クリスマスの時期、ギリシャには「期間限定の家」が出現する。店のショーウィンドーに、道路脇の小さなスペースに、空港に、街の小さな広場に。
それは馬小屋。聖夜の場面を表す置物である。マリアとヨセフ、生まれたてのキリストを中心にお祝いに来た東方の三博士、馬や羊の人形が配されている。中でも忘れられないのは迫力ある等身大の飾り。以前、イタリアやポルトガルを旅行して同じような飾りを見かけたが、ギリシャで屋外に置いてあるものほどの大きさは見たことがなかった。馬小屋は木でしっかりと建てたものあり、クリスマスらしくモミの木の枝を組み合わせて作ったものあり・・それぞれの風貌を模した人形と共に目のまえにあらわれると思わず足を止めて祈りたくなったものだ。
またクリスマスは復活祭の「外」に対し、「家」の祝祭といわれている。日頃から広いテラスや庭(外)で自然の光を風を感じながら集うことを好むギリシャ人も、さすがに厳寒期はリビングに集合。それでも多くの家庭にある暖炉にはオリーブや松の木をくべて燃える火があり、部屋を飾るツリーは生のモミの木を買ってくるなどして自然からの恵みを取り込む。更に赤や緑、金・銀を基調としたクリスマスならではの華やかな装飾が加えられた部屋には家族や親戚が一同に会す。ギリシャの全ての家からはキリストの誕生を祝う喜びの声が聞こえるようだ。(さ)
sokak(ソカック)
トルコで歩いた道で忘れられないのは、カッパドキアの道。
キノコのような岩のお家へ続く道には、足の幅しかない道がある。
岩窟の家、というよりもアリの巣のような地下都市までもきずかれたのは、夏涼しく、冬暖かいという実用本意以前に、迫害から逃れるためにキリスト教徒たちの隠れ家であった。
見つかっても容易に侵入されないように、足はばだけの道を作ったのだ。
歩きにくいというよりも、楽しくなっちゃう道である。
子どもだったら、両側の壁に手をついて足をブラブラさせたり、足を両方壁にくっつけて、手を叩いたり暴れたこと間違いない。
トルコ語で、口をついて出てくるのは「ギュレギュレ~」(さようなら、それも送り出すほうが言う言葉)ぐらいなので、間違っていたら訂正して欲しいが、このような細い道はソカック。大通りは、「cadde(ジャッデ)」というようだ。
そういえば、トルコの本を読んでいると「ソカク~」と出てきた。あれは、道の意味だったのか…と、固有名詞としてあまり意味を考えずに読んでいたことを知った。[a]
ちょこちょこあるこうクリクリ♪
少し前のことです。いつもお返事を下さるタヌ子さんとmiriyunさんのところで、柿が話題になっていました。
東京でも干し柿を作っていますと言ったので、写真をお見せします。
母は新潟生まれの祖父が作っていた方法で、渋柿の皮をむいて吊るしています。
新潟のmitraさん~そんな風に干されているのを見ましたか?軒先につるしている柿は遠めに見ても間近で見ることはないかな?
いつか本物を見に行きたいものです。
干し柿は、日本のお菓子の原点と何かで読んだなと思ったら、「美味しんぼ」でした。そのことを、日本のスィーツで柿は書いたと思っていたら、柿の事にはまったく触れていませんでした。
これからお正月、干し柿は、年末年始のお膳の上に欠かせないものです。
たくさん食べて美人になりたい…と思ったのは、渋柿の美味しい食べ方を教えてくれた美女を思い出したから。
京都に伝わる干し柿売りの美女に会いにいつか出かけて行きたいものです。[a]
コロコロアッポン干し柿はいくつでも食べられちゃうな!
pirinç(ピリンチ)
トルコで食べた米料理を思い出せない。
唯一思い出に残っているのが、チャナッカレの海岸沿いで食べた、ムール貝。
夕方散歩していたら、おじさんがムール貝にレモンを絞って売っていた。
一つ食べさせてもらったらご飯が入っていてびっくりした。
夕日を見ながら、エフェス片手に食べたら、良いだろうなあと思いつつ、お茶を飲みながらいくつかつまんだ。トルコの一口パエリアが懐かしい。
トルコに米料理はあるが、単に私が滞在中出会わなかっただけである。
なにしろピラフの語源は 「ピラブ」(pilav)というトルコ語だそうだ。
よくお返事を下さるyokocanさんのレシピにロールキャベツがあるがここにも米の姿がある。[a]
Thanksgiving Day(サンクスギビングデー/感謝祭)
おっと、気が付けば12月。クリスマスの飾り付けを始めなくっちゃ。でもその前に旅のご報告を。
11月の第4木曜日、これがアメリカのサンクスギビングデー。日本語では感謝祭と訳されていますが、実を言うと日本人がイメージするような「お祭り」の要素はほとんどありません。山車とか露店とか、地域でイベントをするとか言う様なことはありません。では、何をするかって?
