地球散歩

地球は広いようで狭い。言葉は違うようで似ている。人生は長いようで短い。一度しかない人生面白おかしく歩いてしまおう。

電話

2008-05-30 23:31:16 | 日本語

 すっかり携帯電話の世の中になってしまった。
 平成生まれの子が成人を迎えた今年、黒電話はもはやサザエさんワールドのアイテム。
 平成君であるいとこが小学生の頃、我が家に泊りに来た。
 祖母が、お母さんに電話しなさいと言ったところ、おもむろに受話器を取り上げて「重たい」と言った。確かに今の電話機は軽い。そして、次の瞬間、私たちは凍りついた。実に、彼が全ての番号を押し終えるまで、見てしまった。
 そう。ダイヤルを「押した」のだ。まわすと言うことは、思いもよらなかったらしい。
 「まず、0のところに指をいてれ、まわす。途中で放しちゃダメ!そうそう…止まるまでしっかりとまわすの。それから、今度は3に指を入れて…」と教える羽目になった。
 「昔は電話をかけるのって大変だったんだね」と、平成君。今から10年ぐらい前である。ピンクの電話などまだまだ健在の頃である。
 親に聞いたところ、確かに、ダイヤル式に、さわったことはないかもしれないとのこと。しかし、「え~??『押した!?』」と、非常に驚いた様子であった。
 面白がった私たち。祖母は、「おばあちゃんの子どもの頃は、電線に風呂敷包みを結んでおくと、いつか届くと思った人がいたのよ」と言えば、母は、「私は良く近所の家に電話を借りに行ったわ」と、平成君には、これまた想像をはるかに超えた、マンガのような実話に目を丸くしていた。
 電話を借りに行く証拠が、半世紀前の祖父の名刺に残っていた。
 「呼び出し○○宅」と、書かれた後に、隣の家の電話番号が記されていた。
 隣の家は、今は亡き、ムーミンパパの声優としても知られた俳優さんのお宅。ムーミンパパの「先生!お電話ですよ~」と言う声がすると、濡れ縁から、庭をつっきて行く、祖父の下駄の音が今でもしそうである。思えば優雅な時代があったものだ。近所の家に電話をかけ、呼びに行く人がいて、受けに行く人がいる…
 今となっては、この三者全てがイライラしてしまい、成り立たないシステムであることは明白である。
 FAX機能がなければ、固定電話は姿を消す日も近かったかもしれない。
 昭和の化石である、私の子どもの頃は、FAXは万博の目玉であった。
 逓信総合博物館が大好きだった私は、週末になると良く遊びに行った。何が楽しかったと言って、絵を描いて機械に入れると、その絵が隣の部屋の機械から出てくるのが面白くて、何度も試した。こんなに楽しい機械が、家にやってくるなどとは、夢にも思わなかったのである。
 ましてや、パソコンなるものが、なくてはならないアイテムになり、イヤフォンがあれば、世界中の誰とでもいくら話をしても、国際電話料金がかからない世の中が来るなんて!思いもよらなかったのである。[a]
 
 かろうじて現役エジプトのダイヤル式電話も、プッシュ!

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弦楽器

2008-05-24 00:29:28 | アラビア語(エジプト)

 عود(ウード)

