地球散歩

地球は広いようで狭い。言葉は違うようで似ている。人生は長いようで短い。一度しかない人生面白おかしく歩いてしまおう。

オランダ語

2009-08-29 00:00:00 | インフォメーション

オランダ語

 福岡のお土産で「博多 通りもん」というお菓子をいただいたことがある。和菓子の桃山をしっとりさせたような薄皮の中にバターやミルクの風味を感じる白餡が入っている。和洋がうまくミックスされ、お茶でもコーヒーでも楽しめる美味しさだ。

 商品名が気になって箱に入っている案内を読んでみると面白いことが書いてあった。まずGWの動員数200万人と言われる祭・博多どんたくで三味線や笛、太鼓を鳴らして練り歩く姿が「通りもん」。そして「どんたく」はオランダ語の「休日・Zondag(ゾンターク)」が訛ったものだそう。包装紙をよく見ると「西洋休日」の文字も。

 調べてみると明治政府制定の祝日を定着させるために広めたのが「ゾンターク」という言葉で、当時の流行語でもあったという。西欧に追いつけ追い越せと国を新しくした頃。このオランダ語がハイカラな響きを持って使われた様子がうかがえる。

 博多では小正月などを祝う行事として伝統的な松囃子が行われていた。明治時代に一時禁止されていた休日の松囃子を復活させる時に「ゾンターク」が訛った「どんたく」を祭の名称として用いたことに由来するそうだ。「どんたく」」は博多にだけ残ったが、午前中だけで学校や仕事が終わる半分の休日が、「半分どんたく」略して「半ドン」になって現在も全国で用いられているという興味深い話も見つけた。

 前回の記事に取り上げたように日本とオランダのつながりは意外に深い。オランダ語を起源とする言葉を探してみると、柑橘の果汁を意味する「Pons・ポンス」に酢が重なってできたポン酢、ランドセル、リュックサック、スコップなど身近にある。

 風車チューリップ木靴から出発した「つれづれ帳」での旅。「オランダ語」として独立し、更に広く散歩してみたいと思う。(さ)

参考  名月堂「博多 通りもん」 案内 ・ ウィキペディア

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2009-08-25 00:00:00 | フランス語(フランス)

 été(エテ)

 フランスの夏été(エテ)といえばvacances(ヴァカンス)。フランス人は最も長期にわたって休暇を取る国民である。高温多湿の国で汗水流して働くのが「当たり前」の日本人からすると、何とも羨ましい、いや、恨めしいほどの「国民性」だ。

 長期休暇の滞在先は、海であったり山であったり、大概は田舎でのんびり過ごすものらしい。プロヴァンスに住む友は、前を行く車がパリから来たものだとわかると、とたんにその美しい顔を歪めた。彼女の説によると、パリジャンはどこへ行っても嫌われているらしい。気の毒な話だが、嫌われてでも訪れる価値のある魅力的な場所がフランス中にある、ということには間違いない。

 フランスの夏は確かに魅力的だ。今でも忘れられないひと時は、ヴェルサイユ宮殿を訪れた日のこと。
 
宮殿内はいわずとしれた大混雑。早々に引き揚げ、暑くて眩しい日差しの中、私と友は広大な庭園を散歩したいと望んだ。しかし尋ねてみると、徒歩で巡ろうと思ったら2時間はかかるという。そこへ現れたのが、レンタサイクルだ。渡りに船、とばかりに我々は自転車に乗り込み、やわらかな風の中を優雅に巡った。

 夏とはいえ、湿度が低く、背の高い木々からこぼれる光が何とも言えず心地良い。ちょうどお昼を回る頃、人々がピクニックしている涼やかな木陰で休憩することにした。他の人たちに習って我々もサンドウィッチを買い、野原に座って思い切りほおばった。その時のサンドウィッチの味といったら…フランスパンの美味さを知ったのは、実はこの時である。

 今、ミンミンゼミがせわしなく鳴く中、ヴェルサイユの夏を思い出し、ああ、あれぞまさにヴァカンスであったと思う。その時はそれと知らずに過ごしていた、振り返れば輝かしい記憶。時を経た今、改めてその記憶に感謝の気持ちを感じるとは…不思議なものだ。

「最高」と思える夏の思い出は、その眩しい日差しと共に、いつまでも胸に輝くものだ。そして暗い道を歩かねばならない時でさえも、きっとその輝きで導いてくれると私は思っている。〔y〕

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チーズ

2009-08-21 00:00:00 | トルコ語

Peynirı(ペイニール)

