地球散歩

地球は広いようで狭い。言葉は違うようで似ている。人生は長いようで短い。一度しかない人生面白おかしく歩いてしまおう。

チーズ(オーストリア・ドイツ語)

2013-01-07 22:10:11 | つれづれ帳

Käseケーゼ

 オーストリア土産に6Pチーズがあった。
 世界中で見る6Pチーズの発祥はどこだろうかと調べてみたが、イマイチよくわからない。
 日本のものと比べるとちょっと大きい。
 テープが付いていて、クルンとはがれるようになっているのも、世界共通である。オーストリアのものは2本着いていた。
 エジプトの6Pチーズはパンダ印でクリーミー。大きさは日本のものより小さい。オーストリアのは、ゴーダのハードな感じがたまらない。
 形は同じ6Pチーズでも、中身のチーズはさまざま。世界中が、まねっこしたのでもないとしたら、なぜこの形が多いのか?
 チーズは円筒形か丸いことが多い。真ん中から熟成してくるので、自然と放射状に切って食べるようになったそうだ。
 そんな訳で、元の丸い形をイメージできるようにし、美味しい真ん中から食べる習慣も残した抜群の形が6Pチーズのようだ。
 チーズ作りをしている人であれば、誰でもイメージできる形のようだ。
 世界中の人がもつ共通イメージ。
 
 ケーゼというドイツ語も、スペイン語のケソに似ているなと思った。
 同じ羊?牛?を追いかけていた人たちが、右と左に別れていったのかな?
 思いをめぐらすと、ウキウキする。

 オーストリアのチーズから話がそれてしまった。
 オーストリア料理にレバーケーゼというものがる。残り物料理であるが、レバーとチーズ以外のものをミートローフにする。名前を聞いたとき、「レバー入りのチーズとは何ぞや?」と、いろいろ味を想像してみたが、どちらもはいっていない料理であった。
 オーストリアのチーズなのに、チーズが不在の便りとなった。


 丸いチーズはどこから食べる?チーズ通になって、三角の先っぽから?
 丸い地球をグルグル美味しいものを食べながら、地球散歩は今年も、のんびり歩いてゆきます。どうぞよろしくお願いいたします。[a]

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トマト(オーストリア・ドイツ語)

2012-12-01 23:21:37 | つれづれ帳

Tomate(トマート)

 面白いものをオーストリア土産でもらった。
 地球散歩読者のサーラが散歩の途中で見つけたそうだ。
 ドライトマトのチップである。
 オーストリアでは、朝ズッペ(スープ)を飲む習慣があるそうで、トマトスープも定番のひとつ。
 サクサク感が楽しくて、そのまま食べてしまいたくなる。
 スープはほのかな酸味が、朝のおなかに優しい。
 トルコの朝の定番、トマトスープを思い出した。もしやこれもイスラームの道を通ってウィーンへ?
 ヨーロッパではシルクロードならぬ、オスマントルコの道とともに食異文化も広まっていった。
 イスラーム遠征とは関係がなくても、同じルートでトマトスープも流れていったのでは?と想像してみると楽しい。[a]

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唐辛子(ブータン)

2012-09-30 21:27:29 | つれづれ帳

(エマ)

 旅行博に行ってきた。(毎年エジプトブースにいます)
  ブータンのブースのところで、大きな唐辛子をもらった。飾りで置いてあった唐辛子を、すっと差し出して「あなた!これもっていって。お家で蒔いてみて!」と渡された。

 幸せの国ブータン、アジアにご縁のない私は、ブータンについてほとんど何も知らない。
 唐辛子をどのように使うのか聞いてみたところ、チーズと一緒に煮込むと言う。
 エマダツィという唐辛子のチーズ煮込みは果たしてどんな料理なのだろうか?
 忘れないように、地球散歩にお便り…お便り…

 さて、ブータンの言葉は?文字は?とにかく何も知らない。
 ゾンカ語という公用語はあれど、全ての国民が話すことが出来るわけではなく、ネパール語や英語も話されているという。
 文字はチベット語に当てはめて使っていると言う。
 方言はあっても、ひとつの国では共通の言葉が話され、同じ文字を書いているのが当たり前だと思っていると、ブータンではまったく通用しない。

