地球散歩

地球は広いようで狭い。言葉は違うようで似ている。人生は長いようで短い。一度しかない人生面白おかしく歩いてしまおう。

花(ヨルダン)

2011-05-30 13:18:43 | アラビア語(ヨルダン)

زهر(ザハラ) 

 この写真、ぺトラの土産物屋である。
 
「ハッピーアワー!安くしとくよ―」という声が、土産物屋の前を通ると良く聞こえた。
 売っているものは様々だが、中でもこれは一番手間がかかっていないお土産屋さんだった。
 そのためか、年中無人で、被いもしていない。
 ぺトラの美しい岸壁を削り取って、小さな塊を作って並べている。
 そして、一緒に並ぶのは、ひっこ抜いてきた球根。
 大地の至る所に植えられて、そして自然に増えて行った球根が芽を出していた。もう2週間もすれば蕾が見え、ぺトラ中が満開のチューリップで一杯になるであろう景色を、歩きながら想像した。
 
 ぺトラのことをイギリスの詩人ディーン・パーゴンが「薔薇の都市」と詠んだ。
 赤い砂、赤い岸壁に日が差すと空気までもが薔薇色に染まる。
 正に花色の空気に包まれた、秘境。
 そこに咲く、存在感ある肉厚のチューリップ。

 想像力をかきたてて止まないぺトラ、入場券は1日券2日券、3日券と選べる。出来れば年間パスポートで通いたいところである。[a]
  
 

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2011-05-25 00:00:00 | フランス語(フランス)

 

fleur (フラー)


 

 

写真:Miah


 

もうすぐ日本は梅雨になる。この季節になると、私は欧州の美しい庭園を思い出す。 

 

日本では、春に一斉に花が咲いた、と思ったらすぐに散ってしまい、気が付くと梅雨に入る、というパターンが一般的だろう。一方、少なくとも私の知っているイギリスやフランスでは、比較的長い間穏やかな気候が続き、花を楽しむことができる。 

 

もちろん、梅雨の時季にも、神様が用意してくれたとしか思えないような、それは美しい花が咲く。花菖蒲や紫陽花は、梅雨の曇り空、水の滴る姿がこの上なく似合う。 

 

同じ頃、遠く離れた欧州では、それとはまったく違った風景が広がっている。教会や、かつての貴族の館等では、広大な敷地内にある花園が開放され、誰でも気軽に訪れることができる。柔らかい日差しの下、心を包むように咲いている花が、大小を問わずあちこちで見かけられる。散歩するもよし、サイクリングするもよし。青空と庭と花が、私たちを待っている。 

 

一方で梅雨に濡れる花を楽しみ、他方で庭園の花園を愛でる。花は、どこにいようとも、そしてその姿を想像しただけでも、心を温かくしてくれる、自然界の贈り物なのである。[y]


 

★写真はレンヌの花園です。詳細はコチラをどうぞ^^


 

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山(ヨルダン)

2011-05-21 22:29:13 | アラビア語(ヨルダン)
 

 جبل(ジャバル)

 ヨルダンではとにかく登った。
 来る日も来る日も、階段、坂道、岩山、砂丘を登って、降りて、登った。
 毎日がロッククライミングだった。
 砂漠ツアーでは、巨大な張り出した石橋をよじ登り、泉が湧いていると聞けば、山頂の一本の枯れ木を目指して荒い岩場を登った。
 全部廻りきれずに、片っ端から登り過ぎた事を最後に後悔した。
 他のツアーは、見上げるだけで次のポイントへと移動していた。
 何とかと煙は高いところが好きの典型である。
 アラビアのロレンスの泉は、かつては山頂から岩肌を伝って、とうとうと水が落ちていたに違いない。
 今は、麓に住む遊牧民が水源からホースで水をひいている。汲み上げならぬ、汲み落としで、モーターも不要である。
 ペトラほどではないが、水の流れに研かれた岩肌とすき間から顔を出すたくさんのハーブ。
 岩に掴まらなければ、登り降りが出来ない中、踏んだり触ったりしてつぶれたハーブが良い匂いを漂わせた。
 汗びっしょりで息も荒い中、生き返った。
 ヨルダンの山を思う時は、ハーブの匂いがしてくる。[a]

 

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肉(ヨルダン)

2011-05-17 23:16:22 | アラビア語(ヨルダン)

لحم(ラハマ)