チーズ発祥の地とされるメソポタミア。メソポタミア文明の中心地はチグリスとユーフラテスの二つの大河に挟まれた現在のイラクに当たるが、両河川の上流にあたるアナトリアの地にも、メソポタミア文明の痕跡を多く認めることができる。

メソポタミアの地で、いつ頃からチーズが作られるようになったかはっきりしないようだが、同文明の揺籃期から嗜好されていたビールやパンと共に、早くからチーズが食卓に並んでいたと考えても何ら不思議では無い。実際、紀元前2000年代に編まれた「ハンムラビ法典」に、既に「チーズ」に関して言及されている箇所がある。

古代メソポタミアで食されていたであろうチーズに近いものが、現在もこの辺りの地域では日常的に口に運ばれている。そう、ギリシャやイランのチーズでも登場したフェタがそうだ。フェタなどの白チーズの製法は、乳(羊・ヤギ・牛)を固めて水分を十分に切り、保存のために塩分を加えただけのシンプルなもの。そしてメソポタミアに近い場所に位置した古代ギリシャでも、やはり白チーズを食していて(こちらはホメロスの文献にも登場するそうだ)、熟成させたチーズはずいぶん後になるまで登場しない。この流れなのだろうか、現在でもこれらの地でチーズと言えば、フェタが主流である。

とは言え、今回トルコの「チーズ」を書くに当たっていろいろ調べているうち、トルコには実に多様なチーズが存在することを知った。私はチーズが好物でないこともあって、かの地を巡る際、チーズにはあまり関心を払っていなかったのだ。残念なことである。とは言え、ホテルやペンションなどの朝食に登場するチーズだけでも数種はあるため、積極的にチーズを買い求めなくても、トルコ旅行の最中には少なくとも数種類のチーズにはお目にかかれる。
そして、喧騒に溢れたバザールに一歩足を踏み入れれば、そこには多種多様なチーズが大きな塊でずらりと並んでいる。勿論、写真にも写っている白チーズ(フェタ)が多いが、一口にフェタと言っても、産地ごとに何種類も並んでいて、チーズを食べるだけでもその地域の食文化を知る一端になるだろう。さすがグルメの国である。
一番関心を持ったのは、「トゥルム」と呼ばれるエルズルム・シヴァス地方(トルコ東部)のチーズ。ヤギの皮製の袋(トゥルム)の中で発酵させて作られるポロポロの形状のチーズだそうだが、このチーズを食べる際、ラヴァシュと呼ばれる薄型のパン(イランにも同じ名前で同種のパンが存在する)に、胡桃と共に挟んで食べるのだそうだ。実は、イランでも「トルコ人」と呼ばれる人々「アゼリー人」(実際にはトルコ人ではなく、トルコ語と同系統のアゼリー語を母語とするアゼルバイジャン人)が、バルバリーと呼ばれる厚手のパンに、やはりパニール(フェタ)と胡桃を乗せて食べる話は、イランの「チーズ」でも言及した。トルコ東部を訪れると、そこではイランと似たような食文化を感じるものだが、今回チーズの食べ方にも共通点を見つけ、なんだか楽しくなった。
アゼリー人お奨めのチーズの食べ方、実際ほっぺたが落っこちるほど美味。下戸の私は、メソポタミアの人々のようにビールと共に、というわけには行かないが、傍にあったかい一杯のチャーイがあれば、それだけで幸せ気分に囲まれた食事となりそうだ。(m)

*以下の細川直子さんのweb siteに、トルコチーズの色々が紹介されているので、参考にしてくださいね。
http://turkishfood.hosokawanaoko.com/peynir.html

*ギリシャイランチュニジアスペインオランダ ・フランスのチーズ

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チーズ

2009-08-17 00:00:00 | フランス語(フランス)

 du fromage(デュ フロマージュ)

  チーズといえばフランスのBrie(ブリー)。癖がなく、やわらかく、白い姿には高級感さえ漂う。しかし私がその考えに至るには、こんな経緯がある。
 
実は私は、チーズが嫌いだった。ピザも大人になってから、それも我慢して食べる、そんな勢いだった。しかしある時、試練がやってきた。それはオーストリアのザルツブルグに滞在していた時のことである。
 
宿で出される朝食は、ゼンメル(ドイツの白パン)とチーズだけ。来る日も来る日も、それだけである。最初の三日は耐えた。しかし、やはりそれだけでは心もとない。四日目くらいから、チーズに手を出した。一つでいっぱいいっぱいだった。五日目には、別のチーズに手を出した。割とあっさりしていると感じたのはこの頃から。その後、毎朝いろんなチーズを口にし、自分がこれまでに食べたものとは全く違い、後味に全く嫌味がなく、食べやすいものであると発見した。二週間後、旅立つ頃にはすっかり「チーズ大好き」人間に生まれ変わっていた。
 