 と、驚くべきは言葉だけでなく唐辛子もしかり。
 なんと、唐辛子はスパイスではなく野菜だと言う。
 いつでもどんな料理にも入っているらしいのである。
 しし唐を毎食食べている感じだろうか。
 辛いもの好きとしては、ブータンの食の旅へ出たくなった。[a]

 

幸せな国でホットになりたい…

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2012-04-21 22:42:32 | つれづれ帳

गंगा नदी (ガンガ ナディ)

 

インドに訪れて、私の中の小さな価値観は、激しく破壊された。想像を絶する世界だった。何もかもが、信じられなかった。

 

でも、ガンジス河の美しさを考えたら…インド人たちから受け取った優しさを考えたら…旅友からもらった笑顔を考えたら。破壊だけではなかった。確かに。

 

そこには、愛があった。それも、私がこれまで想像したこともない、深遠なる愛が。

 

フラットな世界観が破壊され、深遠なる宇宙に放り出された感じ。

 

宇宙は深い。人生も、深い。

 

この感覚は、これから私自身の人生にも起きてくる、未知なる人生を暗示しているのかもしれない。

 

深遠なる宇宙に突然放り出され、どこをどう泳ぐべきなのか…?

 

それは、愛なんだよって、教えられた気がする。愛があれば大丈夫なんだよってね。

 

きっと私は、これからももっと深遠なる愛を知ることになるだろう。だから、宇宙の意図に身を任せ…愛を知ればいい。

 

生と死が同時に存在する、聖なる河、ガンジス河。ものすごい体験、インドが嫌いになんかなるものか。病に倒れたのはやや荒療法だけど、インドのシヴァ神らしい導きだったと思う。

 

全てに、愛をこめて。インドに、愛をこめて。ありがとう。[y]

 

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遺跡(ヒンディ語)

2012-04-14 22:52:28 | つれづれ帳

रिक्थदाय (リクタダヤ)

「これが、世界の憧れの宮殿、タージ・マハルだよ」

そんな風に案内されたタージ・マハル。お気づきだろうか、これは、タージ・マハルを背中から写したもの。

私は、遠路はるばる、インドはアーグラー、タージ・マハルのお膝元までやってきて、不覚にも倒れてしまった。翌日の観光には参加できず、やっと元気になったこの日は閉館日。つまり、アーグラーまで来て、タージ・マハルに入館することができなかったのである。それで、川岸の写真スポットに案内された、というわけ。

「これで50%は見たね。今度こそ100%見るために、また戻っておいで」

インド人ガイドは、笑顔でそう言った。そうだね、また、機会があったら…でも、私はもう十分、ここで学ぶべきことは学んだ気がするよ。だって、私はあなたたち、インド人に会えたから。

旅先で病に倒れた私を、ホテルの従業員は、出来る限りのことをしてくれた。せっせと運ばれてくる無料の食事。「早く良くなってね!」という従業員たちのサイン入りのメッセージ・カード。チェックアウトする時の「もう大丈夫なのか?」という声かけ。帰国してしばらく経つと、旅行会社から電話が。なんと、そのホテルに(申し訳ないが)捨てて行ったはずの靴や洋服が、「忘れ物」ということで日本に届けられたそうである。

世界の憧れの宮殿には入れなかったかもしれないけれど…私には、古の巨大な建造物よりも、現代に生きるインド人の優しさの方が、身に沁みて嬉しかった。

きっとこれからも、タージ・マハルを目にするたびに、同じ時を生きる彼らインド人を思い出すことだろう。これ以上、何を学べるというのだろう?ありがとう、タージ・マハル![y]

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お金

2011-12-12 14:11:09 | つれづれ帳

Penge (ペンゲ・デンマーク語)

 

お金、というお題を聞いて、ふと引き出しに眠っている海外通貨のことを思った。ずいぶん前から、手つかずの紙幣とコインが眠っている。このたび思い立ったので、点検をしてみた。

 

写真は、その一部。特徴は、どれも新券ということ。日本で両替すると、大概このような新券を手にすることになる。これが、海外の人にはびっくりすることらしい。

 

これまでに、二度ほど聞かれたことがある。「どうして日本人は、きれいな紙幣を持っているの?」フツーに両替してきただけですよ、と言っても、信じられない、というような顔つきだった。この時、紙幣はなるべく使い古したものを持たねば、あらぬ疑いをかけられる可能性があることを知った。もちろん、二人は疑ってはいなかったが、「新券なんて、ろくに見たことがないんだよ!だけど、日本人はいつも新券を持ってくるから、不思議でならなくて」というのが銀行員となれば、反応のしようがないというものだ。それは、こっちの台詞ですよ…

