地球散歩

地球は広いようで狭い。言葉は違うようで似ている。人生は長いようで短い。一度しかない人生面白おかしく歩いてしまおう。

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スウィーツ

2009-09-30 00:00:00 | オランダ語

Koek(クック)

 今川焼や鯛焼き、たこ焼きの店や屋台の前で飽きることなくじっと眺めていた子供時代の思い出を持っている方は多いだろう。オランダの街で甘い香りが漂う「たこ焼き」そっくりの屋台を発見、食後間もない時間だったにもかかわらず速攻で近づいて注文。一番前を陣取っているオランダの子供たちのうち後ろで、一緒に目を輝かせながら見学した。

 看板にはPoffertjes(ポッフェルチェ)の他に「オランダの小さなパンケーキ」の英語表記がある。流し込んだ生地をフォークでくるりとひっくり返して焼きあがれば小さな丸いパンケーキが誕生。雰囲気は明石焼きにかなり似ている。お皿に10個くらいが盛られ、粉砂糖をかけると出来上がり。好みでバターや蜂蜜がかけてもらえる。軽い口当たりで美味しく、ペロリとたいらげてしまった。

 オランダでパンケーキはパンネクック(Pannenkoek)と呼ばれ、名物料理の一つである。生地にリンゴやチーズ、ハム、ベーコンなど好みの具材を混ぜ込んで30㎝以上に大きく焼くので、お菓子というより主食に近い感覚。そして伝統菓子として愛されているのが、写真のミニパンケーキ・ポッフェルチェなのだそう。

 遠いオランダで出会った「たこ焼き風スウィーツ」。家庭用たこ焼き器でホットケーキミックスを焼いてみてはどうだろう。日本でもオランダのポッフェルチェを楽しめること間違いなしだ。(さ)

参考:Wikipedia

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2009-09-26 00:00:00 | フランス語(フランス)

marron(マロン)

 写真:Miah

 秋といえば栗。栗といえば昔、冷え込む夜に故郷のタクシースタンドのそばで売っていた焼き甘栗…と、これではローカルすぎる。主題はフランスなのだから、マロングラッセ(Marron glacé)と来るのが当然だろう。

 砂糖液とブランデー、あるいはラム酒に全身を漬かったマロンは、ほんのり柔らかい栗の風味、濃厚だがいやみのない甘み、そして臭覚を刺激するブランデーの香り…想像しただけで高級感が漂い豊かな気分になれる菓子だ。

 洋菓子に多用される砂糖だが、インドで最初に発見され、紀元前2000年にはすでにサトウキビの栽培がなされていたという。その後時を経て、アメリカ大陸の植民地における大規模な栽培により砂糖の生産が飛躍的に伸び、従来の蜂蜜を使用した菓子に加え、砂糖を用いた菓子類が増加したというわけだ。マロングラッセが誕生するのは17世紀頃といわれている☆。

 マロングラッセは全国津々浦々で手に入るが、もしこの季節にパリに行く機会に恵まれたならば、フォション(Fauchon)を訪れてほしい。あまりにも有名なブランド食品店だが、ここのマロングラッセは誇張なしに絶賛に値する、と私は思う。

 ただし、パリに行く幸運に恵まれなかったとしても、大した問題ではない。ありがたいことに日本にも栗の木は生息しているし、楽しみ方もマロングラッセに限るわけではない。栗をふんだんに使ったモンブラン、栗きんとん、栗饅頭、栗羊羹などの和洋菓子から、おなじみ栗ご飯でも楽しめる。これだけある中から自分の好みのスタイルを味わう瞬間、どこにいようとも栗を楽しめる幸運を実感できよう。

 それにしても、栗と聞いて、真っ先に故郷のタクシースタンド前の、薄汚れた出店を思い出すとは、なんとも郷愁の秋なのである。さて、今宵も甘栗をいただくとしようか。〔y〕

☆参考文献:yahoo!百事典

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2009-09-22 00:00:00 | ペルシャ語

پاییز(パーイーズ)