その後フランスに訪れた時、これ幸いと、あらゆるチーズを物色し、自分の好みのチーズを調べていった。その結果、誰もが認めるブリーチーズに至った、というわけである。
 
フランスに限らず、スペインの生ハムとチーズという組み合わせは最高である。スイスのチーズフォンデュは、ワインの香りとチーズのとろけ具合が食欲をそそる。塩味が独特のギリシャのフェタチーズは、チーズの深遠さを物語っていた。私たちが寝込んだ時、粥をすするという発想があるが、西欧の人はチーズを食すると聞いたことがある。あの美味いチーズなら、なるほど寝込んだ時でも口に入るかもしれない。
 
ただ、残念なことが一つだけある。それは、ザルツブルグで開眼し、パリで極めたと思っていたチーズを、イギリスではあまり食する機会がなかったことである。ブリーは世界のブリー。イギリスでも高級食品なのだ。結局よく食べていたのは、色も形も歯ざわりも、全てが画一的で庶民的な、イギリス産チェダーチーズであった。チーズでさえ、フランスとイギリスではこうも香りが違うのか…と感じた出来事である。
 
チーズが好きだと思っている人はもちろんのこと、苦手だと思っている人も、是非フランスのチーズを味わってみてほしい。そのまろやかな風味と共に、きっとフランス独特の香りを感じるはずだ。(y)

写真:Miah

ブリーは王様、チェダーは庶民の味方。いずれも我らが愛すべきチーズ♪味わう前に、クリックよろしくね! 人気ブログランキングへ


日本

2009-08-13 00:00:00 | オランダ語

Japan(ジャパン)

 オランダと日本は深い関わりを持ってきた。まず語られるべきは蘭学。江戸時代中期以降、オランダ語によって西洋の学術を研究した学問は医学から数学、兵学、天文学、化学など幅広い分野に及んでいる。背景として重要なことは日本が鎖国をしていたという点だ。

 当時、長崎での交易が唯一許されていたのが西欧ではオランダであった。鎖国を「真っ暗な箱の中」、長崎を「針でつついたような小さな穴で、そこからかすかに世界の光が差し込んでいた」と表現したのは司馬遼太郎である。

 小さな穴から差し込んだ光の影響は大きい。18世紀にオランダ製のエレキテル(静電気発生装置)を紹介した平賀源内や、『解体新書』を訳した杉田玄白らの活躍がある。更に19世紀にオランダ商館医として来日したシーボルトが運営した長崎の鳴滝塾、大阪には緒方洪庵の適塾と蘭学を学ぶ道場ができた。特に適塾は福沢諭吉、橋本佐内、大村益次郎など幕末から明治維新を動かした多くの人材を育てたのである。

 一方、日本が与えた影響もある。浮世絵に影響を受けた画家の一人としてゴッホが挙げられる。パリ滞在中にジャポニズムに傾倒し、影のない浮世絵の世界、明快な色使いに惹かれた。ロダン美術館にある「タンギー爺さん」という作品は、人物の背景が全て浮世絵で埋め尽くされている。弟のテオと共に収集した浮世絵500点はアムステルダムのゴッホ美術館に収蔵されているそうだ。

 こんなつながりもある。東京の丸の内駅舎はアムステルダム中央駅(写真)をモデルに設計されたと言われる重要文化財の建築。赤煉瓦を用いた外観に共通点があるようだが、様式が異なると指摘する専門家もいるそう。いずれにしても両駅は2006年に姉妹駅となっている。美術の分野でいえば、日本人に人気のフェルメールやレンブラント、子供たちが大好きなミッフィーの作者デッィク・ブルーナもオランダ人。

 イタリアやフランスほどメジャーな旅行先でもなく話題になることも少ないけれど、オランダと日本はこんな風にしっかりとつながっている。(さ)

参考文献 『21世紀に生きる君たちへ』 司馬遼太郎  世界文化社

日本との関わりやイメージは国によって様々。日本をテーマに世界を散歩してね。

イタリアフランスギリシャエジプトスペインポルトガル英語でJapanというと?ニホンそれともニッポン?

