地球散歩

地球は広いようで狭い。言葉は違うようで似ている。人生は長いようで短い。一度しかない人生面白おかしく歩いてしまおう。

2012-01-06 18:00:00 | トルコ語

 koyun(コユン)

 トルコの羊を思い浮かべると色々浮かんできて、それこそ羊雲か、眠れない夜の羊の頭数程である。
 トルコ料理、キリム…と、トルコと羊は密接である。
 それ以上に、トルコの人達にとっては身近な存在であろう。
 そう思わせるのが、トルコ料理屋などでよくお目にかかるサラダである。
 その名も「羊飼いのサラダ(Çoban salatasıチョバンサラタ)」である。
 トマト、キュウリ、玉ねぎ、パセリ、大人にはしし唐をざっくり切って、塩とレモン、オリーブオイルで味を調えたシンプルなサラダである。
 毎日食べるであろうサラダの名前に羊飼い。
 サラダのどこかに羊が潜んでいるのではと思った事もあるが「マトン」や「ラム」ではなく「羊飼い」のサラダである。
 トルコの美味しい羊生活については、こちらに散歩に来てくれるyokocanさんのブログを散歩されたし。
 トルコ人が余すところなく羊を食している写真のリンクを貼っておく。
こちら
 羊の脳味噌の天ぷらは大好きだが、この写真を見ると自分で料理するのはためらわれる。[a]



羊が一匹、ニ匹… 
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ポスト

2011-09-21 17:26:29 | トルコ語

 Posta(ポスタ)

 手紙好きの私がどこの国に行ってもまず探すのがポストである。
 トルコでももちろん、「さて、ポストは何色?どこかなあ?」と、入国時からキョロキョロ。
 ところがそれらしきものがない。イスタンブールから、チャナッカレ、トロイ、エフェソス、ウスパルタと、トルコを縦断中に一つも見ないとはどういうことだろう?
 ウスパルタで友だちになった人にポストが町中にないか聞いてみたところ、「え!手紙を出すの?今はメールの時代じゃない。ポストなんてないわよ」と、郵便局へ連れて行ってくれた。
 大抵郵便局の門前には、ポストがあるものだが、どこにもない。「だからないって言ったでしょう!」と言っている。
 やっと見つけたのが、カッパドキアの郵便局にあった、小さなポスト。
 その後、またイスタンブールへ戻ったが、いとしのポストに出会うことはなかった。
 トルコには本当にポストがないのか?
 探してみたところ、
トルコのポストについてとても満足いくブログを発見した。→こちら
 やっぱりトルコにもポストはあった。
 トルコ人のお手紙事情はyokocanさんにお聞きしたいものだ。[a]

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2011-07-07 00:03:14 | トルコ語

 yaz(ヤズ)

 トルコを旅したのは6月だった。
 イランにいたmitraとイスタンブールで待ち合わせしたり、人懐っこいトルコ人と散歩して、 海を見ながらエフェスを飲んだ。
 夕涼みがとても気持ちいい季節だった。

 天才的に、ロマンチックな気分を壊す私は、トルコ人とラブラブになることなく今に至っている。
 満月の夜、イスタンブールの海岸線をそぞろ歩きしていたら、ロマンスの一つや二つあっても良かったのにと思うが、後の祭りである。
 たまたま、私に声をかけたお兄さま方が○○ハンと言う名前だったのだ。どうしても「モンゴル系みたい」と言ってしまい、彼らはそれで、シボンでしまった。

 そんなイスタンブールを飛び出し、カッパドキアへ行った。
 長距離バスでグッスリ眠っていた私が放り出されたのが、午前4時。
 まだ寒く、空が白々明るくなってきたところだった。
 ポツンと寒さに震えながらバス停に佇んでいると、観光案内所のおじさんがたまたまやってきて、ホテルに電話してくれた。
 ありがたい事に、私は6時前には洞窟ホテルのベッドで熟睡していた。

 目が覚めると寒い。あまりの寒さに起き上がることがしばらくできなかった。
 思い切って起きて外に出ると、眩しくて何も見えない。
 そして、なんと暑いことか!
 慌てて部屋に戻ると寒い!

