地球散歩

地球は広いようで狭い。言葉は違うようで似ている。人生は長いようで短い。一度しかない人生面白おかしく歩いてしまおう。

2006-02-26 23:25:26 | スペイン語

 Flor(フロー)

 コルドバに行くと必ず案内されるのが「花のこみち」。元祖ガーデニングの町としても知られるコルドバでは、毎年5月にパティオコンテストが開かれる。花の小道にある土産物屋さんは世界の言葉で話しかけてくる。お店で売っている商品の説明を日本語で書いてからはや何年…去年尋ねた折りには、まだ黄色くなった紙が頑張っていた。おじさんは再会を喜んで、お土産をくれた。
 コルドバに限らず、アンダルシアの白い家には、緑の葉っぱと赤いゼラニウムの花がよく映える。
 スペイン人はベランダといわず、壁にも鉢を掛けるのが大好きだ。灼熱の土地で元気に咲くゼラニウム。これで香りがよければ言うことないのだが。
 
 
スペインで香り高い花といえば、薔薇。この地がかつてアラブ世界であった名残。春、アルハンブラ宮殿内の庭園、各地の城の庭園は薔薇の香りでむせ返るようだ。「Jardan de flores(花園)」という言葉がため息のように、人々の口からもれる。そして、噴水の水音が人々の心を溶かし、穏やかな顔になっていく。

 スペインにおいて、日本人にとって故郷を思い出させる花は、アーモンド。それは桜と見まごう、木に咲く真っ白な花。コルドバのメディナ・アサーラには、かつてアラブの王が妃のために植えたアーモンドが残っている。

 そして、スペイン人にとって花を贈る日がある。それは日本のバレンタインともいえるサン・ジョルディの日。
カタルーニャ地方では、この日、男性から女性に花を贈る。。そして女性から男性には本を贈る。サン・ジョルディの日は4月23日。あと2ヶ月、どんな本を贈ろうかしら?その前に、本を喜ぶ殿方を探さないと…
 男性は女性に美を求め、女性は男性に教養を求めるという意味がある。スペインだけでなく、日本人にも通じる考えでは?[a]

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2006-02-20 01:09:43 | 英語

 water(ウォーター)
 
 水に触れて感動した体験を持つ日本人はどのくらいいるだろうか?家畜のおしっこで頭を洗う人々に衝撃を受けるのが、私たち日本人の多くだと思う。
 waterという単語を思い浮かべると同時に、私が思い出すのはへレン・ケラーだ。
 私は聾学校の前に生まれた。へレンが来日した折、私の住む町の聾学校にもやってきたという話を聞いた。字が読めるようになって初めて読むことにした伝記は『へレン・ケラー』だった。
 ヘレンが最初に覚えた言葉がwaterである。見えない、聞こえない世界のヘレンが初めて理解した言葉。そして、字。
 それがどれほど恐ろしい世界か、私たちは見ることが出来、聞くことができるから想像がつかない。もちろん想像はできる。体験も無いわけではない。しかし、それはほんの一瞬のことだ。心のどこかに「これは実験。また直ぐ見えるし、聞こえる」という思いがあってのことだ。
 私の幼馴染は高校生のときに失明すると宣告された。そして、それが元で生きる気力を失って死んでしまった。彼の受けた衝撃は死に値したのだ。一つでもそうなのに、それ以上の障害とともに生まれてきたヘレン。
 サリバン先生は、この地獄の苦しみからヘレンを救った。そのきっかけがwaterだった。
 井戸まで引っ張っていかれたヘレンは、井戸からほとばしる水を手に受け、そして先生が手に綴る「w-a-t-e-r」が水だと突然理解する。
 ヘレンだけでなく、家族にとっても暗黒の世界に、光の差した日だった。 
 水はヘレンに、「全てのものには名前がある」ということを教えただけでなく、それまでの不幸をも流したのである。
 その日のヘレンは「初めて悲しみを知った」と言っている。そして「In bed I longed for a new day to come for the first time.」とも言っている。
 私たちは、生まれた瞬間から羊水を恋しがって泣き、母の胸を求めて泣き、「悲しむ」という表現を最大限発揮し、利用し成長していく。
 そして、クリスマスや友達との約束などに胸を膨らませて、ワクワクしながら眠りにつくことに、なんの違和感も無い。

