地球散歩

地球は広いようで狭い。言葉は違うようで似ている。人生は長いようで短い。一度しかない人生面白おかしく歩いてしまおう。

ワイン

2007-01-29 22:18:18 | スペイン語

 Vino(ビノ)

 スペイン人にとってワインは水と同じである。仕事中、バルに立ち寄り一杯やって「さて、もう一仕事するか!」と気合を入れる。ランチには当然付いてくる。日本では考えられないことだが、そういう文化なので仕方ない。
 ラテン系民族は、乾燥した土地に多く住んでいた。この土地はブドウ栽培に適していたため、水の代わりにワインを飲むことが当然の成り行きだったのだ。古代から水代わりだったワインは酒とは認識されなかったのだ。
 酒ではないという認識は、宗教にも大きく影響した。命の糧であるワイン。だから、「キリストの血」なのである。聖書では、ワインと他の酒を区別している。ワイン以外の酒におぼれることを戒めている。これが、キリスト教を兄とするイスラーム教に影響を与えたことは間違いない。イスラーム教は、クルアーンにおいて酒を禁じてはいない。アラビア語のワインの記事に書いたが、酒の詩人がいたぐらいである。この考えの根底に、ワインは水の代わりという暗黙の了解があったのだろう。
 ワインの国スペイン。美味しいワインの村をめぐり歩く、ワインルートも観光コースとしてある。利き酒をしながらの旅は格別である。
 アンダルシアでワインを造っている人の宿にたまたま泊ったことがあった。宿の中に、バルで出すワインを造る工房があった(写真)。そこでは、足でぶどうを踏んで作る古代のままの手法が使われていた。「この方法が一番美味しいのさ」とオーナーは言っていた。ゆっくりと寝かせ琥珀色の白ワインにクラクラした。これが酔わない水?
 いいえ、夢の世界にいざなう魔法の水。
 厳しい日常からつかの間の幸せと眠りをもたらす、神の水。
 なるほど、世界の神々が愛した水であると納得。[a]

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ワイン

2007-01-24 22:37:03 | アラビア語(エジプト)

بنت الكرم (ビントゥ・アクラム)

 イスラーム世界でお酒が飲めないのは、世界の常識。それなのに、ワインのアラビア語があるのは不思議?
 古代エジプトでも盛んに飲まれていたぶどう酒。ワイン作りの光景は墓の壁画のモチーフにエジプト人が好んだものである。現在エジプトで売られている「プトレミー」というワインは、数年前までルクソールにある貴族ナクトの墓の壁画がラベルになっていた。
 古代のワインには、ラベルに王の統治年、製造者、ぶどう畑、畑の所有者などがこと細かく書かれている。そため、発掘作業において、ぶどう畑の位置を特定できるそうだ。
 古代から愛飲されていたワインを、宗教が代わったからと言って、簡単に諦められれるものではない。イスラーム世界で酒が禁じられたのは、クルアーンが出来てからだいぶ後の事。クルアーンにも酒の記述はあるが、禁じるものではない。預言者ムハンマドも愛飲していたというぶどう酒。
 酒の詩人の異名を持つ、アブー・ヌワースのぶどう酒を連想させる美しい詩は、「恋するよりも酒を楽しめ」という男の美学に哀愁を感じる。[a]

  「二つの陶酔」

  ライラやヒンドのために一喜一憂するのはよし給え。
   薔薇を愛でつつ薔薇のような赤い酒を飲み給え。

  杯から酒が咽喉に流れ落ちると、
   目と頬をたっぷりと紅に染めてくれる。

  酒はルビー、盃は真珠、それをもつのは
   すらりとした遊び女のたなごころ。

  彼女は酒を目から注ぎ、手から注ぎ、
   私は二度と酔わずにはいられない。

  私には二つの陶酔があるが、飲み友達には一つ。
   このことは彼等をさておいて私だけのもの。

                  アブー・ヌワース『アラブ飲酒詩選』
                                塙治夫編訳 岩波


ワインのアラビア語、ビントは娘の意味。語源は何??教えて!教えて!と地団駄クリック…
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2007-01-18 09:36:15 | ギリシャ語

Χιονιζει(ヒィオニーズィイ)

 青空と群青色の海に白い建物、碧空を背景にしたパルテノン神殿。海、空、太陽・・・ギリシャに夏のイメージが定着しているだけに、冬は寒く、雪も降ると話すと、たいていの人が意外に思うようだ。

 アテネは街の周囲を低い山で囲まれた街である。しんしんと冷えた翌朝にはペンデリ、パルニサ、イミトスの三山が雪化粧して、冬の訪れを告げる。写真はアクロポリスの麓にあるディオニソス劇場。高層建築がないため、少し高台に上がれば、このように遠くの雪山を望むことができる。この日は一晩降り続いた雪がやんで、快晴。紀元前の遺跡にはうっすらと雪が残り、葡萄酒の神・ディオニソスも杯を傾けたくなったであろう最高のロケーションになった。

 こんな風に街に積もることは一年に一回あるかないかという程度。珍しいせいもあり、喜んで雪投げをする大人の姿も見られる。勤勉な日本人のように雪かきなどはしない。足もとが悪いなら無理に出かけず、溶けるのを待つ。「雪のせい」で学校や仕事が休みになったり、約束がなくなったりするのは、昨年の記事に書いた通り。「雪のおかげ」で出かけることもなく、静かでリラックスした一日となるのだ。

