kuća(クーチャ・ボスニア語)
靄がかった夕刻の薄明に縁取られた家々の黒い影。対照的に、夕闇にくっきりと浮かび上がる生活の灯りのひとつひとつ。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都サラエヴォを訪れたのは、とある夏の夕暮れ時だった。低い丘に囲まれ、その中心を一筋の川が流れる谷底に、サラエヴォの街並みは広がる。
サラエヴォと言えば、ユーゴ紛争の際、民族間の内戦や虐殺が起きたことで世界的に知られてしまったが、実のところ、歴史上様々な民族が共存してきたコスモポリタンな土地であり、ヨーロッパの地にありながら、未だオスマン朝の足跡を色濃く残す稀有な場所でもある。
東西に広がるサラエヴォの街は、東へ行くほどオスマン朝の面影が色濃くなっていく。丘の斜面に沿って並ぶ住宅街では、トルコの一定の場所で多く見られるような、木彫り装飾の施された窓が二階部分から路面に向かって張り出すオスマン様式の家屋に数多く出逢う。アザーンが響く中、デコレーションケーキに立てられた細い蝋燭のようなミナレット(尖塔)の合間に立ち並ぶオスマン様式の家屋を見ていると、まるでイスタンブルやサフランボルを訪れたかのような錯覚に陥ってしまう。
そして、かつての職人街バシチャルシャに足を踏み入れると、どこか懐かしい風景に遭遇する。木造の軒の低い家屋が長屋のように続くその空間は、アジアの下町の路地を思わせる。しかし、足元に広がる石畳はヨーロッパのそれを連想されるし、頭上を見上げれば、そこかしこ、隊商宿の名残を残すイスラームのドーム屋根が連なる。えも言われぬ懐かしさの感情と、未体験の驚きが交差する。チェバブチッチ(ケバブ)屋の小さな煙突からモクモクと吐き出される白い煙と、どこからともなく聞こえてくるトルコのアラベスク歌謡のような旋律は、イスラーム世界に馴染んだ者には既視感を覚えさせるノスタルジーも湛えている。
現在は大半が土産物屋となってしまった「長屋」のひとつひとつでは、かつて金属加工や絨毯織の職人が商売の腕を競い合っていたのだろうし、軒下の出っ張りに腰掛け、トルココーヒーを啜りながら日がな一日お喋りに興じていた人々の、のんびりした姿が脳裏に浮かぶようだ。
路地を彩ったかつての日常の風景が、今でもここでは想像に難くない。
夕闇迫る輪郭の無い藍色の塊の中、くっきりと浮かび上がるのは、生活の音を放つ光を伴った光景。そこには、人々の行き交う姿を見つめ続け、歴史の重みを背負う木造家屋の風景が広がる。内戦の爪あとを色濃く残す町並みの背後で、ひっそりと佇むオスマン朝の夢の跡が、木造家屋連なる風景の中に、今でも確実に息づいている。(m)