実際、テヘランを走る通りの名ほど、時代によって、また政権によって左右されてきたものはない。
上記のエンゲラーブ通りの革命前の名は、パフラヴィー王朝第一代のシャー(王)、レザー・シャーの名を冠していた。同様に、テヘランの南の端から北の端までを縦断しているこの街を象徴する大通りの名は、現在は「ヴァリー・アスル」であるが、革命前は「パフラヴィー」だった。ちなみに「ヴァリー・アスル」とは、「時代の主」の意で、イランの国教12イマーム派の第12代イマーム(現在はお隠れの状態で、救世主として再来すると信じられている)マフディーのことである。この通りは、パフラヴィー通りになる以前は、イランの石油を国有化した、時の首相モサデクの名を冠していた。モハンマド・レザー・シャーに対抗したモサデクは、イギリスとアメリカCIAの干渉により、転覆の運命を辿る。
いずれにしろ20世紀、この大通りは、モサデク→パフラヴィー→ヴァリー・アスルと、目まぐるしく名称を変えていった。

通りの名称変更は、国内だけの問題ではない。
2004年には、エジプトとの国交の回復を狙い、かつてエジプトのサダト大統領を暗殺した人物の名を冠していた「ハレド・イスランブーリ」通りの名を「インティファーダ」に変更することがイラン国会で合議を得、見返りとしてエジプト側も、かつてイスラーム革命時にエジプトに追放されていたシャーに因み付けられたカイロの「パフラヴィー」通りの名称の変更に合意した、というニュースが駆け巡った。

テヘランの街中を歩く時、通りや広場の名称を注意深く観察すると、自ずと時代の足跡が浮かんでくるようでおもしろい。
イランを訪れる機会がある方は、「散歩」の最中にふと立ち止まり、革命の足音、人々のざわめきに耳を澄ましてみてはどうだろうか。形としては現れないイランの現在形が見えてくることだろう。(m)

*沙漠の轍の道アラビア語 ・全ての道はローマへ続くイタリア語 ・「道」と「通り」の違いはペルシャ語と同じ英語 ・マラトンへの伝令の道ギリシャ語 ・花と白壁の小径スペイン語 ・郷愁の路地と宿場街道日本語 ・赤い煉瓦と石畳の小路ポルトガル語

ペルシャ語で、「道」は「ラーフ」、通りは「ヒヤバーン」、路地は「クーチェ」と、それぞれ別の名称が存在します。人との出逢いが旅の醍醐味の私にとってはもちろん、「ヒヤバーン」でなく「クーチェ」歩きがお気に入り。『地球散歩』の途中クーチェに迷った後は、応援クリックをお願いします。
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2009-02-05 00:00:00 | 沖縄方言

イユ(魚・沖縄方言)

 本土と異なる食文化を感じる那覇の市場。興味深いのは、豚の顔やら耳とあらゆる部位が並んでいる肉売り場だけではない。魚コーナーを歩いて目に飛び込んでくるのは、熱帯魚?と思われるような鮮やかな青や黄色、赤の魚たち。「活魚」という看板に引き寄せられて近づくと水槽で泳いでいるのはダルマオコゼ。皮をはがれて並んでいる独特な表情の魚は「味噌汁用アバサー」。店の人に尋ねるとハリセンボンであった。伊勢エビはともかく、内地で見かけない珍しい蟹や大きな貝に圧倒され・・水族館を歩くようで楽しい。

 しかし見るだけではない。観光客に沖縄の魚料理を試してもらえるように市場の各店で気に入った魚類があれば値段を交渉、近所の店に持ち込んで調理してもらうことができるのだ。私は伊勢エビと金目鯛のような赤い魚の刺身、30㎝ほどのマングローブ蟹、20㎝くらいある夜光貝の調理をお願いした。

 案内された小さな店で待つこと30分。大きな貝殻と伊勢エビの頭、中央にはたっぷりの海ブドウを中心に刺身が並んだ豪華な盛り合わせが登場した。この他に夜光貝はバター炒めもあり、更に茹でたマングローブ蟹の一皿も加わって6人でもお腹が一杯になる量。蟹は想像以上に身がジューシー、貝はアワビを思わせるような味だ。海老の頭は途中で引き上げて味噌汁にしてくれ、心ゆくまで沖縄の海鮮料理を堪能することができた。

