地球散歩

地球は広いようで狭い。言葉は違うようで似ている。人生は長いようで短い。一度しかない人生面白おかしく歩いてしまおう。

2009-05-28 00:00:00 | 日本語

  万緑の候。旬の魚と言えば鰹(かつお)である。よく知られた俳句が「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」で、松尾芭蕉の門人であった山口素堂の作品。また「女房を 質に入れても 初鰹」「まな板に 小判一枚 初鰹」という川柳もある。

 「質に入れる・小判」という表現が面白く、調べてみると元禄時代から天明の頃、初鰹は驚くほどの高値で取引されていたことがわかった。記録によると文化9年(1812年)、水揚げされた17本の鰹を購入できたのは将軍家、高級料亭の八百善、歌舞伎役者の中村歌右衛門だけ。値段が鰹一本3両、それは現在の貨幣価値の9万円(20万円という説もあり)に相当するそうだ。松阪牛もビックリである。この熱狂ぶりは江戸末期には沈静化し、広く食されるようになっていった。

 鰹といえば土佐。高知県を旅行した時、海や山の幸を豪勢に盛り込んだ郷土料理に出会った。かつて五穀豊穣を願う祭礼の折、神前に供えたものを分かち合って食したことを発祥とする晴れの食・皿鉢(さわち)料理である。鰹の刺身やたたきを中心に、寿司、煮物、焼き物、和え物、揚げ物、デザートまでが直径40㎝ほどの大皿にてんこ盛りだ。

 初鰹の時期は過ぎて戻り鰹には早い時期であったが、とにかく美味しい。生醤油やポン酢だけでなく、塩で食べることがお勧めという。塩と鰹の組み合わせはシンプルゆえに素材の良さが勝負、産地ならではの味だった。記事を書きながら今夜は鰹のたたきを食卓にと思っている。つくづく庶民の味になったことが嬉しい。(さ)

 参考 Wikipedia,食材事典

『地球散歩』は各国の魚料理を取りそろえております。お楽しみくださいね!チュニジアトルコ、 沖縄、 イラン 、クロアチア 、エジプト 、日本の寿司 、イギリス 、ポルトガル 、スペイン 、ギリシャ

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2009-05-24 00:38:44 | トルコ語

Çay(チャイ)

まるで女性の身体つきを表現しているかのような、腰のくびれた透明の紅茶グラス。小ぶりのソーサーに乗せられた、手のひらにすっぽりと納まる小さなグラスの中では、赤褐色の美しい液体が湯気を立てている。
曇った冬空の下、チャイジ(紅茶売り)の売り歩く紅茶グラスのぶつかり合う音が辺りに響く。バザールの喧騒を巧みに縫いながら、持ち手つきのお盆を片手に足早に歩くチャイジの姿は、トルコの街並みにすっぽり溶け込んでいる。
ある時は、瑪瑙色のチャイを片手にモスクを眺め、またある時は、お洒落なチャイハネに腰を下ろし、トルコ名物のアップルティーのグラスを啜る。甘い液体が喉を心地よく伝っていく。

この国を初めて訪れるよりも前、トルコと言えば、あのどろどろの粉が下に溜まったコーヒーばかりを思い浮かべていた。いまや、「トルココーヒー」という言葉が一般に通っているからだ。そんなわけで、現地では紅茶の方が圧倒的に嗜好されている事実に出逢った時、ほんの少し驚いたのを覚えている。

トルコに紅茶が伝わったのは、珈琲がこの国に入ったのとほぼ時を同じくしている。16世紀のオスマン朝の時代だ。実は、このことも私にとってはいささか意外な事実であった。お隣の国イランで初めて紅茶が飲まれたのは17世紀のこと。一方、珈琲が飲まれ始めたのははトルコと同じく16世紀。イランへは、アゼルバイジャン系王朝の時代、民族の流入と共にオスマン朝から珈琲が伝来している。
しかし、(勝手な思い込みなのかもしれないが)現在の両国の紅茶の作法を見ていて、紅茶に関してはイランからトルコへ入ったというのが自然な流れのような気がしていた。
年代的に見れば、紅茶の流入はトルコへの方がいくらか早そうだが、両国の紅茶の作法における共通点、つまりロシアのサモワールを使って紅茶を入れる(つまり熱したお湯の湯気で紅茶を蒸してから飲む)のが一般的であることを考えると、ロシアから西洋の新しい嗜好品として、両国にほぼ同時期に入ったと考えるのが自然なのかもしれない。(ご存知の方は教えてください)