 

ところで、碧の故郷?エジプトの紙幣は、私の人生の中で最も驚くべきものだった。その使い古された姿には、考古学博物館に飾られていても不思議ではないよね、と思うくらいだった。是非、1枚は手元に置いておこうと思ったのだが、うっかり全て使ってしまった。惜しいことをした。

 

…と思っていたら、思わぬ人から、ツタンカーメンの彫られたコインを贈られた。「エジプトにご縁の深いあなたへ」はて、そんな記憶はないのだが…

 

いずれは、両替するか、どこかに寄付しようと考えているこれらの紙幣。だけど、もうしばらく…夢を見ようと思う。きっとまた、これらを持って旅立つ時が来るんじゃないかな、という風にね。[y

 

 

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遺跡

2011-10-20 00:00:00 | つれづれ帳

Ruinene (ルーイナ・ノルウェー語) 

 

 

「なぜ、ここへ来たの?」

 

この町の住人に、口をそろえて聞かれたのがこの質問だった。

 

ノルウェーは最北に位置する小さな町、アルタ。町の大きな見どころに、世界遺産(Verdensarven)の岩絵がある。古いものでは7000年前のものもあるそうで、遺跡好きの人にとっては、是非訪れてみたいスポットの1つだと思う。

 

実は、この町へ訪れようと決めた時、この遺跡のことはそれほど興味がなかった。ただ、北欧へ行くなら、北へ行きたかった。空港のアクセスが良く、それなりに見どころがあり、戦争の爪痕など感じさせないような所へ行きたかった。よって、自然にアルタとなったわけだ。

 

遺跡は屋外の森の中にある。森を進み、小川を超え、目の前に開けるフィヨルドを眺めた時…最初の質問の答えが、一気に私の中に流れてきた。それはまるで、自分でそう決めていたかのように。ここで約束を果たすよう、何かの仕掛けをしていたかのように。

 

こう考えてみるのはどうか?きっと世界には、自分の何かを開ける鍵がある。それは自分にしか分からず、自分でしか開けることができない。そんな宝探しの旅をしているのだ、と。そう、ここアルタで、私は宝を見つけたのである。[y]

 

 

 

 

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2011-10-12 22:51:21 | つれづれ帳

Havet(ハーヴァ・ノルウェー語)

  

 

ノルウェーと言えば、フィヨルド観光は外せないだろう。オスロからベルゲンへ抜ける途中、世界遺産にもなっているフィヨルドがいくつも連なっている。 

 

しかしながら、私が選んだのは、最北の地アルタだった。フィヨルドも結構なのだが、当時足の怪我が長引いていたこともあって、のんびりと、できれば人の少ない所が良かった。 

 

最初にたどり着いたのは、深夜だった。北欧なので、まだうっすらと日が残っていた。車に乗り込んでふと外を見ると…なんとも穏やかな湖面が広がっていた。 

 

アルタに、湖なんてあったっけ?ろくに下調べもしてなかったのだが、そんな記憶はなかった。 

 

翌日、観光案内所で初めてまともな地図をもらい、ようやくその正体が海だとわかった。それにしても、とても静かで、海とは思えない。

 

よくよく見ると、ノルウェーの西海岸は、その多くが複雑に入り組んだ入江、すなわちフィヨルドを形成しているようだった。ここアルタも、アルタフィヨルド、波のまるでない海が広がっているというわけだ。

 

静かな海で、しばし水遊びして戯れた。感謝と共に自然界からのギフトを受け取った、とても素敵な時間となった。[y]

 

 

 

 

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2011-05-09 22:33:22 | つれづれ帳

ถนน (タノーン) 

 

私にとって奇妙な印象を残したのは、タイの「道」。 

 

その日、私たちは洞窟へと旅に出た。しかしながら、そこへの道は、まさしくけもの道。時に土、時に泥、草むら、岩、ありとあらゆるトレイルを通って行かねばならない。途中、猛然と襲ってくる蚊と戦い、川をカヤックで下りながら。 

 