 カッパドキアの洞窟はアリの巣のように地下に町が作られていて、見学する事ができる。  夏は涼しく、冬は暖かいので、洞窟生活はやめられないそうだ。
 涼しいどころか、冷凍マグロになりそうであった。

 猛暑になると思い出す。
 洞窟部屋が欲しいなと…[a]

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たまご

2011-06-28 22:53:14 | トルコ語

yumurta(ユムルタ)

トルコでびっくりしたのは、市場の日向に卵屋さんが出ていた事。ヒヨコになったらどうするの!と、思わずあり得ない想像をしてしまった。
他の野菜などと同じように、卵も自分で選んでいいのだろうが、取って品定めしていたら、コンコンと音がして、ヒヨコが顔をだして「ハイ!ママ!」なんて言うマンガみたいなことを想像したのだ。

トルコの卵料理で食べてみたいのは、yokocanさんのところで見た「卵入りスジュク」である。
スパイシーな牛のソーセージを卵でとじ、それにパンをつけて食べるというもの。

ああ、美味しい卵のトロッとした半熟の黄身をつけて食べるエキメッキ!考えただけでも生唾ゴックンである。[a]

 

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2010-12-22 21:27:34 | トルコ語

  sokak(ソカック)

トルコで歩いた道で忘れられないのは、カッパドキアの道。
  キノコのような岩のお家へ続く道には、足の幅しかない道がある。
  岩窟の家、というよりもアリの巣のような地下都市までもきずかれたのは、夏涼しく、冬暖かいという実用本意以前に、迫害から逃れるためにキリスト教徒たちの隠れ家であった。
  見つかっても容易に侵入されないように、足はばだけの道を作ったのだ。
  歩きにくいというよりも、楽しくなっちゃう道である。
子どもだったら、両側の壁に手をついて足をブラブラさせたり、足を両方壁にくっつけて、手を叩いたり暴れたこと間違いない。

トルコ語で、口をついて出てくるのは「ギュレギュレ~」(さようなら、それも送り出すほうが言う言葉)ぐらいなので、間違っていたら訂正して欲しいが、このような細い道はソカック。大通りは、「cadde(ジャッデ)」というようだ。
そういえば、トルコの本を読んでいると「ソカク~」と出てきた。あれは、道の意味だったのか…と、固有名詞としてあまり意味を考えずに読んでいたことを知った。
[a]

 

ちょこちょこあるこうクリクリ

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2010-12-14 00:00:00 | トルコ語
 

pirinç(ピリンチ)

トルコで食べた米料理を思い出せない。
唯一思い出に残っているのが、チャナッカレの海岸沿いで食べた、ムール貝。
夕方散歩していたら、おじさんがムール貝にレモンを絞って売っていた。
一つ食べさせてもらったらご飯が入っていてびっくりした。
夕日を見ながら、エフェス片手に食べたら、良いだろうなあと思いつつ、お茶を飲みながらいくつかつまんだ。トルコの一口パエリアが懐かしい。

トルコに米料理はあるが、単に私が滞在中出会わなかっただけである。
なにしろピラフの語源は 「ピラブ」(pilav)というトルコ語だそうだ。
 よくお返事を下さるyokocanさんのレシピにロールキャベツがあるがここにも米の姿がある。[a]

 

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2010-08-16 23:14:45 | トルコ語

Deniz(デニズ)