 كمنجة(カマンジャ)というのが弦楽器の直訳になる。しかし、写真にあるような、よく見るアラブの代表的な楽器はウードという。ウードと言うのは、耳にした事がある人も多いだろう。
 大まかに区別すると、カマンジャはバイオリンのようなものをさし、ギターのような楽器をウードと呼ぶ。
 この写真のウードは、カイロの楽器屋街で見つけたものである。ウードを作っている工房と売る店がならんでいる。良く見ると顔のようなボディのおでこと、目に当たる部分は音符模様である。伝統的な象嵌のものから、このように現代風のものなど、良く見るといろんな表情のウードがあって面白い。
 エジプトの音楽番組は、いまだにフルオーケストラである。その中で、重要な楽器はバイオリン、カマンジャである。太鼓(ダルブッカ)とウードだと思い込んでいる人がいるが、それは観光地で見られる、伝統音楽シーンである。
 テレビやコンサートの映像で目立っているのはバイオリンである。19世紀後半にヨーロッパから持ち込まれたので、本体は私たちの知るバイオリンとなんら変わりがない。そもそも、バイオリンの先祖は、ラバーブという、棒で擦って音を出す楽器が、中東もしくは中央アジアあたりで生まれた。それが、イスラームと共にアンダルシアへ持ち込まれ、ヨーロッパでバイオリンとなったと言う説が有力である。
 バイオリンがアラブ音楽に欠かせないというと不思議であるが、歴史を振り返れば、廻りめぐって、アラブ世界へ舞い戻ってきただけである。
 私たちが、バイオリンがアラブ音楽の中で使われていると思えない、もう一つの理由は、調弦が違うからである。弦の張り方で、同じ楽器でもまったく違う楽器のような感じがしてくるのは、非常に面白い。もっとも、アラブの人たちにすれば、元々は自分たちの先祖が作った楽器。自分たちのリズムに合うよう調弦するのは、容易いことであったと思う。
 アラブ音楽は、楽譜はなく、全て耳で覚えなけらばならないそうだ。このあたりは、クルアーンが「聞くもの」という意味であるのと同じように、アラブの文化は口承で伝えられるのが一般的であることを物語っている。[a]
 
 バイオリン、アラビア語は「カマンジャ」、ペルシャのは「カマーンチェ」同じ、同じ!
 ご賛同いただけましたら、
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散歩

2008-05-20 00:00:35 | ペルシャ語

 قدم زدن(カダム ザダン)

 おんなじみみずがにょろにょろなのに

 おんなじイスラム教なのに

 ぜんぜん違うアラビア語の国と、ペルシャ語の国

 どんなに違うか、おんなじか?

 それは、見て、聞いて、さわってこなけりゃわからない

 

 さて、「地球散歩」をはじめてから、書き手が一堂に会して会った事がありません。
 異国の地で、誰かとあったこともありません。
 一緒に旅をしたこともありません。
 だからこそ生まれた「地球散歩」
 このたび初めて、私たちは一緒に旅をします。
 mitraの国へ、碧が散歩してきます。
 二人で書く手紙を、みなさんに…

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2008-05-16 00:15:09 | 英語

 SHEEP(シープ)

  日本人にとって、羊はそれほど身近な動物ではない。
 寝られない時などは「羊が一匹、二匹…」と数えたことがある人は少なくないと思う。しかし、効果があった人はいるだろうか?いるとすれば、「羊を数えると眠れる!」という、強い思い込みのある人だろう。この睡眠法はもともとイギリスで行われていたもの。羊のsheepと、眠るのsleepのイントネーションが近いこと。そして、音が柔らかいので、自己催眠をかけやすいという理由で、「シープ、シープ、スリープ、シュリープ…シー…」という感じで、自然に眠りにつけると考えられていた。
 そんな訳で、「数えていたら、余計眠れなくなってしまった」というのは、無理からぬこと。恐らく、「本日は晴天なり」と同じように、戦後アメリカにかぶれた人が持ち込んで定着したのではないかと思われる。(マイクでは拾いにくい音、"t's""f""d"が含まれる"It's fain today"というセリフを、マイクテストで使用。、「本日は晴天なり」という日本語は言いやすいので、マイクテストには向いていない)
 エジソンがレコードに初めて録音したのは「メリーさんの羊」。これも、アメリカ中の人がこの歌を知っているからという理由だった。
 英語圏の人々の身近にいる羊。これには聖書が関係している。聖書に羊はたびたび登場するが、それもそのはず、キリスト教の発祥の地は中東である。中東において羊はもっともポピュラーな生き物であり、キリスト以前の神との関係も関係が深かった。
 なにしろ、ダーウィンによれば、羊が家畜化されたのは、いつに遡るか判らないという。人間と共に暮らしてきた、最古の生き物である。
 キリストは善い羊飼いであり、人々は子羊であると新約聖書には描かれている。そのため、たとえ話などで、羊は聖書で、大活躍するのであるが、それが、漱石の『三四郎』につながってくると、初めて読んだときは気がつかなかった。
 『三四郎』の中の印象的な言葉。