 水は全てを浄化する。この考えは世界共通のものであると思う。
 喜びのある明日を知っている。悲しむことができる。そして、地球に水は、枯れることなくあり、流れている。私はくじけそうになると、これを思い出す。[a]
                          -The Miracle Worker参考-

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2006-02-17 23:53:37 | スペイン語

Carne(カルネ)  

 スペインは何を食べても美味しい。日本からの移住者やリピーターが多いのは、山海の幸が豊富だからであろう。 そして、どこの店に飛び込んでも外れなし。素材を活かした調理と伝統を重んじる人たち。何より、食べさせることを最高の喜びと考えるスペイン人の心が一番の隠し味である。そんなのスペインだけじゃないって?もちろんそうだけれども、スペインにはそれが国中の隅々にまで行き渡っている気がする。でなければ、ふらりと入ったバルで「金なんかいいさ。飲んでいきな」とご馳走してくれないだろう。
 スペインの肉と言えば、ハモン。お肉屋さんでほしいぶんだけスライスしてもらうのが一般的だが、お祝いの時には丸ごとプレゼントするそうだ。
 ハモンとケソのボカディージョをもってのピクニックは最高。[a]

 


2006-02-15 09:01:23 | イタリア語
Carne(カルネ)

 トリノオリンピックで話題のイタリア。肉といえば生ハム。イタリア語ではProsciutto(プロシュート)、最も有名な産地はパルマである。ミラノから車で南に2ー3時間のエミリア・ロマーニャ州にあり、他にもチーズ「パルミジャーノ・レッジャーノ」(通称パルメザン)や一時期サッカーの中田選手が在籍していたことなどでも知られている街である。
 日本ではなかなか手の出ない高級品も現地では安価。昼下がりのバールで生ハムとモツッアレラチーズ、フレッシュなバジルの葉を挟んだサンドイッチとカプチーノでのしばしの休憩。また、夕暮れの街へ出て地元の人たちで賑わう庶民的なトラットリア(食堂)に入り、生ハムやオリーブののった前菜の盛り合わせや生ハムメロンと冷えたハウスワインで始める夕食などが思い出される。
 「パルミジャーノ・レッジャーノ」の小さな塊をチーズおろしで粉状にして熱々のパスタなどにたっぷりとかけるのも当時は珍しく、日本の缶入り粉チーズとは味も香りも全く別物という驚きの食の体験もした。

 さて、パルマでもう一つ忘れてはならないのは画家「パルミジャニーノ」。「パルマの若造」という意味になる名前はニックネームで本名よりもこちらで認知されている。
 代表作はフィレンツェのウフツィ美術館蔵『長い首の聖母』。ラファエロの慈愛に溢れた聖母の調和と好対照になる不自然な美しさが忘れられない。「長い首」というタイトルも、うつむき加減の聖母が縦に引き伸ばされたようなフォルムも印象深い一枚。これはローマに出て勉強した成果を故郷パルマに戻って発揮したという作品である。そして絵画史でルネサンス以降に出てきた新しい表現「マニエリスム」を代表する絵画の一つに位置づけされている。
 自然を超えた洗練、芸術的技巧、観念性などが追求されたマニエリスムの旗手は、ギリシャのクレタ島出身で後にスペインで活躍したエル・グレゴであることも記しておきたい。
 
イタリアの小さな街らしい静かな風情と川と渓谷を抱く自然条件が、美味しい食だけではなく時代を先駆ける画家の感性も育んだようである。(さ)

*『長い首の聖母』をご覧になりたい方は、文中の青い文字をクリックしていただくと検索ページになります。検索結果1『長い首の聖母』のところをを更にクリックしてみてくださいね。

