地球散歩

地球は広いようで狭い。言葉は違うようで似ている。人生は長いようで短い。一度しかない人生面白おかしく歩いてしまおう。

砂糖

2005-07-31 22:55:22 | 日本語
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砂糖と言ったら砂糖で何者でもないが、辞書をひくと「ショ糖を主体とする工業製品の総称」と味もそっけもないことが書いてある。
 砂糖は日本で作られたものではないらしい。奈良時代にはあったことが正倉院宝物の薬剤の記録に確認できる。鑑真和尚が伝えたと言われているが、本当のところはわからない。
 お菓子として知られるようになるのは平安時代になってからである。饅頭だ羊羹だが現れるのは室町時代。
砂糖と言えば、何処の国でもまずお茶に入れることを想像する。しかし、日本文化ではどの時代でも砂糖=お茶の時代はないと思う。とはいえ、昭和の中ごろまでは、麦茶に砂糖を入れて飲んでいた。ちょっとした贅沢だったのだろう。
 今でこそ、日本文化は世界に広く浸透し、理解されるようになった。お茶も「日本では砂糖を入れない!」などと驚かれることも少なくなった。 
 約10年前、初めて行った海外で「砂糖を入れて飲めるお茶を今度は持ってきて」と言われ考えた。考えた挙句、翌年お抹茶を持っていってとても喜ばれた。面白いもので、砂糖を入れて飲めると判った人たちは、今度は砂糖なしでトライし始めた。そして今や、砂糖なしで日本茶を楽しめるようになった。
 当時はまだ、水でとける抹茶ミルクなど、京都でしか売っていなかった。抹茶を使った洋菓子なども殆ど無かった。現在のように抹茶菓子が五萬とあるのは、海外に出ていった日本茶が砂糖とともに帰国して、その幅を広げたのかもしれない。
 日本人は味にかなり柔軟である。美味しいものはどんどん取り入れて食文化を広げていく。
 甘いものは幸せな気分になる。砂糖は立派な国際大使である。〔a〕

インドネシア語

2005-07-29 01:24:39 | つれづれ帳
ジャラン・ジャラン  散歩する
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 インドネシアのカブミ国立舞踊団がきたので見に行った。海に囲まれた国を思わせる、竹の楽器の音色は水の中。

 その中で日本人が覚えやすいインドネシア語を紹介してくれた。ジャラン・ジャランのほかには「サマサマ」これはお互い様という意味だそうだ。『じゃらん』という旅雑誌があったことを思い出した。

 竹の音色に耳をすませる。気分は日の光が差し込む海の中。海は地球の全てに繋がっている。言葉も繋がっている気がする。ジャラン・ジャラン、何処までも歩いていこう。

2005-07-24 20:49:27 | イタリア語
Strada (ストラーダ ・道 )


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 イタリアで道と言えばまず「全ての道はローマに通ず」とうたわれた「ローマ街道」。そしてイタリアの著書といえば塩野七生さん。久しぶりに『イタリアからの手紙』を読み、以下のことが改めてわかった。
 まずアッピア街道、フラミニア街道、カッシア街道などローマに集まる16余りの道がローマ街道で、私財をなげうって着工したアッピア氏のように道をつくった執政官の名前を取って「執政官街道(ストラーダ・コンソラーレ)」と呼ばれていること。
 次に全長30キロにもなるこれらの道は基礎工事がしっかりしている上、どんな狭いところでも追い越しを考えて三車線になっているので、上にアスファルトを敷いただけで2千年後の現在も使われているということ。
 驚くべき知恵と歴史の道なのである。
 氏はローマ人の技術の確かさの例として下水道工事を2千年もの間しなくても機能していたことも記している。
(塩野七生 『イタリアからの手紙』 新潮文庫)

