地球散歩

地球は広いようで狭い。言葉は違うようで似ている。人生は長いようで短い。一度しかない人生面白おかしく歩いてしまおう。

すいか

2007-07-29 22:02:17 | 日本語

 ベランダ菜園を始めると、トマトやきゅうりなどが面白いように取れる。調子に乗ってやりたくなるのが、すいかである。ところがこれほどバクチな苗もあるまい。
 トマトの苗を買って、実がなったら茄子でしたと言うことはない。ところが、すいかだと「ちがうもの」が生ってしまうことがある。
 すいかは連作すると、つる割れ病が発生しやすいため、かぼちゃやユウガオに挿木して栽培する。この挿木の段階で「挿したつもりが、挿していなかった」ということがたまにある。
 私のプランターでは、ユウガオがそのまま生ってしまい、待てど暮らせど、叫べど、祈れど!すいかの縞々は出てこなかった。
 今年知人が、すいかを育てているという。「へ~ちゃんと『すいか』が生るといいですね」とニヤニヤしていた。何も知らない知人は、この人、何を言っているの?と、不思議そうな顔をしていた。
 予言などしないほうが良かったというか、そもそも違ったのだが、知人が先週「すいかがなったのよ!ちゃんと縞々よ!」と言うので、あ~良かったと、胸をなでおろした。「だけどね、凹凸のある縞々よ。そして、丸くないの」雲行きが怪しいですよ。知人がバックから取り出したのは、見事なゴーヤでした。ちゃんちゃん。
 気をつけよう、当たるも八卦、当たらぬも八卦、すいかと宝くじ。

 すいかは江戸時代に、上陸したようだが、その経路は良くわかっていない。ポルトガルから長崎に入ってきたとか、隠元禅師が中国から持ち帰ったとか諸説ある。
 由井正雪の乱が起こった直後にすいかが出回ったため、「すいかが血のように赤いのは自殺した由井正雪の祟り」とか、生首を連想させるなどとして、江戸では嫌がられたという。そんな訳で、
夏にはすいか売りが出て、切り売りしていたそうだが、最初はなかなか食べる人がいなかったそうだ。
 すいかは薬としても、その効用が早くから知られ、腎臓の薬や利尿作用に効果があるとされ服用した。
 明治以前のすいかは、今ほど甘くなかったようで、砂糖シロップのようなものをかけたり、塩をちょっとかけて食べたそうだ。利休が飛喜(ひき)百翁の茶会に呼ばれたときのこと、砂糖をかけたスイカがだされ、「百翁は人に饗応することをわきまへず」と門人に語ったという逸話が残されている。『雲萍雑志』柳沢淇園 [a]

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電話

2007-07-18 23:54:49 | アラビア語(エジプト)

تلفون (ティリフォーン)

 エジプト人は電話魔である。とにかく電話が好きだ。一日一度は友達に電話して、声を聞く。声を聞く暇がないとか、金銭的に余裕のない人は、ワン切りをする。携帯電話の場合、誰からかかってきたがわかるので、ワン切りでも十分、「元気かい?君の事を想っているよ」が通じるというわけである。
 当然長電話である。もう、遊びに来たほうが早いのではないかと思うぐらい、長い。
 長いのは話だけではない。コードも長い。コードレス電話機や、子機はまだそれほど普及していない。
 イスラームの女性は、大抵家の奥にいる。男性は、玄関に近い客間にいることが多い。電話は家の真ん中にあり、かかってくると、その長いコードが大活躍する。
 でっぷりと太ったおばあさんが、自室から動かずに子どもに電話を持ってこさせるのは良くあることだ。と、これは家庭の話。
 携帯電話は普及しているものの、公衆電話も廃れていない。公衆電話会社は何社もある。それぞれカードが違うので、かけたいと思ったとき、目の前の公衆電話のカードを持っていないとかけられない。そこで、公衆電話近くのキオスクで、カードを買おうとすると、売っていないことが多い。なぜか?一つ思い当たることがある。
 写真の、道路っ端に出ている家庭用電話。実はこれぞ、元祖公衆電話である。キオスクには電話が置いてあり、誰でも使っていいことになっている。使用料は1通話18円ぐらいで、いわゆる公衆電話よりも割高。市外にかけたり長電話は嫌がれれるが、カードがない時や、携帯の充電が切れたり、プリペイド(エジプトでは基本的にプリペイド携帯)の残額が少ない時は、大変助かる。
 目の前の公衆電話のカードを売るよりも、「うちの電話を使って欲しい」という希望があるのではないか?
 この電話、旅人が使うのにも大変便利。国際電話をかけるなら、カードを買ったほうが断然お得だ。でも、一回だけ、ホテルにかけたい。または迷子になったから、地元の友達に電話したい時や、公衆電話の使い方が判らない時は、キオスクへ行こう。キオスクのおじさんやおばさんに電話番号を見せれば、かけてもらえる。この時、カイロからアスワンなど、長距離だと断られることもある。
 有人公衆電話、これからもなくならないで欲しいものである。[a]