トルコの海と言ったら、それはもう、歴史も逸話もあり過ぎて、何をどう書いたらいいのか、それこそ、気持ちばかりが先走ってしまう感じである。
実際、トルコで見た海は、重く、語りかけてくる感じで、「わ~リゾート!」という気持ちにならなかった。
もっとも、トルコは大きな国なので、海もいろいろ。リゾート的なところへ私が行かなかったという事もある。
地中海、エーゲ海、黒海と、その名を聞く限り、太陽にきらめく美しい海を、いくらでも彷彿とさせる事が出来る。
そして、トルコの玄関口イスタンブールの前には、マルマラ海という、小さな内海もある。
トルコのヨーロッパとアジアを隔てる、ボスポラス海峡。そこを通る、金角湾。名前の通り、角様に補足ちょっと湾曲した湾であるが、トルコ語からの訳ではなく、英語からの訳らしい。
トルコ人はただ「入江(Haliç)」と呼んでいる。こういう、芸がない言い方は、やっぱりもともとイスラームの国だけあると思ってしまう。アラブで「ここの沙漠は、何というのですか?」と聞いたら「サハラ」と返事が返ってきたので「サハラ砂漠」と、日本では言っているが、何のことはないサハラが「沙漠」の意味である。特に名前がないという事が珍しくないのである。

実はトルコでゆっくりと海を見られなかった。
イスタンブールで海を見ながら鯖サンドにありつく…は、日本人がトルコでやってみたいことの一つかと思う。私は相変わらず、マンホールだの、墓地見学だのといった、人があまり見ないようなものに気を取られ、ガラタ橋のたもとへはたどりつかなかった。
次に行ったら、鯖サンドを片手に、金角湾を堪能する予定である。[a]



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唐辛子

2010-06-14 00:00:00 | トルコ語
Kırmızı biber(クルムズ・ビベル)

 写真は、カリデス・ギュウェジという、エビと青唐辛子のチーズのオーブン焼き。
 辛いもの好きの私でも辛かった一品。エビと同じくらい、唐辛子の輪切りが入っているなんて!
 チャナッカレという、港町で海を見ながら食べた。
 この料理、常連さんのyokocanさんのブログ、
トルコ~スパイシーライフ♪にレシピが出ている。
 yokocanさんのブログを見ていると、トルコ料理は、まるでトルコ国旗のように「赤い」。
 赤唐辛子のとにかく赤い色をした料理が目につく。そして青唐辛子は、生のままケバブと一緒に食べたり、素揚げにしてヨーグルトソースで食べたりと、とにかく赤も青も唐辛子が良く出てくる国だなあと思う。 
 唐辛子が好まれるのは熱いか寒い国である。
 トルコは、イラン寄りは寒く、ギリシャ寄りは暑い。唐辛子料理が栄える気候風土なのかもしれない。[a]

 トルコのチーズは地球散歩のウィキぺディアmitra便りもみてね。

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祭り

2010-06-06 00:00:00 | トルコ語
 Festival (フェスティバル)

 
トルコを旅していると、いろんなところでコロンヤという、薔薇水やオレンジ・ウォーターなどを手に振ってくれることがある。
 特にバスでは、コロンヤをサービスがないとどうも損した気分になる。
 イスタンブールからバスを乗り継ぎ、
ウスパルタという町を目指した。
 イランにmitraが住んでいたころ、イランの薔薇祭に合わせて、訪ねて行ったのだが、
行く前から「今年の薔薇は開花が早くて、来る前に薔薇が終わっちゃう!」と大騒ぎしていた。
 その年、イランの薔薇祭は中止。
 せめて薔薇だけは見たいと思い、隣のトルコへ足を伸ばした。
 トルコの
薔薇の産地がウスパルタ
 町に入って驚いた。
町中ピンク、ピンク!
 トルコの薔薇はイランよりも遅い。ウスパルタで出会った人に「来週までいたら薔薇祭が見られるわよ!」と言われた。
 イランでは花が終わって、祭は中止。
 トルコはまだ、満開には早く、祭のころは帰国していなけらばならない。
 それでも、祭の前の楽しそうな空気や、
薔薇の蕾がはじけそうな姿に満足
 夕焼けの色も薔薇色に輝いて見えた。
 今年の薔薇祭も来月か、さ来月にかけて。
 まだ見ぬ薔薇祭に、今年も思いをはせる。
 トルコでは、どのくらい知られた祭なのだろうか?[a]
 