 また、別の日。定食屋のランチメニューで沖縄の県魚と言われるグルクン(和名タカサゴ)の唐揚げに挑戦。市場で見たグルクンは背の部分が青緑、その他が鮮やかな赤、金粉を散らしたような輝きを帯びた熱帯魚系の魚。見た目は食べるのに少し抵抗を感じるような派手な姿だが、味は白身で淡泊な味わい。唐揚げにピッタリである。グルクンは珊瑚礁域に住み沖縄沿岸で唯一多獲できる魚だそう。沖縄の旅では、内地では食べることのできない珍しい魚料理も待っている。次に行ったときはハリセンボンの味噌汁が飲んでみたい!(さ)

いつもありがとう。ニフェーデービル!世界各地の魚料理、各種、取りそろえております。エジプトイギリス 、ギリシャ 、スペイン日本ポルトガルイラン、そしてクロアチア。あなたのお好みをクリックしてみてね。お帰りの際にはランキングの応援もどうぞよろしく!人気blogランキングへ

 

 

 

 


2009-02-01 00:00:00 | つれづれ帳

riba(リバ・クロアチア語)

3年前になる。「アドリア海の真珠」ドゥブロヴニクを訪れた。クロアチア南端のダルマチア海外沿いに位置するこの都市は、この国を代表する海洋都市であり、風光明媚な中世の町並みを抱え、現在日本人の間でも大人気の観光スポットである。

ドゥブロヴニクの持つ独特の存在感は、クロアチアの歴史においてこの都市が辿ってきた道のりをそのままに示すものであり、同様に食文化にもドゥブロヴニク独自の様式が反映しているように思う。

バルカン半島は中世から近代にかけ、その大部分がオスマン帝国の領土であった。バルカン半島の中では比較的アナトリアから遠い場所に位置するクロアチアとて、もちろん例外ではない。クロアチアの一般的な食事を見てみても、「オスマン的」なるものが多く見出され、エジプト・トルコ・イラン・ギリシャの「散歩」を常とする我々にとって、クロアチア料理の多くのメニューは大変に親しみ易いものだ。

となると、当然のように肉食を中心とした繊細なオスマン宮廷料理が現在のクロアチア料理のメインとなっていると思われるが、ドゥブロヴニクを始めダルマチア地方で食される料理に限って言えば、肉ではなく魚介類、これに尽きると感じた。それには、アドリア海に面しているという地理的な要因も勿論否めない。しかし、上に述べたように、この都市が辿ってきた「歴史」そのものも、食事のスタイルに影響していると、私は強く感じた。

そもそもドゥブロヴニクは、バルカン半島と地中海諸国、つまり大雑把に言ってスラヴ語圏とラテン語圏の国々の間の貿易の中継都市として栄えた歴史を持つ。中世に入り、ヴェネチア、ハンガリーと支配者を変えていくが、その都度この都市は、自由貿易の権利を勝ち取ってきた。オスマン帝国が強大化した際にも、巧みな外交努力により、帝国の直接の傘下に入ることを免れたのみならず、バルカン半島における商業活動の自由を勝ち得た歴史を持つ。「自由」という概念は、ドゥブロヴニクという都市をを表す言葉としてふさわしい。この事実は、食文化においてもある程度当てはまると私は思っている。(いささか大袈裟な言い回しではあるが)オスマン料理よりもこの地域独自の料理を、という姿勢。つまり魚介類を多く食す点だ。

魚の話からすっかり外れてしまってしまったところで、本題に戻ろう。
この地域で、アドリア海から上がった新鮮な魚介類は、シンプルに調理され食卓に並ぶ。海辺の強烈な陽光の下、グリルしたての魚にハーブやニンニクを混ぜ込んだ熱々のオリーブオイルをさっとかけて頂く。付け合せとしてレモンも添えられていて、もちろんレモンをぎゅっと搾ってから食べてもいい。素材が良ければ手の込んだ料理でなくともご馳走となる、その典型だ。主に食される魚はスズキや鯖、それから小魚類。蛸や烏賊、海老、貝類など魚介類も充実している。ギリシャの島で頂く魚料理にも通ずるものがある。

ドゥブロヴニクのレストランでは、真夏の太陽のように輝く笑顔にたくさん出逢えたことも印象的だった。給仕係の優しい笑顔は、旅人にとって最高のご馳走。海の幸と、碧い海に青い空が織り成す美しい風景、それに見目麗しい人々。ドゥブロヴニクは人生の幸がぎゅっと詰まった宝箱だ。(m)

*エジプトの魚はナイルの賜物 フィッシュ&チップスのイギリス エーゲ海の幸ギリシャ マグロはスペインから 日本の魚はやっぱり寿司! ポルトガルと言えば干し鱈料理 イランは当然キャビアかな?

なんだかクロアチアの観光案内文のようになってしまいました・・・
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