 ところで、7月20日の新聞の一面に美しい写真と共に「2000年前 ローマの銀食器」という記事が掲載された。ご存じの方も多いであろう。
 大小の皿を含む20点の銀食器セットは、今から5年前にイタリア南部のポンペイ遺跡から約1キロ離れたモレジネで高速道路工事の最中に見つかったもの。文化省が5年の歳月をかけて泥の洗浄や研磨を行い、18日にローマ市内で報道陣に公開された。これらは裕福な家族が特別な儀式などで使ったと推定される。
 紀元79年に起きたベスビオ山の火山噴火の日から土の中に埋もれていた銀食器は保存状態も良く、当時の輝きを取り戻した。写真からも優雅な浮き彫りが見て取れる。来年、ローマの国立博物館で他の出土品と共に一般公開されるそうだ。
( 2005年7月20日 読売新聞)
  
 こんな発掘の記事を読んでポンペイの辺りを歩けば、自分の歩いている道の下にまだ歴史の遺物が眠っているかもしれないと思い、ドキドキしそう。私はそんな場所を歩くのが大好きである。ギリシャの街もしかり。オリンピック開催前、工事の遅れをさんざん指摘されていた時、「工事を進める度に遺跡が出てきて・・」と言い訳をしていたことを思い出した。(さ)

       

2005-07-19 19:37:08 | ギリシャ語
Ο δρομος(オ・ドローモス)
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11月の第一日曜日はアテネ市民マラソン。参加費70ユーロ(2002年時)を払えば誰でも参加でき、完走すると賞状、メダル、Tシャツの記念品がもらえる。アテネ郊外のマラトンからアテネのパナシナイコ競技場まで正確には42.195キロメートルの距離で、希望により最後の10キロのコースのみを走ることも可能。例年参加している長野県マラソン団の方々を始め、想像以上に多くの人が日本からこの日のためにアテネに来ているそうである。アテネ在住の日本人も一度は参加したい行事。中学生以上なら走ることができるので10キロに挑戦する子供の姿もあった。走らない人は沿道で応援の旗を振って参加するのが楽しい。
全行程を完走した人の話では、足にマメができ最後は足を引きずるようにゴール、翌日は階段も手すりなしでは上がれないほどの筋肉痛とか。それでも第一回近代オリンピック会場であったパナシナイコ競技場にゴールする感動は何にも代え難いものと言う。昨年のアテネオリンピックのマラソンも同じ行程、ゴールもここ。真っ白い大理石の客席からは遠くにパルテノン神殿やリカビトスの丘を臨むことのできるギリシャらしい競技場である。

このマラソンは歴史的な道を走るという醍醐味も併せ持つ。紀元前490年のアテネ対ペルシアの戦争における勝利を一兵士が完全武装のまま、マラトンからアテネのアクロポリスまで走り続け、伝令の任務を終えた後には力尽きたという偉業を記念して行われているものだからである。数の上でかなりの劣勢であったアテネ軍の驚くべき大勝利であったそうだ。
そして、「マラトン」という鄙びたギリシャの村の名前が長距離走を意味する言葉となったのである。
写真はオリンピックの時のパナシナイコ競技場で、リカビトスの丘が見える位置からの撮影。


Στην Ελλαδα εχει τον Μαραθωνιο αγωνα της
Αθηνας , τον Νοεμβριο καθε χρονο .
(ギリシャでは毎年11月にアテネマラソンが催される)

Ολοι οι ανθρωποι που θελουν να τρεξουν ειναι
αθλητες και αθλητριες .
(このアテネマラソンは走りたい人が誰でも参加できる)

Ο δρομος ειναι 42 χιλιομετρα απο τον Μαραθωνα
προς την Αθηνα .
(マラソンの道のりは、マラトンからアテネまで42キロ)

Αυτος ειναι ιστορικος δρομος .
(この道は歴史的な道のりである)

Ο μαραθωνιος ειναι ενα αγωωισμα των
Ολυμπιακων αγωνων .
(そしてマラソンはオリンピックの競技の一つになっている)

    ギリシャ語メモ

μαραθωνιο <マラソニオ>マラソン αγωνα<アゴーナ>競技
Νοεμβλιο <ノエンブリオ>11月 ανθρωποι<アンスロプー>人間(複)
τρεξουν <トレクスーン>走る(未来形。複) αθλητες<アスリーテス>競技者(男)
αθλητριες <アスリートウリエス>競技者(女) ιστορικος <イストリコス>歴史の                                      
(さ)