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2010-04-09 00:00:00 | トルコ語

bahar(バハル)

トルコの春。早春の候、まだ明け切らぬ冬空と満開のアーモンドの白い花弁が織り成す淡い色合いも印象的だが、トルコの春の花と言えばやはりチューリップであろう。春先に訪れたイスタンブルの公園では、規則正しく並んだ赤いチューリップの群れが印象的だった。私が住んでいたイランでは、公園や街路に植えられる花々も、同じ種類のものを並列する形ではなく、バラバラの種類の花を半幾何学的に、実に統一感を持った形に纏め上げていたため、トルコのこの「きまじめな」ガーデニングが、かえって印象的であった。

このチューリップの群れの中を、「チューリップ」の歌さながら、赤・白・黄色のスカーフを頭に巻いた3人の若い女性が闊歩していた。イスラム的服装ながら、とても上手にお洒落をした女性たちの姿は、春のリズミカルな空気の中でひときわ華やいで見えた。

チューリップと言えば思い出すのが、国境の街エディルネの丘に佇むセリミエ・ジャーミィ(モスク)だ。このモスクは、トルコの壮麗な建築物の数々を建立した偉大な建築家シナンの最高傑作。オスマン朝の宮廷に仕えたこの建築家が、晩年になって建てたこのモスクのミンバル(説教壇)には、「逆さチューリップ」が刻まれている。かつて野生のチューリップの赤い絨毯で覆われていたこの丘に、如何にしてシナンが辿り着いたか、彼の信仰心と芸術家としての情熱の結晶であるセリミエ・ジャーミィの佇まいとトルコのチューリップ咲き乱れる春を、作家の夢枕獏氏が、崇高なる歴史絵巻を通して描き出してみせた(『シナン』中公文庫)。

オスマン朝にてもて囃されたトルコ原産の花チューリップは、やがてオーストリアを経由しヨーロッパに伝わり、そこでも人気を博すこととなった。チューリップ、その名前の由来は、オスマン朝の君主が被るチュルバン(ターバン)が誤って伝わり、音写されたところに遡る。花の歴史にドラマあり。春まだき、花弁がぷっくりとターバンのように膨らんだ赤いチューリップの花を眺めながら、日本の童謡に出てくる平和なチューリップの光景ではなく、血塗られた歴史の足音を聞いた気がした。(m)

*チューリップをはじめ、トルコの花については、碧が以前書いた記事を参照ください。そしてチューリップと言えば、オランダ

世界各地の春の風景で和んでくださいね。
エジプト イタリア アメリカ ギリシャ 日本 チュニジア イラン 

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チョコレート

2010-03-26 00:00:00 | トルコ語

çikolata(チコラタ)

トルコには有名なチョコレートメーカーが多い。街角で量り売りされている、大きな塊のチョコレートも魅力的だが、スーパーで売られているパッケージ・チョコの味もなかなか。甘すぎず、日本人の口にも合う。

中でも、トルコの国民的菓子メーカーUlker(ユルドゥズ・ホールディング)は、ある出来事で名を知られるようになった。2007年に、ベルギーの老舗メーカー、ゴディバを買収したのだ。日本でも、ゴディバを知らない人は、あまりいないだろう。トルコ訪問の際にはずいぶんこのウルケルのお世話になった。

世界的チョコレートブランドとして知られるゴディバが、トルコの菓子メーカーの傘下にあるという事実は面白い。オスマン朝下、トルコ菓子がヨーロッパを席捲していった時代を想起してしまう。その後、ゴディバのマークが新月にならなかったのが何より?!さもなくば、オーストリア・ハンガリー帝国下、オスマン朝(新月)に対する勝利を象徴して誕生したクロワッサンとは逆に、西洋の人々にとってゴディバのチョコは、苦々しい味となっていたかもしれない。