イランで暮らし始めた2年前の晩夏の頃、印象的だったのは、真っ赤で大ぶりの柘榴を荷台いっぱいに詰まれた小型トラックが、路肩にずらりと並んでいる光景だった。柘榴こそがイランを象徴する果物というイメージが強かったからだ。過去、健康ブームに乗り日本でも流行した柘榴エキス。その大部分がイランから輸入された柘榴を原料としていた。
秋深まるこれからの季節、柘榴の実は甘さを増していく。柘榴の固い皮を割ると、中には真っ赤に熟れた果肉がびっしりと並んでいる。実はそのまま食べるだけではない。いくつもの実をぎゅっと搾って新鮮なジュースを作る。テヘランの街角に軒を連ねるジューススタンドの名物商品だ。
他にも、イランの秋の風物詩は多数あり、面白いものとしては、生のピスタチオが挙げられる。日本ではナッツ類を生で食べることは考えられないが、イランに限らずナッツの一大生産地では、採れ立ての新鮮な木の実が市場に登場する。春先には鮮やかな緑色をしたアーモンド、初夏には乳白色をした生の胡桃の実の塩漬けなど、日本ではとうてい口にする機会のないナッツ類が、「ペルシャの市場」にはたくさん登場する。

秋は実りと紅葉の季節。鮮烈な四季の変遷を持つイランでは、そのことをつぶさに感じることができる。そして、昼と夜の長さがちょうど同じになる秋分は、イランではとても大切な意味を持つ。以前、イランのお正月「ノウルーズ」のことを記した。ノウルーズは春分に当たる。その起源習慣については重複するためここには書かないので、ぜひ過去の「絵葉書」を参照して頂きたいのだが、イランの歴史上、秋分もノウルーズとして位置づけられていた時期がある。双方に共通するのは、先にも述べたよう昼と夜の長さが同じになること。つまり、太陽が均衡を取り戻す瞬間であり、イスラーム以前のペルシャ古来の宗教では、両日共、重要な日と見做されていた。また、春の芽吹き、秋の収穫という、自然との関わりでも非常に大きな意味があることから、この両日が祝日とされたのは、農耕儀礼との関連もあってのことだ。

現在採用されている「イラン暦」では、秋分の9月23日から7月が始まる。7月は「メフル」月といい、秋分の祝典のことを「メフルガーン」という。メフルとはゾロアスター教成立以前から存在する神格「ミスラ(ミトラ)」の現代ペルシャ語形であり、メフルガーンはミスラを祀る日を指す。ミスラは太陽との関連性が深く(「クリスマス」参照)、秋分を過ぎ、太陽が徐々に力を失い冬へ近づいて行くこの季節にこそ、祀られるべき神格である。

新年の始まる日として現在に残った春分のノウルーズと違い、メフルガーン(正確にはこの行事はメフル月16日に行なわれたのだが)を大々的に祝う行事は殆ど残っていないが、イラン各地で行なわれるイスラーム・シーア派的宗教行事の中に、その痕跡を残している例が認められる。

例えば、イラン中部のオアシス都市・カーシャーン近郊で行なわれるイスラームの聖者の殉教を悼む「絨緞洗い」の儀式がそう。聖者の遺体を包んで川辺に運ばれた絨緞を儀礼的に「洗う」宗教行事なのだが、この絨緞洗いの行事こそ、まさにメフルガーンに行なわれる。この時期に殉教儀礼が行なわれるのは、シーア派の宗教行事としては異例中の異例であり、ここにイスラーム以前の宗教・農耕儀礼に従った、イラン暦に基づくイラン人独自の習慣を垣間見ることが出来る。

太陽が力を失い行くこの季節、大地は実りの時を迎え、枯れ行く季節を前に一時の宴に酔いしれ、来春の「復活」を祈り、眠りの準備に入る。自然の巡り。イラン古来の宗教から感じ取られる事象は大きい。(m)

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ワイン

2009-09-18 00:00:00 | フランス語(フランス)

vin(ヴァン)

 パリからバスに数時間ほど揺られ、のどかな田園風景の広がる地帯へ向かった時のこと。美しい古城を見学した後、ワイナリーへ訪れた。

 やや辛口のワインをテイストして、ふんわりといい気持ちになると、やがて葡萄畑へといざなわれた。そして、見渡す限り広がる畑のうち、目の前のほんの一区画が最も味がよく、品質のよいワインの生まれる地であるということを知った。

 この小さな一区画から生まれたワインは、世界中の愛飲家のもとへと旅立ってゆくのか。人間の私よりもずっと遠くへと旅立つであろうその葡萄の実を見つめ、なんとも奇妙な気持ちに陥った。

