地球散歩

地球は広いようで狭い。言葉は違うようで似ている。人生は長いようで短い。一度しかない人生面白おかしく歩いてしまおう。

かぼちゃ

2010-10-28 00:00:00 | 英語(アメリカ現地便り)

Pumpkin (パンプキン)

 

 

 

今年もやつがやってきた。

例のJackだ。

暗闇の中に揺らめく明かりをうかばせて。

時には笑い、時には叫ぶ。

はらわたをえぐられ、穴を開けられ、こんな姿に落ち果てた。

そう、やつの名は、Jack-O-Lantern

 

 

 

 

と、いうわけで毎年10月31日はHalloween(ハロウィーン)。日本でもすっかりおなじみになってますよね。Halloween に欠かせないものといえば、これ。大きなカボチャの中身をくりぬいて作るJack-O-Lantern(ジャコランタン)です。毎年9月も後半になるとスーパーの店頭に、そして空き地に季節限定で現れるPumpkin Patchに、直径30cmほどのかぼちゃたちが積み上げられ始めます。きれいな球形もあれば、細長いもの、横長なもの、いびつに歪んでいるものなど様々。今年はどんな顔にしようかなと考えながら、形を選び、うんこらさっと車に積んで家に持ち帰ります。我が家でも毎年ハロウィーンの前の週末に子供と夫が一個ずつ、それぞれ思い思いにJack-O-Lantern を作ります。


もちろん、プラスチック製や陶器のジャコランタンも売られています。電気がついて、人が近づくとセンサーで怪しげな音も発するものなど多種多様ですが、
Trick-or-Treatで家々を回る時、手の込んだ手作りのJack-O-Lantern が玄関先に置いてあると、お主やるな!と見知らぬ隣人に喝采を送ってしまうのです。


今年はどんなコスチューム(仮装)でハロウィーンを楽しみますか?いっそのこと、自分が
Jack-O-LanternになったりしてTrick-or-Treat で歩き疲れておなかが減ったら、シナモンがきいたパンプキンパイを召し上がれ。(M)

 


 

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2010-10-24 00:00:00 | 日本語
 秋と言えば、栗拾いか、芋ほりが定番だった私の幼少時代。
 さて、最近はいかがなものであろう?
 イマドキは、マロングラッセが木に生っていると思っている子どもがいてもおかしくない世の中である。「山の海胆だよ~」と言ったら、「そうなんだ!!」と、真顔で返事をされそうで怖い。
 そうそう、海胆(ウニ)、漢字で海栗とも書く。だから、実際には「へ~海にも栗があったんだ!」が正解であろう。そして、中身を出して、たべるばっかりになったウニは、海栗と書いてはいけない。栗そっくりの姿をしているときだけ、「海栗」と呼んで差し支えない。

 「大きな栗の木下で」という、慣れ親しんだ歌があるが、あれもGHQが持ち込んだイギリスの歌である。
 栗は一人で食べると言うよりも、みんなでおしゃべりしながら、皮をむいて食べるイメージである。
 「栗」と「仲良く」は、なんとなく切っても切れない感じ。
 みんなで食べる代表格の栗が、天津甘栗。
 中国の天津名物かと思っていたら、実は日本に輸入されたのが、天津港から出る船に乗っていたからだと言う。
 天津に行ったら、甘栗食べなくちゃと思っていたが、それはなかなか難しいようだ。[a]




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遺跡

2010-10-20 00:00:00 | フランス語(チュニジア)
ruine(リュイン)

多くの人にとって、海外旅行の楽しみのひとつと言えば、遺跡巡りではないだろうか。特に、歴史的エピソードが豊富で、神話の世界を彷彿とさせる旧跡が数多く残る地中海地方では、遺跡巡りが旅の重要なテーマのひとつとさえ言えるだろう。
かく言う私も、大の遺跡好きである。
但し、私が遺跡を好きなのは、その空間が湛える、かつての繁栄の残滓や、時の権力者が享受した富や栄光を連想させることに対する嗜好からではない。日本人的な感性である無常観とも違う。
喩えて言えば、イギリスのヴィクトリア朝時代の人々が「発見」したピクチャレスクの感覚に近いものだ。まさにそこに在る、瓦礫に潜む崇高の美。一分一秒たりと崩壊を止めない遺跡という場所が発散する(一見矛盾したように思える)永劫の感覚は、崩壊を愛する美意識を、いたく刺激する。
歴史という呪縛から切り離された瞬間、遺跡は、「絵」としての美しさを放ち始める。その切り取った、自分だけのために存在する一枚の絵は、救いようのない憂愁と虚無感を湛えた存在でありつつ、人に永遠を感じさせる力がある。
そういった意味で、「ruine(廃墟)」(多くのヨーロッパ系言語でも類似)は、私にとっての遺跡の意味を、より的確に表現しうる言葉のような気がする。遺跡というとき、例えばsite archéologique (考古学的(遺物のある)場所)や、yuuのようにhéritage(遺産)という単語をあてる方 が適切なのかもしれない(尤も、私はフランス語のことはよくわからない)が、私はこのruineという言葉をよりいっそう好む。