2005-07-09 16:11:56 | ギリシャ語
To δεντρο (ト・デンドロ)

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「うわ~、街路樹がオリーブとオレンジだ!」初めてアテネの街中を歩いた時、子供達だけではなく大人の私達も声を上げた。青空、溢れる陽射しに、この街路樹は、いかにも南欧の風景。オリーブの木は珍しいし、沢山の実をつけたオレンジは更に魅力的で「観賞用だから苦いよ」と聞いていても一度は味見をせずにいられなかった。(やはり不味い)
このオリーブの木は神話のアテナ女神からの贈り物といわれている木で、世界遺産のパルテノン神殿に隣接するエレクテイオン神殿には「聖なるオリーブの木」が植えられている。また、昨年のアテネオリンピックでは勝者にメダルとオリーブの冠を贈り、オリンピック発祥の地であるギリシャならではの授賞式となっていた。古代オリンピックにおいては冠がメダルの代わり。ギリシャ国内には「四大競技場」と言われているスタジアムの遺跡あり、場所によってオリーブの他、月桂樹、松、セロリと冠にする植物も違っていたそうである。
オリーブの実は漬け物、オイル、パンに塗るペーストなどの食用以外に、昔からある石鹸、最近はシャンプー、ハンドクリームにも使われている。またモチーフとして食器やテーブルセンターを初めとする生活用品の柄として人気がある。
写真は聖なるオリーブの木。

Η ελια ειναι το συμβολο της Ελλαδας.
(オリーブの木はギリシャの象徴のような木)

Αυτο το δεντρο ειναι το δωρο απο την θεα Αθηνα .
(この木は神話のアテナ女神からの贈り物)

Μπορο να δω τα δεντρα ελιες παντου.
(あちこちで見ることができる)

Στην πολη ,στο χωριο (街中でも郊外でも)

Χρησιμοποιουν αυτες για το λαδι 、 για το σαπουνι
(オリーブの実は油や石鹸などに使われる)

Το στεμμα των Ολυμπιακων Αγωνων ητανε με φυλλα ελιας
(オリンピックの勝利の冠はオリーブの葉である)


ギリシャ語メモ

ελια <エリィアー> オリーブ   συμβολο<スィンボロ>象徴
δωρο <ドーロ>贈り物         θεα Αθηνα<スィア アスィナー>アテナ神
πολη <ポーリ>都市        χωριo<ホリオー>田舎
λαδι <ラーディ> 油         σαπουνι<サプーニ>石鹸
Ολυμπιακων Αγωνων <オリンビアコン  アゴノン>オリンピックゲーム
                                 (さ)



2005-07-08 21:43:57 | スペイン語
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 骨董市に必ずあるのが古本屋。いろんな国の古本屋を見たが、こんなにも乱雑に本を売っているのは、スペインがはじめて。こういう中からお目当ての本を探せたら、なんていいだろう。だっていかにもそれは「掘り出し物」という感じがするから。本棚から抜き出すのもワクワクするが、しゃがんで、関係ない本はちょっとぐらい投げても大丈夫そうな本屋。店と店の間は狭く、搬入の車がそろりそろりと通るが、それでもし用品にぶつかる。この本たちも轢かれたことがあるに違いない この日、本が轢かれるのを見なかった代わりに、グラスが轢かれるのを見てしまった。「ああ!ぶつかる!ちょっと待てよ!どけてやるから」という、周りの声に運転者はちょっと車を止めた。そして、グラスをどけたおじさんが、引っ込むと安心して車をスタート。その瞬間、パリンと音がした。完全にぶつかる一個だけをどけても、タイヤギリギリのところのもどけなくちゃ意味ないのに…。
どうなるのかとことの成り行きを見ていると、店主が音を聞きつけて飛んできた。運転手は「悪かったな」と一言言い残して走り去った。周りの人たちも「運がなかったな」というようなことをつぶやくと散っていった。店主は怒るでもなく、「あーあ」という表情でかけらを集めていた。
 オイオイ…ここはどこだ?スペインだよな?なんだかエジプトに居るのかと錯覚したぞ。
 それもそのはず、骨董市の出店者の多くはモロッコ人。アラビア語がバンバン飛び交っていた。骨董市の小さな空間が、小アラブと化していた。
 アラブ文化がたくさん流れ込んだスペイン。文学も科学書もあらゆるものの情報が、スペインで書物になりヨーロッパ世界へと流れていった。
 アラブとヨーロッパをつなぐ国、スペイン。
 スペインの本には、歴史の鍵が隠されている。