 たゝ口の内で、迷羊(ストレイシープ)、迷羊(ストレイシープ)と繰り返した。

 中学生の私は、話の内容などすっかり飛んでしまい、ただこの「ストレイシープ」という単語がいやに耳の奥に残った。
 「ストレイシープ」、この単語を繰り返していると、冒頭に書いた自己催眠、「羊が一匹~」と同じような感覚に捕らわれてくるのは気のせいだろうか?
 漱石が留学中、寝る時に「シープ、シープ…」と、数えたかどうかは定かでないが、この幻想的な感覚を呼び覚ます単語と、聖書に出てくる「迷える羊」のひっかけはありえないだろうか?
 マタイの福音書(第18章)、ルカの福音書(第15章)に出てくる、百匹の中から迷い出た一匹の迷える子羊。
 想いを寄せる人は他の男に嫁いでしまう。
 迷える羊は悩める人をも意味する。悩める人々を救う善い羊飼いは、救世主。
 三四郎の心は、信じたくない気持ちからこの言葉を繰り返す。
 迷える羊は三四郎か?いや、そうではあるまい。聖書にあるように、皆が迷える羊。
 そう思いながら、この呪文のような「ストレイシープ」を、耳に響かせて『三四郎』を読むと、哲学的な作品になってくる。[a]

 聖書の羊イランへ 復活祭の羊ギリシャへ 出エジプト記エジプトへ
迷える羊は、世界の各地に一匹、二匹… シルクロードを通って日本へも

迷い込んで人気blogランキングへも…


「ジプシーを追いかけて」

2008-05-12 02:49:26 | インフォメーション

いつの頃からだったろう。「ジプシー」という言葉に心のざわめきを覚えるようになったのは。記憶の断片を手繰って行っても、その答えは見つからない。ただ、その言葉の紡ぎだす独特の表象は、私の心の片隅で自己主張を繰り返し、いつも正体の見えぬ何かへと私を駆り立てた。

あてのない遍歴の旅を繰り返したジプシーが財産として共有してきたもの、それは音楽。影のように儚く揺らめき、不確かな足跡を残してきた土地の「音楽」を、彼らはしたたかに吸収した。
そして、魂の底から生まれ出る粗野で情熱に満ちた音の塊は、多くの音楽家に創作の素描を与えてきた。

2月末、大きなチャンスが私に訪れた。
ジプシーに出逢う旅へと、私は誘(いざな)われた。
私は、自らの魂が奏で出す旋律を彼等の暮らしと音楽に重ね、自分だけの「風景」を現出させるために、夢中でカメラのシャッターを切った。
切り取った絵の一枚一枚は、確実に、私の心の底に眠っていた情念のリズムを映し出す「タブロー」となっている。

「ジプシー」の懐深くに私を導いてくれたのは、関口義人氏(音楽評論家 ジプシー/ロマ研究家)。関口氏はこれまでジプシーに会うために、バルカン半島や中東の国々を数多く遍歴して来た。詳細なフィールドワークに基く研究の成果は、すでに多くの場で発表されている。誰も知り得ない風景や音楽や人々を求めて、果ての無い「巡礼」を繰り返す関口氏の旅の断片へと、いつも『地球散歩』を訪れてくださる皆さんをご招待したいと思っている。

『ジプシーを追いかけて』VOL.14@渋谷アップリンク・ファクトリー

ジプシー的なものに心奪われ、フィールドワークを中心にジプシー研究を続ける音楽評論家の関口義人さんによる人気イベント。今回は、今年2月末より取材のためにトルコとイランに滞在されていた関口さんが撮りためた映像のなかからトルコのジプシーたちの現在を中心にレポートします。ご期待下さい。