案内人はサンダル一つで、水の中も森の中も、ひょいひょいと身軽に進んで行く。私たちは、重い体をぎくしゃくさせながら、尻もちをつき、びしょ濡れドロドロになって必死について行った。一人などは途中、大けがをしてしまった。それを見て、自分がどんなチャレンジをしているかを思い知る。いやまさか、こんなつもりでは… 

 

息も絶え絶え歩く中、思わぬスポットにめぐり合うこともあった。自分と、周囲のジャングルと、空が一体になったような錯覚を起こす場所。でも、道を進まねば帰れない… 

 

挙句、帰りはまるで積み荷のようにトラックに乗せられた。

 

でも、疲れきって、汗をかいて、夕日を見ながら…なじんでいる自分に気がついた。信号もろくにない、舗装もされていない道を進むそのトラックも、なぜかものすごーく、自然なことのように思えた。

 

手つかずの秘境。今住んでいる所では、まるで考えられない環境。しかし、そこを歩いた記憶が、今も私をタイへと誘う。それこそ、道なき道が目の前に広がっているかのように。[y]


 

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2011-04-09 00:00:00 | つれづれ帳

primăvară(プリマヴァラ・ルーマニア語)

中世ヨーロッパの風景が、今も色濃く残るルーマニア北端のマラムレシュ地方。
鬱蒼と茂る森林と、未だ舗装されず土埃の舞う田舎道、荷車を引く馬、積み木のような木造の教会や家屋。辺境の春の風景を淡く彩るのは、桜の花?
靄の架かった蒼い空と溶け合うように乱舞する白い花。遠目には、桜と見紛うような可憐なその花は、ルーマニアの有名な蒸留酒「ツィカ」の原料となるスモモの花である。

ヨーロッパの童話の世界からそのまま抜け出してきたかのような、小花模様のスカーフとAラインのミニスカート姿で教会に集う美しい女性たち。そして、正十字をてっぺんに掲げ、死者の生前の生業や死因をユーモラスなタッチで木板に描いた「陽気な墓」。春まだきの冴えない色の空の下、そこではカラフルな色の競演が繰り広げられている。一方、スモモの花の落ち着いた色合は、手つかずのマラムレシュの自然と優しくリンクする。

北国の春の訪れは遅く、そして陽の光は弱い。
しかし、ウクライナとの国境に程近い、この山間の地方にも、もうすぐ穏やかな春がやってくる。
木々と共に暮らす、童話の世界の住人たちの低い祈りの声に乗って。(m)

*写真はマラムレシュ地方サプンツァ村の教会敷地内にある「陽気な墓」。
日本へ向けられた世界中の祈りの声が、天へ届きますように。

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2010-11-09 00:00:00 | つれづれ帳

散歩仲間のタヌ子さんがクロアチアから「友」にお返事をくれました!

prijatelj(プリヤテリ)

アミーゴやアミ、フィロスなどと比べるとちょっと長くて覚えにくい。
そんなところから、クロアチア人は友達が少ないのかと言うと、そんなことは全くない。
特におじいちゃん、おばあちゃんの友達との交流は盛んで、中央広場近辺のカフェは高齢者カフェと化していて、ちょっと入るのに躊躇いを感じるぐらい(笑)
それも皆普段着ではなく、朝からお洒落をして集っていて、それが何とも楽しそうなのです。
親しき仲にも礼儀あり。
友達に会うときもきっちりとした身なりで家を出る。
そんな心がけがクロアチアの老人たちをパワフルにしてるのかな。
(タヌ子)

 

タヌ子さんのブログに散歩に行って、私たちはいつもよだれダラダラ、おなかはグーグー(笑)
「異邦人の食卓」で、満腹の旅を楽しみに、次のお散歩へ!


地球散歩では、世界各地、日本全国からの「お返事を」お待ちしています。
一緒に散歩しましょうね。(掲載については編集部で協議します)

 

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祭り

2010-11-01 00:00:00 | つれづれ帳

Festival


アメリカに住むMesaから届いた絵葉書を読んだ後にスコットランドの知人に会ったのでハロウィンについて聞いてみることにした。
もともとハロウィンはケルト民族の祭りで「夏の終わり」を意味する。ケルトの暦では11月1日が新年なので10月31日あるいはその前後に行われる火祭りが発祥だったという。
印象的だったジャコランタンについて尋ねると、何とスコットランドではカボチャではなく、Turnip(ターニップ)という大きなカブで作るとのこと。ハロウィン=カボチャのイメージだったのでビックリ。そして大きなカブと聞くと、昔々読んだロシアの民話の絵本を思い出した。