 いつ頃から、人々はワインと共に過ごしてきたのだろう?その昔、ワインの起源についてなど考えてみたこともなかった。なぜならワインといえばフランスで、それ以上考える必要などなかったからだ。しかしある時、ワインがエジプトと関係があると知り、少なからぬショックを受けた。あの砂漠に浮かぶピラミッドと、私の中では「西欧」コテコテの代表的イメージであるワインが、どうしても結びつかなかったのだ。

 ワインの歴史を紐解くとき、我々は思いもかけぬ壮大な歴史の仮想体験をすることになる。コーカサス地方にその起源を持ち、メソポタミア、エジプト、ギリシャ、ローマと、気が遠くなるほどの昔から、神への捧げものや貿易品として、僧侶や商人、十字軍の手によって広がった。時間的流れ、空間的広がり、人々の交流、地中海の役目…ワインの歴史は、同時にメソポタミア文明、エジプト文明、そして地中海文明をまたがって展開する、ダイナミックな人間の歴史を物語るのである。

 ワイン自体を眺めてみると、各時代に生きた人々の意思など全くお構いなしに進化し続けてきたようにも見える。人間は、政治、経済、宗教における目の前の目的を達成させようとする傍らで、ワイン文化拡大の担い手となり続けてきた。そして現代では、地中海はとっくの昔に飛び出し、大西洋を横断して、はるか遠くの南太平洋の国々においても豊かな発展を遂げている。まさに世界を駆け巡っているシロモノなのだ。

 そんな古い古い歴史を持ったワインを、今目の前で口にできることの喜び。フランスのワインも、国産のワインも、膨大な歴史を秘めた遺産の一部であると思うと、そこに存在していること自体が神秘的にさえ思えてくる。フランスのワイナリーで、小さな葡萄の実が世界に飛び立つことに違和感を感じたが、今出来上がった一瓶のワインを手にすると、なんという偉大な歴史の遺物に出会ってしまったのだろうと思う。ワインを手にできるわが身の幸運に乾杯だ。

 時に過去の幻影を見、時にワインの辿った歴史のロマンを感じながら、今宵も受け継がれてきたその味を愛でようではないか。

 

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スウィーツ

2009-09-14 00:00:00 | 沖縄方言

ウクァーシ

 沖縄土産の代表格「ちんすこう」は、本土の私達にも馴染みがあるスウィーツだろう。最近旅行をした友人からもらった土産も「ちんすこう」。しかし雰囲気がいつもと違う。涼しげな青と白のパッケージに海の風景、「雪塩」とある。人気の塩スウィーツだ。白に近い淡い色彩で、塩の風味が控えめな甘みを際立たせる。これまでショコラ、紅芋、パイナップル、黒砂糖など色々な味を試してきた中で一番のお気に入りになりそう。

 ちんすこうは琉球王朝から作られている伝統菓子。王朝に使える包丁人が中国で習得したものと薩摩藩の在番奉行の接遇の為に学んだ日本菓子を融合した琉球独自のレシピで、材料は小麦粉、砂糖、ラードというシンプルなものである。当時は王朝の祝い事の席で食されていたらしい。

 首里城最後の包丁人であった新垣氏が明治41年に沖縄初の菓子司として煉瓦窯で焼いた菊型のちんすこうを販売したのが庶民に広がるきっかけとなる。その後、米軍基地で使用されていたクッキーの抜き型を再利用して改良、オートメーション化を確立。間もなく本土復帰、沖縄海洋博があってメジャーになった。

 伝統に黒糖などご当地フレーバーなどを加えたのは近年だろう。中でも塩は最新の味であり、沖縄ならではの「雪塩」を使っているのが魅力的。宮古島の海は天然の濾過装置と言われる無数の穴があいた琉球石灰岩によって浄化、サンゴが育つ澄んだ美しさを保っているそう。そんな海水の成分を残すミネラル豊富な塩はパウダー状になって、まさに「雪塩」の名にふさわしい。

 食べるだけでも健康になりそうな雪塩ちんすこう。他にもサータアンダーギー(ドーナツ)、クジムチ(田芋の粉で作った葛餅風)、チンビン(黒糖入りクレープ)など、沖縄らしいヘルシースイーツが沢山ある。さんぴん茶と共に本土では味わえないカフェタイムは、いかが?(さ)