さて、旅好きで神話好きの人間の例に漏れず、私も今までにたくさんの遺跡を巡ってきた。
それぞれに思い入れがあるのだが、上に記したように「ピクチャレスク」な意味で最も愛着があるのが、チュニジア北部、アルジェリアとの国境にほぼ近い位置ににある、ローマ時代の遺跡、ドゥッガだ。本場イタリアのローマ遺跡よりも保存状態が良いと言われるドゥッガの遺跡は、考古学的な見地からも非常に意義深い場所だが、今回はあえてそういったことには触れずにいたい。

ドゥッガの遺跡を訪れたのは、秋雨降る季節。雨が、古代の街の路地裏の石畳をすっかり洗い流した後の夕刻だった。秋雨とは言っても、日本で経験する時雨とは質を異にする。ドゥッガへ移動する車の中、狂ったように窓ガラスを叩く大粒の雨とにらめっこをしていた私だったが、不思議なことに、ドゥッガに到着した途端、土砂降りの雨は、さっとやんでしまった。
驟雨の後の垂れ込めた雲間から、一条の光が地上に差し、遠くに臨むテーブルマウンテンと、足下の涸れた石畳を鈍く照らし出していた。重く時を刻む神殿址は、その一瞬、時計の針を進めることを止めた。永遠が、ゆっくりと、舞い降る羽毛のように、私の頭上に降り注いだ。

全て偶然が為した、神秘的な美の邂逅と連鎖。
その時、私は、時の狭間を経験した。(m)


遺跡では時を止めたいけれど、クリックは一秒ごとにお願いしたいな~。

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祭り

2010-10-16 20:56:52 | 日本語

祭り~仏舞~

 

季節も趣向もやや異なるが、「祭り」と聞いて浮かんだのは「仏舞(ほとけまい)」。

 

仏舞が各地で舞われるようになったのは奈良時代で、伝承されているのは今では全国で3箇所という。
私の住んでいる地域では「糸崎の仏舞」と呼ばれ、隔年で執り行われている。

 

黄金の仮面に、真黒な袈裟。ゆっくりで単純なようだが、変わったリズム。
同じような振りを何度も繰り返し、一人ずつ輪の中から抜けていきながら、延々30分間踊り続ける。

 

昔の人たちは、こんなにゆっくりとした調子で喜びを現したのだろうか?
なぜ一人ずつ抜けてゆくのだろう?
いろいろ考えを巡らせているうちに、やがて彼らが無事に踊り切って舞台から誰もいなくなると、
何かが達成されたような、なんともいえない感動が押し寄せてくる。

 

1300年もの昔から、仏に奉納されている静かなる舞。
にぎやかな祭りではないが、確固たる歴史と、密やかな情熱を秘めた舞仏たちの姿は、一見の価値がある。(y)

 

 

詳細なレポは、こちらをどうぞ☆ 人気ブログランキングへ

 


2010-10-12 11:54:20 | スペイン語
amigo(アミーゴ)

スペイン語のアミーゴは、日本でも広く知られた単語であろう。
陽気で、愉快で、知らない人とでもすぐに友達になれてしまう。そんな雰囲気が単語自体にもある。
ところがどっこい、スペイン大好きで、一人でふらふらしている私には、スペイン人の友だちがいない。スペイン語が判らないのも原因のひとつ。
サッカーでも大好きであれば、「アミーゴ!」と、あっという間に、バル中の人と友だちになれるであろう。
タブラオや、バルに通いつめるということもない。スペイン語が判らなくても、何か共通する楽しみがあれば、スペインは友だちを作りやすい環境にあると言える。
そんな私が入っていきやすいのが、泉のそばや、公園にたむろしているおじいちゃん、おばあちゃんたち。
一人で散歩して、お弁当を食べていると、隣に座って、機関銃のように話し始める。
「一人なの?家族は?一人で旅行なんてダメよ!誰かと一緒にいなさい。家族はいいものよ!」と、こちらの返事も待たずに話している。
年をとると、友だちが少なくなって、出歩くのがおっくうになると友だち付き合いが減っていく日本と違って、スペインでは昼食までの時間、日向ぼっこしながらおしゃべりを楽しんでいる。
12時ごろになると、パン屋へ行って「さて料理をしようかね」と、ボツボツ帰っていく。(スペインの昼食は14時ころから)