もう少し詳しく知りたくて帰ってから調べてみた。まずケルトの火祭りとは死者を迎えるもので、その目印としてロウソクに火をともし、ご馳走を用意するそう。まるで日本のお盆と一緒である。
また悪霊や魔女もさまよい歩くので、魔除けの灯り、災いを避けるための捧げものという意味もあり、また仮面をつけて追い払うことが仮装につながったらしい。アメリカでハロウィンが盛んなのはアイルランドからの移民が多いからということである。

ターニップはスゥエーデン原産の西洋カブでスゥイードとも呼ばれている。日本のカブと違って大きく、皮が固いので、カボチャと同じような感覚でジャコランタンを作ることができそう。スコットランドの伝統料理である羊の内臓の腸詰「ハギス」にマッシュして添えられるというからポピュラーな野菜だということもわかった。

スコットランドの大きなカブで作ったランタン。死者と向き合い、新しい年の幸せを願う人々の思いを灯りに託している。(さ)


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2010-10-08 00:00:00 | つれづれ帳

दोस्त(ドースト・ヒンディー語)

今回、さらさとyuuの「友」に返信しようと思い、一番に思いついたのがヒンディー語の「友」。今まで『地球散歩』でインドのことを書いたことがないので意外かもしれないが、私、mitraが初めて訪れた外国はインドなのだ。

当時、私には仲の良いインド人の友人が居た。東京で交流を深めていたその友人のつてを辿り、デリーでは、短期間ながらも友人の自宅にホームステイする機会を得た。そこには私と同じ年頃の娘さんが居て、何かと世話を焼いてくれた。印象に残っているのが、「どうして女性なのにアクセサリーもつけないの?」と彼女が遠慮がちに呟いたこと。旅の最中であることも手伝い、質素でみすぼらしい(!)格好をした私を見かねての発言だったのだろう。私は様々な言い訳を考えてみたものの、サリーを着て綺麗にお洒落をした彼女の前では、自分の格好の冴えなさについて何も言えなくなってしまった。そこで彼女は、自分の両親が経営するアクセサリーショップに私を連れて行き、日本では、日常に着用するには場違いな金ピカのネックレスや指輪を私の洋服に合わせ始めた。だが、当の私の服装はインド綿のシャツにジーパン姿。どんなに素敵なアクセサリーを纏ったところで、洋服は超カジュアル。結局、私はその日一日、そのチグハグな姿で過ごす羽目になってしまった。インドでは、女性がお洒落をしないのは「罪」なのである。
帰国間際、彼女は束の間の「友情」の証に、金のネックレスを私の手の平に滑り込ませた。そのネックレスは私の「移動」の人生において、今でもあらゆる場所に付いて回っている。

さて、友情にまつわるエピソードのご紹介がすっかり長くなってしまったが、ここで言葉の説明を軽くしておこう。ヒンディー語で「友達」は「ドースト」。ヒンディー語と姉妹言語であるペルシャ語の該当単語は「ドゥースト」である。また、ヒンディー語で、「友達」や「友情」には一般的に上記の「ドースト」を充てるが、「मित्र(mitrミトル)」を使うこともある。勘の良い方はお気付きかもしれない。この単語は、古代インド・イラン神話に共通の神格であるmitra(mithra)から派生している単語であり、私のハンドルネームmitraが古代の神話から採られていることは何度か書いて来た(こちらをご参照下さい)。この神格の、神に随伴する「盟友」としての性質、あるいは「契約」を司る性質から、mitraが「友」「友愛」をも意味するようになった経緯だけはここに述べておこう。

私は、mitraの故郷であるインドとイランの両国で、「ドースト」からの歓待を受け、「ミトル」の心を知った。(m)


mitra・・・ローマではミトラス神・仏教では弥勒菩薩となります。
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ファーストフード

2010-07-08 00:00:00 | つれづれ帳
Fast  food (ファストフード)

 「治安が悪い」「歩行禁止」「タクシーさえ危ない」「ジャパユキさん」「フィリピンパブ」… 謎だらけの国、フィリピン。

そんな国に住むことがあるなんて思いもせずに初めて足を踏み入れたニノイ・アキノ国際空港。
ガランとしている。。。
そう。こちらの空港、利用者以外は立ち入り禁止のため、お出迎えの人もいない。
ポーターが「荷物を運びましょうか?」とやってくるのをよそにスロープを降りると。。。
熱い!そして人!人!人!みんな手を振って出迎えに来ている。
笑顔はさすがほほ笑みの国!