話は変わるが、おもしろいのは茶の飲み方がシルクロードの西と東では違っていること。アジアの地を多く旅した方は気付かれたかと思うが、西へ行くほど茶に入れる砂糖の量が増えるようだ。もちろん、中国や我が国で嗜好されるのは発酵茶よりも緑茶の方が多いが、「西の国」では、その緑茶にさえもたっぷりの紅茶を入れて口に運ぶ。
その違いは、茶葉の原産地中国において、元来茶は嗜好品というよりは薬用とされていたこと、その一方、西方ではお茶は当初から嗜好品だったことに由来するのかもしれない。トルコをはじめ、現在砂糖たっぷりのお茶を飲む国において、茶の文化は砂糖の供給の歴史と深く結びついている。これらの国で、お茶の嗜好品化の過程を、砂糖の普及という事実抜きには語れない。

以前、イスタンブル在住のyokocanさんから頂いたコメントに書き込まれていたのだが、トルコ東部においてはイランと同じように、砂糖の塊を口に含んで、それを紅茶で少しずつ溶かしながら飲んでいくそうだ。こんなわけで、トルコの東とイランの茶の作法における共通点にも興味を覚えた。
機会あらば、トルコにおける茶の生産地である黒海沿岸を含め、嗜好品としての「茶」の拡がりを追って、トルコの西から東へ駆け巡りたいものだ。(m)

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2009-05-20 00:00:00 | フランス語(チュニジア)

 thé(テ)
 
 
フランスでお茶と言えば、マリアージュなどの有名ブランドを思い浮かべると、紅茶。
 そもそも、ヨーロッパと言えば、紅茶のイメージである。
 しかし、フランスに最初に入ってきたのは緑茶。紅茶が生まれるよりも前、ポルトガル人が日本で買い付けた緑茶を、薬として持ち込んだのが最初とされる。
 モロッコで、何のためらいもなくただ「お茶」を注文して、飲んだと時の事が忘れられない。
 外国で飲むお茶で、ミントが入っていたら、それは絶対に「紅茶」だと思っていたのだ。
 飲んだのは、ミント入り緑茶。
 得も言われぬ味に、とんだ国に来てしまったと、モロッコのイメージが、ものすごく悪くなってしまった。
 旅の終わりにやっと慣れた、ミント入り緑茶だったが、最初の悪印象が今も強く残っている。
 このたびのチュニジアでは前情報もあり、近年エジプトでも緑茶ブームなので、舌も慣れていたため、抵抗はなかった。
 マグレブと呼ばれる地域、モロッコ、チュニジアがなぜ緑茶なのか?並びのエジプトは紅茶の国なのに?と、少なからず疑問に思っていた。
 これには植民地の問題が大きくかかわっているようだ。
 フランスの植民地時代が長かったマグレブは、緑茶文化が浸透し、イギリスの植民地だったエジプトには、紅茶文化が浸透したらしい。
 そして、お茶よりも安価なコーヒーが、マグレブからフランス本土に渡り、フランスはすっかりカフェオレの国になってしまった。
 チュニジアの緑茶は、ミントが入っているのが定番。時に、レモン。そして松の実。
 松の実が、グラスの底に残ってしまわないように、上手に飲めるようになったころ、チュニジアを離れた。[a]

 

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2009-05-16 00:00:00 | 沖縄方言

 沖縄の春。お天気だと日射しも強く、既に初夏の風情。海開きが4月なのだから当たり前なのだが、まだ肌寒い本土から行くと季節を先取りした開放感に溢れている。

 春と言えば花。昼食に立ち寄った民家風食堂の入り口に満開のブーゲンビリアとシーサーの組み合わせに遭遇。いかにも沖縄!とシャッターを切った。ブーゲンビリアには、強烈な日射しが似合う。ギリシャの島もしかり、ピンクの色が冴えて美しい。うちなーぐち(沖縄方言)で「ピンク色をしている」を「ピンクい」と言う。不思議な語感であるが、かなり一般的な表現らしい。