ちょっと古いが、エジプトの電話事情についてはこちらも読んでね!

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パン

2007-07-11 23:26:49 | 日本語

 日本人にとってのパンと言えば「食パン」であろう。考えてみれば、「食べるパン」とはおかしな名前である。
 縄文の頃は米が主食ではなく、パン食であった。だから、キリシタンや黒船と共に初めて日本に上陸したわけではない。しかしながら、米などの穀類を主食とする時代が長く続いたため、ポルトガルからの宣教師が持ち込んだ「パオ(ポルトガル語)」は、当時の日本人にとって、初めての食べ物となった。しかし、広く日本全国に広まるまでにはいたらなかった。
 日本人が認めたパンは、木村屋総本店が発売した、アンパンだという。これは西洋の饅頭という、新し物好きの江戸っ子の心を捉えた故のヒットと思われる。
 で、食パンであるが、「主食のパン」と言うのが正解のようである。パンと言えば、アンパンなどの菓子パンが先にヒットしたため、ご飯時に食べるパンとして売り出したようだ。
 「パンは主食にならない。ご飯を食べないと力が出ない」と言う人がたまにいる。それは、菓子パンで育った人たちかもしれない。日本の菓子パンは、あんこのアンパン。羊羹をはさんだシベリア、メロンパン。ジャムパン、クリームパン、それとアンパンを組み合わせた三食パン。おやつを連想させるものばかりである。
 惣菜パンではカレーパン、焼きそばパン、サラダパン。これらは、十分に主食の役割を果たしそうだが、主食ご飯党には、「残り物をつめた」もの。やっぱり、腹の足しでしかないようだ。
 世界のパンが食べられる今、パンがない時代があったことがうそのようである。[a]

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パン

2007-07-05 23:10:25 | スペイン語

 Pan(パン)

 スペインに限ったことではないが、ヨーロッパの、いや、やはりスペインのパンは、何を食べても美味しい。パンデリーヤ(パン屋)の前を通ると、入らずにはいられない。そして、安い。 主食のパンは、食べる前に買うのがふつうだ。パンを持っている人を見ると、これからご飯なのだなと、その人のお家の食卓を思い、なんだか嬉しくなる。家族で囲む食卓を想像させるスペインを、とてもいい国だと思う。
 日本で米が身近な、無くてはならない国民食であるように、スペインのパンも、無くてはならないものである。
 そのため、ことわざにも良く登場する。

 Contigo pan y cebolla.
 「あなたといられるなら貧しくとも構わない」と言う意味だが、cebollaはたまねぎのこと。パンとたまねぎさえあればやっていかれるらしい。
 
 Todos los duelos con pan son menos.
 「苦労もパンがあればたいした事はない」それはもう、スペインのパンであれば納得できる。

 menea la cola el can, no por ti, sino por el pan.
  「犬が尾を振るのは、パンにであって、君にではない」これも妙に納得してしまう。

 Muerto al hoyo y el vivo al bollo.
 『死んだものは墓へ、生きているものはパンへ」死者は墓へ行きなさい、生きているものは、どんなに悲しんでも使者を葬った後は食事のために還ってくるということらしい。(bolloはカステラみたいなパン、もしくは小さなパンのこと)

 どれをとっても、パンが日本人の米に相当していることが伺える。スペインの美味しいパンを携えて、夢を叶える旅に出たら、どんな試練も乗り越えられそうだ。[a]

 参考文献:『REFANERO ESPANOL スペインの諺辞典(2)』
      Bernardo villasanz/新井藍子  

美味しいパンを食べて、笑顔になろう。
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