2005-07-08 20:56:19 | 英語
Book
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英語で本といえば聖書だろうなぁと思い、辞書を引いて見るとthe bookで聖書。
 日本語のところで本の定義を書いたが、英語はちと違う。日本語では本と認められない電話帳も本。49ページ以上の文章どころか、一字も印刷されていない、自分で書き込むノートも、家計簿もbook。
 ようは綴じてある紙のタバは「本」ということらしい。ところ変われば、考え方も違うということですな。

 bookyで「本好きな」の意味。そうか、そうだったのか!「あんたみたいなブッキー(ぶきっちょ)見たことない!」と言われたけど、あれは「あんたみたいな本好きは見たことない」ってことだったんだ!なるほど納得。
 
 地中海域でもっとも古い本と言えば、古代エジプトの『Book of the death』死者があの世に行く時持っていくために、売られていたことが判っている。エジプトはプトレマイオス朝のアレキサンドリアに、世界最大の図書館を持っていた。もっともこの当時の本は、パピルスの巻物。
 いわゆる綴じた本になったのは、中世のこと。キリスト教の修道士によって作られたそうだ。なるほど!英語圏にキリスト教徒が多いから本と言って聖書を指すだけでなく、キリスト教の修道士が作ったら聖書を本というのかもしれない。〔a〕

トマト

2005-07-04 12:43:04 | ギリシャ語
Η ντοματα(イ・ドマータ)
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ギリシャは野菜や果物が新鮮で安い。移動式の市場が家の近くで開かれる日は朝からウキウキ。
歩いているだけでも色鮮やかで新鮮な野菜や果物から元気をもらえるからだ。様々なものをキロ単位で買って帰る。どれもスーパーの袋一杯100-200円程度。安い!
トマトは完熟。赤く輝き、実ははち切れそうである。
写真のサラダはガイドブックなどで「グリークサラダ」と言われているもので、ギリシャ語を直訳すると「田舎風サラダ」。みずみずしいトマト、きゅうり、タマネギ、ピーマン、そしてオリーブの実、山羊の乳から作った「フェタチーズ」のサラダ。これにトロリとした緑色のオリーブオイルをたっぷりとかけていただく。夏の定番中の定番。ギリシャ人は旬を大切にするのでこのサラダは夏のものと決めている。冬はほとんど食べない。キャベツと人参を千切りにしたものやブロッコリーとカリフラワーを茹でたサラダを冬のサラダとする。(どちらも塩、オイル、レモンの味付け)
冬の時期、友人に「ゲミスタ(トマトのお米詰め)の作り方を教えて」と頼んだら「今は季節じゃないからダメ。夏にね。」とにべもなく断られた。勿論、街のレストランなどでは一年中「グリークサラダ」も「ゲミスタ」も食べられるのでご心配なく。


Η    εποχη   για  τις ντοματες ειναι τοκαροκαιρι .
(トマトの季節は夏)

Πολυ     νοστιμες   και        γλυκες .
(とても安くて甘い)

Στην    λαικη   αγορα   μπορω  να   αγορασω
τις  ντοματες  80 λεπτα   το   κιλο .
(市場では1キロのトマトを80レプタ<60円>で買うことができる)

Πιο   φτινα   απο   την    Ιαπωνια .
(日本よりもずっと安い)

Καθε  μερα  τις  τρωνε  για  χοριατικη  
σαλατες ,  γεμιστες  με   ρυζι
(毎日トマトを食べる。田舎風サラダやトマトのお米詰め)