お迎えの車に乗ってマニラの街を見ていると 「何、あれ…」 あちこちにいる。赤いハチ。。。

そう。これが私とジョリビー君の初めての出会い。
マックが世界で唯一シェア一番になれない国。 THAT‘S フィリピン!
このジョリビー君をトレードマークにした地元のファストフード『ジョリビー』
なんとフィリピン内に約1200店舗。。。愛されてます。 とはいえ、どうも抵抗があり何となく入っていなかったジョリビー。
これが意外に美味しくて、フライドチキンのグレービーソースは抜群です!
ちなみにここのケチャップはバナナケチャップで、ちょっと甘いです♪
バナナケチャップはバナナですが、赤いです。
よくお土産で皆さん買われますが、好評かどうかは微妙(*^_^*)
謎の国、フィリピン。興味がわいてきましたか。 それではまたフィリピンの午後のようなユル~イ時間感覚でお便りお出しします。(A)

バナナケチャップの甘い香りを想像しながら次のお便りもご期待くださいね。応援よろしく!人気ブログランキングへ

2010-06-30 00:00:00 | つれづれ帳

kuća(クーチャ・ボスニア語)

靄がかった夕刻の薄明に縁取られた家々の黒い影。対照的に、夕闇にくっきりと浮かび上がる生活の灯りのひとつひとつ。

ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都サラエヴォを訪れたのは、とある夏の夕暮れ時だった。低い丘に囲まれ、その中心を一筋の川が流れる谷底に、サラエヴォの街並みは広がる。
サラエヴォと言えば、ユーゴ紛争の際、民族間の内戦や虐殺が起きたことで世界的に知られてしまったが、実のところ、歴史上様々な民族が共存してきたコスモポリタンな土地であり、ヨーロッパの地にありながら、未だオスマン朝の足跡を色濃く残す稀有な場所でもある。

東西に広がるサラエヴォの街は、東へ行くほどオスマン朝の面影が色濃くなっていく。丘の斜面に沿って並ぶ住宅街では、トルコの一定の場所で多く見られるような、木彫り装飾の施された窓が二階部分から路面に向かって張り出すオスマン様式の家屋に数多く出逢う。アザーンが響く中、デコレーションケーキに立てられた細い蝋燭のようなミナレット(尖塔)の合間に立ち並ぶオスマン様式の家屋を見ていると、まるでイスタンブルやサフランボルを訪れたかのような錯覚に陥ってしまう。

そして、かつての職人街バシチャルシャに足を踏み入れると、どこか懐かしい風景に遭遇する。木造の軒の低い家屋が長屋のように続くその空間は、アジアの下町の路地を思わせる。しかし、足元に広がる石畳はヨーロッパのそれを連想されるし、頭上を見上げれば、そこかしこ、隊商宿の名残を残すイスラームのドーム屋根が連なる。えも言われぬ懐かしさの感情と、未体験の驚きが交差する。チェバブチッチ(ケバブ)屋の小さな煙突からモクモクと吐き出される白い煙と、どこからともなく聞こえてくるトルコのアラベスク歌謡のような旋律は、イスラーム世界に馴染んだ者には既視感を覚えさせるノスタルジーも湛えている。

現在は大半が土産物屋となってしまった「長屋」のひとつひとつでは、かつて金属加工や絨毯織の職人が商売の腕を競い合っていたのだろうし、軒下の出っ張りに腰掛け、トルココーヒーを啜りながら日がな一日お喋りに興じていた人々の、のんびりした姿が脳裏に浮かぶようだ。
路地を彩ったかつての日常の風景が、今でもここでは想像に難くない。

夕闇迫る輪郭の無い藍色の塊の中、くっきりと浮かび上がるのは、生活の音を放つ光を伴った光景。そこには、人々の行き交う姿を見つめ続け、歴史の重みを背負う木造家屋の風景が広がる。内戦の爪あとを色濃く残す町並みの背後で、ひっそりと佇むオスマン朝の夢の跡が、木造家屋連なる風景の中に、今でも確実に息づいている。(m)

 
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