 魚料理とワインの後に世界各地のスイーツはいかがですか?エジプトイラントルコギリシャ

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2009-09-10 00:00:00 | オランダ語

Vis (ヴィス)

 オランダの魚といえばニシン(Haring)。旅行中、オランダ在住の知人に勧められてニシンのサラダを食べた。大皿に野菜と一口大の塩漬けニシンがたっぷり。レモンとタルタルソースが添えられている。野菜が不足しがちな旅先でさっぱりとヘルシー、焼き魚でしか食べたことがないニシンが想像以上に美味しく忘れられない一皿になった。適度に塩抜きしてあるのか脂ものっていて刺身を思い出させるような味だった。

 食事の後、知人はレストランの近くにあった看板(写真)の前で足を止めた。民族衣装を着た女の子が上を向いて口にいれようとしているものがニシンなのだと言う。旬の時期(5月頃)は街に塩漬けニシンを売る屋台が出て、オランダの人は買ったそばからシッポをつまみ空を向いてあんぐり口をあけてかぶりつく。まさに看板の動作である。あるいは、タマネギと一緒に、またはパンにはさんでトルコの「サバサンド」ならぬ「ニシンサンド」がポピュラーな食し方。

 調べてみると例年、ニシン漁は解禁日が決まっていて虹色の旗をなびかせた船で初漁に出るそうだ。。シーズン当初は日本の初ガツオのように縁起物として珍重され、いちばん最初にあがったニシンは女王陛下に献上される。

 オランダのニシン漁は14世紀中ごろに始まった。低地で資源の乏しいオランダにとってはその後、保存法の発明により国内にも広く出回るようになっただけでなく北海諸国にも輸出して財をなし、オランダ繁栄の時代を築いた。1574年に起きたスペインとの戦争の際、囲まれて籠城したライデン市民が解放後、最初に手にしたものがニシンとパンだったという逸話があり、ライデンでは今も10月3日の解放記念日はニシンでお祝いするそうだ。

 旅をしたのが旬の時期でなかったこともあり、ニシンの屋台はなかった。看板の女の子のように空を向いてパクリと食べられなかったのが残念。ニシンにかぶりつくオランダの人々の姿も見てみたかった。(さ)

「地球散歩」のワインセラーからお好みのワインをチョイスした後は、それに合う魚料理をどうぞ。様々取り揃えております。

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ワイン

2009-09-06 00:00:00 | ペルシャ語

شراب (シャラーブ)

一壺の紅(あけ)の酒、一巻の歌さえあれば、
それにただ命をつなぐ糧(かて)さえあれば、
君とともにたとえ荒屋(あばらや)に住まおうとも、
心は王侯(スルタン)の栄華に勝るたのしさ!
                      
(『ルバイヤート』 オマル・ハイヤーム作 小川亮作訳 岩波文庫)

盃になみなみと注がれた美酒、この世のものならぬ美女、天のものなる楽の音・・・
ペルシャ詩にはありとあらゆる美しいもの、享楽的とさえ言える事象が登場する。中でも、酒(葡萄酒)はイスラーム神秘主義詩において、神へ近づき、神の愛を感受するための「道(手段)」であるが、11世紀の詩人にして偉大なる思想家であったオマル・ハイヤームの詩においては、酒は「酒」そのものであった。異民族が侵入を繰り返し、古来から続くペルシャ的なるものが次々に破壊され・・・
詩人が生きたのはそんな時代。乱世において、命の儚さ・世の無常を嘆き、アラブ人がもたらした宗教・イスラームの道徳観に疑問を投げかけ、来世への約束ではなく、現世での一瞬の輝きを追い求めた詩人が紡ぎだす「酒の歌」は、力強さ・純粋さに満ちている。

さて、話を現代のイランに移そう。
1979
年のイラン革命以来イスラーム指導体制を貫くイランにおいては、酒はご法度である。イランでは酒を飲むことも作ることも禁じられている。他のイスラームの国では、外国人が利用するホテルなどで通常酒が出されるが、イランでは公の場で酒にお目にかかる機会はない。
だが、本来イラン人は無類の酒好きで知られる国民。革命前に日常的に嗜んでいたものを、途端に禁じることが出来るものではない。結果、イランでは闇酒が出回り、自家製ワインが製造されることとなった。自家製ワインとは、潰したブドウに砂糖を加え発酵させただけのシンプルなもの。自家製であるだけに温度調節も難しく、発酵が進みすぎてワインビネガーになってしまうこともしばしば。