η   τις   χρησιμοποιουν   στις σαλτσες   για
τα    φασολακια ,   μπαμιες    λαδερες
και  πολλα    αλλα   Ελληνικα   φαγιτα .
(インゲンやオクラのトマト煮込みのソースとして使われる)

            ギリシャ語メモ


καροκαιρι <カロケーリ>夏 λαικη αγορα <ライキ・アゴラ>移動式市場
φτινα <フティ ナー>安い καθε μερα<カセ・メーラ>毎日

χωριατικη σαλατα<ホリアティキ・サラタ>田舎風サラダあるいはグリークサラダ

γεμιστες με ριζι<ゲミステス・メ・リジ>トマトに米を詰めてオーブンで焼いたもの

φασολακια<ファソラーキャ>インゲンのトマト煮込み

μπαμιες λαδερες<バーミエス・ラデレス>オクラのトマト煮込み
                             (さ)

本~地球散歩の夢

2005-07-02 23:50:30 | 日本語
人気blogランキングへ   本の定義、ご存知ですか?「本とは表紙を除き、少なくとも49ページ以上の不定期刊行物であって、その国で出版されかつ一般的に入手できるもの。①広告の目的で刊行されるもの②時刻表、電話帳③楽譜、地図以上は除外する」(世界大百科事典26平凡社) なぜに49ページ?ここしばらく、6枚の論文に頭を悩ませていた私。つくづく、だらだら書くって楽だなぁと思ったところ。たまには書く時、原稿の字数を指定するのも必要と感じた。何事も訓練が必要ですな。  近頃は本が大事にされないと、嘆くことが多い。なぜか。それはゴージャスであっても、薄っぺらい本が多いから。一番は匂いがしないこと。インクの香りは何処へいってしまったのだろう。 無味無臭、抗菌ブーム。これらはありとあらゆるものを私たちの生活から奪った。清潔であることは大事である。しかし、忘れてならないのは、菌によって守られているものもたくさんあるということ。卵の殻を綺麗に洗ってから卵を調理したらどうなるか?病気になるんですな。なぜなら、卵の殻についている菌が、卵の中身にバイ菌を寄せつけないようにガードしているから。それを買ってきた卵を洗って冷蔵庫で保存する人がいるらしい。思い当たる人は、今すぐおやめなさい。 話がそれてしまったが、何がいいたいかといえば、人の手から手へと渡った本は、面白さが違うということ。繰り返し読まれた本は柔らかく、手になじみやすい。そして持ち主の気持ち、読んだ人の気持ちがさらに書き込まれている。  雨の日の本は格別。湿気を含んで重たく、インクの匂いがひときわする。こんな日に読みたい本は、エンデの「はてしない物語」土砂降りの何処にも出られないと思える日にこの本を開くと、本の中に吸い込まれそうな感じがする。重厚な絹張りの表紙。二色刷りの活字。バスチアンと一体になって、本の中に入り込んでしまう。  エンデの本は、「モモ」など引き込まれる作品が多い。しかし、どの本も『はてしない物語』ほどではない。装丁とインクの匂い。本にとってこれらは重要な条件である。こんなにすばらしい本をいったいどれだけの人が処分できるというのだ? 写真がたくさんあって、ツルツルの紙。一見素敵な本。それが100円にもならないで、古本屋に並んでいる。残念。  私たちは散歩のとき、お気に入りの本を携えてブラブラする。 気に入った場所で、或る時は公園のベンチで、またあるときは木陰で、そして、浜辺で…  いつの日か、この地球散歩が本になって、ギリシャではギリシャのページを、スペインや南米ではスペインのページを、エジプトやチュニジアでアラビアのページを開き、「今日は「砂糖」のところを読んだんだ!」と話が繋がる日を夢見ている。はてはて、面白いのは、「砂糖」でもどの「砂糖」を読んだかで内容が違うところである。 同じ本で、同じタイトルのものを読んでいるのに内容は違う。この発想は、迷子ならではと思うのは私だけか?右に行かなければならないのに、判っているのについ左に行ってしまう。  私たちのはてしない物語、地球散歩にお付き合いいただける迷える、彷徨える方が増えていくことを願って。ご賛同いただける方の一票をお願いします。人気blogランキングへ