ところで、トルコでチョコレートと言ったら、私は上のウルケルのチョコと同時に、あるお菓子のことを一番に思い出す。
フランス伝来のプロフィテロルがそれ。プロフィテロルとは、たっぷりのチョコレートソースがかけられたプチシューだ。店によってずいぶん違うが、私が食べたものは、どちらかというとチョコレートの苦味を
楽しめる、甘みの少ないタイプだった。

チョコレート菓子も、時代の変遷と共に西へ東へ行ったり来たり。チョコ好きの私も各地のチョコ味を求めて行ったり来たり・・・と行きたいところだ。(m)

写真:プロフィテロル。ちなみに後方に見えるのは、マスティハ味のプリン。

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ファーストフード

2010-02-26 00:00:00 | トルコ語

hızlı yemek (フズル・イェメッキ)

2年前の初夏のある日、碧とイスタンブルで待ち合わせた。イスタンブルが初めての碧との待ち合わせはどこがいいだろう?日本のガイドブックにも載っていて、なおかつ、万一道に迷い人に尋ねる際に、誰でも知っているような場所が理想的だ。迷うまでもなく私は、「タクシム広場にあるバーガーキングの前でね」と、碧に告げた。ここはかつてトルコ人との待ち合わせにも使った場所。そして、いつも人だかりがしているこの場所は、地元の人々の間でも有名な待ち合わせ場所に違いない。
当日、碧との待ち合わせは難なく実現した。そして同じ日の夜、日本での再会を約してハグし合い別れたのもやはりここ。私たちにとっては思い出深い場所。どこにでもある米国系のファーストフードチェーン店に、ノスタルジーのような感覚を抱くことになるとは当時思いもしなかったが、イスタンブルを彩るモスクの光景同様、今では私の中でセピア色の写真の記憶と化している。

さあ、しかし…。トルコで美味しいファーストフードを食べようと思ったら、さすがにバーガーキングではもったいない。ご存知のとおり、トルコは食の宝庫。グルメ天国。ファーストフードに至るまで、トルコの食は侮れない。ガラタ橋の袂で香ばしい匂いを放つ鯖サンドを始め、モチモチのパン、シミットを中心とした品揃えの(日本で言えばミスタードーナツのような)「シミット・サライ」など、美味しいファーストフードでイスタンブルの街は溢れかえっている。

さて、場所をイスタンブルから首都のアンカラへ移そう。
この街を訪れた際、驚かされた出来事があった。アンカラでは、軒先に「piknik(ピクニック)」という楽しげな表記を施された様々なファーストフード店が軒を連ねているではないか。トルコ人の話によると、「piknik」という名称の由来は謎だが、アンカラのサカリヤ地区にある老舗の居酒屋が「pikinik」と名乗ったのが最初で、以来この地区の多くの店が「~piknik」の名称を用いるようになった。多くは、サンドウィッチのような、それこそピクニックに持参するような軽食を出す店に、この名が冠されているように感じた。

次はトルコから我が国日本へトリップ。
「廻る肉」のピタパンサンド・ドネルケバブは、今となっては日本でも知らない人があまりいないと思われる、トルコ発の有名料理だ。肉に下味を付けてマリネする作業や、大きな肉塊にじっくり火を通していく作業の手間を考えると、ファーストフードと呼ぶには申し訳ないような、かなり手の込んだ料理と言えるのだが。
90年代末、このドネルケバブの屋台が東京に登場した時は狂喜した。その後、渋谷など若者が集まる街を中心に、瞬く間にドネルケバブの屋台は増えていった。当時、そういった屋台から漏れ聞こえてくる従業員の話す言葉を聴いて驚いた。彼らの多くがなんとペルシャ語を喋ってるではないか。ケバブ屋台が出始めた当初、トルコ人の「ふり」をした多くのイラン人が、この仕事に携わっていたのだと、私は思う。

先日、久しぶりに渋谷のセンター街を訪れ、その中心地に大きな看板を掲げたドネルケバブ店を発見した。トルコを代表するファーストフード・ドネルケバブが、一時のブームではなく、日本のファーストフード文化にすっかり根付いたのを見て、なんとも感慨深くなった。(m)

*通常はトルコでも「ファーストフード」と呼ぶそうですが、あえてトルコ語仕様にしました。イラン ギリシャ エジプト 沖縄 アメリカ オランダ エジプト(2) 中国…世界のファーストフードを試食した後は、応援クリックもお願い!