  ヨルダンレストランの入り口には「ヨルダン・クイジーヌ」と良く書かれていた。
 興味をそそられて、メニューを見ると、それはエジプトでもお馴染みの名前が並んでいる。ヨルダンならではの料理が食べたいと思っている私は、どこのメニューも代わり映えせずにがっかりしていた。
 ところが、実際に注文して見ると、想像とはかけ離れた料理が並んだ。
 一つ二つではなく、どれもこれも、名前は同じでも違う料理だった。
 オスマントルコの料理は、エジプト、ギリシャ辺りでは名前と料理が一致しているが、ヨルダンでは独自の料理に発展したようだ。

 そんな私が、ガイドブックを日本で眺めている段階で楽しみにしていたのは、レバノン料理。
 羊の生肉をスパイスで調理したもの。
 シリア辺りでも食されている。
 レバノンもシリアも行ってみたいが、いつ政変が起きるか判らないので、足が遠い。
 ならば、レバノンに近いところで食べてみようと思ったのだ。

 美味しい生肉に舌づつみを打っていたころ、レストランから2キロぐらいのところで、デモが起きていた。
 アンマンの、私が歩いたところに、不穏な空気は、微塵も感じなかった。
 ただ、美味しい思い出があるだけだ。 [a]

 

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海(ヨルダン)

2011-05-13 00:00:00 | アラビア語(ヨルダン)

بحر(バハル)

  

 死海は塩分が濃く生き物は棲息出来ないと聞いていた。
 何も生物がいない海。そして、沈もうにも浮いてしまって、沈む事が出来ないと聞いていた。
 擦り傷でもあれば、入るなり、飛び上がるほど痛いと脅かされ、年末の大掃除をさぼろうかと思ったものだ。

 トップシーズンは、泥パックをした人達が、芋の子を洗うように入るので、水が濁っているとも聞いていた。

 百聞は一見にしかず。
 なんと美しい海!けぶった空の向こう、対岸のイスラエルは、穏やかな山並み。

 かすり傷に水絆創膏を塗り、準備万端で海に飛び込んだ私は悲鳴をあげた。
 生き物のいない海は砂地と決め込んでいた。私の弁慶には金ブラシで引っ掻いたような、ミミズ腫れがたくさん出来ていた。
 よく見ると、海の中は一面の珊瑚礁だったのだ!と、錯覚したが実は塩の結晶。
 かすり傷でも痛いと言うのを思い出して、飛び上がるかと思いきや…意外と痛くない。ぶつけた痛さはあるものの、傷に沁みる痛さはない。
 傷だらけの足を天に向けて投げ出すと、手も足も海面から飛び出したまま、体が浮いた。
 泥パックも興味津々で見ていたら、係のお兄ちゃんが勝手に塗りはじめたので、「お金はロッカーの中!」と言ったら、「じゃあ手だけタダで塗ってあげる」と、真っ黒に塗ってくれた。
 なるほど、肌がしっとりつやつやになりそうな感じ!
 江戸っ子だからか?長くつかっていても、ピリピリすることもなかった。
 いつかゆっくり、死海を楽しみたい。
 ムスリムのおばちゃんが、波打ち際に椅子を持ってきて、足湯ならぬ、足死海を楽しんでいた。これも楽しそうだ。[a]

 

 

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2011-05-09 22:33:22 | つれづれ帳

ถนน (タノーン) 

 

私にとって奇妙な印象を残したのは、タイの「道」。 

 

その日、私たちは洞窟へと旅に出た。しかしながら、そこへの道は、まさしくけもの道。時に土、時に泥、草むら、岩、ありとあらゆるトレイルを通って行かねばならない。途中、猛然と襲ってくる蚊と戦い、川をカヤックで下りながら。 

 

案内人はサンダル一つで、水の中も森の中も、ひょいひょいと身軽に進んで行く。私たちは、重い体をぎくしゃくさせながら、尻もちをつき、びしょ濡れドロドロになって必死について行った。一人などは途中、大けがをしてしまった。それを見て、自分がどんなチャレンジをしているかを思い知る。いやまさか、こんなつもりでは… 

 

息も絶え絶え歩く中、思わぬスポットにめぐり合うこともあった。自分と、周囲のジャングルと、空が一体になったような錯覚を起こす場所。でも、道を進まねば帰れない… 

 

挙句、帰りはまるで積み荷のようにトラックに乗せられた。

 