出演:関口義人(音楽評論家/「ジプシー・ミュージックの真実」著者)
日時:5/24(土)18:30開場/19:00開演
料金:¥2,000(1ドリンク付き)
http://www.uplink.co.jp/factory/log/002597.php%0D

また、月刊誌『ラティーナ』にて、関口氏の連載「虚無への巡礼-オリエントを迷走するドムの軌跡を追って」も進行中です。

以下のURLにて、私自身の『ジプシーを巡る旅』も公開しています。
http://ethno-mania.at.webry.info/

外部からの押し付けにより、「幻想」に彩られてしまっているジプシーの「真実」に、映像とトークを通して触れて頂きたいと思っています。(m)

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2008-05-08 00:00:00 | アラビア語(エジプト)

 جبل(ジャバル)

 写真の山は、エジプト、バハレイヤオアシスにある、黒砂漠の黒い砂山である。

 エジプトの山と言えばシナイ山である。モーゼ十戒を受けたという山。

 ご来光を見る為に登る観光客が多い。たいていは2時ごろ起き、麓まで行くと、らくだ屋が待っているので、らくだに乗って山を登る。漆黒の闇で、視界はほとんどきかない。

 ご来光を見ている人が面白い。キリスト教徒は感無量といった感じである。キリスト教徒といっても人種は様々。偏見と言われそうだが、韓国人の熱心なキリスト教徒の団体が沢山来ている。彼らの感動する姿に、同じアジア的な近しい血を持つ日本人には、ちょっと変な感じを覚える。
 キリスト教徒イコール金髪碧眼ではないのだが。
 逆に、エジプトイコール暑い国という思い込みで、タンクトップにホットパンツの、アメリカ人が、ヒルトンなどのロゴが入ったバスローブを着て、震え上がっているさまは、神々しい場所にいるというより、我慢大会の会場である。
 エジプトと言えど、明け方の山は夏であっても冷え込む。
 日本人はどうしているかというと、これまた面白いことに、拍手を打ったり、祈ったりする姿が見られる。

 いろんな宗教の人が、絶壁の山頂で同じ太陽を見ながら、いろんな神様に祈っている場所は、そう多くないだろう。
 そして、そのことを問題視する人はいない。
 これこそが真の宗教であり、信仰なのではないかと思う光景がある。
人々が、自分の信じたい神を信じて祈り、周りの人の信じたい神に祈ることを受け入れられる空間。

 「だから、唯一神アッラーは、真に偉大なリ」と言う声が聞こえてきそうである。
 クルアーン(コーラン)には山の章(第52章)がある。
 第一節に「かの山にかけて」とある。
 かの山とは、シナイ山だという。
 クルアーンに出てくる名前がない、ただ「山」と言う記述があった場合で、特定の山を意味する場合、それはシナイ山である。
 知らせの章(第78章第6-7節)に出てくる、「アッラーは人が安らかに生活できるように、大地をゆりかごにしてやった。砂漠では、天幕をを張るとき、杭でしっかりとつなぎとめることから、大地がぐらつかないように、山々が、杭になるようにした」と書いてある。
 クルアーンは、読み物として読んで面白いが、この章は詩的で美しい。(イスラームにとって、アラビア語以外のクルアーンは、解釈や読み物という概念なので、宗教書硬く考えずに、長屋のご隠居がクマさんたちに、物の道理や説教をした世話話のようなものと考えて手にとって見ることをお薦めする)
 断崖絶壁の山頂から、下界を見下ろした時のことを思い出した。まさしく、大地にしっかりと突き刺さっている杭をイメージすることは可能である。
 山は杭であるという記述に関して、類似の記事がないかチェックしていたところ、
興味深いサイトを発見した。山々が杭であると言うのを、科学的に証明したと言う記事である。私は異教徒であるが、こちらはイスラームの方々のサイトである。
 イスラーム世界の山は、総じて荒涼とした感じで、木々が生い茂るイメージはない。しかし、山ごもりをしていた時、預言者ムハンマドは最初の啓示を受けたと言う。
 山は神秘な処。神いずる処というのは、世界共通のようである。[a]

ギリシャはもちろん神話の山
日本も当然山岳信仰、富士の山

 一山超えて、二山、三山、人気blogランキングへの山の頂点目指して!