 更に花は「パナ」。言語学者によると古代日本語は「ハ行」を「パ行」で発音していた。奈良から江戸にかけて「ファ行」に移行し、現在の「ハ行」に。沖縄には現在も「パナ」「ファナ」「ハナ」という言葉が同時に分布しているそうだ。

 また、現在で使われている「シシ(肉)」「トゥジ(妻)」は万葉集などに見られる大和言葉そのまま、「メンソーレ(いらっしゃい)「チャービラ(来ました)」は平安言葉が変化したものと言われている。方言に枝分かれする中で幾つかの古語の名残が沖縄に残っているというのは何とも興味深い現象。異文化尽くしの琉球王国に「日本」発見である。(さ)

参考文献 『ひとこと ウチナーグチ』 沖縄文化社

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太陽

2009-05-12 00:00:00 | フランス語(チュニジア)

Soleil(ソレイユ)

フランス語の太陽「ソレイユ」と言えば、日本でも人気のサーカス集団「シルク・ドゥ・ソレイユ(Cirque du Soleil)をはじめ、多くの文物にその語が用いられ、日本でも馴染みの語彙となっている。
また太陽と言えば、ベルサイユ宮殿を建設し、数々の逸話・伝説を残したブルボン朝の王ルイ14世が、「太陽王(Roi-Soleil)」と呼ばれていた話も有名である。
ルイ14世が太陽王という異名を取ったのは、バレエ好きで王立舞踏アカデミーを設立した王自らが、ギリシャ神話の太陽神アポロンに扮し舞台に立ったことに端を発する。もちろん、その後の偉大な王としての業績も「太陽王=王の中の王」としての地位を得ることに貢献したことは言うまでもない。

「ソレイユ」という言葉から、南フランスの海辺の光景や、陽気で快活なイメージと同時に、幾ばくかの宮廷的優雅さのようなものまで連想してしまうのは、フランス本土に上陸した経験のない私の勝手なイメージ(妄想?)だろうか。

実のところ、私にとってのフランス語圏と言えば、かつてのフランスの植民地北アフリカのマグレブ諸国であり、「ソレイユ」と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、カミュの『異邦人』の中で主人公が呟く、「太陽が眩しかったから」というフレーズだ。
アルジェリアの首都アルジェを舞台にした『異邦人』の中で、殺人を犯した主人公が裁判の際に動機を問われ、答えた台詞が上記の「太陽が眩しかったから」。『異邦人』は無論、社会の不条理をテーマにした小説ながらも、北アフリカの強烈な太陽光線と、その対極にある漆黒の闇が織り成すカスバの風景を実際に体験した者は、「さも有りなん」などと、「不条理」な発想に至ってしまう。いや、実際、このフレーズは私にとって時に別の意味で心に響いてしまうのだ。
中天に座し、陰ひとつ無いサハラの真上に輝く太陽。カスバの細い路地にくっきりとした陰を落とす太陽光線。地中海沿いの白い街並みとブーゲンビリアに映える木漏れ日。そのどれもが、私の頭の中で常に郷愁の念を掻き立て、憧れを増幅させ、彼の地を繰り返し訪れるべく慫慂する。自分の中の明らかな意思とは無関係に。

太陽にも様々な「姿」がある。マグレブ(مغرب「太陽が沈む処」)の地では不思議とそういう感慨に浸ってしまう。サハラの夕刻の、肌を通り過ぎていく金色に輝く風。燃えるような落日(Couche du soleil)の赤は、あたかも目に見えない風にまで「色」を与えるかのよう。巡り巡る天輪(太陽)は、その時、神という至上者の存在をも超えて、永遠の中の一瞬という時間を、強烈に私たちに意識させる。(m)

*灼熱の太陽と情熱の国・スペイン 複数形の太陽・エジプト 神の喜びの象徴・ギリシャの太陽 方角の名称ともなった沖縄の太陽 天体のリズムと体内のリズムの一致・イギリス