食べる!食べる!家族が集まってしゃべって食べる!
離れて住んでいる家族も実家やおばあちゃんちに集まって、わいわいがやがや、家族で食卓を囲みます。そこには、新しい家族が増えていたり、あんまり久しぶりすぎて、誰?っていうほど変わっている人もいたりして。それでも、みんな和気あいあいと家のあちらこちらで話に花が咲きます。これって一昔前の日本のお正月に似ていません?
今年我が家は義父の80歳のお誕生日パーティーも兼ねて、行ってきました、夫の実家、コロラド州カホーンという片田舎まで。片道1000マイル、1600km、車で二日がかりの旅です。
当日は初めて顔を会わせる夫の姪の家族も含めて総勢27名が集まりました。
メインディッシュはお察しの通り、あれですよ!どかんとでっかい七面鳥の丸焼き。Turkey。その中に入れるのが、その名も”Stuffing(スタッフィング)“。スタッフィングとは、その名の通り「詰め物」。野菜やパンを混ぜ、七面鳥のお腹の中に入れて、オーブンで焼きます。忘れちゃいけないのが、クランベリーソースとグレービーソース。これをターキーに添えて食べます。ヤムというオレンジ色のサツマイモにマシュマロをのせてオーブンで焼く一皿も定番のようです。食後のデザートは、ピカンパイにパンプキンパイ。チョコレートクリームパイ。今年はお父さんの好物のミンスミートパイも追加。更にお誕生日ケーキも加わって、別腹だけじゃとても間に合いそうにありません。
アメリカの小さな子供達が聞くサンクスギビングの歴史はこんな感じです…。時は1621年。イギリスから自由を求めて新天地にやって来たPilgrim(ピルグリム)達ですが、慣れない土地で収穫もなく、寒さと飢えで困っていました。そこに、地元の知恵を持つ親切なNative Americans (アメリカンインディアン)が狩りの獲物と農作物を持って来てくれました。その上その地方での農法なども教えてくれたので、次の年には大豊作となりました。喜んだピルグリム達は、感謝の気持ちを表すためにインディアン達を招待し、食事を共にしました、とさ。
そして子供達は、“I’m thankful for…”(私は…に感謝します。)という作文を書きます。それは、家族だったり、友達だったり、ペットだったり、ほとんどがごく日常のことです。普段当たり前と思っているようなことに、あえて感謝を捧げる日。自分にとって本当に大切なものってなんだろうって、立ち返る日。それを言葉にして送る日。それを家族と分かち合う日。それがサンクスギビングデーなんでしょうね。
あなたなら何に感謝をしますか。
たらふく食べて、家族とゆっくりしたサンクスギビングデーの次の日から一斉に始まることがあります。それは、クリスマス商戦。特にサンクスギビングデー明けの金曜日は“Black Friday”と呼ばれていて、どの店も大々的な値引きを用意してお客を待ちます。夜中の12時開店に合わせて行列ができる店も。
明日は4時に起きて、6時開店のあの店のバーゲンにいくぞー!!
いえ、いえ、私は”No, thank you”です。(メ)
Friend (フレンド)
メサさんへ、そしていつも「地球散歩」の手紙を受け取ってくれるあなたへ
ミブーさんから聞いていた、かばん一つでアメリカへ渡ったというお友だち。
いつか海の向こうで暮らしたいと、潮吹きクジラみたいに、年中噴いている私。
まだ会った事はないけれどこうして、文通できるようになってとても楽しいです。
友だちの輪が、本当に地球を一周「地球散歩」の上で出来たらいいなと思います。
アメリカでかばん一つと言えば、子どもの頃とてもあこがれた映画があります。
ジェリー・リー・ルイス(Jerry Lee Lewis)という、往年のロック歌手の半生を描いた「火の玉ロック」(Great Balls of Fire)という映画は、同名の彼のヒット曲でも知られています。
ジェリーは、13歳の又従妹と再々婚します。その時、ドールハウスに衣類を詰めて駆け落ちするのですが、そのシーンが忘れられません。
ドールハウスをかばん代わりにする事も、駆け落ちも、もはやそぐわない年齢になってしまいましたが、「かばん一つで海を渡った友だち」を持っているのは、とってもワクワクします。
いつか「手ぶら」で、ふらっと伺いますから、帽子屋さんのお茶会をリクエストしてもいいでしょうか?
もちろん、お目当ては、メサさんとお子さんに作ってもらうクッキーです。
忘れないように、セントラルパークで撮った、アリスの写真を送ります。
さて、師走に入りました。のんびり屋の私はジェリーのピアノを聴きながら大掃除をします。はかどりますよ~
アメリカでのお友だちはどんなか、気長にお返事お待ちしていますね。メサさん。
碧