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2006-02-06 00:03:43 | 日本語
 私たちにとって木は、そこにあって当然のものである。いつもそばにいてくれる。木に囲まれた生活の私たちは、時にその価値を忘れていることがある。
 石や土の生活文化圏の人たちから見ると、私たちの木に対する考え方が残酷に思えることがある。
 私が体験した衝撃的な出来事を一つ。
 それは10年ぐらい前のことだ。私は師匠が行ったヨーロッパ視察の、取材記録のテープおこしをしていた。フランスの女優と対談した一本に入っていた女優の感想。
 「このたび、日本の方と初めて私は直接お話しました。日本の方はなんと暖かい人たちなのでしょう。私は今まで、日本人と言うのは、BONSAIという木の成長を止め、なおかつ木が大きくならないようにいじめる、冷酷な人たちだと思っていました」
BONSAI…それが盆栽であることに気がつくまでに、大して時間はかからなかった。しかし、日本人には思いもよらぬ、日本人のイメージだった。
 今やヨーロッパでBONSAIを知らない人はいないといっても良いかもしれない。デパートでは始終BONSAIフェアをやり、ガーデニングでもとりれられている。
10年前とは大違いである。

 さて、盆栽はいじめであろうか?日本人の中にも、そう思っている人があるかもしれない。盆栽の歴史を紐解くと、古くは『徒然草』にまで遡る。もっとも盆栽と呼ばれるようになったのは江戸時代末期のこと。
 奇をてらった向きがもてはやされた時代もあったようだが、盆栽の基本は「自然美」である。あくまでも、自然界と同じ姿であることが基本である。
 盆栽は小宇宙である。樹齢何百年というような古木や、天にも届きそうな巨木などはめったに見ることが出来ない。盆栽という小さな土地で丹精された木は、上に、横に大きくなっていくことは無いが、古木に勝るどっしりとした幹や、りっぱな枝ぶりとなる。その向うに見える月。虫かごをもてば、高原にある大木の根元にいるような錯覚を起こす。
 盆栽とは、なんと奥の深いことか。平安のみ世から、人々は盆栽を通して、リラックスしたり、想像力を養ったりしていたのである。
 年寄りの趣味などと笑ってはいけない。盆栽を趣味にしている人は、穏やかで、教養ある人々なのだ。ガーデニングもよし、でもその中に、日本の元祖ガーデニングである盆栽は、なかなか高尚な趣味である。
 心のゆとりを求めて、盆栽。日本人が忘れつつあるこの小宇宙は、BONSAIとして、そのうち逆輸入されそうだ。[a]

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日本

2006-02-03 10:41:53 | ポルトガル語
Japao(ジャパゥン)

 リスボンの博物館に日本とポルトガルのつながりを感じさせる南蛮屏風がある。鉄砲(1543年)やキリスト教(1563年)の伝来などポルトガルと日本の関係は深く、島原の乱の二年後(1639年)年徳川幕府により入港が禁止されるまで交易が続けられた。
 南蛮屏風の主題は、桃山時代から江戸時代にかけて我が国に来航した西欧人の風俗。背が高く鼻が長い独特の顔立ちに洋装・・いかにも異人さんという雰囲気。

 ところで「南蛮」という言葉。辞書には様々な意味が出ていた。
(1)南方の野蛮人。古く中国で南方の異民族をいやしんで呼んだ語。
(2) 室町時代から江戸時代にタイやルソン、ジャワなどの南洋諸島を指し
た語。また、その地域を経由して渡来したポルトガル人やスペイン人のこと。
(3)南方から渡来した文物や珍奇な物、異国風の物。
(4)南蛮煮の略。
(5)唐辛子、トウモロコシの別称。
(6)歌舞伎、日本舞踊で、右足を出す時に右手を振り上げるような歩き方。
                             (大辞林)
 
 寒い季節に美味しい鴨南蛮やカレー南蛮はネギを用いることから(玉葱は南蛮渡来の野菜)、また酒のつまみにぴったりの「南蛮漬け」は、油を用いた新しい料理法でありネギや唐辛子を使うからということになるのだろう。

 最後に当時の南蛮屏風は宝船のような「招福」の縁起物と見なされ、大変な人気を博していたとか。旧所蔵者には堺や日本海側の回船問屋などの商家が多い。鎖国の後も屏風の制作が減少はしても完全に途絶えることなく続けられていたのは、西洋人の描かれた屏風のテーマがキリスト教ではなく縁起物と認識されていたからだそうである。
 (歴史博物館 本館情報資料研究部・大久保純一氏の資料による)

 遠いポルトガルの地。遙か海を渡って届いた「幸せを招く屏風」に会うのも、また旅の楽しみである。(さ)

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今日は節分。冬と春の境目の日です。鬼を払い、福を招く・・皆さんの所にも幸せがたくさん届きますように!
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