Maltese and the Order of Malta(マルティーズ アンド オーダーオブマルタ)
騎士団の登場は、マルタの人々にとってどんなことだったのだろうか。
十分な作物を生み出すことのない土地と、町には壊れかけた城壁。ロードス島を失い、喉から手が出るほど本拠地を欲しがっていた聖ヨハネ騎士団でさえ、移り住むのを躊躇したという。
文明が交錯するその土地柄、マルタの人々は、侵略と人身売買の危険に常にさらされてきた。建築事業が増え、新たな作物の栽培を取り入れ、経済的な発展を遂げたのは、騎士団が島に現れてから最初の100年ほどのことだった。16世紀後半からは常に飢餓が蔓延し、ペストに2度苦しんだ。大包囲戦では、人口の4分の1が亡くなったと推定されている。その後の大建築事業に誘発された経済的危機と、騎士団による絶対主義的な統治は、いくつもの反発を招いた。
騎士団が島の統治権を巡り様々な外交手段に出ている間も、彼らの不満は収まらなかった。18世紀に啓蒙主義が発展すると、島の有識者は自治権を主張するようになった。そして、ナポレオンが島への侵入を始めたとき、彼らは戦争の後ろ盾はしないと断言した。このことにより、騎士団はフランスに降伏、マルタ島支配の時代を終えたのである。
騎士団が去った後、支配者を替えながら、ついに独立国となったマルタ共和国。だが皮肉にも、今の彼らの観光の呼び物の一つは騎士団の功績だ。
マルタの人々を苦しめたのも騎士団、歴史に登場させるのも騎士団。やはり、マルタ人は騎士団とは切っても切れない関係なのか。[y]
★参考文献:メルチエカ、サイモン(2005)『マルタの聖ヨハネ騎士団』Casa Editrice Bonechi
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