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電話

2010-02-22 00:00:00 | トルコ語

 Telefon(テレフォン)

 トルコでは、とくに電話のお世話にならずとも、2週間の旅をする事が出来た。
 そして、けったいな公衆電話もみなかった。
 電話のネタがない。
 トルコ人の友達もいないので、トルコ人がどうやって電話を取るのかも知らない。
 さて、帰る日にやっとイスタンブールで写真のような看板を見つけた。
 ALO! CENTERとな。なんだか電話がかけたくなるではないか。
 エジプトでも、スペインでも消えつつある、電話屋さん。トルコでもきっと衰退の一途であろう。
 ただこれでなんとなく、トルコも「アロ~?」と、イスラーム圏に多い電話の取り方をするのではないかと思った。[a]

 

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2009-11-21 00:00:00 | トルコ語

kestane(ケスタネ)

吐く息も白く、散り行く街路樹の風景も寂しげな晩秋。かじかむ手をこすり合わせながら歩みを速める。何か暖かい食べ物を探し求め、無意識にも目線は店の軒先を追う。

トルコの街歩きでは、白い湯気を上げる「焼き栗(kestane kebabı)」の屋台に頻繁に出逢う。焼き栗はトルコの冬の風物詩。小さな車輪の付いたスタンドには鉄板が設置されていて、生の栗がその場で“ケバブ”され(焼かれ)、次々に「店頭に」並べられていく。栗の皮のはじける音が、澄んだ空気に静かに響く。

この焼き栗、とても淡白な味だが、素朴な味わいとホクホク感が意外と癖になり、トルコを訪れる度にその味が恋しくなってしまう。時に黒焦げの栗が混じっているのもご愛嬌。その苦味もきっと、憧憬の想いを含んだ旅の想い出のひとつとなるだろう。

イスラーム世界では、モスクの正面が長方形の広場になっていることが多いが、そういった場所のいくつかでは秋になると、焼き栗のスタンドが軒を連ね始める。中でも絵になるのは、イスタンブルの「鳩モスク」こと、イェニ・ジャーミィ正面広場の風景だろうか。この広場では焼き栗屋台だけでなく、焼きとうもろこしの屋台や、金ピカで煌びやかな台を横一列に並べた靴磨き、様々な催しの様子、モスクに群がる大群の鳩・・・など、いつ訪れても賑やかで雑然とした風景を眺めることが出来る。

新市街の賑やかなイスティクラル通りでは、路上ミュージシャンの奏でる楽器の音と共に、焼き栗屋の客寄せの声(「ブユルン、ブユルン(いらっしゃい、いらっしゃい!)」)が響き渡る。通りを走る、レトロで趣のある路面電車の姿もさることながら、焼き栗の屋台に置かれた古めかしい天秤も、どこかノスタルジックで旅情をそそるものだ
そのうちの一軒で好きなだけ焼き栗を買い込んで小さな袋に入れてもらい、一粒一粒頬張りながらそぞろ歩きを続けるのが、お気に入りのイスタンブルの過ごし方。さらさが、シャンゼリゼ通りの焼き栗屋台について以前
書いていたが、イスティクラルで焼き栗を頬張れば、まさに気分はイスタンブルっ子だ。

街角で気軽に量り売りされている焼き栗。道行く人々の多くが、屋台の前で足を止める。ひょっとしたらトルコ国民の間では、スナックを食べる感覚で日常的に消費されているのではないかと思う。
トルコの栗の生産量は世界の栗の生産量の約1割とのこと。そのうちのどれくらいが輸出に回されているのかは知らないが、かなりの量の栗が、この「焼き栗」用に出荷されているのではないかと想像する。
トルコにはマロングラッセのような味わいの栗の甘露煮(kestane şekeri)もあるが、この焼き栗屋台の在る光景が、私にはとてもトルコらしく思え、なんとも旅心をくすぐられるの
だ。(m)