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日本

2009-08-09 00:00:00 | ペルシャ語

ژاپن(ジャーポン)

イランの街を歩いていると、絶えず「チーニー」あるいは「コレイー」と、通りがかりのイラン人に声を掛けられる。鍵括弧内の前者は中国人、後者は韓国人である。「声を掛けられる」と書いたが、正直、彼らの態度は幾らかからかいも入っているように見え、あまり気分が良いものではない。そして、時には「アフガーニー」「トルキャマン」などとも。トルキャマンはイラン北東部に住むモンゴル系の顔立ちの民族。同じようにアフガニスタンの人々にも、モンゴル系の顔立ちのタジク人がいる。いずれにしろ、あまり好意的な目線で言っているようには感じられない。特に前者のアフガニスタン人に関しては、イランへの不法入国者が増えたこともあり、印象は良くないらしい。

しかし、一旦こちらが「自分は日本人だ」と言うや否や、彼らの態度はおもしろいくらいに豹変する。いくらかへりくだったかのような態度を取ったり、通りすがりの私に対して過剰な褒め言葉を述べたり・・・
。別に人種差別的な発言をここでするつもりは全くもってない。しかし、イラン人にとって日本は特別な存在であることはやはり述べておかねばならない。ちなみに、昨今日本企業の撤退が相次ぎ、中国人や韓国人に比べ、日本人の数が圧倒的に減ってしまったがゆえの、冒頭の発言である。10年前であったらまた違っていただろう。

さて、イラン人が日本人を好きな理由。第一には、日本製品に対する絶対的な信頼。特に日本の家電製品に対する信仰は圧倒的だ。たとえ値段が高かろうが、日本国内ではリコールが相次ぎ信用をなくしている話をしようがお構いなし。一旦良いと頭の中に植えつけられたものは、彼らにとって永久に絶対的崇拝の対象なのだ。
そして、いささか古い話になるが、80年代に放映されたテレビドラマ「おしん」の影響は未だ圧倒的に大きい。イスラーム体制化のイランでは、放映されるドラマの内容は思想的な点からかなり制限されるし、道徳的に問題があると見做されたシーンは、ストーリーに関係なく大幅にカットされたり内容を変更されたりする。これに関連した話をひとつ述べることにする。有名な話だが、髪結いが職業であったおしんは、イランでは美容師として放映されていたが、中には深読みした視聴者もいて、芸者という本来の職業を誤魔化すため、テレビ局が美容師に変更して放送したというもの。
いずれにしろこのドラマはイランでも大ヒットを記録し、おしんは理想的な嫁像としてイラン男性の間で定着。同時に日本女性と結婚したいというイラン人男性も増えたのだ。
おしん以外にも日本のドラマはその後多数放送されるが、日本での韓流ブームに遅れて数年、ここイランでも、韓国ドラマのブームが起きている。始まりは『チャングムの誓い』だったが、現在では韓国は、イスラーム共和国のモラルに背かない(例えば恋愛シーンなどが希薄な)イラン向けのドラマを制作し、輸出しているという。テレビドラマの分野では、日本はその不動の人気を韓国に譲ってしまった形だ。そのため昨今は私などが街を歩いていても、「おしん」ではなく、韓国ドラマの主人公の名前で呼びかけられることが殆ど。

そうは言っても、彼らの日本人「信仰」は未だ健在。あまりにも誉めそやされるので恥ずかしくなってしまう程だ。90年代初頭、就労ヴィザの件で摩擦が生じ、日本国内で多くのイラン人が人権的に見て不当な扱いを受けたこと、大量のイラン人がヴィザをなくし、本国へ帰ったことはまだ記憶としてさほど古くないが、それでも大方のイラン人の日本に対する印象は悪くない。
イランと日本の交流の記録は、古くは飛鳥の世に遡るが、これからの時代も様々な形で(それがビジネスという形であれ民間交流という形であれ)イランという国と関わっていくのは、イラン人の日本人に対する圧倒的な好印象を鑑みるにつけ、我が国にとっても大きな利益となることは間違いないだろう。(m)

*写真はイランのチャーイグラス。これ、made in japanです。(東洋佐々木ガラス社製)異国の地のエキゾチックなチャーイを日本製のグラスで楽しむことになるとは・・・
古くはペルシャの切子硝子が奈良へ渡来。現代では日本からイランへ・・・時代の流れはおもしろい!