でも、疲れきって、汗をかいて、夕日を見ながら…なじんでいる自分に気がついた。信号もろくにない、舗装もされていない道を進むそのトラックも、なぜかものすごーく、自然なことのように思えた。

 

手つかずの秘境。今住んでいる所では、まるで考えられない環境。しかし、そこを歩いた記憶が、今も私をタイへと誘う。それこそ、道なき道が目の前に広がっているかのように。[y]


 

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2011-05-05 00:23:42 | 日本語

 

春を代表する日本の花と言えば、菜の花。私が住む新潟市内でも、2週間ほど前にソメイヨシノが見頃を迎え、信濃川の川岸を春色に染め上げた。雪国の春が明けるのは遅く、桜が見ごろの時季も寒の戻りが激しい。雪の後、さほど間を置かず降り続いた春雨のせいで、桜を楽しめた期間はほんの僅かだったが、残念に思ったのも束の間、今度は色とりどりのチューリップの花が街を覆い始めた。

日本でチューリップの名所と言えば、歴史的にオランダと縁の深かった長崎を真っ先に思い浮かべる人が殆どだろう。九州出身の私にとって、チューリップと言えばオランダ村にハウステンボスである。ところが意外や意外、新潟県は、チューリップの生産率が日本一なのだそう。そういうわけでチューリップは新潟の県花ともなっている。
GWを挟むこの時季、新潟の各地ではチューリップ祭りが開催されている。
中でも五泉市では、150万本以上からなるチューリップ畑に出逢うことが出来るし、文字通りチューリップ生産日本一の胎内市では、広大な菜の花畑と隣合せてチューリップを楽しむことが出来る。今年の胎内市のチューリップフェスでは、「がんばれ東日本!」の花文字も見下ろすことが出来る。新潟市内では、JR新潟駅から信濃川に架かる国の重要文化財・万代橋まで約800メートルの区間、市内の園児・小学生が育てたチューリップのプランターが途切れることなく一直線に並んでいる風景が圧巻だ。

トルコと共にチューリップの原産地であり、国花であるイラン、チューリップがヨーロッパへ広がるきっかけを作ったトルコ、そして世界への玄関口となったオランダ。そして、ここ新潟でもチューリップとの縁がまた深まった。
一人ひとりの心に笑顔が一日も早く戻ってきますように、それぞれの幸せを取り戻せますように、きっとそう願って育てられた今年のチューリップたち。イランでチューリップが殉教者の血のシンボルであったように、トルコのスルタンのターバン(チュルバン)の名称がチューリップの名前の語源となったように、現在、新潟中に咲くチューリップの花一本一本にも、きっとシンボリックな力や意味が込められているに違いない。(m)

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道(UAE)

2011-05-01 23:40:24 | アラビア語(UAE)

  شارع (シャーリア)

 「何にもないよ!」と、友だちが、何度もいっていたが、いや~降り立って納得。
 何もないわけじゃないが、ない。
 マドリードは灰色男の町(M.エンデ『モモ』)と私は表現したが、ここには灰色男も現れまい。
 世界の素敵なものはたくさん集められている。
 巨大な建物や、ゴージャスなインテリアもそろっている。
 でも何か殺風景である。
 それは、やはり「歴史」の問題であろう。
 UAEは、砂漠に竹の子のように「うごうご」と、急に立ち上がったビルの国である。
 道で話しかけてくるのはもっぱら外国人である。
 私のように、プラプラ歩いているのを見ると、住んでいると思われるようで、年中道を聞かれ閉口した。なんと着いた初日に2回も聞かれた。それも何度も来ている人たちに。
 
 世界中の道路の看板は、その国の言語表記の下に、英語でも併記されているのが一般的である。日本でもいろんな英語表記があるので、いつも興味深く見ている。明治通りだとアベニュー、2車線ぐらいの通りだとストリート。さて、UAEは?
 なんと「ロード」。ちょっと意外な気がしたのは私だけだろうか?
 もちろんストリートもあったが、大通りはおおむね「ロード」だった。
 
 しかし、この摩天楼のようなビルといつまでも渡り続けねばならない横断歩道。交差点の向こうで赤信号で止まる車のなんと遠いことか…
 アブダビ、車で颯爽と、モール巡りが出来るようになるまでは、再訪しなくてもいいかなと思った。
 それにしても、歩いている間中、NYが小さく感じるような錯覚を覚えていた。なんとなく雰囲気が似ていたのである。[a]

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