一方、「闇酒」は、イランを取り囲む険しい山岳地帯を伝い、様々な荷物に混じり、主にコルディスターン(クルド地区)から「驢馬車」あるいはトラックに載ってイラン国内へもたらされる。運び屋の命の危険を賭してもたらされた「闇ワイン」一本の値は案外安く、日本で手にする安価なフランス産のワインとさほど変わらない。しかし、様々な地を巡り巡って辿りついたワインの背景にはきっと壮大な「ドラマ」があり、味も値段と銘柄以上の深みが増しているように思う。

そんな「禁酒の国」イランだが、革命前は良質のワインを産出することで有名だった。以前、詩人の街としてご紹介したシーラーズは、温暖で、ワイン作りに用いられる黄色種の小粒ブドウの大生産地として名を馳せる。かつて、このブドウの原種がフランスにもたらされ、有名なシラー種となったとも言われ、オーストラリアの有名な「シラーズ・ワイン」は、シラー種のブドウを原材料とし、この「詩人と葡萄酒」の街に因んで、「シラーズ」の名を冠することとなった。

 神秘主義者(スーフィー)よ、薔薇を摘み、弊衣は棘に与えよ
その乾いた禁欲を楽しい酒に与えよ
たわ言や寝言は竪琴の調べの道に置け
数珠や外被(カバー)は酒と酒飲みに与えよ
美女や酌人(サーキー)が買い求めない重苦しい禁欲を
花園の集い(つどい)にて春の微風(そよかぜ)に与えよ
おお恋人たちの長よ、紅の酒が私を襲った
恋人の頬のくぼみにわが血を与えよ(後略)
              
 (『ハーフィズ詩集』 ハーフェズ作 黒柳恒男訳 平凡社東洋文庫)

写真は、14世紀の詩人ハーフェズの廟。彼は、葡萄酒・美女・薔薇など、シーラーズの「名産品」をメタフォーとして、神秘主義的抒情詩の中で用いた。シーラーズ郊外に位置するこの場所には季節を問わず花が咲き乱れ、現在でも多くの人が参拝している。イラン人は、たとえ葡萄酒はなくとも、極上の酩酊を誘う偉大なる詩の韻律に、酔い、戯れる。(m)

*イタリア ギリシャ エジプト 日本 カリフォルニア ポルトガル チュニジア
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ワイン

2009-09-02 00:00:00 | フランス語(チュニジア)

 Vin(ヴァン)

 チュニジアで男の子は、「ディスコ行って、ワイン飲もうよ!」と、気軽に声をかけてくる。
 「あっはっはっは、行かない!」と言うと、「残念だなぁ。お酒飲まないなら、ちょっとお茶しない?」と、言ってくるが、それも断ると、それ以上しつこく付きまとってくるのは、他の中東諸国に比べるといない。
 ちょっと、物足りなかったりして?
 何しろ、エジプトあたりでは、ハエがたかる勢いで、追いかけまわされることがあるからだ。
 話しかけて来て、いきなりお酒が出てくるのは、トルコに次いで、チュニジアが初めてだった。
 日本でいきなり「もしもしお嬢さん、一杯いかがです?」なんて、通りすがりの人に言われたら警戒する。
 ワインは水というフランス的考えが、植民地時代に根付いたのだろうか?
 写真はカッパドキアのワイン工房。地下に広がる、蟻の巣のような住居では、葡萄の木の下に穴を掘り、葡萄が熟れるとザラザラと落下させる。下では人々がこの実を踏み、さらに下の貯蔵庫へと流れていくように作っていたという。写真の正面部分から、手前に向かって葡萄汁が流れてきていたという。地下の気温は夏でも冷たく、生野菜がいつまでも新鮮に保たれるという。天然のくらで寝かされたワインは、どんな味だったのだろうか?
 今でも冷やすのには大活躍している。私も洞窟部屋に泊ったが、あまりの冷たさに冬眠しそうだった。[a]
 

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