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フランス語

2009-05-08 10:50:02 | フランス語(チュニジア)
フランスにも地中海はあるのですが、私たちがゆっくりと散歩に行くのは、いつのことでしょう?フランスは縁遠くても、フランス語はとても近しい存在です。
 mitraの住むイランでは、フランス語を使わない日はありません。フランスが大好きなイランで、ありがとうは「メルシー」をよく使います。イランの女性は、フランス語を話す男性を見るとメロメロとか…
 アラビア語でよく出てくるエジプトは、ナポレオン以来、フランスとは切っても切れない間柄。そこかしこに、フランス語が出てきます。和製英語ならぬ、エジプト製フランス語も多々。
 チュニジアやモロッコは、アラビア語と共に、フランス語も公用語。
 フランスを散歩している人に、フランス語は書いてもらうつもりでしたが、思わぬところでぶつかるフランス語。
 今しばらくは、チュニジア・フランチをお楽しみください。[a]

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2009-05-04 00:00:00 | フランス語(チュニジア)

 poisson(ポワッソン)

 フランスでは、エイプリールフールをポワッソン・ダヴリール(Poisson d'avril)というそうだ。4月の魚。起源はいろいろで、諸説はっきりしないようだが、人の背中にこっそり、魚の絵を張り付けたりして、いたずらを楽しむという。
 
チュニジアにも、このいたずらがフランス植民地時代に、持ち込まれたかは?どうなのか知りたいところである。
 チュニジアは、地中海に囲まれた国。フランスの食文化も手伝って、魚介類の調理法は、ほかのアラブ諸国よりも豊富な気がする。
 マルシェ(市場)では、他のイスラーム諸国では見かけないような、サメやタコもあり、どんなふうに食べるのか興味津々。というのも、コーランには、「うろこの無い魚は食べてはいけない」と書かれているので、タコはともかく、サメは食べないとエジプト人が言っていたから。
 魚売り場で驚いたのは、種類だけでなく、置き方。20センチ以下の小魚は、立てて置いているところが多いのだ。魚というのは、「並んでいる」ものだと思い込んでいたので、立ち泳ぎしたまま、整然と並んでいる魚と、その規則正しいビー玉のような魚の目の配列に見入ってしまった。
 マルシェの食堂では、ケチャップ・ライスかと思ったら(思いたかった)、大量のハリッサ(唐辛子ペースト)を混ぜ込んだクスクス。その上に、赤い魚がさらにハリッサ入りのスープで煮込まれて、真っ赤な顔をしてどーんとのっていた。お供の野菜もかぼちゃで、真っ赤っかなクスクス丼(という感じ)が、「ヘイ!お待ちどう!」と威勢よく出てきた。
 私は、辛い物好きだからいいようなものの、苦手な人が「魚のクスクスお願い」なんて注文をしたら大変なことだ。
 もっとも、外国人も利用するレストランでは、ハリッサは別の小皿に添えられてくるので、心配はいらない。気をつけるのは、小さな食堂や、サンドイッチ屋さんなど。
 ハリッサの小皿と言えば、レストランで注文をすると、フランスパンと、オリーブ、ハリッサと、ツナがよく添えられて出てきた。注文の品が来る前に、これでおなかいっぱいになってしまう危険に、何度も遭遇した。
 チュニジア人はツナが好きというイメージが私にはある。
 チュニジアの伝統料理に、ブリックというものがある。
 巨大な春巻きの皮に、ツナやポテトサラダ、それに生卵を落として、餃子のように包んで揚げるものだ。パリパリの皮を破くと、とろっとした半熟玉子と一緒に、いろんな具が出てくるというもの。卵以外は、その店、その店のレシピで具材はいろいろ。
ただし、どこのレストランにも必ずあるブリックメニューは「ツナ」。
 ブリック大好きな私は、一日一ブリックを食べ歩いた。卵がカチカチの店では、すぐ腰をあげ、ふわっとした玉手箱ブリックを出す店では、ゆっくりと食事をした。[a]
  

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