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日本

2009-08-05 00:00:00 | フランス語(フランス)

 Japon(ジャポン)

 私たちがイメージするところの「フランス人」があるように、彼らにも私たちに対する何かしらのイメージがあることだろう。極東にある国、柔道・空手の国、サムライの国、ハイテクの国。サブカルチャーも人気があることだろうし、最近では「東京はうまい」と言ってミシュランがガイドブックを出版、東京は世界で最も星の多い美食の都、と目されている。

 こんな面白いエピソードがある。碧は、フランス人が「日本人は盆栽という木をいじめる文化を持つ人だと思っていた」と言ったのを聞いて、衝撃を受けたそうだ。

 私と香港の友人は、フランスの友人のアーモンド色でふわふわした髪の毛をたいそう素敵だと話した。そうしたら彼女はこう答えた。「あなた達のその艶のある豊かな黒髪に、とっても憧れる」

 
社交辞令かと思っていたが、そうばかりでもないらしい。黒に憧れる傾向があるので、黒髪の子はモテるのだそうだ。資生堂の宣伝文句「アジアンビューティー」は、的を射たキャッチコピーなのである。

 これは私の見聞きした、とあるフランス人の見た日本人(アジア人)像であり、他にもきっと「イメージ」にまつわるたくさんのエピソードがあることだろう。ただイメージというのは、「比較的」「概算すると」「こんな傾向がある」、くらいにとどめておけばよいと私は考えている。

例えば出会った友が、料理下手で、芸術的センスのかけらもないフランス人だったとしても、それはさほど問題ではない。重要なのは、自分と気が合うかどうか、それだけなのだから。

 相手をイメージで括ることなく、一緒に笑い、一緒に涙する友を見出す。それは、ガイドブックやインターネットに氾濫している決まり文句ではわからない。自分のハートを頼りに世界を巡る、それが地球散歩の醍醐味なのだ。[

 

あなたも、世界に点在する友を探しに行こう!オープンハートでね^^人気ブログランキングへ


日本

2009-08-01 00:00:00 | イタリア語

 Giappone (ジャッポーネ)

もう随分昔の話ですが、
イタリアの家でテレビを見ていたら
日本の習慣をパロディで紹介している番組が放映されていて、
二人のパロディストが「日本人ってさぁ~、麺を食べるのにズルズルと音を立てて食べるんだぜ!?」
そう言いながら、蕎麦をこれ見よがしにズルズルとものすごい音を立てて食べ始めました。
そのシニカルな態度に、一瞬イラっときた私。

「だって、それはね、蕎麦を食べるのに、音を立てて食べないなんて、あなた!
それじゃぁ、ちぃっとも美味しくなかろう?美味しそうじゃないじゃないか!日本はそういう文化なんだよぅ!」
誰も居ない部屋でテレビに向かって反論したのでした。

イタリアで、スパゲッティを食べる時に、音を少しでも立てて食べると
本当のホントウに嫌な顔をされることを覚えておかなければなりません。
彼らはそれをされると、露骨に嫌な顔、軽蔑した顔をします。
たとえ顔には出さずとも内心、ものすごく嫌がっているのです。
それはスペインだって、フランスだって同じ。
バルセロナの友人宅でラーメンを作り、ツルッと食べた瞬間、彼らの視線は私に釘付け。
「あなたが、そういう食べ方をするなんて!!」そういう目の彼らに私は言ったのです。
「日本ではね、麺類は音を立てて食べるという文化なの。あなた達が日本で蕎麦を食べるときに
しずか~~~に食べてたら、気持ち悪がられるよ?!もちろん誰も何も言わないし、注意もされないけどね」
「へぇ~、そうなんだ、みんなそうなの?」そんな不思議な話、今まで聞いたことがない様子の彼ら。
彼らには、この「音を立てて、麺類を食べる(すする)」ということが出来ないのです。
今までやったことがないのですから、どうやったら音が出るのか分からないらしい。

難しいこと、と言えば、フォークだけでスパゲッティを食べる行為。
スプーンとフォークを使って器用に食べるのは、アメリカ人と日本人だけだとか。
あなたがトラットリアでスパゲッティをオーダーしたとして、スプーンをくださいと言ったらば
お店の人は黙って持ってきてくれるし、まわりのお客さんも知らん顔していることでしょう。
でもイタリア人ととても仲良くなったら「なんでスプーンなんか使うんだーー」と、きっと言われるはず。
ちなみに「美味しい~」の意味で、頬を人差し指で押すあのゼスチャーも、大人はあまりやらないほうがいい。

さて、前出のカタロニア人が日本に遊びに来たとき、お箸の使い方はとっても上手だったけれどやっぱり麺類を食べるときには音は出せず・・・でした。
知らないでいたら彼らは「日本人って食事のマナーが悪い」って思ったことでしょう。
蕎麦を音を立てて食べてみようとする彼らの真摯な態度を見て、
私もスパゲッティはフォークだけで上手に綺麗に食べられるようになろうと思ったものです。(ミ)

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