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チーズ

2009-08-21 00:00:00 | トルコ語

Peynirı(ペイニール)

チーズ発祥の地とされるメソポタミア。メソポタミア文明の中心地はチグリスとユーフラテスの二つの大河に挟まれた現在のイラクに当たるが、両河川の上流にあたるアナトリアの地にも、メソポタミア文明の痕跡を多く認めることができる。

メソポタミアの地で、いつ頃からチーズが作られるようになったかはっきりしないようだが、同文明の揺籃期から嗜好されていたビールやパンと共に、早くからチーズが食卓に並んでいたと考えても何ら不思議では無い。実際、紀元前2000年代に編まれた「ハンムラビ法典」に、既に「チーズ」に関して言及されている箇所がある。

古代メソポタミアで食されていたであろうチーズに近いものが、現在もこの辺りの地域では日常的に口に運ばれている。そう、ギリシャやイランのチーズでも登場したフェタがそうだ。フェタなどの白チーズの製法は、乳(羊・ヤギ・牛)を固めて水分を十分に切り、保存のために塩分を加えただけのシンプルなもの。そしてメソポタミアに近い場所に位置した古代ギリシャでも、やはり白チーズを食していて(こちらはホメロスの文献にも登場するそうだ)、熟成させたチーズはずいぶん後になるまで登場しない。この流れなのだろうか、現在でもこれらの地でチーズと言えば、フェタが主流である。

とは言え、今回トルコの「チーズ」を書くに当たっていろいろ調べているうち、トルコには実に多様なチーズが存在することを知った。私はチーズが好物でないこともあって、かの地を巡る際、チーズにはあまり関心を払っていなかったのだ。残念なことである。とは言え、ホテルやペンションなどの朝食に登場するチーズだけでも数種はあるため、積極的にチーズを買い求めなくても、トルコ旅行の最中には少なくとも数種類のチーズにはお目にかかれる。
そして、喧騒に溢れたバザールに一歩足を踏み入れれば、そこには多種多様なチーズが大きな塊でずらりと並んでいる。勿論、写真にも写っている白チーズ(フェタ)が多いが、一口にフェタと言っても、産地ごとに何種類も並んでいて、チーズを食べるだけでもその地域の食文化を知る一端になるだろう。さすがグルメの国である。
一番関心を持ったのは、「トゥルム」と呼ばれるエルズルム・シヴァス地方(トルコ東部)のチーズ。ヤギの皮製の袋(トゥルム)の中で発酵させて作られるポロポロの形状のチーズだそうだが、このチーズを食べる際、ラヴァシュと呼ばれる薄型のパン(イランにも同じ名前で同種のパンが存在する)に、胡桃と共に挟んで食べるのだそうだ。実は、イランでも「トルコ人」と呼ばれる人々「アゼリー人」(実際にはトルコ人ではなく、トルコ語と同系統のアゼリー語を母語とするアゼルバイジャン人)が、バルバリーと呼ばれる厚手のパンに、やはりパニール(フェタ)と胡桃を乗せて食べる話は、イランの「チーズ」でも言及した。トルコ東部を訪れると、そこではイランと似たような食文化を感じるものだが、今回チーズの食べ方にも共通点を見つけ、なんだか楽しくなった。
アゼリー人お奨めのチーズの食べ方、実際ほっぺたが落っこちるほど美味。下戸の私は、メソポタミアの人々のようにビールと共に、というわけには行かないが、傍にあったかい一杯のチャーイがあれば、それだけで幸せ気分に囲まれた食事となりそうだ。(m)

*以下の細川直子さんのweb siteに、トルコチーズの色々が紹介されているので、参考にしてくださいね。
http://turkishfood.hosokawanaoko.com/peynir.html

*ギリシャイランチュニジアスペインオランダ ・フランスのチーズ

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