بحر(バハル)
今は海を見たくない人も多いかと思う。
私の大好きは海は、太陽にきらめき、穏やかで、青く、蒼く、碧い…
私が最後に見た海は、アブダビの海。
雲が深く垂れ込み、今にも雨が降り出しそうであった。
更には強い風が吹いていて、肌寒かった。
これだけでも海を見に行くことを躊躇しそうになる日であったが、更に私を阻むものがあった。
強風の中、飛ばされそうになりながら歩いてやっとついたはずの海岸線は、高いフェンスで覆われていた。
ビーチにするための海岸工事で、フェンスはどこまでも続いていた。
海はまったく見えない。
風は強くとも、潮の香りもしてこない。
遊歩道になっている海岸線を、歩いて、歩いて、フェンスに張られた海の写真を眺めながら休憩して、また歩いて…
ようやく、フェンスの切れ目に到着した。
灰色の空を吸い込んだ海の色はくすんでいて、どことなくしんみりとした感じがした。
アラビア半島といえば、灼熱の大地。
太陽が少しでも顔を出せば、射すような光にたじろぐ。
今思えば、中東の不穏な空気のみならず、イスラーム世界に深く心惹かれる私に、
大好きな、恋しい、恋しい、私の心と過去をつなぐ海が、今の置かれた状況を予言していたのかもしれないと思う。
海に近づけまいとする、強風。
海の前のフェンス。
私の出遭ったUAEの海は、どこか寂しげに、蒼い波を漂わせていた。
それは、私の想像を超えた世界であった。
そして今、東北を襲った、海。
思いや想像をはるかに超えた事が起きている現実を、己はどれほど理解しているのか。
理解していると思っているだけではないかと、自問自答の毎日。
祈りの日々はつづく。[a]
エジプトから電話がかかってきました。
「大丈夫?怪我してない?できることはない??何でも言ってよね!」
エジプトでは、デモのあと、観光客はまだほとんど戻っていません。
電話をしてきたのは、観光タクシーのドライバー。
いつになったら仕事があるかまったく見えないかで、普段の生活も切り詰めているというのに、国際電話をかけてきました。
私がエジプトにいる時は、日本から友だちが電話をくれました。
私になかなかつながらないので、エジプト人の友だちに片っ端から電話をして、私が元気にしているかを確認していました。
私の携帯は運悪く、バッテリーが壊れていたのですが、お店が全部デモの影響で閉めていたので、新しいバッテリーを買うことが出来なかったのです。
私自身は、とてもよい環境にいたので、職場と母に電話をしてのんきにしていました。携帯が壊れていたので、あとは母に、関係各所へ代わりに電話をしてもらっていました。
それでも、毎日、日本で報道されるエジプトの状況は、私の声を聞くまで「何かに巻き込まれたのでは」と、みんなを心配させるものでした。
そのことを、ありがたく思い、感謝して、感激していました。
そして、自分は良いと思っても、人を心配させるようなことは極力してはいけないと、改めて思ったものです。
今、この大きな出来事に遭遇して、
壊れてしまったものはたくさんありますが、私の周りの人はみな無事でした。
そして、改めて思うこと、
自分は良いと思っても、周りはどう思うか…
これを考えてから行動すること。
今できることは、静かに見守ること。
電気を使わないことなど、本当にちょっとしたことですが、小さな積み重ねが大事だと思います。
そして、いずれ出来る様になるであろう、救援物資や募金などを考える時間に当てたいと思います。
何より、祈ること。
願うこと。
気持ちがひとつになることで、救われるものが多くあると思います。
多くの方が、一刻も早く救われますように。
願いはこれひとつ。[a]
写真はオールドカイロ、聖処女教会墓地
花
待ち望んだ春の訪れを感じながら寒の戻りに凍える日もある3月。この時期に咲く菜の花は、日だまりや暖かさをイメージする黄色と大地に萌える若草の色だ。雛飾りの横に活けた桃の花に添えられた一輪、里山に群れて咲く黄色の絨毯、いずれも春の明るさやエネルギーを届けてくれる。
菜の花で思い出すのは山村暮鳥の「純銀もざいく」という詩。暮鳥は明治、大正時代に室生犀星や萩原朔太郎らと活動、40歳の短い生涯をキリスト教の布教、詩歌や児童文学の制作に捧げた詩人である。
平仮名だけの「いちめんのなのはな」が8行×3連という繰り返し。各連に「ひばりのおしゃべり」「かすかなるむぎぶえ」「やめるはひるのつき」と1行だけ異なったフレーズを挿入している。初めて読んだ時は、こんな詩があるのかと驚いた。大正時代とは思えない斬新さである。
菜の花が延々と咲く黄色い春の野を、これほど端的に表現した詩はないだろう。文字と言葉を並べ、小さな大理石を組み合わせて作るモザイク作品のように風景を描き出している。(さ)
いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな ひばりのおしゃべり かすかなるむぎぶえ やめるはひるのつき いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな
تلفون (ティリフォーン)
なんと、公衆電話を見なかった。
友だちと一緒に行動していたので、ほとんど必要なかったが、1度だけ、ホテルからの迎えとすれ違ってしまったときに困った。
ちょうどお祈りの時間で、商店も閉まっていた。
公衆電話は、世界中から消えつつあるが、公共の場には、ぜひとも残してほしいものだ。
ちょっとした連絡に、国際ローミングを使っての電話はあまりにもばかばかしい。
エジプトでも公衆電話はほこりをかぶっているが、まだ存在はしている。
そして、キオスクのような小さな店の貸し電話はまだ生きている。
旅行者や、ちょっとした時のために、公衆電話のシステムがなくならないようにと思う。
これといった電話を見なかったので、アンマン城にあった巨大な手の写真を。受話器をとるところみたいでしょう![a]
冬
Mitraが雪国の冬を初体験していたころ、私も同じように北陸の大雪を経験していた。
私自身、生まれも育ちも東京だが、縁あって今は雪国に住んでいる。最初の冬、イギリスで買ったブーツが雪で壊れた。「壊れる」なんて思いもしなかったが、雪国の人に言わせれば「革靴なんか履いているからよ」そうか…やはりここではブーツではない。長靴なのだ!
ところ変われば雪質も変わるもの。私の住む地域では、水分を多く含んだ重たい雪が降る。東京では2センチほど降った翌日というのは大抵晴れて、アイスバーン現象が起きたりする。こちらでは空気中の湿度も高いせいか、少しでも溶けようものなら、水たまりがあちこちに出現する。だから長靴がぴったりなんである。
雪は、交通渋滞を引き起こし、雪かきの労力を要する「やっかいもの」である。しかしながら、考えようによっては、「運動不足の解消」と、音のない静寂な夜、そして晴れた日には白銀の世界を満喫できる。雪解けの音は、なんともいえない喜びを感じさせる。そう、雪は溶けるのだ。心配には及ばない。
住めば都、その土地なりの良さを見つければ、地球散歩もお手のものなんである。[y]
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