 そんな日は絶好の暖炉日和。私の住んでいたマンションで各部屋に備え付けられていたように、ギリシャの多くの家には暖炉があり、家で過ごす冬の時間を豊かにしてくれる。じっくり火を起こす。少しづつ様子を見ながら薪をくべる作業は、急いでいてはできない。あかあかとした火の色やパチパチと薪のはぜる音、木の燃える匂いを感じる。少しづつ確実に部屋に広がるあたたかさ。スイッチ一つの暖房器具と違って、心までが和むのは、最も自然な暖の取り方だからかもしれない。ギリシャの創世神話では、プロメテウスが鍛冶の神・ヘパイストスから火を奪って人間に与えたと伝えられている。

 市場の雑貨店には暖炉掃除用具や肉や栗を焼く網やフライパンなどが並び、街の薪専門店には、松、オリーブなどの薪が山と積んである。暖炉での焼き栗は定番だし、骨付きの肉を網に挟んで焼くのも、この季節ならでは。ギリシャの冬、また楽し、である。(さ)

 

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2007-01-12 00:28:19 | アラビア語(エジプト)

ثلج (サルジュ) 

 エジプト人の多くは雪を実際に見たことがない。触ったこともない。暑い国に住む彼らにとって、雪はあこがれである。
 そんなエジプトでも近年雪を見ることがある。異常気象で、アレキサンドリアや、カイロにも「一瞬」降ることがあるそうで、見た人たちは大騒ぎである。最高にハッピーだ。実際には大問題であるが、雪を見て触ったことを得意になって話している彼らを見ると、こんなに喜んでいるからまあいいかと思ってしまう。
 灼熱の砂漠の中で、エスキモー村に出くわしたことがあった。白砂漠と呼ばれる、石灰岩層の露出したリビア砂漠のある地域は、「万年雪」が地平線の向こうまで続いている。半円形の真っ白い石灰岩層がいくつもあるところを見た時は、ペンギンがいてもおかしくないと錯覚した。
 砂漠の朝は寒い。白い石灰岩の上は氷のように冷たい。そこで聞こえるのはトドではなくフェネックの鳴き声。走っているのはソリではなく四駆。
 エジプト人の子どもたちに「雪景色は白砂漠みたいな感じ」と言ったら、「白砂漠って何?」と返事が返ってきた。
 さてさて、この国にはショートケーキもないし、レアチーズケーキもない。綿菓子はあるけど、雪は綿菓子みたいと言ってみようか。
 雪はجليد
(ジャリード)ともいう。アラブ=暑いは間違いである。イランなどでは珍しくない。そのため、雪の表現がいくつもある。氷の意味でもある。
 雪を知らない彼らは「一度でいいから、雪の上で寝てみたい」と言う。彼らのイメージする雪は、綿菓子のイメージだろうか?[a]

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クリスマス

2007-01-05 00:50:58 | ギリシャ語

Χριστουγεννα(フリストゥーゲナ)

 ギリシャでもスペインと同様、クリスマスに子供達がやってくる。違うのは「歌」があるということ。チャイムが鳴ると「歌ってもいい?」の声。「どうぞ」と入り口を開けると、トライアングルを鳴らしながらキリストの誕生を祝う歌を歌うのだ。そして歌が終わるとお金(1人1ユーロくらい)を渡し、「良いクリスマスを!!」の挨拶と共に去っていく。これがΚαλανδα・カランダ。言祝ぎの歌に祝福を込め、人々に広めるという意味があるそうだ。

 外国ならではの珍しい経験。家に子供を迎える為に小銭を用意した。男の子は少し照れくさそうに、女の子は愛らしく歌う。街を歩くとあちらこちらに子供達の姿があり、カランダのメロディーがが聞こえる。商店では前のグループが終わるのを待っている混雑風景も。クリスマスの装飾がなされた街に生誕の日ならではの特別の空気が漂っていた。

 欲張りな私は日本の子供達の背後からこっそりとついて行き、どんな風にギリシャの人と交流するかを確かめた。彼らは日本人学校の音楽の時間にカランダの歌をギリシャ語で習い、またトライアングルだけではなく笛の練習もしていたという。日頃から周辺の商店の人達とは面識があるので、その辺りは難なくこなしていた。ケーキ店ではお金だけではなく、お菓子までもらってご満悦。子供達は自信がついて、通学路から離れた住宅街に行き、見ず知らずのマンションで適当な部屋のチャイムを押す。

 「歌ってもいい?」これも勿論、ギリシャ語。OKをもらって入っていく子供達を見送って私は外で待っていた。随分と時間が経ったような気がするのは、待っていたから。あちこちの家を訪問したからだと声を弾ませて戻ってきた子供達の頬は紅潮していた。どの家でも歓迎され、お金の他にチョコレートやクリスマスの菓子・メロマカロナなどを持たせてくれたり、予想外に多いお金をいただいたり・・ということだった。トライアングルを持って歩く日本人の子供達は目立つようで、道行く人に「歌って」と頼まれ、歌い終わった後に「ブラボー!」と拍手されたこともあった。ちなみに、どれくらいの額が集まるのか・・。午前中一杯の訪問の6人グループで一人あたり40ユーロくらい、という親も子も驚くべき高額な結果となったのだ。でもお金ではない。

 短い滞在のクリスマスで経験したことは本当に一面だろうけれど、カランダに挑戦した日本の子供達の笑顔を通してギリシャ人の優しさや温かさを実感。それは私がギリシャの人達との交流の中で感じ取ったものと同じであった。(さ)

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