2008-05-04 03:34:55 | ペルシャ語

 گوسفند(グースファンド)

イスラーム世界で「羊」と言えば、巡礼月の10日目から行われる犠牲祭において、犠牲に供される羊の姿を思い出す人も少なくないだろう。犠牲祭はアラビア語ではイード・アル・アドハーだが、ペルシャ語ではエイデ・ゴルバーン。エイドは、アラビア語のイード同様、「祭り」。ゴルバーンが「犠牲」の意である。

『旧約聖書』において、アブラハムが神への忠誠心の証しとして自らの息子を犠牲に捧げようとしたが、神の贖いを受け、代わりに羊を捧げた話が出てくる。この話が、一神教に連なるイスラームの犠牲祭の精神的支柱となっているのは疑いない。クルアーンにおいても、預言者イブラーヒーム(アブラハム)は、神への忠誠を示すために息子の代わりに雄羊を犠牲に捧げたとされている。彼は、メッカのカーバ神殿を建設した人物ともされていて、イスラームにおいても重要な預言者である。この二つの記述が、メッカ巡礼と犠牲祭を結びつける根拠となっていると言えるだろう。

一方イランでは、同じイスラーム世界であっても犠牲祭が大々的に祝われることはない。よって、アラブ諸国のように街中で羊を屠る姿を目にすることも稀である。
しかし日常生活の中で、「羊のように犠牲になる」という表現を使用することは稀ではない。

例えば、イランでは羊が出てくる有名な諺のようなものがある。
「羊の首を、葬式や結婚式で切り落とす」、がそれだ。
イランでは、葬式や、逆に結婚式のような晴れの席で羊を屠る習慣がある。
その行為と犠牲になった羊の姿を、巧みに人間世界に置き換え表現しているのが、上記の諺となる。以下にその説明をしよう。

葬式のような哀しみに満ちた舞台はさることながら、結婚式のようなめでたい場であっても、その背後には必ず準備やお客の世話に明け暮れる、いわゆる「世話役」のような存在の人がいる。その人は、その催しにおいてはまさに「犠牲者」であるという感覚が、イラン人の間には存在するようだ。その人物のことを犠牲の羊に喩え、「彼(彼女)の首は切り落とされる(た)」と言っているのだ。
この表現は、一見何でもないもののように見えるものの、イラン人の「否定的」「後ろ向き」な性質を良く知る者にとっては、非常に納得の行くものである。

またイラン人の国民性として、「へりくだり」というものがある。ペルシャ語の中には、実際多くのお世辞やへりくだりの言葉が存在する。
そのひとつに「ゴルバーネ・ショマー」という表現があるのだが、「ゴルバーネ」は冒頭に書いた「犠牲」の意であり、ショマーは「あなた」。つまり直訳をすると、「あなたの犠牲になります」なのだが、「いいえ、とんでもありません」の意味合いであったり、あるいは暇を告げる時の「失礼します」といった表現になったりと、
自分を卑下する目的で使用されている。

犠牲の羊から話は随分逸れてしまったが、イラン人の精神性を理解するのに、「羊」は大きな鍵となる。「羊」に関連した表現が多く存在するのは、羊という動物が衣・食を始め、イラン人の生活に密接に関わっている所以でもある。(m)

シルクロード繋がりのエキゾチックな日本の伝統文化、袱紗の羊
エジプトでもギリシャでもかわいい羊ちゃんはやはり犠牲の動物。
「ゴルバーネ・ショマー!」・・・『地球散歩』に応援をよろしく。
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