今は一人旅を楽しんでいるけれど、年をとったら、何を話すでもなく、写真のおじいちゃんたちみたいに、童心に返って、ベンチに後ろ向きに座って、人や車を見ているようなお茶目なことをしたいな。[a]



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2010-10-08 00:00:00 | つれづれ帳

दोस्त(ドースト・ヒンディー語)

今回、さらさとyuuの「友」に返信しようと思い、一番に思いついたのがヒンディー語の「友」。今まで『地球散歩』でインドのことを書いたことがないので意外かもしれないが、私、mitraが初めて訪れた外国はインドなのだ。

当時、私には仲の良いインド人の友人が居た。東京で交流を深めていたその友人のつてを辿り、デリーでは、短期間ながらも友人の自宅にホームステイする機会を得た。そこには私と同じ年頃の娘さんが居て、何かと世話を焼いてくれた。印象に残っているのが、「どうして女性なのにアクセサリーもつけないの?」と彼女が遠慮がちに呟いたこと。旅の最中であることも手伝い、質素でみすぼらしい(!)格好をした私を見かねての発言だったのだろう。私は様々な言い訳を考えてみたものの、サリーを着て綺麗にお洒落をした彼女の前では、自分の格好の冴えなさについて何も言えなくなってしまった。そこで彼女は、自分の両親が経営するアクセサリーショップに私を連れて行き、日本では、日常に着用するには場違いな金ピカのネックレスや指輪を私の洋服に合わせ始めた。だが、当の私の服装はインド綿のシャツにジーパン姿。どんなに素敵なアクセサリーを纏ったところで、洋服は超カジュアル。結局、私はその日一日、そのチグハグな姿で過ごす羽目になってしまった。インドでは、女性がお洒落をしないのは「罪」なのである。
帰国間際、彼女は束の間の「友情」の証に、金のネックレスを私の手の平に滑り込ませた。そのネックレスは私の「移動」の人生において、今でもあらゆる場所に付いて回っている。

さて、友情にまつわるエピソードのご紹介がすっかり長くなってしまったが、ここで言葉の説明を軽くしておこう。ヒンディー語で「友達」は「ドースト」。ヒンディー語と姉妹言語であるペルシャ語の該当単語は「ドゥースト」である。また、ヒンディー語で、「友達」や「友情」には一般的に上記の「ドースト」を充てるが、「मित्र(mitrミトル)」を使うこともある。勘の良い方はお気付きかもしれない。この単語は、古代インド・イラン神話に共通の神格であるmitra(mithra)から派生している単語であり、私のハンドルネームmitraが古代の神話から採られていることは何度か書いて来た(こちらをご参照下さい)。この神格の、神に随伴する「盟友」としての性質、あるいは「契約」を司る性質から、mitraが「友」「友愛」をも意味するようになった経緯だけはここに述べておこう。

私は、mitraの故郷であるインドとイランの両国で、「ドースト」からの歓待を受け、「ミトル」の心を知った。(m)


mitra・・・ローマではミトラス神・仏教では弥勒菩薩となります。
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遺跡

2010-10-04 11:16:11 | 英語(マルタ)

ヘリテージ(heritage

 

マルタには、騎士団が移り住むずっと前から、人々が住んでいたという痕跡がある。

 

マルタ島にはハジャールイム神殿、ムナイドラ神殿、タルシーン神殿に地下神殿ハイポジューム神殿など、いずれも先史時代の巨石神殿の宝庫。
ゴゾ島にあるジュガンティーヤ神殿(写真)は、ピラミッドやストーンヘンジより古いとか。

 

なるほど、まさしく古そうだ…

 

この神殿を訪れた2月、マルタの天候はすこぶる悪く、強風が吹きすさんでいた。あまりの荒々しさに、まっすぐ立っているのも難しいほど。外でのんびりガイドさんの話を聞くような雰囲気では全くなく、正直「観光」どころではなかった。そんな悪条件も手伝ってか、遺跡に行くときにはいつでも浮かんでくるはずのイメージが、まるで浮かんでこない。

 

私の場合、遺跡を巡る楽しみの一つは、その時代の人々の暮らしぶりを想像すること。しかし、好奇心旺盛な学者のように、現実に生きている自らの身の危険を感じながら、その楽しみに浸るのはとても難しいものだ、と改めて思ったりした。

 

遺跡を巡るなら、やはりベストシーズンがお勧めなのである。(y)

 

 

マルタのタルシーン神殿に地下神殿ハイポジューム神殿については、こちをどうぞ☆

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